番外編・髪を切る日(46.5話)

 こちらの世界にきて二ヶ月と少し。


 仲間たちの協力もあり、異世界での生活も快適さを増して、少しずつ暮らしやすくなってきた。


 ……と、同時に、どうしようもなく不便さを感じてしまう瞬間があるわけだ。


 この日の夕飯作りの最中に起きた出来事に、オレはある種のストレスを覚えるのだった。


「あー、前髪がうっとうしいなあ……」


 瞳の半分を覆い隠さんばかりにまで伸びた前髪は、ここ最近、何をやるにも視界を覆い隠して作業の邪魔をする。


 特に顕著なのが調理中だ。伸びきった長い髪が料理へ入らないよう、細心の注意を払いながら包丁を握るのは窮屈でしかない。


 元いた世界ではツーブロック気味のショートヘアだったので、まったく問題はなかったんだけど。


 その面影は、いまやどこにもない。


 元々髪が伸びやすいという影響もあってか、襟足は肩の近くまで、サイドは耳元を隠すまでに伸びてしまっているし、なにより頭全体がもっさりしている。


 いっそ結わいてしまおうかとも考えたんだけど、根本的な解決にならないし。やっぱりこれは、髪を切るしかないかなと考えたところで素朴な疑問が。


「あれ? そういやみんなはどうやって髪のケアをしてるんだ?」


 アイラだけでなく、ベルもエリーゼも、いつだって美しく髪を整えている。極端に短くなったりとか、長くなっている様子もない。


 もしかして、オレの知らない場所に美容師でもいるのだろうかと、ふと思いやっていると、一緒に料理をしていたエリーゼが口を開いた。


「そ、その、ワタシは自分で髪を切っていますので……」


 恐縮したような表情で応えるハイエルフの見事なブロンドを見やりながら、オレは感嘆した。


「それを? 自分で?」

「は、はい」


 えぇー! めちゃくちゃ器用じゃん! 自分で切ったとは思えないぐらいに綺麗な仕上がりだし。え? もしかしてプロなの?


「え? い、いえっ! ハイエルフの村では、個人個人が髪を切りますから。ワタシも昔からそうだったというだけで……」


 ハイエルフにとって髪は命の次に大事なもので、その美しい髪を保てるよう、幼い頃からカット技術やケアの方法をたたき込まれるそうだ。


 なるほどねえ。確かに見惚れるほど綺麗だし、さぞかし大切にしてきたんだろうなと納得。


 アイラとベルも同じように、自分で髪を切ったりしているんだろうか? 気になったオレは食事の席で尋ねようと心に決め、できあがった料理を食卓へと運ぶのだった。


***


「自分で切っておるぞ」


 当たり前じゃろと言わんばかりに声を上げると、アイラは白パンを口の中へ放り込んだ。


「誰かに頼むようなことでもないしの。適当に切ってしまえば良い」


 エリーゼに負けず劣らず美しく艶のある栗色のロングヘアを見せつけるように、猫人族は話を続ける。


「そもそも“びようし”とは何じゃ? 髪を切るだけの仕事など聞いたためしがないの」

「え゛っ!? そうなの!?」


 同意するようにこくりと頷くエリーゼ。そうかあ、こっちの世界には美容師いないのかあと文化の違いに驚いていた最中、口を挟んだのはベルだった。


「えー? ウチは村のみんなの髪切ってあげてたケドなー?」

「……マジで?」

「アハッ☆ マジもマジだし★ びようし? っていうのはよくわかんないけど、切ってほしいって頼まれることは多かったよー?」


 なんだ、やっぱり他の人に切ってもらう場合もあるんじゃないかと思い直していると、太陽のようなまぶしい笑顔を浮かべつつ、ギャル系のダークエルフはこちらを向いた。


「良かったら、タックンの髪も切ってあげるけど?」

「えっ!? いいのか?」

「モチ! 長いのがイヤなんでしょー? ウチがスッキリサッパリしてあげる♪」


 うわー、すっごく助かるわあ。自分で髪を切る自信なんてなかったしな。


 村のみんなの髪を切っていたという話を聞く限り、カット技術も相当なレベルなのだろう。経験豊富なベルなら安心して任せられる。


「なんじゃ、タスク。髪の毛ぐらいなら、私も切ってやれるぞ?」


 そう言って、アイラは五本の爪を伸ばし、鋭利な刃物へと変えてみせた。……まさかそれで切るつもりじゃないだろうな?


