154.ソフィアの悲運?

 きっかけは些細なことだったのだ。


 参考用の同人誌を持ってくるため席を立ったエリーゼと共に、オレもトイレへ行こうと中座することにした。


 クラウスにはすぐに戻ると伝え、執務室のドアを開ける。すると、まったく同じタイミングで、通路沿いの部屋のドアが開くのが見えた。


「あそこ、エリーゼの作業部屋だよな? 誰か来てたのか?」

「ええ。同人誌を作るため、魔道士のみなさんが昨日から泊まり込みで」


 会話を交わし合っている最中に部屋の中から姿を見せたのは、オレンジ色をしたボサボサの髪と瓶底眼鏡を掛けた女性で、オレたちに気付くなり、挨拶より先に大きなあくびをしてみせる。


「……眠そうだな、ソフィア」

「んー……。気持ちがノってたからねぇ……、ついつい徹夜しちゃったぁ」


 そばかす混じりの素顔に眠気を漂わせ、ソフィアはけだるそうに声を上げた。


「それにしても、ソフィアのすっぴんは久しぶりに見た気がするな」

「なによぉ、たぁくん……。会うなり嫌味ぃ?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ」

「いいのよぉ。どうせ見せる相手もいないしぃ。それにぃ、夜通しフルメイクとかぁ、お肌に悪いに決まってるじゃないのぉ」


 片手にメッセージボールと呼ばれる小さな球体、もう片方の手にメッセージボールを再生する専用の装置を持ちながら、体を前後に揺らすソフィア。


「そりゃあねえ。アタシだって、男がいるなら見た目にも気をつけますよぉ? でもでもぉ? そんないい男なんてぇ、どっこにもいないんだもーん」


 洞窟へ探索に行って以来、アルフレッドについては口にしなくなり、いい感じで吹っ切れたのかなと思っていたけど、もしかしていじけているだけなのか?


 とはいえ、普段の仕事はちゃんとやっているようだし、ご覧の通り、趣味の同人活動もこなしているので、本人の中ではある程度の折り合いがついているのだろう。


「あ、そうだぁ」


 ぐふふと怪しげに笑うソフィアはオレに向き直り、手にしていたメッセージボールと再生装置を差し出した。


「今回はいいのが書けたの。たぁくんにはぜひ感想を聞かせてもらいたいんだけどぉ」

「へぇ、どんなヤツなんだ?」

「うんとねえ。異邦人の男とぉ、龍人族の商人の男のぉ、友情と濃密な愛情を描いたお話でぇ」

「……ナマモノは止めろって言ってんだろうが」

「うそうそぉ。ちゃんとしたBLだからさぁ。ちょっと読んでみてよぉ」


 ちゃんとしたBLっていうのもよくわかんないんだけど。そもそも、なぜオレが読まなきゃならんのだ?


