210.視察
商業都市フライハイトが成立してから数日。
伯爵になったことと増税が課されたことは、領民のみんなに少なからず影響を与えていたようだ。
まずひとつ目に、メイドたちがオレのことを「閣下」と呼ぶようになった。
カミラがお茶を運んできてくれた際に「閣下」と呼ぶものだから、他に誰かいるのかと一瞬訝しんだものの、執務室の中にはオレしかおらず。
なんでまたそんな風に呼ぶのか事情を聞いてみたところ、龍人族の国では伯爵以上公爵までを総じて「閣下」と呼ぶらしい。
マジか! 『銀河英雄伝説』みたいでカッコいいじゃん!!
……と、思ったのも束の間。慣れないからか落ち着かない上、呼ばれる度、脳内にデーモ○小暮閣下が現れる始末。
このままでは『お前も蝋人形にしてやろうかぁ!?』なんてことを言い出しかねない恐れもある。……いや、ない。ゴメン、言いたかっただけなんだ……。
とにかく、今後は名前で呼ぶか、もしくは伯爵と呼んでくれとお願いし、メイドたちにも共有するようにと伝えておく。
第一、三十歳そこそこで閣下と呼ばれるのは分不相応だ。自覚も資格もまだまだ足りない。もっと精進しなければ。
ふたつ目。領民みんながやる気を出している。
それ自体は非常にいいことだと思っていたものの、そのきっかけは増税の一件とオレにあるらしい。なんで?
「増税の際、伯爵は領民たちの給金を下げることなく、むしろ上げようとなさったと伺っております」
シワひとつない執事服に身を包んだハンスは、穏やかに口を開いた。
「殆どの領主は何かと理由をつけて領民から搾取を試みますが、伯爵は真逆の立場にあられる、大変、稀有な存在かと」
「そうかなあ? 苦しい時だからこそ、やる気を出してもらいたいじゃんか」
「そのお気持ちが伝わったのでしょうな。領主様のためになにかしたいと、皆張り切っております」
そう言って、柔らかな微笑みを浮かべる戦闘執事。
前の世界でサラリーマンだったからこそ、領民の気持ちだけでなく、経営者としての立場にある領主の気持ちもわかるのだ。
上に立つものであれば、無給で働いてくれる労働者は夢のような存在だろうが、現実にはそうもいかない。
であれば、あらゆる手を尽くしてモチベーションを上げる必要がある。
一番わかりやすいのが金銭で報いるという形だったので、それで応じようと思ったわけで。
結果的にはダメになってしまったけれど、どうやらいい方向へ転がったらしい。
「皆、競うように新たな収入源を作り出すべく知恵を絞っております。成果に対して正当な評価をしてくれると信じているからでしょう」
「でもさ、それって普通のことじゃないか?」
「人は普通のことがなかなかできないものです。……ところで」
内ポケットからメモを取り出して、ハンスは視線を落とす。
「早速いくつかの案が持ち込まれております。伯爵にお時間があるようでしたら、執務室へ連れてまいりますが……」
「そうだな。……いや、直接現場に足を運ぼう。みんなの仕事も見たいしね」
考えてみれば稲作に夢中で、しばらく他の工房などに顔を出していない。様子見がてら話を聞きに行こうじゃないか。
「承知しました。ではカミラに同行させましょう。スケジュール等は彼女に一任しておりますので」
「うん。よろしく頼む」
――こうして、領内の視察が決まり、これがきっかけとなって、後に大きな幸運をもたらすことになるのだが……。
それはもう少しだけ後の話。
***
翌日。
昼食を終え、カミラを伴って向かった視察先は、ロルフたち翼人族の菓子工房だった。
日持ちのする焼き菓子だけでなく、生菓子やアイスなどを卸せないかということについて話し合う。
工房内は魔法石などで冷蔵処理が可能だが、長距離の輸送にはやはり氷が不可欠で、
いずれにせよ、もう少し涼しくなってからの準備だなと応じて踵を返すと、何やら外が賑やかになってきた。
「あっ! タスクおにーちゃん!」
「にーちゃんだ!」
菓子工房に隣接するチョコレート工房の前で、猫人族の子どもたちが声を立てて遊んでいる。
「おっ。もう学校は終わったのか?」
「うん! あのね、わたし、じがかけるようになったよ!」
「おれも、たしざんできるんだぜ! すげえだろ!」
「みんな、頑張ってるな! 偉いぞ!」
駆け寄ってくる子どもたちの頭を次々に撫でてやる。頭上の猫耳をぴょこぴょこ動かし、くすぐったく笑う様は純真そのものだ。
「ねえ、タスクおにいちゃん! かたぐるまして!」
「あっ、おれもおれも!」
「よーし、いいぞー! 交代交代な!」
そう言って猫人族の女の子を肩に乗せる。
「伯爵。次の工房へ向かうお時間が……」
「少しぐらいいいだろう? 頼むよ、カミラ」
仕方ありませんねと応じる戦闘メイドに悪いなと返し、子どもたちとしばらく遊ぶことにする。
なんでも、伯爵になったこともあり、猫人族の大人は、子どもたちへ「領主様とお呼びしなさい」と言い聞かせていたそうで。
ルーカスからそのことを聞かされたオレは、すぐにそれを止めさせたのだった。
子供は大人が思う以上に賢い。わざわざそんなことを言われなくとも、自然とそう呼ばなければならない日がくることを知っている。
オレ自身、今のうちぐらいは親しみを込めて呼んで欲しいこともあり、あえてお兄ちゃんと呼んでもらっているのだ。
おじさんではなく、お兄ちゃんと呼ばれることに快感を覚えているわけではないのである。それだけは断じて違うと言っておこうっ!
