第二部
254.春が来た(前編)
二つの太陽から陽光が降り注ぎ、樹海の中の清流へ無数の煌めきを作り出している。
浅瀬では素足になったベルとリア、それにヴァイオレットが水遊びに興じていた。
川のほとりにある草原にはピクニックシートが敷かれており、エリーゼがお弁当の支度を整える横で、猫耳を動かしながらアイラがひなたぼっこを楽しんでいる。
夫婦水入らずのゆったりとした時間に充足感を覚えながら、オレは過ぎゆく時の早さを感じていた。
――異世界に来てから四年目の春。
どうも、皆さん、ご無沙汰しております。タスクでございます。ええ、ええ、おかげさまで元気にやっておりますとも。
今日はみんなでピクニックとしゃれ込んでおりまして、エリーゼの淹れてくれた紅茶なんぞを楽しんでいる真っ最中なワケですよ。
まあね、こんな光景を目の当たりにした皆さんにおかれましては、「おいおいタスク君や。異世界生活四年目ともなると余裕が出てきたねえ」とか、「なんだ、随分と優雅な日々を送っているじゃないか」と送れるのかとお考えでしょう?
オレもねえ、そうであってほしいと思っていたんですよ。四年目ともなれば、念願のスローライフが送れると、信じてやまなかったわけです。
しかしながら悲しいかな、現実はなかなかに厳しいっ!
とにもかくにも。
我が領地フライハイトがどうなったかを少しだけ語らせてくださいな。
***
領地に市場ができてから、一年が過ぎようとしている。
各国の国境へ面した中継交易地として、商業都市フライハイトの存在価値は日々高まっているようで、一日一日を追うごとに市場はその賑わいを増していった。
「もぐもぐ……。それにしても、このあたりもずいぶんと人が増えたのう……もぐもぐ」
視察に訪れたオレの隣では、アイラがフライハイト名物の『マンドラゴラ焼き』を頬張りながら呟いた。あ、『マンドラゴラ焼き』というのは、日本で言うところの『たい焼き』がそっくりそのまま『マンドラゴラ』の形になったっていう、例のアレである。
中身はカスタードだったようで、「こうなると、しょっぱいものも食べたくなるの」とブツブツ漏らしながら、護衛役を買って出た猫人族は、残りひとかけらとなったそれを口へと放り込んだ。
「一応、仕事中なんだからな? 食べ歩きに来ているわけじゃないんだぞ?」
「わかっとるわかっとる。おっ、タスク。見てみぃ、十角鹿の串焼きが売っておるぞ」
言ったそばからこれだからなあ。多少の無理を言ってでもガイアたちに護衛を任せるべきだったか。
「何を言うか。むさ苦しいマッチョのワーウルフに囲まれるより、美しい妻がそばにいた方がおぬしもよかろう?」
「はいはい、そうですねー」
「心が込もっとらんのう。第一、人手が足らんから助けてくれと泣きついてきたのはおぬしではないか」
「泣きついたわけじゃないんだけどなあ」
とはいえ、アイラの話の半分は事実だ。そうなのだ、今まさにフライハイトは大きな問題を抱えているわけで、そのひとつが人員不足なのである。
『黒の樹海には異邦人が領主という都市がある。そこで暮らす住民たちは飢える心配もなく、種族問わず仲良く平和に生活を送っている』
こんな話とともに、商業都市フライハイトは交易商人たちによってその存在が広まっていき、いつの間にか大陸中へと知れ渡っていったらしい。
結果どうなったかといえば、大陸のあちらこちらから移住希望者が殺到。中には新しくできた市場で一旗揚げようとする若者なども含まれており、異世界版アメリカンドリームを夢見る人も多い。
人気が出るのは結構、都市としての評判が上々なのも素晴らしい。しかしながらこちらの処理能力が追いつかなくなるまで、事態が急展開するのはいただけない。
なにせ、市場ができてから半年も経たないうちに、移住者は軽く千人を超えたのだ。フライハイトの人口は二千人に近づきつつあり、これはこの世界の中都市以上に相当する。
その上さらに、毎日、入れ替わり立ち替わり、商人たちが集うのである。財務を担当するアルフレッドのぼやきは絶えない。
「夢を見るのもいいでしょう。一旗揚げようとする野心もわかります。僕も商人ですからね」
執務室の一角、机の上へ山積みになった書類と向き合いながら龍人族の商人はため息を漏らした。
「ですが、現実に直面するこちらとしては、いい加減にしてほしいと言わざるを得ません。負担が大きすぎます」
移住の手続き、それに伴う戸籍の整理、税金と財務の管理、外交の窓口などなど……。部下を抱えているとはいえ、アルフレッドの事務処理能力はとっくに限界を迎えている。
「龍人族の国にも『
「わかってる。とにかく急いで対処しないとな」
オレの執務机にも同じく山のように書類が積み上げられていて、戦闘執事のカミラなどは、その山を崩さないよう器用にティーカップを置いてくれるのだった。
名人芸によって淹れられたせっかくの紅茶も、書類と格闘するうちにはすっかりと冷え切ってしまい、ここ最近は湯気から立ち上る香気すら楽しめない。
