番外編・女騎士の苦悩(191.5話)

「ふわぁ……。夢のようだぁ……」


 ウフフフフという笑いを交え響き渡る声は、少しだけトリップしているようにも聞こえる。


 領主邸の庭の一角へ設けられたミュコランの住処では、今日も今日とてお馴染みの光景が繰り広げられていた。


「ん~……。あんこたんもしらたまたんも可愛いでしゅねぇ」

「みゅー」


 しらたまとあんこの身体へ顔を埋め、深い呼吸を繰り返しながら、ヴァイオレットは二匹の香りを堪能している。


 ちょっと前まで、二匹とじゃれ合ってはデレデレとした顔を浮かべ、それが周囲にバレるやいなや、「くっころ」と騒ぎ立てていたというのが嘘みたいだ。


 もはや、恍惚とした表情を晒す行為にも抵抗がなくなったらしい。


「フフ……ふわふわ、モコモコ……。フフ……、いい、実にいいな……」


 うわごとのように呟いて、ヴァイオレットはさらに深く顔を埋めた。まったく、帝国軍の士官として名を馳せた『花の騎士』としての面影が皆無だな。普段は凜とした顔が印象的なだけに、ギャップというか落差がすごい。


 夫としても、ありのままを見せてくれる妻の姿は好ましいんだけど。でもさ、もう初夏なんだぞ?


 ミュコランたちのふわふわとした感触は魅力的だっていうのは認めるけど、二匹とじゃれ合うにも多少の暑苦しさを禁じ得ないというか。そこらへん、どう思ってるのか尋ねたい心境なのだ。


「む! 旦那様ともあろうお方が異な事を言う! 私としらたまたん、あんこたんの間においては、暑さなど些末ではないか!」

「さいですか」


 断言した後、再び二匹へと身体を預けるヴァイオレット。本人がいいなら別にいいけど、むしろミュコランの方が暑苦しさを感じないのかと心配になる。


「……うっとうしくなったら遠慮なく言うんだぞ?」

「みゅっ!」


 オレの言葉にしらたまもあんこも元気よく応じてみせた。人懐っこい子たちで助かるよ。


 それにしても。


 これだけ動物、というか可愛いモノが好きなヴァイオレットなのだ。帝国にいた頃はペットとか飼ってなかったのかなという素朴な疑問が沸いてくる。上流階級の出自らしいし、家に犬とか猫がいたっておかしくはないだろう。


「うむ……。昔、叔父上が誕生日プレゼントだと子犬を伴ってやってきた事があったのだが」

「へえ。じゃあ愛犬がいたのか」

「いや、それが……」

「?」

「叔父上は子犬をそのまま連れ帰ってしまってな」


 その時を思い出したのか、女騎士は落胆のため息を漏らしてみせる。


「連れ帰ったって……。どうして? 誕生日プレゼントだったんだろう?」

「いや、それが私にもよくわからないのだ」

「なんかしたんじゃないのか?」

「とんでもない! 普通に子犬がじゃれ合っていただけだぞ!?」

「ふうん」

「ただ、私が子犬と遊んでいた時、叔父上の顔がやけに引きつっていてな」

「ん?」

「おぼろげだが、『こんな姿を皆へ見せられない』とかなんとか言っていたような気がするのだが」

「……」

「まったく、叔父上は何がそんなに気に入らなかったのか、未だに不思議でな」


 納得できないとばかりに首をかしげ、ヴァイオレットは呟いた。多分、というか確実に、だらしない顔を浮かべていたんじゃないだろうか。まあ、だからといって、子犬を連れ帰ってしまうのはいかがなモノだと思うけど。


 とはいえ。


 しらたまとあんこへ注ぐヴァイオレットの愛情を、普通の子犬が受け止められるのだろうか。叔父さんが引いちゃうレベルだったんだろ? あまりに可愛がりが過ぎた挙げ句、愛犬がノイローゼにでもなったら目も当てられないからな。


