255.春が来た(後編)

 オレとハンスが話している果物、それは桃のことである。


 はい、そこのアナタ。桃なんて珍しくもなんともないじゃんかと思ってるでしょ? 違うんだなあ、これが。こっちの世界になかったんだよねえ。誰も知らないんだもんな。


 で、桃ができたのも、これまた偶然の産物だったりする。


 領主として日々の業務へ追われていると、せっかくのチートスキルである『構築ビルド』と『再構築リビルド』も使う頻度が減ってしまい。そうなると、元々クラフトゲーが好きだったオレとしてはいい加減、ストレスも蓄積するわけだ。


 そういった理由から仕事の合間を抜け出して、息抜きがてら、いろんな作物を『再構築』しては、その種子を掛け合わせて『構築』を繰り返し、何かができるといいなあと試していた結果。


 そのうちのひとつが立派な樹木となって育ち、そこから見覚えの果物が実をつけたのだった。中央に割れ目の入った丸々とした形状と甘い香り。どこからどうみても桃である。唯一、特徴的なのは乳白色をした色合いだ。


 いやあ、何かできればいいとは思っていたけどさ、桃ができるなんて感激だよなあ。しかも白い桃って高級品だよ? 滅多に口にできるようなもんじゃないんだから。


 ……てなことをね、力説していたんだけど。果実には色が付いていて当然という認識からなのか、「白い果物」にはみんな一定の抵抗があるみたいで、なかなか試食しようとしない。食い意地の張ったアイラですら敬遠する有様だ。


 例外はココを始めとする妖精たちで、我先にと競うように白桃へとかぶりついていく。


「やだ、このフルーツ美味しいじゃない! さすがはタスク! 私が見込んだ紳士ジェントルマンだけあるわ!」

「そりゃどうも」


 そんな妖精たちを見て安心したのか、まわりのみんなも手を伸ばし始め、口々に「美味しい!」と声を漏らしていく。アイラなんか両手に抱えて食べてるし、現金なもんだよまったく。


 とはいえ、味が受け入れられたのなら育てるのも問題はないだろうと判断、専用の果実園を作り、増産して出荷しようと決めたのだった。真っ先にココたちが喜んでくれたし、異世界ならではの桃ということで『妖精桃』という名前をつけて売り出すことに。


 イチゴがそうだったように、こちらの世界では甘みの強い果物は高級品に分類されるらしい。行政の仕事を放り投げてでも、『妖精桃』を売り込みに行きたいというアルフレッドをなだめつつ、しばらくの間はファビアンを通じて販路を確保していく。


 新たな収益源を確保しながら、同時に進めていったのは養殖業の拡大だ。


 試行錯誤で始めたロングテールシュリンプ、つまりはエビの養殖もノウハウが蓄積され、養殖池は六つに増えた。フライハイトはエビの一大産地となりつつある。


 大半はボイルしたエビを魔法で凍らせて出荷するんだけど、中には冷蔵の魔法石を使ってでも、生のまま出荷してほしいという取引先があったりする。魔法石分の運搬費用がかさむけれど、貴族や上流階級にはその方が受けがいいらしい。聞けば、「生きている、すなわち新鮮な証拠」だそうな。


 とはいえ、それはあくまで一部の例外の話であって、個人的にはもっと気楽にロングテールシュリンプを食べてほしい気持ちがある。エビフライだけじゃなくて、親しみやすい料理ができれば、領地の名物になるんじゃないか?


 考え抜いた結果、鍛冶職人のランベールに頼んで、たこ焼きの金型を作ってもらうことにした。たこ焼きの中身をエビに変えて、エビ焼きとして売り出せば人気が出るんじゃないかと思ったのだ。


 とはいえ、エビ焼きという名前だと、エビの丸焼きと勘違いされやすそうなので、名称を変える必要があるなと再検討。丸々とした形から“ベイクドボール”という料理名に改める。


 こうして誕生した”ベイクドボール”は、瞬く間に領内へ広まり、フライハイトへ訪れる人たちの軽食として人気を博すのだった。


 ちなみにフライハイトの名物として、もう一つ有名なものがあり、それが『ミルククラム』、すなわち牡蠣だったりする。海ぶどうの副産物として収穫できる貝は、大陸商人たちの舌をうならせるらしい。


 なんでも海産物をあまり食べる機会がないようで、物珍しさから食べてみて虜になるという人々が続出。あまりの美味しさに、商品として取引させてほしいという依頼が後を絶たない。


 でもなあ、牡蠣だよ? あたったら怖いじゃん? 冷蔵の魔法石があるとはいえ、商品として売り出すのはためらいがあるんだよなあ。ここでは生で食べられるけど、卸した先でどうなるか、安全性が確保できないし。


