80.結婚式(前編)
白パンにオムレツ、チキンと野菜のスープ、デザートにフルーツという、オレの手作りによる朝食は、幸いにもジークフリートとゲオルクを満足させられたようだ。
ひとりだけの朝食だったらパンだけで済ませるところなんだけど、来客が二人、しかも義理の父親で国王が混じってるとなれば、相当に気を遣う。
ほっと胸をなで下ろしつつ、ゲオルクが淹れてくれた食後の紅茶を楽しんでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します。タスク様、そろそろご準備を」
部屋に入るなり、王様とゲオルクへうやうやしく頭を下げた翼人族のロルフはそう言って、持ってきたタキシードをオレに差し出した。
「着替え終わったら奥様方をお迎えに行っていただきます。僭越ながら、私がお供を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
「ありがとう、ロルフ。こちらこそ、よろしくお願いするよ」
息子よ、また後で会おうというジークフリートの言葉に頷きながら、オレは着替えのために二階の寝室へ向かうのだった。
***
着慣れないタキシードを全身にまとい、来賓邸の玄関から一歩外に出た瞬間、驚きの光景がそこに待ち受けていた。
自宅へ続く道のりへ、深紅の絨毯が真っ直ぐに敷き詰められていたのだ。絨毯の両脇には色とりどりの花がちりばめられており、絢爛さがより際立っている。
「『加護の道』と呼ばれる、結婚式に不可欠なものなのですよ」
呆気にとられるオレを見やりながら、ロルフは微笑みを浮かべた。新郎はこの道を通ることで精霊からの加護を受け、災いを遠ざけることができるそうだ。
そして心身共に清い状態になってから、新婦を迎えに行くらしい。へえ~、バージンロードとは違うんだなあ。なかなかに興味深い風習だ。
「できるだけゆっくりと歩みを進めて下さい。普段歩く速度の半分程度をイメージしていただけると」
それはいいんだけど……。ゆっくり歩くだけなのに、何というか緊張するもんだね。
「あれ? そういえばみんなの姿が見えないけど……?」
普通、こういう場は挙式に出席する人たちが見守るものだと思っていたので、領地が異常なまでに静かなことが気になってしまう。
「皆さんでしたら、すでに集会所でお待ちですよ。挙式前のこのような儀式は、なるべく人の目が触れないよう行われるのがしきたりですので」
そういうものなのか。世界が変われば風習も変わるもんなんだなあとしみじみ思いつつ、深呼吸をひとつして気持ちを整えてから、オレは深紅の絨毯へ第一歩を踏み出した。
***
自宅まではわずかな距離の上、ただゆっくり歩くだけだというのに、緊張のせいか、やけに疲れを感じる。
絨毯の外にはロルフが付き従っているので、問題があればすぐに言ってくれることはわかっているんだけど……。
一世一代の晴れ舞台。どうせならカッコよく決めたい思いが強い。そう考えながら自宅の玄関まで足を伸ばすと、そこに待ち構えていたのは鮮やかなドレスに身を包んだクラーラの姿だった。
「……何だか、随分お疲れのようだけど……。大丈夫なの?」
オレの顔を見るなり呆れたような表情を浮かべたクラーラは、軽く肩をすくめる。
「挙式はこれからだというのに……。しっかりしてよね、新郎サマ」
「わかってるって。慣れない速度で歩いてきたもんだから、ちょっと疲れただけだよ」
「ならいいけど」
玄関脇に立つクラーラはドアを指し示して続けた。
「中ですでに新婦たちがお待ちよ。ここからが本番なんだから」
「わかってるって」
「新婦様を迎えられましたら、今度はこの白い絨毯の上を歩いていただきます」
ロルフの声に横を見ると、真っ白な絨毯が隣接する集会所まで伸びている。
「『無垢の道』と呼ばれる物です。穢れの無い状態で、挙式に臨んでいただくための道となっております」
すぐ側で我々が控えますのでご安心下さいというロルフとクラーラに礼を述べ、オレは四人が待ち受ける自宅の扉を開いた。
***
住み慣れていたはずのリビングスペースには、見慣れない色とりどりの花が飾り付けられ、床には『無垢の道』と同様、真っ白な絨毯が敷かれている。
いつもなら明るく元気な声が飛び交っている憩いの場なんだけど。今日に限っては、その声の主たちも大人しい。
美しい、純白のウェディングドレスに身を包みんだ四人の花嫁は、ほのかに頬を染め、オレを真っ直ぐに見つめている。
どのぐらい経っただろうか。息を飲む光景に時間を忘れていると、しびれを切らしたように花嫁のひとりが口を開いた。
「ねえ、タックン……? 黙ったままで感想はないの?」
灰色の長い髪と褐色の肌が美しい長身のダークエルフは、紅の瞳を不安そうにさせている。
「……っ、悪い! ぼーっとしてた!」
「もぅ☆ しっかりしてよねっ!」
拗ねた口調で少しいじけた様子のベルに、オレは間髪入れず呟いた。
「綺麗だ」
「……っ!!」
「いや、ゴメン。他になんかいい言葉が思いつけばいいんだけど……。本当に四人とも綺麗だよ」
