181.豚肉を探して

 ここらへんにいない……って、じゃあなんで豚のことを知っているんだ?


「一時期、ダークエルフの国東部の特産品として、燻製など、豚肉を使った食品が流通していたんですよ」


 しかしながら疫病が流行し、家畜として飼育していた豚は全滅。以降は見かけることがなくなったそうだ。


 そういえば。


 前に家畜を飼おうってなった際、薦められた中に豚は入ってなかったな……。


「鶏、羊、ウサギあたりが食用肉としては一般的ですね。ヤクや牛は高級品ですし」

「狩猟としての獲物は鹿と猪が主じゃな。ごく稀に満月熊まんげつぐまを狩ることもあるが」


 ……出たよ、異世界特有の聞き慣れない固有名詞。なんだよ、満月熊って。


「その名の通り、満月の夜に凶暴化する熊での。凶暴化している時に絶命させた肉が非常に美味でな。魔力を秘めていることもあり、高値で取引されるのじゃ」

「なるほど。絶対に関わりたくないことだけは把握した」


 しかし、そうか。豚いないのかあ……。かなりショックだな……。


 念願の白米が食べられることで、日本食の幅もより広がると思っていた矢先だっただけに、出鼻をくじかれた思いだ。


「……ん? お。なんだなんだ? いよいよ米の収穫か?」


 がっくりと肩を落としている中、背後から声をかけてきたのはクラウスで、その隣には控えめなメイクを施したソフィアが付き従っている。


 原稿も一段落したんだし、これといってクラウスのそばにいる必要はないと思うんだけど。


 そんな疑問が表情に出ていたのか、ソフィアはジト目でオレを見るなり、


「クラウスさんのお手伝いをしてるのよぉ。なんか、文句あるぅ?」


 と、恨みがましく声を上げた。……それは失礼。


 何にせよ、意中の相手を前に猫を被っていないってことは、ある程度親密になっているようだ。よかったよかった。


 ハイエルフの前国王はそのまま畑へ足を運び、二匹のミュコランを優しく撫で始めた。


 あんこもしらたまも気持ち良さそうに鳴き声を上げながら、甘えるようにクラウスにすり寄っている。美形のハイエルフと可愛らしい動物は、見ているだけで絵になるなあ。


「それでぇ? たぁくんたちはぁ、悪巧みの相談でもしてるのぉ?」


 そんなクラウスを微笑ましく見やりながら、ソフィアはちょっとした意趣返しとばかりに軽口を叩いた。


「違うっての。ちょっと残念なことがあってな」

「残念なことぉ?」


 つい今しがた話していたことを教えると、ソフィアは即座に何かを思い出したらしい。


「ねえ、それってぇ、イノブタじゃぁダメなのぉ? 魔導国ではぁ、イノブタを普通に食べてたけどぉ……」

「うーん。イノブタかあ」


 食べたことないんだよなあ、イノブタ。豚と猪をかけ合わせた品種ってことは知ってるけど、味は猪に近いっていうし。豚とはちょっと違うんじゃないかな?


 それに入手したいと思っても、魔導国は遠い上、鎖国に近い状態なんだろ? 取引はなかなかに苦労しそうだ。


「豚だったら、ついこの間食ったぞ?」


 耳元へ届いた声に振り返った先では、相変わらず、しらたまとあんこと戯れているクラウスの姿が。


「豚肉だろ? 俺が食ったのは香草焼きだったけどよ。脂が乗っていて、実に美味かった」

「ついこの間っていつだよ。まさか百年以上前とかじゃないよな」

「流石にそんな昔のことじゃねえよ」


 ケラケラと声を立てて笑い、クラウスは一瞥をくれた。


「お前さんに頼まれて、米を探しに行ってたろ? あの時だよ」

「……連合王国で?」

「ああ。あの分なら、帝国でも飼育してるんじゃねえかな? 大陸だと東部が豚の生息地だし」


 うーん。そうなると、ますます人間族の国と交易を結ばなければならないな。


 ……べ、別に、食べ物目当てで交易を行うというわけではないんだけどね?


