247.ソフィアの呟き
クラーラたちが出発して間もなく、アルフレッドとクラウス、それにファビアンの三人も出立していった。
行き先はそれぞれ、龍人族の国・獣人族の国・ハイエルフの国で、各地の商人へ市場の開業を伝えるのが今回の任務になる。
「そういや、タスク。鉄鉱石ってもう仕入れたのか? まだならついでに持って帰ってくるけどよ」
出発前に領主邸へやってきたクラウスの問いかけに、オレは首を左右に振った。
「あったら嬉しいけどさ。かなりの重さになるだろうし、持って帰ってくるのは大変だろ?」
「マジックバッグならある程度収納できるから問題ねえよ。お前さん、『いまがわやき』っていうやつの金型も作りたいって言ってたろ? そのぐらいの分は用意できると思うぜ」
それは非常に助かる。新作の和菓子ができれば、領内のこどもたちや夫人会にも振る舞えるしな。
そんな会話を交わしてから、獣人族の国へ向かったクラウスを見送った直後。
領内をフラフラと歩く魔道士を視界へ捉えた。
「おっ? ソフィアじゃないか。タイミングが悪かったな。つい今さっき、クラウスが出掛けていったんだけど」
振り返ったソフィアの顔に、思わずオレはギョッとした。目の下にはくっきりとクマが浮かび、そばかすの残った顔はやつれている上に青白い。
オレンジ色のツインテールも艶がなく、まともな生活を送っているのか不安になるレベルだ。
「……あぁ、心配しないでぇ。入稿の後はぁ、だいたいこんなものだからぁ」
そう言って、ヘロヘロと笑うソフィア。心配するなっていうのが無理だっての。
「っていうか、ちゃんとメシ食って寝てるのか? ゲッソリしてるじゃんか」
「ん〜? アハハ……、マネージャーちゃんがご飯用意してくれたんだけどぉ……。アタシってぇ、気分が乗るとぉ、原稿以外なにも手につかなくなるっていうかぁ……」
聞けばこれからグレイスの家に行って、原稿が終わった打ち上げをするつもりだったという。無謀にも程があるだろ。
とにもかくにも、このまま放っておくわけにはいかないし。オレはソフィアを引きずるようにして領主邸まで連れ帰った。
***
エリーゼの用意した軽食を口に運んだソフィアは、ようやく生気を取り戻したのか、身悶えしながら軽口を叩いてみせる。
「いや〜ん★ 旦那様の留守中にぃ、他の男の家へ連れ込まれてしまったわぁ……。あたしってば、イ・ケ・ナ・イ・オ・ン・ナ♪」
「うるせえ。いいから黙って食え」
「なによぉ。たぁくんのいけずぅ」
少しだけ顔色の良くなった魔道士を心配するように、エリーゼがフルーツの入った特製ドリンクを差し出した。
「ど、どうぞソフィアさん。少し酸っぱいですが、元気が出ますよ?」
「ありがとぉ、エリエリぃ! 持つべきものは戦友だわっ!」
「で、でも、あんまり無理しちゃダメですよ? もしも倒れられるようなことになったら、ワタシも悲しいですし……」
ふくよかなハイエルフの不安げな眼差しには、流石のソフィアも良心が傷んだのか、「ごめんなさい」と力なく呟き、「これからは気をつけるね」と続けて、ドリンクを口元へと運んだ。
「まったくだ。ソフィアが倒れたら、クラウスだって心配するんだぞ?」
「わかってますよぉ……」
「というか、お前がそんな状態だったってこと、クラウスは知ってるのか?」
「ううん。アタシ、部屋に閉じこもってたしぃ。マネージャーちゃんには黙っといてって言ってたからぁ、知らないんじゃないかなあ」
マジか……。ふたりとも生活能力に欠けると思っていたけど、まさかここまでとは思わなかったな。
……いや、待てよ。旅に出るっていうクラウスの話は、ソフィアがこういう状態になるのを知った上で言ってたのか? だとすると、不安しかないんだけど。
「それも、あの人は知らないと思うなぁ」
ジュースを飲み干して、ソフィアが応じる。
「お互いの生活にあまり干渉しないっていうのがぁ、アタシたちが結婚する条件みたいなものだったしぃ……。アタシの原稿作業もぉ、あの人は口出ししないって約束だからぁ」
「だからって、入稿の度にそんな風になるんじゃ、クラウスだって心配するだろ? おちおち旅に出られたもんじゃないぞ? オレからアイツに言っておく」
「言わないで」
言葉尻を遮る魔道士の口調は、穏やかであり、なおかつ力強かった。
「……あの人はぁ、色んなところを見て回るのが性に合ってるのよぅ。あんな場所でこんなことがあったんだぁって、少年みたいにキラッキラした瞳で話してくれるのが一番ステキなのぅ」
「いや、でもさ……」
「アタシがだらしないからってぇ、それだけの理由であの人を引き止めるとかぁ、冗談じゃないっていうかぁ」
ソフィアはにこやかな表情を浮かべ、それから冗談混じりに続ける。
「まぁ、見ての通りぃ、アタシの旦那様は色男ですしぃ? 色んなところで変な虫が言い寄ってくるとは限りませんけどぉ? 不安があるならそのぐらいっていうかぁ」
「だ、大丈夫ですよ、ソフィアさん。クラウスさんはソフィアさんを愛してますもの。浮気なんてしません!」
「さっすがエリエリぃ! わかってるぅ!」
エリーゼの横腹をちょいちょいとつついて、ツインテールの魔道士は笑い声を上げた。
「いっつも一緒にいることがぁ、理想の夫婦ってわけじゃないものぉ。離れていてもぉ、気持ちが通じ合っていればぁ、それで十分じゃない?」
「そりゃあ、……そうだけどさ」
「でしょぉ? 大丈夫よぉ、アタシだってあの人に心配かけたくないしぃ、留守の間、自宅はしっかり守るつもりだからぁ」
朗らかなその表情には強い決意もにじみ出ていて、口を挟む隙がないことを伺わせる。
元いた世界でも別居婚とか遠距離婚は珍しくないし……。こっちの世界にこういう形の夫婦がいても問題ないか。
とはいえ、だ。旦那が不在の間、野垂れ死なれてはこちらも困るワケで。
「……とりあえず、前から言っていたメイドの手配を早急に整えるから。心配させたくないと思ってるんだったら、三食しっかり摂って、ちゃんと寝るように」
「えぇぇ〜……」
「あと、これを機にスケジュール管理を見直すこと。ちゃんと出来ているか、エリーゼ先生に見てもらうからな!」
「えぇぇぇぇぇ〜……」
「が、頑張りましょうね、ソフィアさん!」
乗り気でないソフィアに対し、エリーゼはやる気満々といった様子で魔道士の肩に手を置いた。
気分屋の作家には酷だとは思うけど、しっかり睡眠を摂ることが長生きの秘訣だって、水木しげる先生も仰っていたしな。いい機会だし、生活習慣を正してもらおう。
あとはメイドの手配だな。カミラみたいなやり手なら、安心して任せられるんだけど。相性もあるし、クラウスが戻ってきたら改めて相談してみるか。
……で、それからわずか五日後。
驚くほどの速さで、獣人族の国からクラウスが帰ってきた。
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