151.米と香辛料
約束通り戻ってきたぜと口にしながら、執務室のソファへ腰掛けたクラウスは、部屋まで案内した戦闘メイドに屈託のない笑顔を向けた。
「ありがとな、カミラ。あ、俺がここにいるのは他のみんなには黙っていてくれよ?」
「かしこまりました。ただいまお茶をお持ちいたします」
一礼して立ち去るカミラを見やってから、オレはクラウスの対面へと腰を下ろす。
「カミラのこと知ってるのか?」
「まあな。ゲオルクのおっさんの家で何度か会ってるし」
「それにしても、旅から戻ってくるのが早かったな。てっきり、もっと時間が掛かるもんだと思ってた」
「ああ。今回は人間族の国だけが目的だったからな」
「人間族の国っていうと、連合王国と帝国ってことか。何でその二カ国だけが目的だったんだ?」
「酷ぇなあ。お前の頼みを叶えるために決まってんじゃねえか」
空中へ魔法のバッグを出現させたクラウスは、その中から小さな布袋を取り出して、テーブルの上に放り投げた。
「ほい、お前のリクエストはこれだろ?」
布袋の中には薄茶色をした細長い実が詰まっており、見覚えのある懐かしい形状に驚いたオレは、思わずクラウスの顔を見やった。
反応を楽しむように、ニカっと笑うハイエルフの前国王。オレは再び視線を落とし、生つばを飲み込むと、布袋の中から数粒を手に取ってまじまじと観察する。
日本にいた頃と多少形は異なるものの、全体を
「米だ……」
「お。やっぱり当たりだったか」
「どこでこれを?」
「だから、人間族の国だって言ってるだろ?」
クラウス曰く、オレから米の特徴を聞いた際、その穀物に該当するものの記憶がないと考えたそうで。
それならば、あまり通い慣れてない土地の方が発見できる可能性は高いんじゃないかと、連合王国と帝国の二カ国に探索を絞ったらしい。
「探し回った結果、連合王国の外れにある寒村でゲットってワケだ」
「米を栽培している村があるのか」
「いや、それがそうでもねえんだわ」
「?」
「土壌が悪いようでな。主食にするほど量が収穫できないんだと」
その寒村では先祖代々から伝わる穀物として、絶やしてはならないと米の栽培を続けていたものの、土壌の悪化に伴い、年々、収穫量は減少していく一方で。
おまけに昨年は作物の疫病も相まって、村では食糧難が発生。これを機に米の栽培を止めて、厳しい土壌でも育つイモ類に切り替えようとしていた、と。
「ま、厳しい土壌って言ってたけどよ。俺が見たところ、単に栄養不足なだけだったわ。肥料が足りてねえんだな」
性質を改善するための知識を教え、畑仕事を手伝った礼として、種籾を分けてもらったそうだ。
「あの分なら、米の栽培は続けられるだろうな。ま、食うに困ってるみたいだから、結局イモに切り替えるかもしんねえけど」
「そうか……」
「で? ここでも育ちそうか、それ?」
話題を切り替えるように、身を乗り出したクラウスはオレの顔を覗き込む。
「ああ。試してみないと何とも言えないけど、多分大丈夫だと思う」
「そりゃ良かった。から揚げと一緒に食うのを楽しみにしてるんだ。期待してるぜ」
銀色の長い長髪をかきあげたハイエルフの前国王は、バッグから更に布袋を取り出した。
「そうそう。あとこれもお土産な」
次々にテーブルへ放り投げられていく布袋は、全部で三十個はあるだろうか。
かすかに漏れ出す独特の香りから、オレはその中身が香辛料であることに気がついた。
「どれが目当てかわかんなかったからよ。まとめて買ってみた」
「こんなにたくさん! これも連合王国で?」
「半分はな。残り半分は帝国だ」
人間族の国は香辛料が育ちやすい地域なのだろうか。色とりどりのスパイス類は見ているだけで楽しい。
「小分けは面倒くせえから、ひと袋にまとめてくれよって言ったんだけどな。とんでもないって商人から止められちまった」
ハハハと笑うクラウス。この前の種子と同じ過ちを繰り返さなかっただけでも、商人に感謝したいところだ。
「これだけあれば、カレーってやつが作れるんじゃねえか?」
「そうだな。色々試してみるから、期待しておいてくれよ」
なにはともあれカレー作りを試すよりも先に、まずは労をねぎわなければと、その日の夕飯に山盛りのから揚げを用意したのだが。
クラウスはそれで満足してしまったようで、礼は特にいらないと固辞されてしまった。
安上がりで申し訳ないけど、本人は満足そうだし……。まあ、良しとするか。
***
夕食後、来賓邸に場所を移したオレたちは、将棋盤に向かい合って対局を交わしていた。
「ジークのおっさんが来たら、タスクを独占されるかも知れねえしな。今のうちに楽しもうぜ」
桜が咲いたことで花見をすると知ったクラウスはそう言って、オレを将棋に誘うのだった。
「オレがやった種子からあんな花が咲くとはねえ? 異邦人っていうのは面白え能力を使うよなあ」
「狙ってできるもんじゃないっての。元いた世界の桜とは別物だし」