 両手を前に出しながら、ゾンビのようにフラフラと歩いてくるソフィアをエリーゼが止める。


「ソフィアさん、そのお話はワタシが読みますから。休まれた方がいいですよ?」

「んもぅ。エリエリぃ、邪魔しないでよぉ」

「顔色も悪いですし、ワタシの寝室で少し眠っていかれては?」

「エリエリは優しいなあ……。こんなに優しくて可愛いんだもん。男どもが放っておくわけないよねえ……」


 ……眠くて思考がまとまってないのか、それとも酔っ払ってるのか、わかんなくなってきたな、コレ。


 とにかく、休ませたほうが良さそうだということはわかるので、エリーゼと一緒にソフィアを寝室へ連れて行こうとしたんだけど。


 いやはや、執務室のドア開きっぱなしだったってことを、すっかり忘れてたよね。


「何騒いでんだ、お前ら?」


 もみ合っている背後から、ひょっこりと現れたのはクラウスで。


 誰もいないと油断していたのか、銀髪のハイエルフを視界に捉えた瞬間、ソフィアの素っ頓狂な声が廊下に響き渡ったのだった。


「ふへぇっ!? おっ、おきゃくさん、き、きてたの……?」


 突然、目の前に現れたイケメンのハイエルフに驚いたのか、それとも初対面の男性へ自分のすっぴんを晒してしまったことにショックを受けたのか。


 あるいはその両方かも知れないが、とにかく衝撃からソフィアは全身を硬直させる。


 しかしながら、それは指先まで伝わらなかったらしい。


 直後、ソフィアの手から落下した再生装置の重い音が廊下に響いたかと思いきや、後に続けとばかりに、もう片方の手からメッセージボールが落ちていったのだ。


 まるで吸い込まれたかのように、再生装置のくぼみ部分へピッタリと収まるメッセージボール。


 そして再生装置には、ソフィアが徹夜して作り上げたであろう、渾身のBLが映し出されたのだった。


 ……これで映し出されたのが、冒頭の部分とかなら問題なかったんだけど。


 なんといいましょうか。よりにもよって、男性同士が濃密にまぐわっている場面がでかでかと表示されましてですね……。


 以前、エリーゼに見せてもらった「くんずほぐれずひとつになっちゃってさあ大変」な場面よりも、遥かに過激さを増したそれに、オレは言葉を失ってしまったのだ。


 エリーゼも同じだったようで、体を固くさせ、すっかり声をなくしていたのだが。


 それよりも問題だったのは作者であるソフィアで。


 何が起きたかわからないとばかりにしばらく呆然としていると、青白い表情を浮かべたまま、突如としてブツブツと何かを呟き出した。


「……なきゃ」

「は?」

「全部燃やして、なかったことにしなきゃ!!」


 そう叫んだ瓶底眼鏡の魔道士は、震えた声で魔法の詠唱を始める。


「ばっか!! こんなところで爆炎魔法使うなっ!!」

「止めないでよ、たぁくん!! 全部っ! 全部消し去ってやるんだからっ!!」

「オレの家まで燃やそうとすんなって!!」

「そうですよ! 落ち着いてくださいソフィアさん!」

「ダメよぅ、エリエリ! 性癖をすべて詰め込んだ、欲まみれの作品を見ず知らずのイケメンに見られたのよぉ!? もうアタシ、生きていけないわぁっ!!」


 ……それはそうだな。不可抗力とはいえ、掛ける言葉もないほどに悲惨だ。オレが同じ立場だったら、軽く死ねるもん。


 とはいえ、ソフィアを死なせるわけにはいかない。自暴自棄の魔道士を止めるべく、エリーゼとふたりがかりでなだめることに。


 っていうかさ、こうなった原因の一端でもあるんだから、クラウスも手伝ってくれていいんじゃないか。


「ぼーっと見てないで、止めてくれよ! クラウス!」


 助けを求めるため振り返ると、クラウスは再生装置を手に、ソフィアの描いたBLを熟読していた。


 こちらの騒動には目もくれず、器用に再生装置を操作しながらページを進めていく。


「やっ! だ、ダメっ! 見ないでぇ!!」


 懇願するソフィアの声に耳を貸すこともなく、じぃっと同人誌を読み進めていったクラウスは、やがてこんなことを口にした。


「……面白えな、コレ」

「……はい?」

「面白いって言ったんだよ」


 ちょっと何を言ってるのかわからないと戸惑っているオレたちをよそに、ハイエルフの前国王は瞳を輝かせて感想を続ける。


「なるほど、これがマンガってやつなのか! 確かにコレなら読みやすいし、心情の変化もわかりやすい! 何より内容がいい!」

「は、はあ……」

「俺はこういう同性愛っていうの、よくわかんねえけどさ。それでもこの作品に込められた愛情とか、作者の思いってやつは十分に感じ取ることができて十分に楽しめたぜ?」


 裏表のない爽やかな笑顔を浮かべて、クラウスは再生装置をソフィアに差し出した。


「お前さんが何を気にしてるのかはわかんねえけどさ。これだけ面白えモンが作れるんだ。もっと自分に自信を持ちなって」

「ふぇっ? ……はっ、はい……」

「いやー、こりゃ、エリーゼのマンガも俄然楽しみになってきな! 待ってるから早く持ってきてくれよ!」


 困惑したまま返事をしたエリーゼは、足音を立てながら作業部屋へと駆け出していく。


 満足げに執務室へ戻っていくクラウスの背中を眺めやりながら、すっかり呆けてしまった魔道士にオレは声をかけた。


「落ち着いたか?」

「うん……」

「なんだな。なんというか事故みたいなもんだしさ。クラウスも楽しんでくれてたみたいだから、あんまり気にすんなよ」

「うん……」


 気の抜けた声しか返ってこないことに不安を覚え、オレはソフィアへ視線を向ける。


 そこには再生装置を大事そうに胸元へ抱え、ほんのり顔を赤らめたまま、執務室をまっすぐに見つめている魔道士の姿があった。

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