 まあ、牡蠣の出荷は追々検討していくとして、それよりもなによりも売り出さなきゃいけないものがあるのだ。


 念願だった紙の量産体制が整ったのである。


***


 紙が貴重品とされる大陸の中で、書面を使ったやりとりが活発に行われるというだけでも、フライハイトは異質な存在と言っていい。


 領内へ訪れる商人たちは一様に目を丸くして、そう感想を漏らすそうだ。


 もっとも、紙の普及に貢献したハイエルフの前国王は素知らぬ顔で、


「マンガ、ひいては将棋を普及させるためだからな。紙の普及なんざ、苦でもねえよ」


 艶のない銀色の髪をかき上げながら、そんな風に呟くのだった。クラウスが立ち上げた製紙工房は三カ所に増え、その品質を向上させながら増産の一途を辿っている。


「ある程度普及すれば、紙の価格も下がるだろうし、マンガの出荷数も増やせる。まずは順調ってとこだな」


 領主邸の執務室にあるソファへ寝そべり、クラウスは満足そうな顔を見せた。


「こっちとしてもありがたいよ。人が増えれば、それだけ書類仕事も増えるからな。遠慮なく紙が使えるのはクラウスのおかげさ」

「礼なら働いてる連中に言ってくれ。俺は指示を出してるだけだからな」


 よっこらせと声に出しながら起き上がると、クラウスは姿勢を正して続ける。


「しっかし、お前さんも大変だねえ。紙ができたらできたで、売り出す算段を考えないといけないんだからよ」

「わかってるなら手伝ってくれてもいいんだぞ?」

「やなこった。前にも言ったが、俺ぁ、旅に出るんだ」


 『疾風』の二つ名で知られるハイエルフの前国王は、工房を軌道に乗せると、責任者を任命して、早くも自由の身になろうとしているのだった。


「新婚なのに旅に出るとか、正気の沙汰とは思えないけどなあ」

「嫁さんは承知の上だっての。二、三ヶ月で戻ってくるし、心配はいらねえだろ」

「友人としては心配のひとつもさせてほしいもんだけどね」

「泣かせること言うじゃねえか。ま、そうだな。俺も友人として言わせてもらうが……」


 一呼吸をおいてから、クラウスは臆面もない表情で切り出した。


「お前さん、王になる気はないか?」

「……冗談にしては度が過ぎてるな」

「おおよ。こっちは大真面目だからな」

「……」

「この領地も商業都市としての地位を確立した。ここを地盤に独立を宣言するんだよ。タスク、お前が王になれ」

「領主でも手一杯だっての。それに」

「それに?」

「王様なんかになって、休みがなくなるのは嫌だからな。週休二日を譲るつもりはないね」

「だからといって、龍人族の国へいつまで多額の税金を納めるつもりだ? ジークのオッサンはさておき、その下にいる連中は金を巻き上げることしか興味のない奴らばっかりだぞ」

「税金が高いから独立するっていうのは短絡的じゃないか」

「俺は長期的な視点から提案してるんだがね」

「長期的、ねえ?」

「納めている金額を軍備に当てれば、他の国も手を出しづらくなる。中継交易地ならなおさらだ。人流が増えれば自然と人も集まるし、異邦人が王となれば箔も付くだろ」

「軋轢を生む未来しか想像できないけどな」

「そうならないよう俺が補佐してやるよ。その条件として、今後一切、旅には出ない。どうだ?」


 返事に窮する。これが苦笑交じりのやりとりだったら、どんなに救われただろうか。


 その上、クラウスは真剣な面持ちになっているし。果たして、どう答えるのが正解なのだろうか? ぐるぐると思考を巡らせている最中、ハイエルフの前国王はふぅっと息を吐いた。


「……そう上手く乗ってこねえか。なかなかいいアイデアだと思ったんだがな」

「いいアイデアも何も、いきなりすぎるだろうが」

「いきなりなもんか。ずっと考えてたんだからな。お前さん、領主として上手くやれてるんだ。王様だったとしても上手くやれるだろうよ」

「馬鹿いうな。みんなの助けがあってなんとか務まってるんだ。じゃなかったら、今頃どうなっているかわかんないっての」

「あー、はいはい。お前さんはそういうやつだったなあ」


 そういって、微妙に眉を動かしてみせる。


「ま、今はそれで良しとしようかね。そのうち嫌でも決断する時がくるだろうし」

「予言にしては縁起でもないな」

「俺としては確信を持っているんだが……」


 そこまで言って、クラウスはかぶりを振った。


「……いや、止めておこう。そのうちわかるさ」


***


 で、それからどうなったかといえば、言いたいだけ言って、クラウスは旅路へと出てしまった。


 あの野郎……、人を悩ませるだけ悩ませておいて、結局旅に出るのかい、と、心の中で毒づいたのは言うまでもない。そりゃそうだろ? いきなり真剣に迫られたら誰だってそうなるって。


