番外編・アイラの誕生日(147.5話)

 これはこちらの世界へ来てから二年目の春。カミラが新たなメイドを引き連れてやって来る直前の話――。


***


 執務室で書類との格闘を一通り終えたオレは、ハンスが淹れてくれた紅茶で一息ついていた。


 昨年のものにも関わらず、龍人族の国の西部が産地の茶葉は香りがよく、鼻孔を心地よくくすぐってくれる。


 ふと、壁に掛けられたカレンダーに目をやった。こちらの世界でも一年は三六五日、一日は二十四時間で、これは二千年前にハヤトさんが制定したそうだ。


 ちなみにそれまでは国や地域ごとに時間の概念が異なり、ハヤトさんが登場して以降『大陸時間・大陸歴』として統一されたらしい。


 まあ、そんな話はさておき。


 何がいいたいのかといえば、オレがこっちに来てから、今日でちょうど一年になるということだ。


 振り返ってみると、いろんな事ありすぎて、あっという間だったなあ……。


 決して歳のせいで、時の流れを早く感じるようになったとかそういうのではないので、それは力強く否定していきたいっ!


 とはいえ。この夏には三十二歳になってしまうわけで、年々オッサンになっていくのを自覚せざるのも確かなワケだ。


「何を言っておるんじゃ? 三十二歳などヒヨッコもヒヨッコ。まだまだ若者であろうに」


 こちらのボヤキに応じたのはアイラで、いつも通り、執務室のソファに行儀悪く寝っ転がりながら、焼き菓子をボリボリと口元へと運んでいる。


 透き通るような白い肌、栗色の美しく長い髪と同じ色をした猫耳。翡翠色の大きな瞳を持った美貌の猫人族……なのだが、それが台無しになるほどの怠惰っぷりを発揮している。


「いちいち年齢を気にするのは良くないところじゃぞ?」

「二百歳を超えてる猫人族に言われてもなあ」


 二百歳、という言葉に反応したのか、アイラはムクリと身体を起こし、猫耳をぴょこぴょこと動かしながらポーズを取ってみせた。


「フフン。歳を感じさせぬ美しさであろう? このような美しきおなごを嫁にもらえたことを光栄に思うが良いぞっ!」


 ドヤ顔のアイラを、はいはい光栄に思ってますよと適当にあしらった後、オレの脳内にとある疑問が浮かんだ。


「そういやさ」

「なんじゃ?」

「アイラの誕生日はいつなんだ?」

「知らん」


 興味なさげに即答し、再びソファへ寝そべるアイラ。


「第一、私は忌み子じゃからな。いつ生まれたのか、いつ捨てられたのかもわからん」

「そう、だったな……。悪い……」

「謝ることはない。生まれてからずっと、そのように過ごしてきたのじゃ。今更、生まれた月日を知らぬところでどうということはない」


 そして再び焼き菓子をつまみ、口の中へ放り込む。


「二百、というのも、物心ついた時から数え始めた歳じゃしな。もしかすると、もっと上のよわいかもしれぬぞ?」


 もしかしたら三百を超えているかもな、と付け加え、ヌフフフとアイラは愉快そうに笑った。


「あっ! 仮にそうだったとしても、それが原因で離縁とかは無しじゃからな!」

「するかい、そんなこと」


 苦笑いで応じ返したものの、なんとなく心にしこりが残った俺は、この猫人族の奥さんのため、ある計画を実施しようと決めた。


***


「誕生日パーティですか?」

「うん。こっちの世界ではどうやってやるのかなって思って」


 質問している相手はリアで、白衣をまとった龍人族の王女は「そうですねえ……」と思案した後に呟いた。


「王族の誰かが誕生日の場合、宴席が設けられていましたが、半ば社交場も兼ねていた気がします」


 聞けば、年頃を迎えた貴族や王族の誕生日パーティは、伴侶を探す場でもあったそうで、良縁を結ぶためという意味合いも込めて、盛大に行われるのが恒例だったそうだ。


「リアもそうだったのか?」

「ぼ、ボクは特にモテませんでしたからっ! そ、そういうのとは無縁でっ!!」


 淡い桜色のショートボブを左右に揺らし、中性的な顔立ちの美しい少女は慌てて否定した。


「そういうのって大体、男性から話しかけてくれるのが普通なんですけど。ボクの場合、誰からも相手にされなくって」

「ホントに? こんなに可愛いのにか?」

「そ、そんな事言ってくれるのはタスクさんだけですっ!」


 ポカポカと愛らしく背中を叩きながら、リアは続けた。


「ボク、男性とはあんまり話したこともありませんでしたし……。そういう宴席の場も、クラーラとずっと一緒にいましたから……」


 ……それ、リアがモテないというより、クラーラがそばにいて睨みをきかせてただけじゃないのか?