「細かいことは別にいいんじゃね? あんだけ綺麗でみんなも喜んでるだろ。それで十分じゃねえか」
先手となったクラウスが歩兵の駒を手に取り、前へ進める。パチリという小気味のいい音を耳にしながら、オレも同じように歩兵を前に進めた。
「連合王国と帝国はどんな様子だったんだ?」
「……ん? ああ。戦争が終わった後の国はどこも似たようなもんさ。悲惨の一言に尽きるな」
「そうか……」
「特に一般庶民は苦しい生活を送っているよ。帝国なんざ賠償金の支払いをするために、更に重税を課したみたいだしな。あちらこちらで不満の声ばっかりさ」
体制が大きく変わるのは、こういう時なんだよなあと、ぼそりと続く呟きに、オレはクラウスの顔を見やった。
「クーデターが起きるとか?」
「わかんね。いい指導者がいればあるいはって話だけど。そこまで帝国の内情に詳しくねえし」
「ふうん」
「それよりも、だ」
頭の後ろで両手を組みつつ、クラウスは身体をのけぞらせる。
「食うに困っている状態だと、娯楽なんか二の次だからな。将棋の布教をしようにも、それどころじゃないってのが実に厳しい」
「布教って……。将棋を広めようとしてたのか?」
「あったり前だろ? ただ単に米だけ探すってのはもったいないからな」
当然とばかりに声を上げるも、一瞬の後に表情を曇らせ、クラウスは大きなため息をついた。
「……いや。食うに困るとかは関係ねえな……。ハイエルフの国だろうと、龍人族の国だろうと、将棋は浸透してねえからよ……」
「確かに、敷居は高いかもなあ。頭使うし」
「なあ、タスク。お前が暮らしていた国は、将棋が流行ってたんだろ? どんな感じで広めたんだ?」
「流行っていたってのは語弊があるな。プロ組織はあるけど、メジャーかって聞かれたら微妙なところだし」
なんだよ……といじけてしまうハイエルフの前国王。なんとかフォローするべく、オレは考えを巡らせた。
「……あっ。でも、みんな親しみやすさは感じていると思うぞ? 将棋を題材にしたマンガもいっぱいあるし」
『3月の○イオン』とか『月下の○士』とか、将棋のマンガは名作揃いだし。将棋をやらない人でも、ある程度の知識はあるはずだ。
しかしながら、オレのその言葉にクラウスはキョトンとした顔を浮かべている。
なにか変なことでも言ったかなと戸惑ったものの、その疑問はすぐに解けた。
「マンガって何だ?」
「マンガはマンガだよ。コミックともいうけど」
「だから何だよ、それ」
最初は冗談かと思っていたのだが、どうやらハイエルフの前国王はマンガについての知識がないようだ。
書物が流通しているので、マンガも一般的だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。以前目にしたエリーゼたちの作る同人誌は特殊なようだ。
そういや書籍類は知的財産として国が管轄しているんだったなということを思い出したオレは、マンガがどのようなものかを説明する。
「――ふうん。なるほど、要は
イラストに文章を加えたものとして理解したのか、クラウスは何度も頷き、そしてこんなことを言い出した。
「将棋を広めるのにうってつけだな、それ」
「……はい?」
「だからさ、将棋のマンガを作って、大陸中に配るんだよ! 物語性が加わったイラストなら、年齢性別種族問わず、みんな楽しんでくれるだろ!? 将棋の普及もできるし、一石二鳥じゃねえか!」
言ってることはわかるし、難しい解説書よりかは手にとって貰いやすいだろうけど……。
「誰が作るんだ、そのマンガ?」
根本的かつ重要な問題点を指摘すると、クラウスは首を傾げる。
「え? 異邦人はみんな、マンガ作れるんじゃないのか?」
「できるわけないだろ。それにオレは、元いた世界では画伯って呼ばれてたぐらいなんだ。とてもじゃないけどマンガなんか描ける訳がない」
「画伯って呼ばれるぐらいなら、絵を描くのだって上手いんじゃ?」
「常人には理解できない、ハチャメチャな絵を描くやつのことをバカにする別称としても使われるんだよ」
何が悲しくて、自分の画力のなさについての解説をしなきゃならんのだ……。
「クラウスは誤解してるだろうけどさ、作ろうと思って、すぐにできるような代物でもないからな、マンガって」
「そう、なのか?」
「そうだよ。絵を描くのが上手な人でも、身を削る思いで、魂を込めて創作活動に取り組んでいるんだから。膨大な労力と時間がかかるものなんだって」
マンガというものが一般的でないこの世界なら尚更だろう。手慣れた人がいるなら、多少は事情が違ったかもしれないけどさ。
……と、そんなことを思いながらも、エリーゼたちならいけるかも知れないと考えたオレは、ハイエルフの前国王へある提案を持ちかけることにした。
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