216.夫人会

 来賓邸の応接室にやってきたクラウスは、要望を伝えられるなり声を荒げた。


「俺は反対だね。こうなったのもてめえらが原因だろうが。物資がなくなったから融通してほしいなんざ、単なるガキのわがままでしかねえよ」


 椅子の背もたれに寄りかかり、怒りをあらわにするクラウスを一緒にやってきたアルフレッドがなだめている。


「落ち着いてください。いくら反対されたところで、領主であるタスクさんのご判断に従わなければ」

「そんなこたぁわかってるよ。でもよ、お前さんのことだ。どうせ受け入れる方向で結論を出しているんだろ?」


 首肯して応じると、ハイエルフの前国王は面白くなさそうに続けた。


「やっぱりな。わざわざ俺たちを呼んでまで打ち明けたのは、ひとりで結論を出したことへの配慮のつもりか?」

「そういうわけじゃないけどさ、後々こうなったって伝えたところで納得はしないだろ?」

「まあな。少なくとも一発はぶん殴るね」

「ほら見ろ。そうさせないためにも、ゲオルクさんに残ってもらって、事情を説明してもらう必要があったのさ」


 切れ味鋭い刃のようなクラウスの眼差しがゲオルクの頬に突き刺さる。


 一方的な怒りを向けられながら、たじろぎもせず、ゲオルクは軽く肩をすくめた。


「暴力は感心しないな、クラウスよ。お前もハイエルフの中では高齢だろう? 少しは落ち着いたらどうだ?」

「悪かったな。オッサンらに比べたらガキなもんでね」

「いちいち目くじらを立てるな。まったく、落ち着いて話もできないじゃないか」


 優雅な手付きでティーカップを口元へ運ぶゲオルクにアルフレッドが問いかける。


「とにかくご説明願えますか? クラウスさんと同様、私としても納得できない部分が多すぎます」

「そうだね。タスク君には話したのだが……」


 ゲオルクの口から内部事情がふたりへ打ち明けられる中、オレは建設現場で聞かされたその内容を思い返していた。


***


「……取引を元に戻すって……」

「食料や日用品など、この土地で作られた物資が不足しているそうでね。なんとか融通してくれないかと泣きつかれてしまったのだよ」


 ゲオルクの困ったような苦笑いを眺めやりながら、オレは絶句した。


 勝手過ぎる言い分だ。苦笑いもしたくなるし、絶句したところで無理はない。


 もしかすると、口をぽかんと開けたままのオレを見やって苦笑しているのかもしれないなとも思ったが、気にも留めることなくゲオルクは続ける。


「前にタスク君が言っていた通りになってしまったよ。生活水準を上げてしまうと、以前の状況には戻しにくいってやつさ」


 曰く、ウチで採れた『遥麦』『七色糖』といった作物や、ベルデザインの衣服などが入らなくなってしまったため、他のものを仕入れていたのだが。


 あまりにも品質に差がありすぎるとのことで耐えられなくなったとのことらしい。


 それでも貴族や上流階級が使うものなので、一級品には違いないそうなんだけど……。


「ここの特産品は愛用者が多いからね。異邦人が作ったというブランドも効いているのさ」

「ちょっと待ってください。確かに出荷量は大幅に減らしましたけど、ついこの間まではかなりの物資を卸していたはずです。そんな急に不足するような事態なんてありえませんよ」

