196.医師のマルレーネ
着陸と同時に駆け出したエリーゼは、一直線にこちらへ向かってきたかと思いきや、オレの胸元へ飛び込んでくる。
柔らかくふくよかな身体を強く抱きしめ、ブロンド色の髪を撫でてやると、エリーゼは照れくさそうに微笑んだ。
「た、ただいま、帰りました」
「おかえりなさい。無事でよかった」
「え、えへへ。タ、タスクさんに早く会いたくて……。急いで戻ってきちゃいました」
エリーゼの話では準備の半分を終えたところで交代が到着し、残りはその人たちに任せて帰ってきたそうだ。
すると、即売会自体はまだ開かれていないのか。てっきり一緒にやるものだと思っていたんだけど。
「い、いえ。イベント自体は十日後に開催するので、また出かけなきゃいけないんですけど……」
「そうか。頻繁に出かけなきゃいけないのは大変だな。……ところで」
視線を後方へと向けた先では、着陸した一行のほとんどがうずくまっているんだけど……。みんな、具合でも悪いの?
「私がごせっ……ぅぷっ……。失礼しました……。私がご説明します」
前に進み出たのは、口元をハンカチで抑えたグレイスで、顔を青白くさせながら理由を話してくれた。
***
交代要員が現れた直後のこと。
一旦領地へ戻るため、ソフィアとグレイスは飛行魔法で帰路へつく算段をまとめていたそうだ。
そこに口を挟んだのはエリーゼで、自分の飛行魔法なら、みんなをまとめて移動させられる上、通常より時間もかからないと主張したらしい。
エリーゼが扱う魔法の強力さは知っている。早く到着できるだけでなく、自分たちのマナも温存できるし、厚意に甘えるのもいいだろう。
そう考えたソフィアたちはエリーゼの申し出を受け入れ、飛行魔法をかけてもらうよう頼んだ。……まではよかったのだが。
従来のそれより三倍以上速い飛行スピードと、激しい揺れに酔う者が続出。
その結果、目の前の惨状が起きてしまった。
***
「もぅ……。あれほど『揺れるから、酔い止め飲んでおいてくださいね』っていったじゃないですか」
説明を終えたグレイスに、エリーゼは不満顔を見せている。
「スミマセン……。まさかあれほどとは予想もしませんで……」
「そんなに酷かったのか?」
「そうですね……。例えるなら、天国に登るような気持ちで地獄に行ったというべきでしょうか……」
弱々しく呟くグレイス。パ○レイバーに出てくる後藤隊長を彷彿とさせる発言だな。
「エリエリの言う通りだよぉ? 忠告はちゃんと聞いておかないとぉ」
ご機嫌な足取りで登場したのはソフィアで、グレイスとは対照的にその表情は明るい。
「お前は大丈夫だったのか?」
「もち! 酔い止め飲んだしねぇ。それにぃ」
「それに?」
「途中で吐いたからぁ!」
「効いてねえじゃん」
「わかってないなあ、たぁくん。吐いちゃうのが一番楽なんだよぉ?」
「酒飲みすぎた酔っぱらいと同じ考えだなあ、おい」
オレの話をロクに聞くこともなく、ソフィアは辺りを忙しく見渡し、「ところでクラウスさんはぁ?」と尋ねてくる。
まてまて。それより先に、確認したいことがある。
「あの後ろに控えている団体さんは、ソフィアの言ってたお友達なのか?」
「……? そうだよぉ? 誘ってもいいって話だったからぁ」
言いましたよ。言いましたとも、ええ。なにせ、四十人も誘うとはこれっぽっちも思ってなかったからな!
