155.黒の樹海出版社
ソフィアの身に起きた、ちょっとした不幸はひとまず置いておいて。
その後、エリーゼからメッセージボールと再生装置を受け取ったクラウスは、期待に瞳を輝かせながら、中へ入っている参考資料に目を通すのだった。
もちろん、暗黙の了解で危険なシーンは取り除いてあるのだが……。先程のクラウスの様子からすると、くんずほぐれずを見せたところでどうってことも無さそうだし、取り除かなくても大丈夫だったかな?
「タスクさん……。ワタシは大丈夫じゃないです……。流石に恥ずかしすぎます……」
小声ながらもエリーゼはキッパリと応じる。そうだよな……。作者の目の前で(自主規制)な場面を熟読されるのは厳しいよな……。
とにもかくにも、マンガの形式は理解できたようで、今後は打ち合わせを重ねつつ、製作を進めていこうということで話はまとまった。
とはいえ、マンガのストーリーなどについてはエリーゼへ一任。オレたちは客観的に内容が面白いか、将棋のルールがおかしいものでないかだけを判断することになっている。
某テニスマンガのように、突如として五感が奪われたりとか、駒が相手の体めがけて飛んでいき、対局者を絶命させるような展開などは避けておきたい。アレはアレで面白いんだけどね。
将棋の布教も目的のひとつなのだ。やるからには正統派で攻めたいと思う。
***
……で、ここからは余談になるんだけど。
きっかけは内容が話がまとまったあとのエリーゼの発言で。
「わ、ワタシ、紙を使った原稿を描くのは初めてなので、ものすごくドキドキしてます!」
その言葉の意味がわからず、オレは首を傾げてしまった。
紙の原稿を描いている光景なら、カフェで何度となく目撃していたからである。
ソフィアをはじめとする同人作家たちが、黙々と原稿に取り掛かっていたし、同人誌の形式もメッセージボールから紙の本へ切り替わったんだろうなと思い込んでいたんだけど。
参考資料として手渡されたのは紙の本じゃなくて、メッセージボールと再生装置だし、おかしいとは思っていたのだ。
「誤解ですっ。紙は相変わらず高価ですし、とてもじゃないけど手が出せませんよ」
慌てたように否定するエリーゼ。ん? じゃあ、カフェで魔道士連中が書き込んでいたやつはなんなのさ?
「魔法道具の一種ですね。ワタシたちは『転写の巻物』って読んでますけど」
話を聞いてみると、『転写の巻物』はペンタブみたいなものだそうで、魔力を込めたペンで書き込んだものを、直接、メッセージボールへ転送することができるそうで。
それらを使い、メッセージボールの中だけで同人誌を完成させるらしい。
形は違えど、現代でいうデジタルでの原稿作業とほとんど変わらないんだなとつくづく感心する。
ていうかさ、そんな便利なものがあるんだったら、将棋マンガもメッセージボールで作ればよくないか?
紙の価格は高いんだし、その分、費用がかかるだろ。
「再生装置の起動には魔力が必要になるからな。せっかくだ、誰でも手軽に読めるものを作ろうじゃねえか」
再生装置を動かしながらクラウスが口を開いた。バッテリー内蔵のタブレットで読む電子書籍みたいなもんか。
「それはよくわかんねえけど。ま、金なら気にするなよ。将棋が広まるなら、いくらでも投資してやるさ」
足りないようならジークのおっさんにも金を出させればいい。ハイエルフの前国王はそう続けて、ケラケラと笑った。
「それにだ。マンガを作ることで需要が高まれば、自ずと紙の供給量も増えていくだろ」
「そんなもんか?」
「商人共はたくましいからな。儲かるものがあるならすぐに飛びつくよ。その内、紙の価格も自然と下がっていくだろうさ」
「そんなにうまくいくかなあ」
「問題ないって。心配すんなよ」
再生装置をテーブルへ戻し、クラウスはオレに向き直る。
「いざとなったら、紙を作る専用の工房を俺が立ち上げてやる」
「……マジで?」
「大マジだとも。この領地にどでかい工房作るからな。建設はお前に任せるぜ」
新たな産業が増えるだけでなく、交易品も増える。いいことずくめじゃねえかとクラウスは笑った。
将棋の布教。ただそれだけの目的にも関わらず、話の規模が大きくなっていくような……。
しまいには将棋の国まで作りそうな予感がするもんな。「国民の主食はから揚げだー!」とか、本当にやっちゃいそうだし。
そうならないよう、適度のところでストップをかけよう、うん。
***
金はいくらかかってもいい!! 俺が全部出す!!