「? 私はいつもこれで切っておるが」

「怖ぇよ! 任せられるか!」


 映画の『シザーハンズ』じゃあるまいし、ケガでもしたらどうすんだ。最悪、致命傷になるっての!


 なんじゃなんじゃ文句ばかり言いおってと、ブツブツ不満をこぼすアイラはさておき。ベルには明日、髪を切ってほしいとお願いしておく。


「オッケー! おーぶねに乗ったつもりでまーかせて♪」


 アハッ☆ と、にこやかな表情を浮かべたダークエルフは、いつになく嬉しそうで、そしてこうも続けてみせる。


「ウチも他の人の髪を切るのちょー久しぶりだし、テンション爆上げって感じ★」

「久しぶり、って。村のみんなの髪を切っていたんじゃなかったのか?」

「うんとねえ? ちょっと前に男の子たちの髪を切って以来、頼まれなくなっちゃったっていうか」

「へ? そりゃまたどうして?」

「別に何もしてないよ? お任せでいいっていうから、ビビッと閃いたヘアスタイルにしただけなんだけどなー」


 お任せ……。ビビッと閃いたヘアスタイル……。何やら不穏なキーワードが飛び出してきたけど。


「あー……。参考までに聞きたいんだけど、それってどんなヘアスタイルだったんだ?」

「うんとねー★ たしかこんな感じ?」


 取り出した紙へベルが描いたそれは、どこからどう見てもヘルメットにしか見えない髪型で。


「ウチが仕上げた瞬間、みんなすーっごくガッカリしてたんだよー? ちょー失礼じゃない!?」


 そのときの光景を思い出したのか、ベルは怒り始める。……いや、お前、これはさすがにと声を上げようとしたものの、それよりなにより、ヘルメットスタイルに仕立てあげられたダークエルフたちに同情を禁じ得なかったわけで。


 ……あっ? もしかしてオレも明日ヘルメットスタイルの髪型になるのか!? それだけは回避したい!


 いっそ、ベルよりアイラに頼んだ方がマシなんじゃないか? そう考えたオレはやんわりとベルへのお願いを断ろうと思ったんだけど。


「アハッ☆ 任せて、タックン! ウチがめっちゃイケてるヘアスタイルにしてあげるから♪」


 と、これ以上なく上機嫌のダークエルフを前にしては何も言えず。


 ……ヘルメットに仕上がらないことを祈るしかないな、これは。


***


 澄み渡った空の下、自宅の前へ用意された椅子が一脚。


「ほらぁ、タックン、早く座って☆」


 持参したはさみをチョキチョキと動かしながら、朗らかな表情のベルは着席を促している。


 いや、座るよ? 座るけどさ……。


「昨日も言ったけど、軽くすいて長さを整えてくれるだけでいいからな?」

「ぶぅ。わかってますよー! 心配性なんだからなあ、タックンは」


 そりゃ心配するよ。詳しい話を聞かなかったら、ヘルメットスタイルに仕上げられてたところだったもん。


 ……まあ、任せると言ってしまった手前、そうなったらそうなったで受け入れるしかないんだけどさ。予防線は張っておきたいんだよ、一応ね。


 とにもかくにも覚悟を決めて腰を下ろしたオレの首元へ、ベルが慣れた手つきで布を巻き付けていく。衣服に紙が入らない配慮は、こちらの世界でも変わらないらしい。


「んじゃ、早速始めていくねー♪」


 ギャル系ダークエルフはアハッ☆と笑い、反対にオレは身を固くして、よろしくお願いしますと、必要以上に恐縮しながらヘアカットは開始された。


 次の瞬間。


 ジョギッ!