……ごほんっ。とにかく!
何の不安を覚えることもなく、健やかに育って欲しいとそれだけを願い、子どもたちと遊ぶ時は全力を心がけているわけである。
「なぁにぃ? も〜……。やけに騒々しいと思ったらたぁくんまでいるじゃなぁい」
チョコレート工房の中からけだるそうに顔をのぞかせたのは、このところメイクを施さなくなったソフィアで。
オレンジ色をした髪こそ整えているものの、そばかすの残すすっぴんをあらわにしながら近付いてくる。
「ソフィアおねーちゃんだー!」
「ねーちゃん! チョコ! チョコちょーだい!!」
「ダメよぅ。アンタたちのお母さんから、あんまりチョコあげないでくれって言われてるんだからぁ」
「ケチー」
「けちんぼー!」
足にまとわりつく子どもたちのブーイングに耳を塞ぎながら、ソフィアは露骨に面倒な表情を浮かべた。
「もぅ。聞いてよたぁくん。ちょくちょく遊びに来るもんだからぁ、少しだけチョコあげたらこんなになつかれちゃってさぁ」
「いいことじゃないか」
「よくないわよぅ。この子達のお母さんたちからは『夕飯食べられなくなるから止めて』って文句言われるしぃ。上げなきゃ上げないでこの子達から文句言われるしぃ。いい迷惑だわぁ」
そう言って、ふぅと、大きなため息をひとつ。戦後の進駐軍みたいな光景だなと思いつつ、オレは肩車をしたままで言ってやった。
「食べ物で釣ろうとするのが悪いんだよ。オレを見ろ。こうやって全力で遊んでやればいいんだ」
「……お言葉ですが、伯爵。夏祭りの一件のことをお忘れでは?」
カミラの冷静なツッコミが背後から聞こえたけれど、あえて聞こえなかったことにしておく。あえてだよ?
「おや? タスク様、ここまでお見えになるとは珍しい」
続けて工房の中から姿を表したのはグレイスで、片目が隠れるほどの長い前髪が特徴的な魔道士は、賑やかな光景を楽しげに眺めている。
「菓子工房へ視察に来ていてな。ついでだよ」
「そうでしたか。……みんなは学校終わったの?」
「おわったよー!」
「おわった!」
「そう、今日も偉かったわねえ」
えへへへへと笑う子どもたちを眩しく見やりつつ、グレイスは続ける。
「そういえば。子どもたちから聞いたのですが、学校は午前中だけなのですか?」
「うん? ああ。小さいうちは集中力が続かないだろ? 短い時間でできる範囲のことだけ教えようと思ってさ」
「いいわねぇ。アタシが魔導国にいた頃なんて、朝から晩まで勉強漬けだったもの……」
苦々しく呟き、ソフィアは肩をすくめる。
「休みは休みで家庭教師……、ああ、グレイスのことだけどぉ。付きっきりで勉強でしょぉ? 遊ぶ暇なんてなかったわぁ」
「その反動が今に至ってるわけだな……。同人活動っていう……」
「なによぅ? 趣味なんだからいいでしょぉ?」
「いやいや。悪いとは言ってないさ。こっちもマンガで世話になってるからな」
人の趣味に口を挟むほど了見は狭くないつもりだし、むしろ読みたいとさえ思ってるからな。ガンガンやってほしい。
あえて注文をつけるとするなら、ナマモノだけは今後とも封印しておいてくれってことで……。
「やんないわよぉ。安心しなさい」
ニヤリと企むように笑うソフィアの顔に、寒いものを感じながらも、それを信じようと思いこんでいた矢先、グレイスが口を開いた。
「タスク様。子どもたちの授業が午前中だけということであれば、午後は学校が空いているのですよね?」
その通りだと頷いて応じると、グレイスは思案顔を浮かべ、ややあってから切り出した。
「もしよろしければ、午後、空いている学校を使わせていただけないでしょうか?」
「それは構わないけど……。何かやりたいことがあるのか?」
「ええ。魔法教室を開きたいのです」
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