……クラウスはそう言ったものの、協力したのに一銭も出さないというのはいかがなものかと考えたオレは、できる限りの出資を申し出た。
「ありがたい話だけどよ。領地の財務に負担はかけられねえだろ。どうすんだ?」
困惑する顔を浮かべるクラウスへ、オレはとある物体を取り出してみせる。
ピンポン球ぐらいのいびつな塊に、瑠璃色が眩しいほど輝いているそれには、ハイエルフの前国王も見覚えがあるようだ。
驚きの眼差しでまじまじと眺めやり、ため息混じりに口を開いた。
「驚いた……。妖精鉱石じゃんか、しかも上等なヤツ。どうしたんだ、これ?」
鉱石探しの達人であるロロを始め、妖精達が頻繁に持ってきてくれるこの塊については、交易に出すかどうかをずっと悩んでいたのだ。
交易に出して出処が知られてしまい、結果としてならず者たちが押し寄せてくるような事態になっても困る。
宝石商を営んでいるファビアンへ売却しようと考えたこともあったが、売ったら売ったで、定期的にある程度まとまった量を譲ってほしいと言い出されるかも知れないし。
そんなわけで、倉庫の奥深くへ厳重に保管していたものの、気がつけば五十個近い妖精鉱石が溜まっていたのである。
クラウスなら信用できる取引相手を知っているだろう。売却した金はそのままマンガ製作に使ってもらいたい。
話はわかったと頷いたクラウスは「これは期待に応えないとな」と、真剣な顔つきで応じてみせた。
「商会も立ち上げないといけないし、ますます忙しくなるぞ」
「それは結構なことだけど。商会はどこに作るんだ? ハイエルフの国とか?」
「いやいや。マンガを描くやつらはここにいるんだし、この土地でいいんじゃね? 確か、来賓邸の近くに空き家があったろ? ボロいやつ」
「ボロいって……。一応、オレの前の家なんだけど」
「そうなのか? わりぃわりぃ。倉庫かなんかだと思ってた」
悪びれもせずに笑うクラウス。確かに、今や倉庫みたいなもんだけどさ。ボロくても愛着はあるんだよ?
「悪かったって。愛着があるのはわかったからさ、あそこ貸してくれよ」
「あそこを商会にするのか?」
「おう。ついでにオレも住まわせてもらうわ。改めてよろしく頼むぜ!」
有無を言わさず、オレの背中をバシバシ叩くハイエルフの前国王。
ジークフリートもそうだけど、偉い人というのはなんでこうも強引に話を進めようとするのだろうか。
……ま、なにか言ったところで聞いてくれそうもないし、旧家屋を大事に使ってくれるなら文句はない。
諦めて大きくため息をつくオレへ、クラウスはこんなことを言い出した。
「そうなるとだ。商会の名前を考えないとな」
「商会の名前?」
「おう。俺とお前との共同出資になるんだ。いい名前を頼むぜ」
そんなことを突然言われてもなあ。ネーミングなんぞいきなり思いつくはずがない。
「ん〜……。例えばだけど、お前の元いた世界では、マンガを出す商会のことをなんて呼ぶんだ?」
「……え? あー……。出版社、かなあ?」
「出版社……。いいじゃん、カッコいい響きだな、出版社って!」
言葉の響きが気に入ったのか、クラウスは何度も頷きながら、出版社、出版社と呟き、それから閃いたように表情を明るくさせた。
「よし、それじゃあ、ここの地名を入れて『黒の樹海出版社』って名前にしようぜ! どうだ!? カッコいいだろ!?」
……そこはかとなく厨二病感漂ってるなとは思ったものの、そんなことを言えるはずもなく。
恐らく異世界初となるであろう、マンガ専門の商会はこうして設立されたのだった。
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