267.妖精たちとの合作(中編)

 それからしばらく経った後、領主邸にやってきたのはマルレーネだった。


 リアのつわりが始まったことを聞きつけて往診にきてくれたらしく、医薬品の詰まった鞄を手にして寝室へ足を運んでいく。


 弱々しい瞳で迎え入れた龍人族の妻が、ベッドに横たわっていた身体を起こそうとしているのを穏やかな口調で制してから、白衣姿の女医は診察を始めるのだった。


「初めての経験ですし不安になるかとは思いますが、いずれ症状も落ち着いていきますわ。どうかご心配なく」


 青白い顔に安堵の色を浮かべ、リアは頷いてみせる。


「つわりの症状は医学書で学んでいたはずなのになあ……。自分自身が経験しないと、このつらさはわからないものですねえ」

「医学とはそのようなものですよ、リアさん。いまはとにかくご自愛ください」


 柔らかい微笑みを返し、マルレーネはこちらへ視線を転じた。


「もっとも、タスク様をはじめ、周りの皆様方が温かく見守ってくれているようですから。いらぬお節介かとは思いますけれど」

「エヘヘ……。大切にされてます……」


 二人の声に言葉もなく、オレはごまかすように髪をかくことしかできない。愛する奥さんですし、大事にしますよ、そりゃあ。だからといって、面と向かって惚気のろけ話を披露できるほどに素直な性格はしていないのだ。


 少量でもいいので無理のない範囲で食事を摂ることなど、二言三言交わし合い、マルレーネは帰り支度を始める。ベッドから見送るリアを残して玄関先までついて行くと、マルレーネは口を開いた。


「実を申しますと、当初はクラーラさんが往診を担当すると仰っていたのですわ」

「クラーラが?」

「ええ。幼なじみの間柄ですし、私もその方がよいと考えたのですが」

「……?」

「ほら、クラーラさん、リアさんのことになると、我を忘れてしまう傾向にあるでしょう?」

「あ~……」

「おつらい様子を見て、気が動転しないかと思いまして。私が代理を務めさせていただいたのです」


 確かになあ。弱り切っているリアを見たら最後、卒倒しかねないもんな。もれなくジゼルもついてくるだろうし、ちょっとした騒動になるのが安易に想像できてしまう。


 マルレーネも忙しいだろうに、余計な気を遣わせて申し訳ない。頭を下げるオレに、麗しき女医は首を横に振ってみせる。


「タスク伯爵家にとって、待望のお世継ぎですもの。担当する医師として、私こそ光栄というものですわ」

「後を継ぐとか気が早いなあ。まだ生まれてもないんだぞ?」

「それでは元気な御子が誕生するよう、微力ながら尽くさせていただきます」


 やれやれ、まいったね。いまの時期からこんな話題を持ち出されてもなあ、母子ともに健康であればそれだけでいいんだけどねえ?


 言っても聞かないだろうし黙っておこうと考えていた矢先、「ところで」とマルレーネは話題を転じた。


「タスク様のお許しがいただけるのであれば、お子様の教育係は私にお任せ願えれば幸いでございます」

「それもそれで気が早いな、おい。医学でも教えてくれるのか?」

「ええ、それはもうっ! 健全な知識を育むために、ありとあらゆる英才教育を施させていただきますわっ!」


 そういって、両手の指をわにわにと動かし始めるマルレーネ。うん、どう考えても、触手の動きにしか見えないよね、それ。物心つかない時期から特殊性癖をたたき込もうとするんじゃないっ!


 考えさせてくれとはぐらかし、すっかり怪しい瞳に変わった女医には早々にお引き取りいただいた。きてもらっておいて悪いけど、マルレーネもマルレーネで不安を覚える時があるからなあ。クラーラと大差ないかもしれない。


 なにはともあれ、だ。


 優先すべきはリアの体調で、それは間違いない。少量でも食事は摂るべきというアドバイスもあったことだし、先ほど植えた種子がその助けになるようなものになってくれたらいいんだけどな。


