262.才媛からの要望

 急ぎ執務室へと現れた龍人族の商人は、ソファへちょこんと腰掛けるニーナを見るなり言葉を失ったらしい。かけていたメガネがずれ落ちそうになるほど、唖然とした表情を浮かべている。


 慌てたようにメガネを直したアルフレッドだったが、『夫人会』からの強い推薦があった優秀な人材がこの幼い女の子である事を知ると、今度は信じられないといった面持ちで、忙しく瞬きを繰り返している。


「おい、アルフレッド。初対面の相手に失礼じゃないか」


 そう注意を促したものの、つい先ほどまで、オレ自身が呆然と立ち尽くしていたので、あまり強くはいえない。とはいえ、ひとまずは冷静さを取り戻すことができたらしく、行政を担当する龍神族の商人は自らの非礼を詫びてから、少女と対面するようにソファへ腰を下ろした。


 ちなみにアイラは、「話がややこしくなりそうだから」という理由で、そそくさと姿を消してしまった。現時点で、すでにややこしいことになっているんだけどなあ。


 はあ……、考えていても仕方ない。


 アルフレッドを呼び寄せたのは理由がある。行政関係の書類を持ってきてもらい、ニーナがその内容を把握できるかどうか確かめるためだ。お義父さんや『夫人会』、さらにはゲオルクまでの推薦があるとはいえ、相手はまだ子どもである。


 実務レベルで通用するか判断し、厳しそうなら、それを理由にお引き取りいただこうと考えたのだ。


 領主であるオレの目標は『のんびりラクをして日々を暮らしたい』なのに、それを実現させるため、小さな女の子を働かせるとなっては、さすがに後ろめたさを覚えてしまうしなあ……。


 この領地は、映画『千と千尋の神隠し』の舞台じゃないのだ。豚の姿へ変えられた両親もいないし、労働などに従事せず、のびのびと健やかに育ってもらいたい。


 当の本人はといえば、コバルトブルーの瞳を爛々とさせ、人形遊びにでも熱中しているかのように、微塵も書類から目を離そうとしない。紅茶を運んできたカミラに気付く様子もないほどだ。


 もっとも、普段から気配を消すことに長けている戦闘メイドが、邪魔にならないよう気を遣ったのかもしれない。控えめな声で礼を告げるオレに一礼して、カミラは部屋を後にする。


 興味と好奇心と不安をない交ぜにした視線が行き交い、執務室の中は沈黙で満たされていく。もうしばらく時間がかかるだろうなと、紅茶の入ったティーカップを手に取った瞬間、愛らしい声が耳元へと届いた。


「拝読いたしました。たいへんに興味深い内容でしたわ」


 外見と不釣り合いの落ち着き払った口調は、無理に大人びた様子を装っているといった様子もなく、ごくごく自然に受け取れるから不思議だ。これも一種の才能というやつなのだろうかと思う間もなく、ニーナは顔を上げてまっすぐにこちらを見やった。


「私が思いますに閣下、ここ、フライハイトという都市はいくつかの問題を抱えているのではないでしょうか」


 ティーカップを宙で止め、それに応じようとするよりも早く反応したのはアルフレッドだ。


「興味深いご意見ですね。是非ともお話を伺わせていただければ」


 穏やかな声とは不釣り合いの、不審の色を滲ませた眼差しである。オレは内心でため息を漏らした。


 もっとも、アルフレッドとしては、ニーナを対等な人物となり得るのか試しているのかも知れない。思えばオレも、初対面の時は思いっきり観察されるような視線を向けられていたからな。


 テーブル越しにアルフレッドを見据えたニーナが自分の考えを切り出してから、龍人族の商人の表情が感嘆のものへと変わるのに、さほど時間はかからなかった。幼い女の子が理路整然と導き出した結論は、まさに正鵠を射ていたからだ。