陳腐な褒め言葉だという自覚はあるんだけど、冗談抜きでそれ以外に言葉が思いつかない。今、この瞬間、これ以上美しい物はこの世に存在しないだろうということを本気で考えながら、オレは四人のことを眺めやった。
「エヘヘヘ……。て、照れちゃいますね……」
ウソみたいに顔を真っ赤にしてうつむいてしまったベルに変わり、口を開いたのはエリーゼだった。
いつものような三つ編みではなく、ブロンド色のロングヘアはストレートになっていて、きらびやかな髪飾りを付けている。
ふくよかな体型にゆったりしたドレスをまとったハイエルフは、いつもと変わらぬ優しい笑顔を浮かべながら、感慨深そうに続けた。
「こ、こんな綺麗なドレスを着て、結婚式ができるなんて……。わ、ワタシ、夢のようで……」
「ボクもです!!」
続けて声を上げたのはリアだった。
「小さい時からずっと、ずぅ~~~~っと憧れていた、異邦人の方と結婚できる日が来るなんて……」
淡い桜色のショートボブを軽く揺らし、中性的な美しい顔を上気させた龍人族の国の王女は、我に返ったのか、慌てたように身振り手振りを交えながら弁解を始めた。
「あっ!? いえっ! 憧れていたのが異邦人の方だったというお話しでっ! ボクが好きなのはタスクさんですからねっ!!!」
「大丈夫、ちゃんとわかってるよ」
ほっと胸をなで下ろしているリアを微笑ましく眺めながら、オレはずっとうつむいたままの花嫁に視線を向けた。
「どうしたんだ、アイラ。さっきから黙ったままだけど」
アイラのことだから、いの一番に「フッフーン! どうじゃ、タスク? 似合っているであろう? 存分に惚れ直したか? そうかそうか」みたいなノリで、着飾った自分を自慢しに来ると思っていたんだけどな。
事情を知っているのか、他の三人は苦笑交じりで次々と声を上げた。
「せっかくベルさんがドレスを作ってくれたんですけど……。やっぱり自分は着ないと、ついさっきまで駄々をこねてまして……」
「着ないとタスクさんと結婚できないですよって、無理矢理言い聞かせたんですけど……」
「ウチらがカワイイって言ってるのに、アイラっち、『そんなのウソじゃ』とか言うんだよ? 酷くない?」
……はあ、やれやれ、手間の掛かる三毛猫姫だな、まったく。
すっかりと伏せてしまったままの猫耳と、尻尾をだらんとたれ下げたままのアイラの前へオレは足を進めた。
「ふ、フン……。わかっておるのじゃ……、私にこんな格好など似合わぬ事ぐらい」
「何だよ、アイラ。柄にもなく、そんなこと考えてたのか?」
「悪かったの……。どうせ、おぬしだってそう思ってるんじゃろ?」
「あのなあ、アイラ。よく聞けよ……?」
恐る恐るという表現がしっくりくる、未だかつて無いほどの不安を顔に浮かばせたアイラは、今にも泣き出しそうな翡翠色の瞳でオレを見ている。
だからオレは、その大きな瞳をしっかりと見据えて、真剣な表情で言ってやった。
「今まで見たアイラの中で一番綺麗だ」
「っ!」
「まあ、なんだな。いつもの着飾ってないアイラも十分に可愛らしいが。こうやって着飾っているアイラもいいもんだな。目の保養になる」
「……ほ、本当か?」
「ウソ言ってどうするんだよ。普段から、散々、自分のことを美しいだなんだいってるじゃっ……っぷ!?」
言い終える前に胸元へ飛び込んできたアイラは、オレの背中に腕を回し、ぎゅうっと強く抱きしめたまま猫耳をぴょこぴょこ動かしている。
「お、おぬしにヘンだと思われたらどうしようかと不安で……」
「そんなこと思うはずないだろ? アイラは元から十分カワイイのに」
「そ、そうかの?」
「そうだよ。まったく妙な心配するなよなあ」
「何をぅ! 私はおぬしに嫌われたらと不安で……!」
「オレがお前を嫌いになるわけないだろ? まったく……」
栗色の美しい長い髪を撫でながらアイラをなだめていると、後方から背中に刺さるような視線が。
「アイラっち、ズルーい!!!」
「そ、そうですよ、アイラさんっ! 抜け駆けは禁止ですっ!」
「ボクだって抱きつきたいの、必死でガマンしてたのに!!」
「フッフーン。早い者勝ちじゃ。悪く思うなよぉ?」
やがて間もなく騒がしくなる我が家のリビング。結婚式前だというのに、こんなに緊張感がなくていいんだろうか……?
「あのー!! イチャついているところ悪いんですけどー!!」
突如として外から呼びかける、クラーラの大きな声が室内に響いた。
「みんなが待ってるから、さっさと準備してくれませんかねー!?」
若干の苛立ちを含んだ声に、オレたちはピタリと騒ぐのを止め、いそいそと姿勢を正した。ごもっともでございます……。
それから衣装の乱れがないかを互いに確認し合った後、オレは四人の花嫁に視線を走らせる。
「それじゃあ、行こうかみんな!」
「うむっ」
「ハ~イっ☆」
「ええ!」
「はいっ!」
それぞれの満面の笑顔をしっかりと胸に焼き付け、オレは玄関の扉に手を掛けた。
いよいよ結婚式が始まるのだ。
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