235.ダッチオーブン、その後

 雲ひとつ無い冬空の中を、オレンジ色をした鳥の群れが飛んでいく。


 あれは確か、『オレンジウォームバード』という名前の鳥だったな。この季節、東から西へ向かう渡り鳥で、冬の風物詩だと教えてもらった記憶がある。


 ふたつの太陽の下、空を舞う鳥たちの姿は見事なもので、その鮮やかさは思わず見惚れてしまうほどだ。


「……タスク。ぼーっと空なんか見ている場合じゃないのよ?」


 自然の雄大さへ感動を覚えている最中、オレを現実に引き戻したのは真下からの抗議である。


「お湯がぬるくなってきたわ。早く沸かしてくれないかしら?」

「ご主人! ちょっと熱めに頼むっス!」

「湯上がり……果実水……タスク……用意……して?」


 特別仕様の湯船から次々に声を上げるのは、ベルお手製の水着をまとった妖精たちだ。


「はいはい! 今すぐやります! やりますってっ」

「……返事は一度でいいのよ?」

「はーいっ!」


 ココもララもロロも、背中の羽まで湯船に浸かり、揃って気持ち良さそうな表情を浮かべている。


 オレは手頃な薪を数本手に取って、いまや妖精の湯船と化してしまったダッチオーブンに焚べるのだった。


 湯船のすぐ隣では、ダッチオーブンの蓋の部分を温めて、岩盤浴を楽しむ妖精たちもいる。


 ……まったく、憧れの調理器具が欲しかっただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか?


***


 話は数時間前まで遡る。


 ランベールから報告を受けて鍛冶工房まで足を運んだオレは、完成したばかりだというダッチオーブンを受け取ったのだった。


「どうだろう。初めて作ったにしては、なかなかの出来栄えだと思うのだが?」

「もうっ、ランたんってば謙遜しなくていいのにっ! 誰がどう見たって天才の仕事だよぉ!」

「おいおい、それをいうならリオたんだって手伝ってくれただろう?」


 恒例のいちゃいちゃタイムを始めるマッチョふたりはさておいて。オレは憂鬱な気分のまま、ダッチオーブンを眺めていた。


 いや、完成品自体には何の問題もないのだ。光沢を帯びたエメラルドグリーンのダッチオーブンなんて、世界中どこを探したってないだろう。


 問題は妖精鉱石を使い果たしたって事実を、未だにアルフレッドへ打ち明けられていないということでね……。


 鍋ひとつ作るのに、貴重な鉱石を全部使ってしまったのだ。予想していなかったとはいえ、財務担当にしてみればとんでもない話に違いない。


 ドラゴンに変身したアルフレッドの身体にくくりつけられ、「ゴメンナサイ、もうしません」って反省するまで、猛スピードで急上昇と急降下を繰り返される……なんて目にあっても文句は言えないのである。