 あくまで、あくまでだよ? 豊かな食生活をみんなへ供給するために必要な処置というか……。


「っていうかよ」


 二匹のミュコランの頭をポンポンと優しく叩き、ハイエルフの前国王はオレに向き直った。


「俺に聞くより、適任者がいるじゃねえか」

「適任者?」

「おいおい、忘れんなって。カワイイ物に目がない人間族がここにはいるだろ?」


 ……あ。そういえば、そうだったな。しらたまとあんこへ盲目的な愛情を注ぐ人物が確かにいる。


 豚の話題は本人へ直接尋ねることに決めて、オレたちはいそいそと米の収穫へ戻ることにした。


***


「確かに。帝国では豚肉が食卓に並んでいたが……」


 帝国では『花の騎士』の異名を誇った美しき女騎士が、白パンをちぎりながら口を開いた。


 食事の席には、四人の奥さんたちを始め、クラウス、クラーラにジゼル、ヴァイオレットとフローラが一堂に会するということもあり、その日の夕飯時、オレは豚について改めて尋ねることにしたのだ。


「帝国では香辛料を過剰に使う豚料理が殆どだったからな。味付けが控えめな鳥料理を食べる機会が多かった」


 そういった意味ではここでの食事は実に素晴らしいと、後ろへ控えるカミラにヴァイオレットは賛辞を送る。


 恐縮ですと一礼する戦闘メイドへ微笑みかけ、女騎士はなおも続けた。


「しかしタスク殿。そこまで豚にこだわる理由とは一体……? なにか極秘の計画を考えられておられるのか?」

「そういうわけではないんだけど……」


 トンカツが食べたいだけ。なんて正直に話したところで呆れられるだろうし……。ここは家畜の種類を増やして、特産品の拡充を図りたいとか誤魔化しておこう。


 そう応じようと決めた矢先、愉快そうに口を挟んだのはクラウスで、


「違う違う。こいつはただ単に豚肉が食べたいってだけなのさ。なあ、タスクよ?」


 とまあ、ニマニマした顔でバカ正直に返事をする始末。


「おまっ……! わかっててもそういうこと言うなよ!」

「いいじゃねえか。食い物に対するお前さんの執着はみんな知ってんだし。今更だろ?」

「そうじゃのう。時折、和食が食べたいと、わけのわからんことを叫んでることもあるし。今更じゃな」


 ウサギ肉のソテーを口元へ運びながら、アイラが頷く。食べ物に執着があるのはお前も一緒だろうが……!


「ダークエルフの国でも、その昔、豚を飼っていたということは聞いていますけど……」


 割って入ったジゼルに、ベルが補足する。


「だねー☆ でも、みんな病気で死んじゃったって、長老おじーちゃんたちが言ってたし♪ 今はどこにもいないんじゃないかなー★」

「そうなると、やっぱり人間族の国と取引するしか手段がないか」


 たかだかひとつの食材を入手するために、みんなから知恵を拝借するとか、食事の席がとんだ相談の場になってしまったな。


 ……いやいや、気にするな。これもすべてトンカツのため! ひいてはカツ丼、カツカレーのためでもある!


