256.妊娠
領内へ戻ったオレたちはその足で直接病院へと赴き、マルレーネへ事情を説明したのだった。
ある程度の時間がかかるだろうと、四人の奥さんたちは一旦自宅へ戻って報告を待つことになり、一人残されたオレは所在なさげに廊下を行ったり来たりしていた。正直、落ち着かない。
子供ができるのは嬉しい、でも違っていたらどうしよう……などなど、いろんな考えがぐるぐる頭を駆け巡る中、すでに何回目すらかわかならなくなった廊下の往復をしている途中、オレの名を呼ぶ声が耳元へ届いた。
恐る恐る診察室へ入ったオレを待っていたのは、太陽のようなまばゆい笑顔を浮かべるリアと柔らかく微笑むマルレーネで、こちらの顔を見るなり、黒髪の女医は開口一番祝辞を述べた。
「おめでとうございます。ご懐妊ですわ」
リアはこれ以上なくご機嫌な様子で、隣へ座るよう促してる。そしてオレが腰を下ろすと同時に腕へ絡みつき、エッヘッヘーと笑い声を上げた。
「やりましたよ、タスクさん! ボク、お母さんになるんです!」
「……ああ。ああ! おめでとう、リア! と、いうより、ありがとうだな。とにかくなんて言えばいいのか……」
「タスクさん……」
頭をなでると、リアの顔には泣き笑いの波動が広がった。微笑ましい様子で見守っていたマルレーネは、遠慮気味な咳払いをひとつして、「少しよろしいですか?」と口を開く。
「喜ばれている最中、水を差すようで恐縮なのですが……。リアさんには出産までくれぐれもご自愛いただきたいのですわ」
「妊娠の身だからな。そりゃそうだろ」
「それもあるのですが」
「?」
「今回の妊娠には不確定な要素がふたつありますの」
ひとつ目、龍人族の繁殖期間は百年単位で訪れるが、リアはまだ八十歳でその基準に当てはまらないこと。ふたつ目、龍人族と人間族との混血種というのは文献にも記録がなく、もし無事に誕生すれば史上初の出産になるということ。
「私ももちろん、医師として最大限サポートさせていただきますが、おふたりだけではなく、姉妹妻の皆様にもできるだけ注意をしていただきたいのです」
「だいじょーぶですよ! 僕なら、ほら、この通り!」
リアはその場へ立ちあがり、えいやっとポーズを取ってみせる。いや、注意しろって言われたばっかりだろ? そういうのしなくても大丈夫だから。
「なんですか、タスクさんまで……。このぐらい、愛の力で乗り越えられますよぉ……」
「気持ちは嬉しいけれど、もうリアひとりの身体だけじゃないんだし」
オレの言葉に納得したのかはわからないけれど、渋々といった様子でリアは再び腰を下ろした。というかな、まだ肝心な話を聞いてないんだよ。
「出産予定はいつになるんだ?」
「問題なければ秋頃かと」
マルレーネの言葉に頷きながら、オレはリアを見やった。中性的な顔立ちの美しい妻は顔を下ろすと、まだ目立ってもいないお腹を愛おしそうにさすり、そして一言、
「秋頃かあ」
と、嬉しそうに呟いた。
***
同じ病院へ勤めるクラーラに報告へ向かったのはその直後で、サキュバス族の医師は大きく目を見開いたあと、
「へえ、そうなの。おめでとう」
と、こちらが拍子抜けするほど薄いリアクションで応じるのだった。
「なんだよ。随分と素っ気ないじゃないか。幼なじみの妊娠だぞ?」
「そりゃあ、おめでたいってことはわかってるわよ。でもねえ、四六時中あれだけイチャつかれてましたらぁ? そんな報告が来たところで驚かないって言うかぁ? 今更って感じですしぃ?」
すねた口調にも受け取れる声に耳を傾けながら、オレは思わず首をかしげた。
「そんなにイチャついていたとは思わないんだけど」
「ご本人には自覚はないんでしょうが。周りが見たら砂糖が口からどばぁーよ? どばぁー」
そう言って、クラーラは大げさに口元を押さえてみせる。えぇ? そんなに酷いかなあ。
というかな? オレはこれでもお前に一応は気を遣ったつもりなんだぞ?
リアが妊娠だなんだって騒いだら、お前がショックを受けるだろうから、わざわざマルレーネに頼んで診察してもらったっていうのに。
「おあいにく様。こっちはね、とっくの昔に覚悟はできていたのよ」
「覚悟、ねえ?」
「……何よ、なんか文句でもある?」
ちょっと前までリアちゃんリアちゃん騒いでいた割には、随分と達観したんだなあとしみじみ思ってしまうわけだ。
「……はっ。ちょっと待って、私、考えてみたんだけど」
「なんだよ」
「もし、今死んだら、リアちゃんの赤ちゃんとして生まれ変われる可能性が」
「ねえよ!」
「なによぅ! ワンチャンあるかもしれないじゃない! そうすればリアちゃんの母乳を公然と飲む口実ができる……」
「そんなもののために命を粗末にするな!」
「なによぉ! ケチぃ! こんな機会じゃなきゃリアちゃんの母乳なんて飲めないでしょう!?」
前言撤回。ダメだ、コイツ。なんとかしないと……。
もはや駄々っ子と化したサキュバス族の医師をため息交じりで眺めやっていると、そこへ飛び込んできたのは闊達な印象を受けるダークエルフの少女で、身にまとっていた衣服を脱ぎながらクラーラへと迫った。
「お姉さま! それでしたら私がお手伝いします!」
「げぇっ! ジゼル! アンタいつからここにっ」
「つい今し方です! もう、お姉さまったら母乳が飲みたいのでしたら、私がいくらでも!」
「アンタ妊娠なんかしてないじゃない!」
「ええ! ですから今から私とお姉さまとで子作りに励めば、母乳なんてすぐですよ、すぐ!」
「子作りなんてできないでしょうがっ!」
「やってみなければわかりませんよ! 医学の可能性はそう、無限大なのですから!」
「いいこと言ったみたいな感じで服を脱がすなぁっ!」
毎度の光景の頭を抱えていた最中、ひょっこりと顔を覗かせたのはリアで、興味深そうにこちらを見やっている。
「ふたりとも楽しそうだねえ」
「ぜんっぜん、楽しくなぁい!」
「マルレーネとの話は終わったのか?」
「ちょ、無視しないでよ!」
「ええ、ちょうど終わりました!」
「リアちゃんも、スルーしないで……!」
「よし、それじゃ帰るか」
「うそ、ちょっと、助けなさいよ……!」
「はい! それじゃクラーラ、ジゼル。またね?」
背後から「覚えてなさいよぉ!」という恨みがましい声が聞こえたような気がするけれど。まあ、気のせいということにしておこう。なにせ今日はめでたい日だからな!
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