 そんな大きな音とともに、大量の髪の毛が足下へ落ちていくのがわかった。


 ……は? ちょ、ちょっと待ってくれ。一気に切りすぎじゃないかと、オレはベルへと振り返る。


「えー? 全然だよお? むしろタックンの髪の毛が伸びすぎなんだって!」


 いいからウチに任せてよ☆ ベルはそう言いながらオレの顔を両手で押さえ、強引に前へと向きを変えた。……大丈夫なのかあ、ほんとに。


 こんなことならアルフレッドに頼んで大きな姿見でも頼んでおけば良かった。手鏡はあるけど、いちいち確認するのはめんどくさいしなあ。


 ……ええい! もうなるようになってしまえ! ヘルメットになったらなったでその時はその時だ! そんな自分も受け入れようじゃないか!


 とは思いつつも、大量の髪の毛が落ちていったのは最初の方だけで、それからしばらくはチョキチョキという金属音の細かい音が小気味よく響いていく。


 ベルはベルで上機嫌に鼻歌なんか歌っているし。可愛らしいハミングに耳を傾けながら、すっかりと上機嫌なダークエルフへ、オレは声をかけた。


「楽しそうだな?」

「ウン☆ だって、めっちゃウレシイもん!」

「嬉しい?」

「エヘヘヘヘ♪ ウチね、好きな人の髪を切ったあげるの夢だったんだ☆」


 思いもよらない告白に、オレはドキリとしてしまう。


「……村にもそういう相手いたんじゃないのか?」

「んーん。ぜーんぜん。ウチ、村では浮いてたっていうかサ。距離感っていうの? みんなから取られてたし」


 少しだけ声を落として、ベルは話を続ける。


「だからさ♪ ここにきて、タックンがウチを褒めてくれたのがめっちゃ嬉しかったっていうか★」

「ベル」

「うきゃー! ハズカシー☆ やっぱ今のナシ! ナシにして!」


 勢いよくオレの肩をバンバンと叩くベル。わかったから、はさみを持ったまま叩くのは止めてくれ、危ないから!


「あっ、ゴメンゴメン♪ もうしないから☆」


 そう言って、ベルは再びオレの髪の毛に手をやった。


 ……第一印象は少し変わった子だなって思ったけど。根はいい子なんだよな。村の人たちはそういうところを見てなかったのかなあ? 外見だけで判断してたのかね?


「なあ、ベル?」

「ん? なーにー?」

「これから先、ずっとさ」

「?」

「髪を切りたくなったら、ベルにお願いしていいかな?」


 一瞬の間を置いた後、オレの耳へ弾けた声が届いた。


「ウンっ♪ モチっ! モチだよ! ウチがめーっちゃイケてる髪型にしてあげるネ☆」

「それは楽しみだな」


 そして再び鳴り響くはさみの音。ま、こうなったらヘルメットヘアもいいかなと苦笑交じりに思いながらも、


「ハイ☆ かんせー♪」


 という声とともに、ベルから手渡された手鏡を覗くと、そこには前と同様、スッキリと決まった髪型が見える。


「おおおお! すっげー! プロみたいじゃん!」

「でっしょー♪ ウチに任せればチョチョイのチョイだしっ☆」


 エヘンと胸を張ってみせるギャル系のダークエルフ。一瞬でも疑ったことを心の中でわびながら感謝の言葉を伝えると、何かを閃いたようにベルは両手を合わせた。


「タックンタックン! いまビビッといいアイデアが思いついたんだけど!」

「アイデア?」

「ウン♪ タックンのヘアスタイル! こういうのかっこいいかなあって思って!」


 はしゃぎながら、紙へとペンを走らせていくベル。


 やがて描かれたのは、北斗の拳に登場しそうな、どこからどう見てもモヒカンにしか見えないヘアスタイルで、いったいどこの世紀末覇王伝なんだと突っ込みたくなる。


「ね!? 次はこの髪型にしよっ!?」

「却下だ、却下!」


 ……えーと。任せるのはちょっと早まったかもしれないな……。

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