 冗談交じりにそんな話題を振ってみたものの、女騎士の頭上には大きな疑問符が浮かんでいる。


「のい、ろーぜ? その、『のいろーぜ』とはなんだ、旦那様」

「ああ、そうか。こっちにはノイローゼっていう概念がないのか」


 そんなわけで、ノイローゼって言うのは一種の精神的な病気だと教えておく。オレ自身、ペットを飼っていなかったのでそんなに詳しいわけではないし、聞きかじった程度の知識しかない。


 あくまで一例として挙げただけだけど、ノイローゼの度合いによっては気性が激しくなったり、下痢や嘔吐をしたりといった症状が表れるという事実に、ヴァイオレットは想像以上の衝撃を受けたみたいだ。


 しらたまとあんこから身体を離し、よろよろとよろめいた後、倒れ込むようにして床へ突っ伏した。


「そ、そんな……。私のせいで、しらたまたんとあんこたんを傷つけてしまうとは……」

「いやいやいや。あくまで例えばって話だからな。しらたまとあんこが同じ目に遭うとは限らないし」

「みゅー」

「そうはいっても、可愛がりすぎるのはよくないのだろう!?」

「いき過ぎるのは、ちょっとなあ?」

「なんということだ……。ほんの少し、匂いとモフモフを堪能するだけでもダメだとは……」


 ……ヴァイオレットのそれは『ほんの少し』じゃないからなというツッコミは、心の中だけに留めておく。


 でもまあ、しらたまもあんこも賢いしなあ。ノイローゼになる前に、何らかのアクションは起こすと思うから心配しなくてもいいと思うんだよ。


 フォローしようと口を開きかけた、その時。ヴァイオレットはその場ですくっと立ち上がると、決意のこもった眼差しでこちらを振り返った。


「決めたぞ、旦那様! しらたまたん! あんこたん!」

「決めたって……何を?」

「みゅ?」

「私は……、私はっ! したらまたんとあんこたんをノイローゼにさせないためにも、この子たちから距離を置こう!」

「……はい?」


 いや、距離を置くってアナタ。随分と極端すぎやしませんかね? ノイローゼになる、ならないはわからないんだし、程度さえ弁えれば接するのに何の問題もないと思うぞ。


「いやっ! 考えてみれば、私もこの子たちに甘えていた節があった……! 己が欲望のまま、ふわふわモフモフを堪能するとは騎士の名折れっ!」

「ちょっと何言ってるかわかんないですね」

「みゅー……」

「これもいい機会だっ! 私は……! 私は自分を見つめ直すためにも……! しばらく二匹から離れようっ……!」


 断腸の思いといった具合に眉間へしわを寄せ、ヴァイオレットは声を上げた。それから二秒ほど間を置いて、名残惜しそうに二匹を見やると、口の中で何かを呟き、程なくして言葉を続ける。


「……しばらくは言い過ぎたな、うん。十日……い、いや、な、七日でどうだろうっ!?」

「どうだろうと言われてもな」


 好きなようにしてくれとしか言い様がない。しらたまもあんこの「みゅー」という鳴き声も、どことなく呆れがちに聞こえる。


 今のところ二匹とも健康そのものだし、そんなに心配しなくてもいいと思うんだけどね。


 それに毎日毎日、ミュコランたちと濃密な時間を過ごしているヴァイオレットなのだ。七日も持つはずがない。せいぜい三日ぐらいで根を上げて、何事もなかったかのように、しらたまとあんことウフフキャッキャとするんだろう。


