87.ハーフフットの難民
全員が全員ボロボロの衣服をまとい、乾いた血と土埃にまみれたその姿は見るも無惨で、想像を絶するような凄惨な場所から逃げてきたのだろうという事を想像させた。
「……難民か」
並び立つジークフリートがぽつりと呟き、アイラは同意した。
「そうじゃ。連合王国の北部にある、海辺の村から逃げ出してきたらしい」
「そんな遠くからか……。よく無事で」
ゲオルクが苦渋の面持ちでハーフフットたちを眺めやっている。難民、か。日本にいた頃にはニュースでしか知りようのない、遠い海外での出来事だと思っていたけれど。
……いや、いかんいかん。考え事は後だ、この人たちの手当を優先しなければ。
「とにかく、まずは休んでもらおう。集会所と来賓邸の二手に分けて案内してくれ」
同時に食事と風呂を用意すること、けが人や病人がいるならリアとクラーラに処置を任せるように指示を出すと、途端に領地内は慌ただしくなった。
詳しい事情を聞くのは後回しである。救護の手助けへ向かうため、踵を返そうと思った矢先、ジークフリートから呼び止められた。
「ワシとゲオルクは一旦城へ戻る。物資などはすぐに手配するので安心してくれ」
「ありがとうございます。助かります」
「遠慮は無用だ。ではまた後でな」
ドラゴンに姿を変え、猛スピードで飛び去っていく二人を見送ってから、オレは大わらわになっている救護の輪に加わるのだった。
***
今回に限らず、不測の事態が起こった場合、何かしらのマニュアルを用意しておいた方がいいのかも知れない。ふとそんなことを考えたのは、みんなの能力をキチンと把握していなかったため、場当たり的な対応になってしまったことにある。
まず、リアとクラーラに医療班を任せたものの、相手は百人規模の集団だ。流石に二人だけでは酷ということになり。
人手不足を賄うため、魔道士たちに回復魔法を頼もうと思っていたところ、すまなそうな顔でグレイスが一言。
「大変申し上げにくいのですが……。我々は回復魔法の類いを扱えないのです……」
何でも、扱える魔法には相性というものがあるそうで、ソフィアやグレイスたち全員揃って、回復魔法との相性が絶望的に悪いらしい。
想定外の返答にどうしたものかと頭を悩ませている最中、名乗りを上げたのがベルとエリーゼだった。ダークエルフもハイエルフも、精霊魔法を使った回復術があるとのことで、
「ウチらにまっかせて☆ 『痛いの痛いの、
「ワ、ワタシも、詠唱時間は長くなっちゃいますけど、精一杯ガンバリます!!」
という、それぞれの力強い言葉を頼もしく思いながら、エリーゼが抜けたことで、今度は食事担当の主力がいなくなってしまったことに気付き。
慌ててロルフたち翼人族と魔道士たちを引き連れ、オレは食事の準備に取り掛かるのだった。うーむ、明らかに後手後手に回ってしまっているな……。
洞窟への探索隊に加わったメンバーには、引き続きハーフフットたちの面倒を見てもらうことにする。少しでも見知った顔がいれば、知らない土地でも安心できるだろうしな。
ガイアたちワーウルフには連絡係を任せることに。なにか緊急の要件や異常があった場合、すぐに知らせるようにと伝えておく。
そんなこんなでハーフフットたちの胃袋を満たすべく、ひたすら調理場で格闘し、汗だくになりながら鍋を振るい続けることしばらく。
「タスク殿! ジークフリート様たちがお戻りですぞ!」
ガイアからの知らせが耳に飛び込んで来る頃には、すでに四時間が経過していた。
***
自宅のリビングではジークフリートとゲオルクに加え、いつの間にかやってきていたアルフレッドがテーブルを囲むように腰掛けている。
「不測の事態だからな。
「お気遣いありがとうございます」
隣の集会所から外へ出て、まず目にしたのは、ジークフリートが手配したであろう龍人族の衛生兵たちだった。
ぱっと見ただけで、三十人近くはいるだろうか。わずかな時間にも関わらず、この手厚い配慮には頭が下がる。
一休みがてらお茶を入れテーブルへ並べていると、ゲオルクから声が掛かった。
「タスク君、疲れただろう。お茶なんていいから、君も休みたまえ」
「いえいえ。これもいい息抜きになりますから」
「やれやれ、ハヤトといいおぬしといい、異邦人は妙なところで働き者だな。まあ、それはともかくだ」
オレが椅子へ腰掛けるのを待ってから、ジークフリートは続けた。
「衛生兵から報告を受けた。ハーフフットたちから事情を聞いたそうだ」
情報をまとめると、ハーフフットたちがここまでやってきたのは次のような理由だそうだ。
約一ヶ月前、突然の宣戦布告と共に戦端を開いた帝国は、連合王国との国境に面する街へ次々と侵攻していった。
連合王国北部、ハーフフットたちが暮らす海辺の村もその標的のひとつとなり、帝国兵たちによって破壊と略奪の被害に遭ってしまう。
ハーフフットたちも次々と捕らえられ、彼ら自身殺されてしまうと覚悟していたらしいのだが。寸前のところで、帝国軍の将官の手により解放されることとなった。
「……帝国の将官はどうして彼らを解放したのでしょう?」
耳を傾けていたアルフレッドが首を傾げる。
「人間族の間では、ハーフフットたちは労働階級として酷使されています。……こういうことはあまり言いたくないのですが、帝国でも人的資源として利用できたはずでは?」
「労働階級?」
「人間どもが聞こえの良いように言っているに過ぎん。結局は奴隷のようなものだな」
「どっ……」