 かといって、そのままクラウスと顔を合わせるというのも、正直気まずいっていう話なワケで……。旅に出てくれて助かったという面もまた、拭えない事実なのだ。


 突然の提案は、心の片隅にしこりとして残っていたようで、忘れようにもなかなか忘れられず、ここ数日は知らず知らずのうちに考え込む時間が増えていたらしい。


 らしい、というのはアイラたちから指摘されるまで自分でも気付かなかったからなんだけど、そんなオレを心配してくれたのか、奥さんたちが息抜きがてらピクニックへ行こうと誘ってくれたのだった。


 ここ最近は忙しかったし、新鮮な森の空気でリフレッシュしようという魅力的な提案はすぐに実行に移され、休日でもある本日、夫婦みんなで樹海の清流へと足を運んできたわけだ。


 時刻は昼時を迎え、浅瀬で遊んでいた三人も戻り、お弁当を囲み始める。


 エリーゼが腕によりをかけた料理の数々はどれも絶品で、久しぶりに訪れる優しい時間に、オレは心が満たさせていくのを感じていた。


 そして考えたのだ。別に今のままでもいいじゃないか。こうやってゆったり流れる時間があれば、他に何もいらない。そもそもだ、オレの目標はスローライフを送ることなんだし、クラウスの誘いに頷きでもしたら最後、そんな夢は露と消えてしまう。


 いやはや危ないところだった。ただでさえ忙しい中、余計な考えに心を奪われるとはオレらしくもない。素朴な生活が一番ですよ、ウン。


 改めてそんな思いに浸っている最中、ふととある人物が注目を集めている事に気付いた。視線を一身に受けていたのはリアで、首をかしげながら何かを呟いている。


「うーん……薄いと思うんですけどねえ?」

「そうかのう? いつもと変わらんと思うが」

「ウンウン☆ エリちゃんの味付け、美味しいよ?」

「私としては、いつもより濃いとも思うが……」

「あ、あの、別添えでソースありますよ?」


 わいわいと騒ぐ奥さんたちの話を聞くところ、料理の味付けが薄いとリアが漏らしたことに端を発したらしい。


「違うんです、お弁当が美味しくないとかそういうことを言っているんじゃなくて」

「だったらなんじゃ?」

「ボク、最近、ヘンなんですよねえ。いつものご飯も何か物足りないというか……」


 抽象的な美しい顔立ちを曇らせて、リアは弱々しく口を開いた。


「どこか具合悪いのかあ? 自分が医者でも気付かないんですよねえ……」

「クラーラかマルレーネに看てもらったらどうだ?」

「はい……。戻ったらそうします……」


 せっかくの明るい雰囲気を台無しにしてしまったと感じ取ったのか、はっと我に返ったようにリアは努めて明るく振る舞ってみせる。


「あっ、ボクの事は気にしないでくださいっ! せっかくの美味しいお弁当がもったいないですし! ボクの分もみんなで食べてもらえれば!」

「ダメだよっ、リアっちが具合悪いのに、ウチらだけ楽しむわけにはいかないじゃん!」

「そうだぞ、リア殿。我々は姉妹妻なのだ、互いを気遣って当然ではないか」

「お、お弁当ならまた作ればいいだけの話ですし……」

「うむ。今日はおとなしく帰れば良かろう」

「そうだな。また日を改めてくればいいしな」

「だ、ダメですよっ! そんなボクなんかのためにっ!」

「ボクなんか、じゃないだろう? みんな大切な家族なんだから」

「タスクさん……」

「そうと決まれば一休みして帰り支度だな」


 うなずくみんなをよそに、リアだけは困惑の表情を隠そうとしない。なんとか元気を取り繕うとしたのか、傍らにあったデザートのフルーツを口元へと運び始めた。


「ぼ、ボクなら大丈夫ですよっ! フルーツだったら美味しく食べられますし!」

「フルーツだったら……って、無理するんじゃない」

「無理なんかしてませんっ! というか、本当に最近、フルーツが美味しいといいますか」

「……そういえば、リアっち、最近オレンジとか、酸っぱいものばっかり食べてるよねぇ?」

「あー、言われてみればそうじゃのう。白パンも食べずに果物ばかり食べておるな」

「夕食時のワインも口をつけなくなったな。口に合わないとか言っていたが……」

「み、味覚って急に変わるものなのでしょうか……?」


 酸っぱいものを食べる、味覚が変わる。体調が悪いわけではない。……となると、考えつくのはただひとつ。


 再び視線がリアへと集まる。ただし、先ほどとは異なり、今度は驚きの眼差しが。


「もしかして……」


 誰ともなく呟いた一言に、みんなが続けた。


「……妊娠?」


 ――春が来たのだ。

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