 ……そんな風に考えていたんだけどなあ。まさかあんなことになるなんて。


***


 翌日。


 宣言通り、女騎士はミュコランたちの住処へその姿を見せなかった。まあ、さすがに昨日の今日で発言を取り消すわけにもいかないんだろうなあと思っていたものの。


 気がつけば、しらたまとあんこの住まいの前で、行ったり来たりを繰り返しているヴァイオレットが見える。


「……なにしてんだ」

「はっ!? わ、私はここで何をっ……!」

「何をって……。しらたまとあんこに会いに来たんだろ?」

「い、いや! そうではないんだ! 気がついたらここへ足を運んでいたというか……」


 無意識でそれならマジでやばいぞ、おい。ミュコラン中毒者ジャンキーになってるじゃん。


「はあ……。もう無理せず二匹と遊んじゃえよ」

「そういうわけにはいかない! 騎士たるもの二言はないのだっ、旦那様! 私はこれで失礼する!」


 そうして踵を返したヴァイオレットは五歩ほど歩いてはこちらを振り返り、そしてかぶりを振って駆けだした。そんなにムキになる必要はどこにもないと思うんだけどなあ。


 で、さらに翌日。朝食の席でヴァイオレットと顔を合わせたものの、明らかに元気がない。しまいには白パンを頬ずりして、「ふわふわだな……」とか呟く始末。


 三日目へ突入すると症状はさらに悪化した。


 「なにするんじゃー!」というアイラの叫び声が聞こえたので何事かと駆けつけると、そこには猫人族の頭を抱えるようにして、猫耳に頬ずりをするヴァイオレットが。


「後生だぁ、アイラ殿ぉ……。しばらくこのままでぇ……ふわふわをぉ……」

「イヤじゃ! 暑苦しい!! しらたまとあんこと戯れてればよかろうっ!!」

「あの二匹はダメなんだ……! だからっ! なっ!? 耳だけでいいからっ!」

「ワケがわからん! いいから離れんかっ!」


 それから繰り広げられた喧噪劇たるや、それはもう見るに堪えなかったね。……仕方ない、例え話を持ち出したオレにも責任の一端があるからなあ。


 ため息交じりにアイラからヴァイオレットを引き離し、オレはそのまま引きずるようにしてミュコランたちの住処へ女騎士を連れて行った。


***


 しらたまとあんこの住まいを前にしても、ヴァイオレットは頑ななまでに二匹と会おうとはしなかった。


「ダメだ……! ダメなのだ、旦那様! 自らに課した誓いを破るなど騎士の恥っ……! いっそひと思いに……!」

「そんなんで命を捨てようとするなっ! っていうかな、そんな守れそうもない誓いをするなっての!」


 オレの一言が思いのほか効いたらしい。図星を突かれたとばかりにガックリと肩を落として、ヴァイオレットは自嘲した。


「ふ、フフ……。そうだな……。こんな約束すら守れない、ふがいない女だと笑ってくれ……」

「ああ、もうっ! そういうことを言いたいんじゃなくてだな!」


 まったく、元気を無くしているのは自分だけだと思わないでほしい。その場でうなだれる女騎士の元へ、オレはしらたまとあんこを誘った。


 間もなくして二匹のミュコランは、寄り添うようにヴァイオレットへすり寄っていく。みゅーという鳴き声に女騎士は顔を上げた。


「しらたまたん……。あんこたん……」

「みゅー、みゅみゅー」

「会えなくてさみしかったのはヴァイオレットだけじゃないんだぞ? しらたまもあんこも寂しがってたんだからな」

「みゅー……」


 今にも泣き出しそうなヴァイオレットの顔に、自らの顔を近づける二匹のミュコラン。元はといえば、オレがノイローゼだなんだと切り出したのが悪いのだ。


「だから、しばらくとはいわず、これからも毎日、しらたまとあんこと遊んでやってくれよ」

「だ、旦那様……」

「みゅー!」


 元気よく応じるしらたまとあんこ。その返事にようやく落ち着いたのか、ヴァイオレットは静かに、だが力強く声を発してみせた。


「こ、これから毎日会っていいのか?」

「ああ」

「みゅ」

「え、遠慮なくモフモフしてもかまわないんだな……?」

「……ああ」

「……みゅ」

「顔を埋めて匂いを嗅いでも問題ないんだなっ!?」

「……程度による」

「……みゅみゅ」

「それからそれから……」

「ええい! 多少は遠慮しろっ!」


 ともあれ。


 この日を境に女騎士とミュコランとの日々は復活し、ヴァイオレットはこれまで以上にだらしない顔を見せるようになったのだった。


 ……いかつい表情よりもいいと思うことにしよう、うん。

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