 ……普段がおとなしい分、怒ると怖そうなんだよなあ、アイツ。


 とはいえ、このまま黙っているというわけにもいかないし、どうしたものかとダッチオーブンを抱えながら悩み続け、そして、閃いた。


「……新しい妖精鉱石を探せばいいんじゃないか?」


 そうだよ。そもそも、妖精たちが持ってきてくれた鉱石なんだし、使ってしまった分、また妖精たちに探して貰えばいいだけの話じゃないか。


 足早に妖精たちの住処へ向かったオレは、ココを呼び出し、妖精鉱石の探索をお願いすることに。


「探すのは構わないのだけれど……」


 突然の呼び出しに困惑しながら、ココは目の前をパタパタと漂いつつ、「どうして急に妖精鉱石が必要になったのか?」と、当然の疑問を口にする。


「鍋を作ったら無くなった」

「バカなの?」


 一刀両断だなあ……。


「当たり前よ。アナタたちにとっては貴重な鉱石でしょう? もったいないと思わないの?」

「オレだってそう思ったよ。でもさ、まさか全部使い切るなんて考えもしなかったし」

「アルに知られたら後が怖いわねえ……。ま、いいでしょう」


 オレの右肩へ腰をおろし、得意げにココは続けた。


「私とアナタの仲だもの。他のコたちにもお願いして、探してきてあげるわ」

「助かるよ」

「それで」

「?」

「どんな鍋を作ったのか、興味があるのだけれど。私に見せてくれないかしら?」


***


 それからオレはダッチオーブンを取り出して、その構造などをココへ教えてやった。


「……で、蓋をすると密封されるから、内部に圧力がかかって具材が柔らかく仕上がるんだよ」

「ふ〜ん。正直、圧力とかの仕組みはよくわからないけれど。面白いモノを考えるのねえ、異邦人って」


 異世界の調理器具に興味津々といった様子で熱心に頷きつつも、突然、ココはダッチオーブンに近付き、その匂いを嗅ぎ始めた。


「……? どうした? なんか変なところがあったか?」

「ねえ、タスク。この、だっち…おーぶんっていうお鍋だっけ? 蓋を取ってくれないかしら?」

「? こう、か?」


 重い蓋を開けた途端、ココは瞳を輝かせ、ダッチオーブンの中へ飛び込んだ。


「おいおいおい、調理器具の中に入るなって!」

「何言ってるのよ、タスク! このお鍋の中、マナの宝庫よ!?」


 ……はい? ちょっと、言っている意味がよくわかんないんだけど……。


「マナの宝庫って……、普通のダッチオーブンだけど」

「ああもう! これだから人間族は! ほんっと、マナに鈍感なのね、アナタたちって!」


 ダッチオーブンの中で腕組みし、ココはぷんすかと苛立つような声を上げる。


「妖精鉱石で作ったからなのかしら。お鍋の四方八方からマナが降り注いで、全身を包み込んでくれるのよ」


 説明しながら恍惚の表情へと変わったココは、うふふふと楽しげにダンスを踊り始めた。


 目まぐるしく感情が切り替わる様子を、半ば呆気に取られつつ眺めやっていた矢先、ピタリと動きを止めた妖精は、驚きの言葉を口にした。


「……この中で水浴びしたら、さぞかしリラックスできるでしょうねえ」

「……へ?」

「ううん。どうせだったら……、そうね。湯浴みがいいかしら。せっかくお鍋になっているのですもの。お湯を沸かさなければ、もったいないものね」


 ……いや、それ調理器具なんだけど。


「細かいこと言わないの。一度ぐらい、ここで湯浴みしたっていいでしょう?」

「妖精が湯浴みした後のダッチオーブンで料理するとか、聞いたこと無いんだけど」

淑女レディたる私が使った後なのよ? それだけ価値が出るわ」

「そういう問題じゃ……」

「妖精鉱石、探してこなくていいのかしら?」


 そう言って、小悪魔の微笑みを向けるココ。くそぅ、痛いところをついてくるじゃないか……。


「……わかったよっ。一度だけだぞ?」

「わぁい! タスク大好きっ!」


 オレの右頬へキスをして、ココは嬉しそうに宙を舞い始めた。


 ……やれやれ、こうなったら仕方ない。せいぜい満足するまで湯浴みを堪能してもらおう。


 それからの準備は早かった。まずはベルを探して、妖精サイズの水着を作ってもらい、オレはオレでダッチオーブンの中にはめ込む木枠を構築ビルドすることに。


 いわゆる五右衛門風呂方式だ。妖精鉱石の熱伝導率がどのぐらいかはわからないけれど、鍋の中に直接入れば火傷するだろうからな。安全のためにも準備しないと。


 ちなみに、ベルは「アハッ☆ 超カワイイの作ったげる☆」とめちゃくちゃ乗り気で、一着だけでいいのにも関わらず、フリルのついたモノやパレオタイプなど、次々と水着を作っている。


 ファッションショーでも開く気だろうか? ベルもココも楽しそうだしいいけどさ。


 ただ、まあ、予想通りというかなんというか……。


 騒ぎに釣られて、次々と妖精たちが現れましてね。私も私もと湯浴みを所望する始末なのですよ。


 そういった事情から、ダッチオーブンは妖精たちの大浴場となってしまったというワケでして……。


 鉱石のマナがお湯全体に浸透しているのか、あちこちから「効くわぁ……」という声が響き渡り、蓋の部分で岩盤浴を楽しむ妖精に至っては、ウトウト夢見心地といったご様子。


 何度も言うけど、それ、調理器具だからな?


「いいじゃないの、タスク。せっかくだし、これ、私たちに譲りなさいよ」


 湯船から顔を覗かせて、ココはとんでもないことを言い出した。


「おまっ……! 一度だけって言ったろ!?」

「だってぇ、こんなにいいものを料理に使うとかもったいないじゃない。私たちが使ってこそ、有効活用できるってものよ」


 そうだそうだーと、次々に賛同する妖精たち。勘弁してくれ。


「それに、その方がアナタにとってもいいと思うのよね」

「なにがだよ?」

「『貴重な妖精鉱石を全部使って鍋を作った』というより、『妖精たちのために湯船を作った』と説明したほうが、アルも納得するのではなくて?」


 ……むぅ、一理ある。確かに考えてみれば、妖精鉱石でダッチオーブン作る意味ってどこにもないし。鉄製で十分だからな。


 それなら今回のダッチオーブンは妖精たちに譲って、また新たに妖精鉱石を探してもらうのもアリか……。


「そうしなさい。湯船で疲れを癒やしたら、また探してきてあげるわ」

「そうっスよ、ご主人! 自分たちに任せるっス!」

「……石……いっぱい……見つける……」


 笑顔で応じる妖精たちの顔を眺めやりながら、オレはわかったよと苦笑した。


「みんなも気に入ってるようだし、ダッチオーブンは譲るよ」

「やったー!!」

「その代わり、オレがアルフレッドに怒られそうになったら上手くフォローしてくれよ? 妖精鉱石を全部使ったのがバレたら、絶対怒られるに決まって」

「……全部使った? 妖精鉱石を?」


 言葉尻を遮って背後から聞こえたのは、馴染みのある龍人族の声で……。


 恐る恐る振り返った先には、氷の微笑を浮かべるアルフレッドが佇んでいた。


「使ったのですか? すべての妖精鉱石を?」

「ええっと、いや……。なんというか、ね?」

「使ったのですよね?」

「その……」

「全部」

「……はい」


 うん、しこたま怒られたよねえ。再びの正座でガチ説教。ウチの財務担当、超怖い。


 余談ですが、説教を受けている最中、妖精たちは素知らぬ顔で湯浴みを満喫してました。裏切り者っ……!

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