 まあ、そのおかげもあって、こんなに可愛らしい奥さんを迎えられたので、オレとしては文句のつけようもないんだけどさ。


 とにかく。


 誕生日パーティが存在するという、その事実がわかっただけでも収穫だ。


 エリーゼとベルにも同じ質問をしたんだけど、ハイエルフにもダークエルフにも、そういうイベントはないって言ってたからなあ。


「なんで? 誕生日だよ? めでたいのに祝わないの?」

「は、ハイエルフもダークエルフも長命種ですから……。毎年祝ってられないといいますか」

「だねー☆ キリがないもん★ 生まれた時と死んだ時ぐらいじゃないかなー? そーいう風にパーティするのって♪」


 ……生まれた時はわかるけど、死んだ時はなんでだろうと思ったら、死後に飢える心配がないよう、盛大に見送るのが昔からの習わしだそうだ。なるほど、興味深い風習だね。


 ちなみに同じ人間族であるヴァイオレットにも尋ねてみたところ、パーティはあることはあるけれど、せいぜい貴族階級以上、一般庶民はそんなことをする余裕はないという回答が。


 そりゃそうか、日々を暮らすのに必死な地域がほとんどだっていうもんな。それが当たり前か。


 とはいえだ。


 今のところ、この土地ではそういう心配をする必要もないし、計画を実施したところで何の支障もないだろう。


 そう考えたオレはキッチンへ向かうと、久しぶりに作る、『あるスイーツ』を焼き始めた。


***


 その日の夜。


「な、なんなんじゃ、いきなりこんな真似をしおって……!!」


 抗議の声を上げる主はほかでもないアイラで、目隠しされた猫人族はギャルギャルしい格好をしたダークエルフに手を引かれ、リビングダイニングへと姿を表した。


「いーからいーから☆ もちっとだけガマンしててねっ♪」

「我慢も何も、理由も言わずに突然目隠しなど……!」

「はいっ、とうちゃーく★ アイラっち、もう目隠し取っていいよ♪」


 恐る恐る目隠しの布を取ったアイラの翡翠色の瞳が、ロウソクの上で波打つオレンジ色の光を捉える。


 温かな光が照らしているのは、クリームといちごがたっぷりと乗ったショートケーキだ。


「せーのっ」

「「「「「「「お誕生日おめでとうっ!」」」」」」」


 オレの掛け声のもと、ベルにエリーゼ、リアにクラーラ、ヴァイオレットとフローラが声を揃えてお祝いの声を上げた。


 ぽかんと口を開いたままのアイラは、何が起きたのか理解できないとばかりに、呆然と立ちすくんでいる。


「た、誕生日とは何のことじゃ?」

「ん? 今日はアイラ殿の誕生日ゆえ、盛大に祝うとタスク殿より聞かされていたのだが……」


 ヴァイオレットが応じると、アイラの瞳がオレに向けられた。


「ほら。誕生日を知らないっていってたろ? それもどうかなって思ってさ。それなら、オレとお前が初めて出会った日を、誕生日にすればいいんじゃないかって」

「タスク……」

「ま、こっちの勝手なお節介ってやつだ。気に入らなかったら謝る」


 そこまで言い終えた途端、アイラはふっと息を漏らし、軽くはにかんでみせた。


「まったく……。おぬしの人の良さっぷりは相変わらずじゃのう?」


 腰を下ろし、オレのお手製によるホールケーキを目の前にして、猫人族は胸を張った。


「おぬしがそこまで言うなら、私も祝われてやるとするかのぅ」

「随分と偉そうじゃないか」

「なにせ今日が誕生日なものでな。主賓ゆえ、丁重にもてなすが良いぞ?」


***


 パーティは深夜まで続き、テーブル上にはワインの空き瓶が散らばって、空になった料理の皿が重ねられている。


 酔いが回ったのか、テーブルに突っ伏してているのはベルとエリーゼで、クラーラとヴァイオレットはまだまだイケるとばかりに飲み比べをしていた。


