240.釣り

 年の瀬が近付くにつれ、領内は慌ただしさを増していくというのに、領主であるオレ自身は暇を持て余していた。


 ここ数日は特に顕著で、各々の業務の報告書に目を通して執務が終了する有様なのだ。……まだ、午前中なんだけどなあ?


 執務机へ片ひじをつき、ティーカップから立ち上る湯気をぼうっと眺めていると、スケジュールを管理しているカミラが口を開いた。


「仕方がないでしょう。ここ最近は伯爵が承認すべき事柄もありませんので」


 報告書をまとめつつ、戦闘メイドはさらに続ける。


「伯爵はのんびり過ごされるのがお好きだと伺っておりましたので、現状にご満足していただけるものと思っておりましたが……」

「もちろん、気ままなスローライフを過ごせるのが一番だよ。でもさ、みんなあくせく働いている最中、オレだけ休んでいるっていうのはどうなんだ?」


 みんなは年越しと新年の準備に忙しい。できればオレも手伝いたいところなんだけど。


 申し訳ございませんがと前置きして、カミラは首を横に振った。


「領主には領主の、領民には領民の領分というものがございます。伯爵のお心遣いはありがたいのですが、時と場合によっては弊害となり得ることをご承知くださいませ」

「そんなもんかねえ?」


 手に取ったティーカップの水面には、釈然としないオレの表情が映し出されている。


 それはカミラにも伝わっているだろう。あえて何も言わずに、オレはティーカップを口元へ運んだ。


「年が明ければ、市場の運営が待っております。これまで以上に忙しい日々が待っているでしょう。今のうちにお体を休めていただきますよう」


 うやうやしく頭を下げる戦闘メイド。とはいえ、突然に休みができても何をしたらいいんだろう……って、いかんいかん! 思考がワーカーホリックじみてきたっ!


 せっかく社畜生活から解放されたというのに、この考え方は非常によろしくない! もっと有意義に、自分のために時間を使わねばっ!


***


 ……で。それからどうしたかというと、オレはいま、領地の南に位置する海辺にいるワケだ。


 時間を有効活用しようと思考を巡らせた結果、そういえば、こんなに自然が豊かな場所にも関わらず、釣りをやった試しがないなと今更ながらに思ったのである。


 ここへ来た当初、罠漁は何度かやっていたけど、魚を捕まえたのってそれっきりだしなあ。


 釣りは幼少期に何度かやっていた記憶がある。ハゼやキス、それに小アジとかを釣っていたような……。


 というか、よくよく考えると、餌の『ゴカイ』って気持ち悪いよなあ。子供ながら、よく触れてたなと思うもん。


 ……あ。くれぐれも言っておくけど、ゴカイがわからなくてもググっちゃダメだよ? ググって後悔しても知らないからな! そういう魚釣りの餌があるってことだけわかってればいいから!


 ま、そんな話題はさておいて。


 砂浜で釣りをするには、念入りな準備をする必要があった。


 釣り竿を用意すればいいだけじゃんかと、賢明な皆様に置かれましては、そうお考えになられるでしょうけどね。


 この時期の海辺はめちゃくちゃ寒いんですよ……。海ぶどうを世話しているハーフフットたちも防寒具をまとってるし。


 そういった季節的な事情もあり、とりあえず寒さをしのげる退避場所を作ろうと、浜辺に小屋を構築ビルドする。


 満潮でも海水の届かない場所を選び、防寒対策として囲炉裏も設置した。


 広々とした内部は、小屋というより『海の家』と呼んだほうがしっくりくる出来栄えで、大きな窓からは海が一望できる。


 年越しのランタン祭りも、ここからだったら寒さを気にすることなく観賞できるだろう。そう思って、あえて広めに構築したんだけど。


 二匹のミュコランにとっても十分な広さだったようで、資材運搬を手伝ってくれたしらたまとあんこは、中の囲炉裏付近に固まっては身を寄せあい、ウトウトと気持ち良さそうな表情を浮かべている。


 その二匹の間に挟まって埋もれていたのが、何も手伝わなかったアイラで、頭上の猫耳をぴょこぴょこと動かし、大あくびをしては退屈そうにこちらを眺めやっていた。


「……なにしてんだ?」

「んぁ? 決まっておろう? おぬしの護衛じゃ」

「それにしては暇そうじゃないか。帰って寝てもいいんだぞ?」

「阿呆ぅ。私が帰ったら、おぬしの護衛にくるのは警察の任務に就いたガイアたちじゃぞ? 筋肉ムキムキの暑苦しい男が好みというなら戻ってもよいがの」


 ベストだけを羽織り、ポージングを見せつけてくるワーウルフたちを想像して、オレは思わず頭を振った。


「……そばにいてください」

「ぬっふっふ〜。そうであろう、そうであろう? 私のような美しいおなごが、そなたを守ってやろうというのだ。大いに感謝してくれて構わんぞ?」


 そう言って、アイラはいたずらっぽく笑ってみせる。美しい栗色の長い髪、透き通るような白い肌、大きな瞳が特徴的な整った顔立ち。


 美人というよりも美少女という印象を受ける外見を改めてまじまじと見つめていると、黙って見られていることに耐えられなくなったのか、アイラは戸惑いの声を上げた。


「ど、どうしたのじゃ……? 突然に私の顔をじぃっと見てからに……」

「いや、大したことじゃないんだ。オレの奥さんはカワイイなあって思ってさ」

「なっ、にゃにをぅ!」


 顔を真っ赤にさせるアイラ。自分から美しいと宣言することに慣れていても、言われることには未だ慣れていないらしい。


 瞬時にそっぽを向き、ミュコランの身体へ顔を埋める猫人族を愛おしく感じながら、オレは砂浜へ移動し、海に向かって釣り竿を振るった。


 重りに誘導されて、海中へ釣り糸が沈んでいく。はてさて、何が釣れるかな?