「まったくだ。常識の範囲内で使っている分には問題ないのだがね。彼らと来たら浪費が過ぎるのだよ。度し難い話だろう?」


 やれやれと言わんばかりに、ゲオルクは首を左右に振る。


「贅沢は自分たちに認められた特権だと勘違いしているのさ。それだけに良いものが手に入らない現状に我慢ならないのだろうね」

「とはいえ、こちらは増税に対しての対抗処置を取ったまでです。税はそのまま、物だけ寄越せというのはあまりに図々しいのでは?」

「その通りだよ。まずは重臣たちが非を認め、ジークへ頭を下げ、しかる後に税の再検討と物資の融通を依頼すべきなんだろうが……」

「……?」

「実は私に泣きついてきたのは重臣たち本人ではないんだ」

「じゃあ誰が?」

「重臣たちの奥方、通称『夫人会』の人たちさ」


***


 その名の通り、『夫人会』は上流階級や貴族たちのご夫人やご令嬢たちによって結成されている組織だそうだ。


 娯楽の少ない宮中での社交場の役割を果たし、夫人同士の連絡を密に取り合う情報交換の場でもあるらしい。


 ヴァイオレットが講師として赴いたハーバリウムの講習会も『夫人会』が全面的に協力してくれた、とのことなんだけど……。


「協力してくれたことには感謝していますが、それはそれです。第一、その夫人会に物資を融通したところで、こちらに何の得があるというんです?」

「そう。そこなんだよ!」


 良い点に気がついたと、ゲオルクは不敵に笑った。


「話を効く限り、メリットは無さそうに思えるだろう? ところがこの『夫人会』の存在はなかなかに影響力が大きくてね」


 重臣たちや貴族たちが不在の間は、夫人たちが陳情を受け付けたり、客人をもてなす重要な役割を担っており。


 さらにいうと、中には王族の血を引く人物もいて、そういった夫人たちには重臣も頭が上がらない。


「内助の功というよりも、権力者と表現した方がしっくりくるぐらいさ。重臣たちも無碍に扱うことができないのだよ」

「……上手くいけば増税が見直されるきっかけになると?」


 ゲオルクは力強く頷いて、その通りだと口にする。


「『夫人会』絡みで私の妻に連絡が来てね。彼女たちは一件の経緯を知らなかったらしい。取り計らってくれたら減税を実現させるという約束をしてくれたよ」

「それは嬉しいんですが、信用できるんですか?」

「問題ない。彼女らにもプライドがある。言質を反古するような真似は、自分たちの誇りに傷をつけるだけだからね」


 すぐに元通りというわけにはいかないだろうし、前向きに検討してほしいと付け加えるゲオルクの声を耳にしながら、オレは段階的に出荷量を戻す計画を頭の中で練り始めた。


***


「――良い機会だと思います」


 一通りの事情を聞き終えてアルフレッドが口を開く。


「いずれにせよ、何らかの手を講じなければいけませんでしたし、向こうからアクションを取ってくれたのなら応じるべきでしょう」


 銀色の艶のない長髪をかきむしり、クラウスが口を挟む。


「夫人会ねえ……。確かに怒らせると怖ぇからなあ……」

「知ってるのか?」

「そりゃな。国王やってたし、一応の付き合いはあるさ。外交上でも影響力あるんだよな、あのおばさ……ごほんっ! ……あのお姉さま方はよ」


 誰に聞かれているでもないのに、慌てて訂正するハイエルフの前国王。そんなに恐ろしい存在なのか……?


「いやいやいやっ! そんなことねえよ! マジでいい人たちばっかりだからっ!」

「ホントかよ?」

「マジでマジで! ……とにかくだっ。夫人会が約束してくれたんなら信頼してもいいかもな。そこらの重臣たちより頼りになるぜ?」


 夫人会という単語を聞いて以来、クラウスの怒気は鳴りを潜めたようだ。少なくとも敵に回す存在ではないらしい。


 すっかりと落ち着いたハイエルフの前国王を見やった後、アルフレッドは声を上げた。


「ハイエルフの国と新たな取引の契約が締結した以上、今すぐ元通りというわけにはいきませんが……。その点はいかがされるおつもりですか?」 

「とりあえずは段階的に出荷量を増やしていこうと思う。信用していい相手なのはわかったけど、減税されるかどうかはまだわからないし」

「それがいいだろうね」


 ゲオルクが口を挟む。


「彼女たちが働きかけたところで、減税はすぐ実現しないだろう。向こうも段階的に応じてくると考えるべきだ」

「お互いの状況を確認しつつ動く、ですか。的確な判断だと思います」

「最終的には増税という悪習を撤廃させたいところだね。将来、ウチと同じような都市を作ろうとなった際、足を引っ張るような法があっては次の世代以降も迷惑な話だろう」


 地方の発展があってこそ、国が豊かになり、ひいては大陸全体のためにもなる。悪例を残すわけにはいかないからなあ。


「しっかしよぉ……」


 頭の後ろで手を組み、クラウスはつまらなそうに呟いた。


「情けねえ話だと思わねえか? 重臣たちよりも、その奥さんの方が立場的に強いと思われかねない約束だぞ、こいつぁは」

「貴族のほとんどは、奥方たちに頭が上がらないのさ。尻に敷かれてるってやつだな」

「ゲオルクのおっさんとこもか?」

「残念ながらうちは平和そのものだよ。家庭円満秘訣は妻を立てることにあるからな」

「言い方変えただけで尻に敷かれてんじゃねえかよ……ったく。あー、やだやだ、息が詰まりそうだぜ」


 クラウスは吐き捨てるようにいうけど、オレのところは特にそういうのもないし、尻に敷かれるとかそういうのわかんないんだよなあ。


「それはタスク君が新婚だからだね」

「そうですかあ?」

「そうさ。独身時代には味わえなかったことを経験すれば、きみもいずれはわかるようになるよ。……良い悪いは別にしてね」


 半ば忠告めいたゲオルクの言葉にどう返事をしていいものか迷っている最中、クラウスは大きなため息をついた。


「まったく……。面白くもなさそうな将来図だな。そんなことを言うぐらいだったら、結婚なんてしなきゃいいんだよ」


 国王時代に妻を娶ることを断り続け、今も独身を貫いているクラウスらしい言い分だ。


 この分じゃ、いくらソフィアにその気があっても、明るい未来は程遠いかなあ。


 ……しかしながら、この推察は正しくなかったようで。


 後日、クラウスからもたらされる報告に、オレは衝撃を受けるのだった。

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