 みんなも実際にトンカツを口にすれば、オレが豚にこだわっていた理由もわかってくれる……ハズ! ……多分だけど。


 ともあれ、一筋の希望は見えた。あとはイヴァンたちと協議を重ね、人間族がダークエルフの国を通行できるよう許可を取るだけだな。


 そんな風に思いを巡らせている最中。


 先程まで美味しそうに料理を頬張っていたヴァイオレットが、陰りのある表情を浮かべているのを視界に捉えた。


「どうしたんだ?」

「……いや、少し考えることがあって」

「考えること?」


 フォークとナイフをテーブルへ戻し、女騎士はぽつりぽつりと呟く。


「亡命したとはいえ、私は元帝国軍。連合王国との戦争に身を投じた将官でもある。そんな奴が住んでいるとなれば、連合王国も気分が悪くなるのではないかと思ってな」

「ヴァイオレット様……」


 隣に座るフローラが、心配そうにヴァイオレットの手を握っている。


「ヴァイオレット様は命令に従っただけではありませんか。気に病む必要など、どこにも……」

「……フローラ。私の率いた軍が、村々を破壊したことは拭えない事実だ。その罪は背負わねばならない」


 ヴァイオレットは顔を上げ、そして決意を込めた瞳でオレを見やった。


「タスク殿。もし、連合王国と交易を行う上で、私が邪魔になるようなら。その際は遠慮なく、私を切り捨てて欲しい」

「おいおい……」

「もしや、私の存在に気付いた先方が、身柄の引き渡しを要求するやもしれん。そうなれば、私は」

「おーい。ヴァイレットさんやーい」

「な、なんだ。話の途中だぞ……」

「お前を処分するとか、引き渡すとか、そんなことはないから安心しろ」

「……は?」


 目を丸くしている女騎士へ、クラウスが笑いかける。


「だな。戦争なんてとっくに終わってるし、別にお嬢ちゃんを引き渡したところで、意味なんかねえよ」

「し、しかし私には罪が……」

「村を破壊したのが罪だっていうなら、ハーフフットたちを逃したのは功績になるんじゃないか? アレックスもダリルも感謝してたろ?」


 ヴァイオレットとハーフフットたちは、領地内で共に作業をする仲でもある。


 将官であったヴァイオレットが逃亡に加担しなければ、そんな光景を見ることもなかったはずだ。


「いいかい、お嬢ちゃん。戦争をやっちまったのはしょうがねえ。ただ、終わった今となっては、これからのことを考えるべきだ」

「これからのこと……」

「そうさ。戦争の悲劇を繰り返さないため、自分はどうするべきか。そういうことを考えていかねえとな」

「……」

「ま。あんまり難しいことばっかり考えていると、眉間にシワがよって美人が台無しだからな。程々にしとけよ?」


 声を立てて笑うクラウス。冗談めいた一言に、重苦しい空気も薄まったように思える。流石だな。


 こういうところは素直に見習わなければならない。


 感心の面持ちでハイエルフの前国王を眺めやり、オレは追随するように声を上げた。


「クラウスの言う通りさ。花の騎士って呼ばれるほどの美貌なんだし、悩み事も程々にしとかないと」

「そんな……」

「第一、普通に考えればわかることだろう? オレにとってヴァイオレットはかけがえのない、大切な存在なんだ。身柄を引き渡せって言われたところで、絶対に手放したりしないって」


 言い終えてスープを口元へ運ぼうとした瞬間。みんなの視線がオレに集中するのがわかった。


 四人の奥さんたちはそれぞれに呆れと驚きを込めて、クラウスはニヤニヤと。


 そしてヴァイオレットは顔を真っ赤にさせている。……ど、どうしたんだ?


「どうしたもこうしたもないわよ」


 大きなため息をつくクラーラ。


「アンタ……。四人も奥さんいるのに、正気なの?」

「は? 何がだ?」

「領主さんの今の言葉。プロポーズってことですよね!?」


 ジゼルがキラキラとした瞳でオレの顔を覗いている。……は? プロポーズ!? 何でさ!?


「かけがえのない……。大切な存在……。絶対、手放さない……」


 うわ言のように呟くヴァイオレット。……い、いや、誤解だ!! 誤解してるぞ、おい!?


「こんな……、皆のいる場で……、求婚され……」


 フラフラと上半身を揺らす女騎士の姿は、のぼせているようにも受け取られ、もはやオレの声が耳に届く気配もない。


「お祝い、しないとな?」


 肩を叩くクラウスの顔からは、取り返しのつかない事態になったということだけが理解できる。マジか、マジなのか……?


 こうして。


 豚を巡る話題は、いつのまにやら、とんでもない結末へ落ち着くこととなってしまった。

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