「アタシもぉ、最初は数人だけにしておこうって思ってたんだけどぉ。いつの間にか噂が広がっちゃったみたいでぇ」
「収拾がつかなくなりそうだったので、皆さん、お誘いしてしまったのです……」
ぺろっと舌を出し、反省の素振りすら見せないソフィアに代わり、神妙な面持ちを浮かべるグレイス。
うーん。まあなあ、どのぐらいの人数を誘うのか確認してなかったオレにも非があるっていうか。来ちゃったもんはしょうがないし、全員受け入れるけどさ。
龍人族、ハーフエルフ、ダークエルフ、翼人族に天界族まで、バラエティに溢れる面子だな。
「そういえば、例の医師はあの中にいるのか?」
「あっ、そうだったぁ。紹介するねぇ!」
ソフィアがちょっとこっちにきてぇと声を上げると、団体の中からひとりの女性が歩み出てきた。
長い黒髪をした落ち着いた雰囲気を持つ人物で、オレの前で足を止め、深々と頭を下げる。
「領主さまでいらっしゃいますね。私は龍人族のマルレーネと申します。この度はお誘いいただき、本当にありがとうございます」
「ご丁寧にどうも。領主のタスクだ。急なお願いを聞いてもらって、こちらこそ礼を言いたい」
「とんでもありません。お話はエリーゼさんたちから伺っております。このような場所で働けるのは私としても光栄なこと。医師の端くれではありますが、懸命に務めさせていただきます」
柔らかく微笑むマルレーネ。その言動や所作からも、たおやかさが伝わってくる。
エリーゼと気が合いそうな、優しそうな人だなあと直感的にそんなことを考えていたんだけど。
ここでひとつの疑問が。……そう、例の同人誌のことだ。
触手がうねうねして、美少年があられもない感じになってたアレである。
前に聞いた話では、誘おうと思っている医師がその同人誌を描いてるってことだったけど。
……え゛? あの過激で自主規制だらけの同人誌をこの人が描いてるの? 本当に?
真相を確かめるため、エリーゼだけに聞こえるよう小声で問いかけたのだが、ハイエルフよりも早く応じたのはマルレーネ本人で。
「本当ですわ」
一点の曇りのない瞳で断言し、マルレーネはさらに続けた。
「私、自分の身体から触手を生やすのが夢ですの」
「触手を生やしたいのです。自分の身体に」
そっかー。聞き間違えじゃなかったかー……。
衝撃的な告白で、こちらが思わず虚空を見つめているのもお構いなしに、マルレーネは爛々と瞳を輝かせてまくしたてた。
「医学を志したきっかけも、どうにかして触手を生やせないかと思ったからですし。医学が進歩すれば、その夢が叶うんじゃないかって!」
「マルマルったらぁ、そればっかり言ってるんだもん。黒魔術を使えばぁ、一時的に触手を生やせるよぉって教えてあげても聞かないしぃ」
「苦労せず黒魔術で生やしたところで、その触手は美しくないでしょう? それに、毒でも混ざっているようなことがあったら大変じゃない」
……一応聞いておくけど、何が大変なんだ?
「決まっているではないですか。触手で美少年を弄ぶ際、相手を傷つけるようなことがあってはダメでしょう?」
「はあ」
「美少年は、気高く美しく、傷つかないからこそ美少年なのですっ! その未成熟な裸体へ、触手を一本一本丹念に這いつくば」
「ストップ、そこまで! よくわかりました。よくわかりましたから!」
手を広げ、指先をワチャワチャと動かしているマルレーネ。恍惚とした表情を眺めながら、なるほど、間違いなくあの同人誌の作者だなとオレは納得した。
「性癖のための医学なのか」
「お言葉ですが領主様。性癖こそが、原動力の最たる源なのですよ?」
否定はしない。否定はしないけど、断言されても言葉に困る。
まあ、なんだな。クセが強いとはいえ、医師は医師。リアたちと力を合わせ、領地の医療を守ってもらえるよう期待しようじゃないか。
「お任せください。後日、残りの三名も到着しますが、皆懸命に働くと申しておりましたので」
「……は? 三名って?」
「私以外にも医師が三名いるのです。あの同人誌は私達四名で作ったものなのですよ」
「……へ?」
「『這い寄るお医者さん』というサークル名なのですが」
サークル名は知らんけど。そっかー……、あと三人、同じ性癖の医師が来るのかあ……。
嬉々として話すマルレーネの言葉は届くことなく、右耳から左耳へ通り抜けていく。
理解が追いつかない現状に、オレは遠くの空をただただ見つめるのだった。
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