さすがにこれは良くないと、オレは新たに人を集め、市場近くへ行政府を設けることに決めた。領主直轄で内政を担当する部門である。
名目上のトップはオレになるけれど、事実上の長はアルフレッドだ。領民の生活相談、商業、農業、それに交易などなど、それぞれに異なる班を設けて執務を担当してもらう。
設立当初はどうなるか心配だったけれど、どうやら上手く機能しているみたいで、執務机へ山積した書類の標高は低くなった。
とはいえ、アルフレッドのぼやきがなくなったわけではない。専属商人でもあるアルフレッドは、領内に「アルフレッド商会」というギルドを抱えているのである。行政管理との二足のわらじはさすがに厳しいようだ。
「早いところ、代わりを探してもらえませんか? お得意様が逃げちゃいますよ」
財務だけならともかく、他のことにまで手を回すとなっては本業に支障をきたしてしまう。それはオレ自身もわかってはいるんだけど、適任者がいないんだよなあ、ファビアンには断られちゃったし。
「ハーハッハッハ! この優美かつ華麗な僕にっ! そんな窮屈な組織は似合わないよっ!」
第一、組織名が無骨すぎる。もっときらびやかなポジションを用意してくれたまえと言い残して立ち去るファビアン。うん、あいつに任せたら部下も仕事がやりにくそうだなと、頼む相手を間違えたことに気付いたね。
そんなわけで、アルフレッドには悪いけれど、代わりの人材が見つかるまで引き続き行政府を担当してもらう。オレもできる限りは手伝いたいんだけど、まだまだ問題が残っているんだよなあ。
次の問題は、ずばり、お金だ。
***
龍人族の国へ税金を納めてもフライハイトの財政は健全そのもので、収支的にも黒字だった。そんな事情もあって、収穫した農作物の一部を給金とともに領民へ配ったりしても余裕があったりしたのだ。そう、一年前までは。
移住者が殺到し、人口が急増した結果、待っていたのは食糧問題と税金問題である。
人が暮らして行くには食べ物がいる。かといって、大挙してきた人たち全員が食べていけるほど、フライハイトは豊かな土地ではない。忘れちゃいけないけれど、ここは僻地で、あくまで開拓中の場所なのだ。理想郷ではない。
しなしながら、移住者の中には幻想を抱いている人もいるわけで、「フライハイトへ行けば飢える心配がない」と思い込んでいる人たちも少なくない。その多くが棄民であったり流民であったりと、日々の生活に困窮する貧困層だったりする。
それらの人々に「来てもいいけど、食べ物はないよ」なんて口が裂けても言えないわけで。頼ってきてくれたからには期待に応えたいと思ってしまうのだ。当面の間、食うに困る人たちへ支援をしたいと考えるのは当然だろう。
「失礼ながら、伯爵はお優しすぎるのです」
苦言を呈すのは戦闘執事のハンスである。
「小動物を飼育するわけではないのですぞ? 今しばらく移住の受け入れには慎重になってもらわねば」
「わかってるさ。だからこれ以上は無理ってところで、受け入れを打ち止めしただろう?」
ハンスが持参した決して愉快とはいえない報告書に目を通しながら、オレは応じ返した。王妃が代表を務める『夫人会』の尽力もあり、一時期に比べ納める税は減少したけれど、どうしても避けられなかった税があり、そのひとつが『人頭税』だったのだ。
大人も子どもも関係なく、領民が増えれば、それだけ納める金額が増える。まったくもって厄介な代物である。
移住者たちへの生活支援、それに人頭税を始めとする諸々の税金もあり、黒字だった財政状況はあっという間に悪化の一途を辿るのだった。
領主としてもさすがにこの状況を見過ごすわけにもいかず。止むなく、正規の移住手続きを取らない人たちの受け入れは断るという処置へ踏み切ることにした。
大陸には『異邦人はその
「そうご自分を責められますな」
「とはいってもねえ」
「この爺めが何度も意見具申をしておりますが、今一度、領民への増税をご再考いただければと存じます」
「自分が働いた稼ぎから、金をむしり取られていく苦痛は、元いた世界で十分すぎるほど味わっているからね。同じ目に遭わせたくないのさ」
社会基盤を維持するための納税の義務ぐらい、言われなくても理解している……十分に、理解しているともっ! とはいえ、理性と感情はまた別の話でね……。
住民税に諸々の社会保障税、そして年金などなど。サラリーマン時代、給与明細へ記載されていた負担の数々を領民たちへおわせたくはないのだ。
ま、それもあくまで自己満足にしか過ぎないけどさ、それでもみんなには満足いく暮らしを送ってもらいたいじゃないか。
「とはいえ、このままというわけに参りますまい。行政府からも悲鳴が上がっておりますし」
「そうなんだよなあ」
早急な財政の健全化。すなわち収益を上げるための方法を考えなければいけない。アイデアはいくつかあって、具体的に動き出している事業もあるけれど。
「もうひとつ、あれを育てるいい機会かもしれないな」
「ああ、例の、ですな?」
「うん。『
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