そうか……。こういう世界だから、いても不思議ではないと想像していたとはいえ、実際に存在を明確にしてしまうと、喉の奥から苦い物がこみ上げてくるな……。
たまらず、口元にお茶を運ぶ。腕組みをしたジークフリートは、背もたれへもたれ掛かった。
「なぜ見逃したのかはわからん。上からの命令なのか、将官の判断なのか」
命からがら村から立ち去ったハーフフットたちだったが、彼らには帰る場所がない。そこで新天地を求め、開明的で善政と評判の龍人族の国を目指すことにしたという。
「ほぼ大陸を縦断するようなものだな。彼らの足なら二ヶ月はかかると思うが……」
「獣人族の国に入った途端、国外退去を命じられたそうだ。強制的に馬車へ押し込められ、ハイエルフの国との国境へ送られたらしい。つまるところ、追放処分だな」
ゲオルクの問いかけに、ジークフリートは冷めた様子で応じる。
「獣人族も他民族に対しては排他的だ。とはいえ、軋轢のある人間族の国へ送り返す義理もなかったのだろう。エルフたちへ押しつけてしまおうと考えたのではないか」
しかしながら、国境沿いに暮らすハイエルフたちからも逃走の助けは得られず。彼らは龍人族の国への最短ルートを目指そうとひたすら南下を続け、ようやくアイラたちと遭遇することができたそうだ。
そして出発時には百五十人を超える集団が、ここへたどり着くまでに、三分の二にまで減ってしまったらしい。
「言葉がないですね……」
「そうさな。戦争で犠牲になるのは常に弱者だ。権力者はそのことに気付こうともせんがな」
重苦しい沈黙がリビングを包み込もうとした瞬間、玄関をノックする音が聞こえた。
「失礼します。ジークフリート様、タスク様」
「どうしたんだ、ロルフ?」
「はい。ハーフフットの代表たちが、お礼を述べたいと」
お連れしてもよろしいでしょうかと続く言葉に、オレたちは頷いて応じた。
***
ロルフに連れられてやってきたのは三人のハーフフットで、一人が長老格、側に控える二人の若者は護衛といった印象を受ける。
身長はせいぜい一メートル程度だろうか。身なりを整えて頭を下げるハーフフットたちを眺めやっていると、頭を上げよというジークフリートの声に続いて、ロルフが三人へ声を掛けた。
「こちらは龍人族の国王、ジークフリート様であらせられます。くれぐれも失礼のないよう」
さらに深々と頭を下げる三人に、ジークフリートが笑いかける。
「そうかしこまらなくとも良い。それよりも、道中、気が休まることもなかったであろう。ゆっくりと傷を癒すがいい」
「ご配慮痛み入ります……。賢龍王様とはつゆ知らず、ご無礼をお許し下さい……」
ゆっくりと頭を上げた長老たちは、すっかりと恐縮しているようだ。
「何より、この度は危険なところをお助けいただき、本当にありがとうございました……。種族を代表しまして、御礼を申し上げます」
「構わぬ。むしろ礼ならこやつに言うといい。おぬしたちを直接助けたのは、こやつの部下だからな」
部屋中の視線がオレに集中する。こういうやり取り苦手だし、王様もいるから回避できると思っていたんだけどなあ。
「こちらのお方は……」
「こちらはこの一帯を治められる領主であり、龍人族リア王女の夫君でもある、タスク男爵であらせられます」
「それはそれは……。この度は誠にありがとうございました……」
深々と頭を下げられるものの、オレとしては王様よりも長いロルフの紹介が気になって仕方ない。
なんというか、こっちの世界では立場とか肩書きとか、そういうのいちいち説明しないとダメなのかなあとか、そんなことを考えていると、隣に座るアルフレッドがしきりに肘打ちしてくるのがわかった。
「タスクさん……。お言葉を掛けてあげて下さい……」
「へ?」
「そうしないと、あの人たち、ずっと頭を下げたままですので……」
耳打ちするアルフレッドに慌てて口を開くも、そこへ助け船を出してくれたのは聞き慣れた豪快な笑い声だった。
「ガッハッハ!! おぬしら、もう頭を上げても良いぞ?」
「はっ……」
「いやいや、すまぬな。こやつは領主として日も浅く、そして何より、この世界に不慣れなものでのぉ」
助かった……っていうか、フォローしてくれてありがとうございます王様。こういう礼儀作法も覚えないといけないよなあ。
ハーフフットたちにも申し訳ないなあと思い視線を向けると、長老の側に控える二人の若者が何やらヒソヒソと言葉を交わし合っているのがわかる。
「失礼ですが……。この世界に不慣れ、とは……?」
「うむ。ここにいるタスクはな、ワシの自慢の息子なのだが、驚くなかれ、異邦人でもあってな!」
ジークフリートがそう言った途端、二人が怯えたような眼差しをオレに向けたのがわかった。……え? なんで?
そして再び何やら言葉を交わし合っている。たしなめるように長老が口を開いた。
「陛下の御前だぞ! 口を慎まんか!」
「よい。何かあるなら遠慮無く申せ。ワシが許す」
ジークフリートに促された若者たちは、しきりにオレを気にしながら、言葉を選ぶようにして呟いた。
「真偽の程は定かではないのですが……。帝国兵が攻め込んで来た時に、とある噂を耳にしまして」
「ほう? 噂?」
「はい……? その……。この度の戦争のことなのですが……」
「ええと……。つまりその……、帝国に、ですね」
やがてふたりは呼吸を整え、意を決したように言葉を続ける。
「帝国に異邦人が現れたことが、この度の戦争が始まった原因らしいのです」
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