 久しぶりにキスの天ぷらが食べたいけど、日本だとシロギスって夏の魚だから、そういった魚は望み薄かな?


 いやいや、ここは異世界なんだ。冬場にシロギスみたいな魚が釣れたっていいじゃないか。


 ちなみに餌はそこらへんに埋まっていた貝の身を使っている。異世界にゴカイがいるかどうかは知らないし、仮にいたとしても触りたくはない。


 いずれにせよ、釣りのノウハウなんて無いに等しいし、のんびり楽しめればそれでいいのだ。


 とはいえ、他人にしてみれば、変化のない状況をただただ見守っているのは苦痛で仕方ないらしく。


 あたりひとつ無いまま三十分以上が経過したところで、しびれを切らしたのかアイラが歩み寄ってきた。


「のう、タスクよ。魚なら他の方法で捕まえればよいではないか」


 オレの真横へ並び、身振り手振りを交えてアイラは続ける。


「ほれ、おぬしと出会った頃、こういった筒状の罠で魚を捕まえておったろう? あれをまた作るのはどうじゃ?」

「まあね。魚を捕まえるならそっちがベストなんだけど」

「……? おかしなことをいうやつじゃ。魚を捕まえたいから、釣りをしているのであろう?」

「いや、なんていうかな。こういった何もない時間も含めて、釣りを楽しみたいっていうかさ」

「はあ?」

「ほら、ここ一年ぐらいはずっと慌ただしかったろ? ゆっくりする余裕がなかったじゃんか」

「……」

「何も考えず、こうやって海を眺めているだけでも、心が落ち着くっていうかな。そういう時間を大切にしたいのさ」


 食うに困る人たちは未だに多いし、釣れなくてもいい釣りなんて、こちらの世界では理解できない考えだろうか?


 アイラなんて人一倍食いしん坊だし、きっと呆れるに違いない。


 文句や嫌味が飛んでくるものだと覚悟していたのだが、当の本人は何も言わず、その場へ座り込み、砂浜へ落書きをし始めた。


「どうした? 寒いなら暖かい場所へ戻」

「後悔、しとるのか?」


 言葉尻を遮り、アイラが呟く。


「何が?」

「だから、その……。領主になったこととか、いろいろじゃ」

「言ってる意味がわかんないって」

「ああ、もうっ。察しの悪いやつじゃのう。ここでのんびり暮らすことが、おぬしの願望であったはずじゃろう?」

「あ〜……」

「それがいまでは、そんな望みは到底叶えられそうもない。何も考えない時間を大切にしたいというからには、こんな現状を後悔しておるのではないかと思っての」


 ……なるほど。そういう風に受け取られたか。こういうことに関しては、時々、妙に鋭いんだよなあ。


 釣り竿を砂浜へ突き刺してから、オレは並んで腰を下ろし、アイラの頭を撫でてやった。


「後悔してないって言えば嘘になる。アイラたちと細々暮らしていた頃を懐かしく思う時だってあるさ」

「……」

「でも、今がツラいかって言われるとそうでもないんだ。これでも結構楽しんでいるんでね。ま、アイラが心配してくれるのは嬉しいけどな」

「し、心配などしておらぬっ!」

「照れるなって。感謝してるんだぞ? オレの自慢の奥さんは、心の優しい人だからな」


 オレが応じると、アイラはさらに身を寄せて、コテンと頭をオレに預けた。


「……例えばの話じゃがな」

「ん?」

「おぬしが領主の務めに嫌気がさし、全てを捨てて、この土地を出ていくようなことがあったとしても、私はおぬしについていくからな」

「……」

「嫌とは言わせんぞ? 私はおぬしの妻だしの」

「当たり前だろ? っていうか、出ていくなんてありえないっての」


 猫耳にそっと口づけて、オレは囁いた。


「それでも……、そうだな。もしそんな時がくるようなら、その際は真っ先にお前へ声をかけるよ」

「……うん」

「みゅー……」


 気がつけば、しらたまとあんこがオレたちの両隣に佇んでいる。


「しらたまとあんこも言っておる。『自分たちも一緒につれていけ』とな」

「そうだな。ちゃんと連れて行くさ」


 ご機嫌に「みゅっ」と鳴き声を上げる二匹のミュコラン。……やれやれ。この分だと、そんな時が来たところで、結局は大所帯になりそうだな。


 相変わらず釣り竿はピクリとも動かないけど……。ま、こんな日もあるさ。


 すっかりと釣りを放棄したオレは、そのままアイラと身を寄せ合って、しばらくの間、静かな海を眺めやった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る