 その様子を心配そうに見守っているのはリアとフローラで、置いてきぼりになった主賓はオレの膝の上へ腰を落ち着かせると、ひたすらに頭を撫でるよう要求し続けている。


「ほれ、心がこもっておらんぞ。あと一時間は撫でてもらわんとな」

「マジかよ。もう手が限界だっての……」


 オレのうんざりとした声にも、アイラは上機嫌でぬふふと笑って応じ返した。……まったく、傍若無人な主賓だな、おい。


 ああ、そうだ。これは余談なんだけど、ケーキの上にロウソクを立てるという習慣はこっちの世界にはないそうだ。


 願い事をしながら一息で炎を消すと、その願いが叶うって言われているんだと教えると、みんな一様に感動していたし。もしかすると、今後、広まっていくかもしれないな。


 ちなみに、流石に二百本ものロウソクを立てるわけにもいかず、とりあえず五本ほど細長いロウソクを構築ビルドしておいた。


 アイラぐらいの身体能力なら、ロウソクが二百本あったとしても、一息で吹き消せるかもしれないなとか、そんなことをぼんやり考えていると、感謝の言葉が不意に耳元へと伝わった。


「……ありがとな、タスク」


 視線を落とした先には、恐縮した様子のアイラがいる。


「自分のために、このような盛大な宴が催されるとは夢にも思わなんだ。おぬしには感謝の言葉もない」

「気にいってもらえたようで安心したよ」


 去年はドタバタしてて、いつが誰の誕生日だとか気にする余裕もなかった。


 これからはその都度、お祝いするようにしようなと声をかけると、膝の上へ腰を下ろしたまま、猫人族はコクリと頷いた。


「私の人生の中でも三番目に嬉しかった日じゃ。皆とも、この喜びを分かちあわねばな」

「三番目? 一番目と二番目はなんだ?」

「わからぬのか?」


 くるりと振り返り、微笑むアイラ。


「一番目はおぬしと出会ったこと、二番目はおぬしと結婚したことじゃ」


 ぬふふふーと満足そうに目を細めるアイラを、背中からぎゅっと抱きしめる。


 気持ち良さそうな表情の猫人族へ顔を寄せ、オレは耳元で囁いた。


「ちょっと気になったんだけど」

「なんじゃ?」

「ロウソクを吹き消す時、どういう願い事をしたんだ?」

「知りたいか?」

「言いたくないならいいけど」

「仕方ないのう、おぬしにだけは教えてやるか」


 オレの声を無視し、アイラは続ける。


「おぬしだけでなく、この場にいる皆で、今後も楽しく過ごせるように……じゃ」

「アイラ……」

「ぬふふ、贅沢過ぎる願いかのう?」

「あーっ!!! アイラさんとタスクさんがいちゃついてる!!」


 オレが応じようとした矢先、声を上げたのはリアで、こちらを指差して抗議を続けた。


「アイラさんばっかりズルい! ボクもタスクさんとイチャイチャしたい!!」

「ふふーん。それは譲れんのう。なにせ今日の主役なものでな!」

「ふぁぁぁ……。 なぁにぃ、たっくんといちゃつけるのぉ?」

「そ、それは寝てる場合じゃないですね……」

「ええい、お主らはそのまま寝ておれ!」

「リアちゃん! そんなやつは放っといて、私と愛の抱擁を交わしましょうっ!」

「いや、どうせなら、しらたまとあんこを迎えてフワフワとした極上の空間を味わうのがベストかと!」

「ヴァイオレット様。そのお考えは趣旨からズレておられるかと……」


 そして始まる、お馴染みの光景。


 ――願い事なら、もう叶っているようなもんじゃんか。


 そう思いながら、いつもの騒々しさに顔をほころばせた。

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