***


 ……で、三日後。


 爽やかな果物が実ることを願っていたオレの期待を見事に裏切るが如く、野菜なのか果物なのか判明しがたい三種類の作物が、領主邸の庭で収穫の時を待っていた。


 そもそも種子からして、赤・青・黄色と色合いが違っていたのだ。生育しきった作物の色や形が違っていたとしてもおかしくないだろう。


 でもさあ、まさか種子と同じ色の作物ができるとは思わないじゃん? 赤い種から赤い作物ができるのはいいよ。なんだよ、青色の作物って。鮮やかすぎて、食べる気が一切しないんですけど。


 いやあ、なんていうのかな。ラグビーボールの形をした青い作物を見た時、一瞬、懐かしさを覚えたよね。『七色糖ななしょくとう』以来のでたらめな代物だもん。自分のスキルのムチャクチャさ加減にあらためて気付かされたというか。


「本当に三日間で収穫できるのですね! お兄様!」


 一抹の不安を覚えるこちらを他所に、並び立つニーナは感激の声を上げていた。奇妙な色合いなど天才少女にとっては些細な問題らしい。知的好奇心を刺激されたように瞳を輝かせては、三種類の作物とオレを交互に見やり収穫を促している。わかってるよ、収穫するってば!


 はあ……。こうなったら、味がいいことだけを期待しようと考えつつ、見事に生育しきった作物へ手を伸ばす。


 まずひとつ目。赤い種子から育った赤い作物は、どこからどうみてもミニトマトとしか思えない。違いを挙げるなら、触った感じ、皮の部分が硬いぐらいだろうか?


 鮮やかな赤色は種子の影響か、それとも完熟したからなのかはわからないけれど、見た目だけは美味しそうである。


「どのような味がするのでしょうか?」


 ぜひ試食をしたいですわとせがむニーナには悪いけど、最初に口にするのはこのオレだ。……っていうか、ぶっちゃけ試食というより、毒味だからなあ、これ。


 まあ、これまでに毒の入った作物を構築ビルドした経験はないけどさ。万が一ってことがあるかと思うと、はいどうぞとはならないよね。十歳の少女にもしものことがあってはいけないし。


 そんなわけで、赤い実をまじまじと眺めやってから、恐る恐る一口かじってみる。見た目がもうトマトだし、味もそれっぽいやつかなあと想像していたのも束の間。


 浅い思考をあざ笑うように、痛みを伴う強烈な辛みが一瞬にして口の中を支配し、オレはたまらず口の中のものを吐き出した!


 っっ辛っっっっらっ!!!! っていうか、痛ぇっ!!! アイエエエエ! ナンデ!? イホウジンナンデ!? はぁっ!? 激辛どころじゃないんですけどっ!!!


 そして額には玉のような汗がにじみ出る。そらそうだよ、めちゃくちゃ辛かったもん。あ~……、ビックリしたわあ……。


 同時に、ニーナに試食させなくて良かったと心の底からほっとしたね。こんなもの、子どもへ食べさせるわけにはいかないって。


 というか、これ本当に妖精桃とイチゴを掛け合わせて構築した種子なんだよな……? 甘味とは対極にあるような辛味だけど。


「香辛料……のようですわね。それにしては刺激臭が強めですが」


 かじった後の赤い実をしげしげと眺め、ニーナが推察を始めた。よくよく見ていなかったけど、赤いのは皮だけであって、中は真っ白な色合いをしている。


「文献にもこのような香辛料の存在は記録されておりませんわ」

「だろうね」

「……お兄様は、このような不可思議な作物をお作りになるのですねえ」


 お兄ちゃんだって、作りたくて作ったわけじゃないんだっ! そんな奇妙なものを見るような目でこっちを見るんじゃありませんっ。


 考えたくはないけど、今回は大失敗しちゃったんじゃないか? 妖精の祝福の力が加わっても、一発目からこの仕上がりだよ? 後に控えているのなんて真っ青なラグビーボールにしか見えないやつだし、味の想像もつかない。


 やれやれ、リアのために、と、張り切ってみたんだけどなあ。そう上手いこといかないか……。とはいえ、なかったことにはできないしなあ。


 出鼻をくじかれてしまったことで心が折れかかっているけれど、ニーナは残りの二つも気になっているみたいだ。……こうなったら仕方ない、これも生産者としての責任である。覚悟を決めて、青色のラグビーボールと向き合おうじゃないか。

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