251.市場

 あっという間に迎えた三月。


 樹海からの風が段々と暖かいものへ変わり、ふたつの太陽から降り注ぐ陽光も日を追うごとに柔らかくなってきた。


 初春のうららかな陽気と共に開業を迎えた市場は、朝早くから多くの商人で賑わっている。


「さあ! 龍人族自慢の絹織物だ! 一級品がこの値段だよ! 買っていかなきゃ損ってもんだぜ!?」

「腕利きの職人が仕上げたガラス製のワイングラス! 使って良し、飾って良し! じっくり手に取って見てくんな!」

「ダメダメぇ! まけらんないよ! まとめて銀貨三枚でいいっていってんだ! これ以上はこっちが破産しちまう!」


 多種多様な種族が一堂に会し、あちこちで熱気と活気が湧き上がる。


 市場を取り仕切るフットマンの報告では、前日から泊まり込んでいる商人もいるようで、なるほど、併設した倉庫から次々と商品を運び出す姿も見られた。


「盛況ですなあ」


 並んで歩くワーウルフのガイアが呟く。


 市場の見学に出かけると言い出したオレに、


「領主が出歩いては目立ってしまいます。それに危険があるやもしれません。我々がお供しましょう!」


 と、『黒い三連星』がついてきてくれたのだが……。


 右にガイア、左にオルテガ、背後にマッシュという、オレにつかず離れずのフォーメーションは、かえって周囲の注目を集める結果となってしまった。


 そりゃなあ、強面マッチョのワーウルフに取り囲まれる人間なんぞ、物珍しい以外の何者でもないもんなあ……。


 とはいえ、混雑した中でも安心して歩けるという事実に変わりはなく。


 賑わいの光景を見やりながら、警察代表でもあるガイアへオレは問いかけた。


「見回りの状況はどうだ? なにか問題などは起きてないか?」

「昨晩、宿で酒に酔った者同士の乱闘騒ぎがあったそうですが、フットマンたちによって、もれなく制圧された模様です」


 ……制圧って。うーむ、流石はハンスが見込んだ戦闘執事だな。物腰こそ柔らかいけど、武力は凄まじい。


「市場の運営ですが、今のところ、支障はありません」

「そいつは良かった。平穏無事が一番だよ」

「左様でございますな。しかしながら、我らとしてはいささか退屈しているのも事実。なにせ、自慢の筋肉を持て余しているのですから」


 そう言って、黒い三連星は歩きながら器用にポージングを取り始める。周囲のざわつきと眼差しが痛い……。


 ある意味、あちこちへ配置された軍服姿の兵士より目立ってるもんな。見学に行くとか言い出さなきゃ良かったか。


 あ、そうそう。軍服姿の兵士というのは、市場の開業にあたり、ジークフリートが手配してくれた監視役だ。


 初日は特に混雑するだろうし、不測の事態が起きた際の抑止力を兼ねているらしい。


 ……というか。


 いま気付いたんだけど、オレが目立っていることで、かえって不測の事態が起きやすくなっていないだろうか……?