 ニーナはまず、ここ一年における食糧自給率の悪化と移住者の関係性について指摘し、それに伴う財政面への影響、増税を含めた税制度の見直しを訴えた。


 今後においては立地的な面も考慮し防衛力の強化を図る一方、商業都市として新たな交易先を確保するべきだろう――と、非常にお堅い内容ながらも持論を展開し終えた少女は、ようやく紅茶に気付いたようで、一息つきたいとばかりにティーカップを口元へ運んでいく。


 耳を傾けていたアルフレッドは、相手をもはや子どもだと考えていない様子で、熱心にうんうんと相づちを打っている。まったく現金なやつだなあ。


 しかし、天才というのは、どの世界においても存在するんだね。まったくもってビックリするよ。年齢こそ、領主邸へ遊びに訪れる子どもたちと変わらないのに、大人顔負けの思考だもんな。末恐ろしさすら感じるね。


 とはいえ、正鵠を射ているからといって、必ずしも考えに賛同できるかと言えばそうではない。増税については回避したいのが本音だ。個人的に気になるのは別の話である。


「新たな交易先と言っていたけど、具体的な候補はあるのか?」

「はい、閣下。交渉先としては魔道士の国がよろしいかと存じますわ」


 魔道士の国、ソフィアとグレイスの生まれ故郷だ。同時に罪を犯した身として追われた国でもあるんだけど、それは一旦置いておこう。


「魔道士の国は鎖国状態と聞いているけど」

「完全な鎖国を敷いているわけではございませんわ。少なくとも、我々、龍人族の国とは外交関係がございます。よしみを結ぶのに支障は無いかと思われます」


 強く勧めるニーナの声に熱量を感じたのは気のせいではないようで、そのことを尋ねると、ニーナは白い頬を紅潮させて俯いた。


「私、実は魔道士の国の芸術作品が非常に好みでして……」


 幼い女の子の告白にドキリとして、オレは思わずアルフレッドと顔を見合わせた。魔道士の国の芸術作品といえば、ソフィアとグレイスを筆頭に、BL同人誌しか思いつかなかったからだ。


 まさかこんな小さな頃からBLを嗜んでいるのかという予想は、だがしかし、あっさりと裏切られることになる。ニーナが言っていた芸術作品というのは、いわゆる演劇や歌劇といったものらしい。


 ほっと胸をなで下ろすオレに、ニーナは疑問を投げかける。


「魔道士の国には、他にも芸術作品があるのですかっ!? ご存じでしたら是非ともご教授いただきとうございます!」

「あー……。いや、なんだなー。ちょっと詳しくはわからないなあ。なあ、アルフレッド?」

「そうですねー。僕もちょっとわかんないですねー」


 我ながら、明らかにベッタベタな棒読みの返答だったので、強引に話題を切り替えるべく、今度はこちらからニーナへ質問を投げかけた。


「えっと、その演劇? 歌劇だったか? 魔道士の国では人気なのか?」

「ええ、それはもう!」


 興奮を前面に押し出し、ニーナはまくしたてる。


「私も三年前に初めて観劇したのですが、その際のきらびやかさ華やかさといったら、筆舌に尽くしがたいほどでしてっ! ああ……、こうして、まぶたを閉じていたとしても、その時の光景を鮮明に思い描くことができますわ……!」


 胸元で両手を合わせ、恍惚の表情を浮かべるニーナ。憧憬とも受け取れる少女の反応に年相応の純粋さを見いだしながら、オレはささやくように、龍人族の商人へ問いかけた。


「……歌劇が有名だって、グレイスから一度でも聞いたか?」

「いえ、まったく……」


 魔道士を妻に持つアルフレッドが首を横に振って応じる。そうだよなあ、オレもソフィアからそんな話聞いたことないもん。


 そんなに人気なら是非一度お目にかかりたいもんだなと思いつつ、とりあえずは話題を戻さなければならない。


 ようやく我に返ったニーナは赤面しながら咳払いをすると、領内において今後重要になる施設を作っていただけませんかと声に出した。


「重要な施設って?」

「はい。図書館を設けていただきたいのです」

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