 正確に言えば、目立っているのはワーウルフたちで、オレはそれに取り囲まれているだけなんだけど。


 とにもかくにも、市場が繁盛しているのはこの目で確認できた。監視の任務を邪魔するのは本位ではないし、そろそろ戻るとしようか。


 同行しているガイアたちにもそう伝え、オレは市場横に建てられた売店で『マンドラゴラ焼き』をいくつか買ってから、来賓邸へと足を向けた。


***


 応接室ではすっかりと出来上がった龍人族の国王が、ワイングラスを片手に豪快な笑い声を上げている。


「ガハハハハ! おう、タスク! ようやく戻ったか!! ま、ま、早う座れ!」

「……飲みすぎですよ、お義父さん。騒ぎ声が家の外まで響いてましたし」


 怒号にも似たジークフリートの声に、来賓邸を守る近衛兵もチラチラ中を気にする素振りを見せてたからな。


「何を言うか! ワシのカワイイ息子がだっ! 一大事業を手掛けた記念すべき日だぞっ!? いま飲まずして、いつ飲めばいいというのだっ!」

「さっきからずっとこの調子なんだよ、このオッサン。お前からも何とか言ってやってくれ」


 腰掛けるオレに、ため息混じりでクラウスが呟く。


 市場の開業を祝して記念のテープカットを執り行ったのだが、立ち会った賢龍王の威厳あふれる姿は見る影もない。


 いつもはブレーキ役でもあるゲオルクも、珍しく酒が進んでいるようで、ジークフリートに負けず劣らず赤い液体をあおっている。


「まあ、たまにはこんな日があってもいいだろう。私も年甲斐になくはしゃぎたくなる時があるものだ。今日ぐらいは見逃してくれ」

「ゲオルクのおっさんまでか……。ったく、明日まで酒が残っても知らねえからな」


 珍しく忠告する側に回ったハイエルフの前国王は、ティーカップを口元まで運ぶと、わざとらしく音を立てて紅茶をすすってみせた。


 年明け早々、痛い目にあったのが堪えているのか、それともリアの辛辣な言葉が記憶に残っているのか定かではないが、今のところ、ワイングラスは見当たらない。


 近くでは最近将棋を覚えたばかりのヴァイオレットが、リアを相手に真剣な眼差しで盤上を見やっている。


 つい先日のこと。

 

「兵を動かす戦術、戦略に通ずるものがあり、実に興味深い」


 元帝国軍の女騎士はそう言うと、将棋を教えて欲しいと頼んできたのだ。


「……あっ! い、いっておくが! 決して! 決してっ! だ、旦那様とふたりっきりになりたいとか! そ、そんな邪な考えは断じてっ! 断じてないからなっ! そ、そのような破廉恥極まりない考えなど……!!」


 寝室へ足を運んだヴァイオレットは盤上を前に、顔を真っ赤にしながら必死に釈明していたけれど。


 わかってるよと頷いたら頷いたで、「そ、そうか……」と、言葉少なにいじけてしまったのである。


 ……まったく、オレの奥さんってば、いじらしくてしょうがないね! パーフェクトな可愛らしさっていうの!? 満点っ! 花丸を差し上げたいっ!


 そんなわけなんで、こっちとしてはたまらずベッドに押し倒してしまっ……いやいや、そんな話はどうでもいいっ!


 ……とにかく。


 ヴァイオレットとリアが対局している横では、焼き菓子を片手にアイラとベルが観戦していて、勝負の行方を見守っている。


「た、タスクさんもお茶にしますか?」


 エリーゼの問いかけに、頷いて応じる。ニコリと柔らかい微笑みを残し、パタパタと踵を返すエプロン姿を見やっていると、ジークフリートはつまらなそうに口を開いた。


「む? こんなにめでたい日だというのに、そなたは飲まぬのか?」

「昼間っから勘弁してくださいよ。一応、オレは領主なワケですから。何かあった時は対応しないといけないですし」

「そんなつまらんことは、ほれ、そこのハイエルフの若造に任せておけばいいのだ」

「やれやれ……。歳はとりたくねえなあ。酔えばすぐに絡み酒とか、みっともないったらありゃしねえ。な? タスク?」

「おっ、なんだと……? もう一度言ってみろ、ハイエルフの小童が」

「おう、何遍でもいってやらあ、龍人族のクソジジイがよぉ?」

「はいはーい、ふたりともそこまでー。お菓子買ってきたので、これでも食べて気分を落ち着けてくださいなー」


 買ってきたマンドラゴラ焼きをそれぞれに手渡し、場の収束を図る。やれやれ、今日はめでたい日じゃなかったのか?


「タスクよ! 私の分はどれじゃ!?」

「ウチも! ウチも!」

「ボクも! タスクさん、ボクも!」


 はいはい、奥さんたちの分も買ってあるから、みんなで仲良く食べなさいな。集中しすぎて気付かないヴァイオレットには後で渡してくれ。


「……なかなかイケるな」

「うん。美味い。妻たちへお土産として持って帰るとしよう」


 片手にワイン、片手にマンドラゴラ焼きを持ちながら、ジークフリートとゲオルクは満足そうに声を上げた。


「あったりまえだっての。開発にめちゃくちゃ時間をかけたんだからな!」


 胸を張るクラウス。マンドラゴラ焼きについては、オレは珍しくノータッチだったこともあり、なんとなく悔しい。


 いずれこれに負けないお菓子を作らねばと闘志を燃やしている矢先、エリーゼが紅茶を差し出した。


「わ、ワインもありますので、いつでも仰ってください」

「ありがとう。でもいまはエリーゼの淹れてくれたお茶が飲みたいんだ」


 むしろオレとしては、いつも以上に酒が進んでいるジークフリートとゲオルクが気になってしまうというか。


 なんというか、ふたりともテンション高くないですか?


「……ん? ああ、そうだな。そうだろうな」


 嬉しそうに微笑むジークフリートに続き、ゲオルクが呟く。


「我々としても今日という日は感慨深いからね。きっと、いつも以上に浮かれているのだろうな」

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