64.サキュバスと王女

 娘? いま、娘って言ったか?


「え? じゃあ親御さんとはぐれた迷子だっていうのは……」

「迷子? 迷子とは何の話だね?」


 今度はゲオルクが首を傾げたが、すぐに事情を察したのか、苦渋の面持ちでクラーラを見やっている。


「なるほど……。そんな姿へ変身しているところを見るに、またよからぬことでも考えていたな」

「変身って、どういうことです?」

「こういうことよ」


 応じるクラーラへ視線を走らせるものの、十歳にも満たない無垢な少女の姿はすでになく、代わりに視界へ捉えたのは、小悪魔的な微笑みを浮かべる、露出の多い服装をまとった少女の姿だった。


「え? クラーラ、なのか?」

「その通りよ、領主サマ。すっかり騙されちゃって、カワイイんだから」


 ウインクののち、ペロリと舌なめずりをするクラーラ。背丈など、外見は十代半ばという年頃で、アイラとさほど変わらないものの、仕草がいちいち色っぽい。


「あーあ。魅了チャームは効かないし、お父様は来ちゃうし……。せっかく計画を立てたのに失敗かあ」

「お前はまた……。むやみやたらにサキュバスの能力を悪用するなと言っているだろう!」


 魅了チャーム? 計画? それより何より、サキュバスって何だ、おい。


「えっと。ゲオルクさんの娘さん、なんですよね?」

「そうだが……」

「サキュバスっていうのは?」

「ああ。私は古龍の血を引くんだが、妻のひとりがサキュバスでね。その子は混血ハーフなのだよ」

「あー。そういう……」


 それについては納得した。龍人族とサキュバスのハーフねえ。見た目は普通の人間となんら変わんないもんだなあ。


 おっと、いけない。魅了とか計画とかの話を聞かないと。……と、そんなことを考えていたものの、ゲオルクが一足早くクラーラを問い質した。


「それで? お前はどういうつもりでタスク君に近付いたのだ?」


 返答次第では、実の娘でも容赦しないと言わんばかりの威圧感を放つゲオルク。対するクラーラは悪びれもせず、白藍色しらあいいろのショートヘアをくるくると指で弄んでいる。


「ふーんだ。私がここにきたのは、お父様とジークおじ様のせいなんだからねっ」

「私と、ジークの?」

「だってそうでしょー! 私に内緒でリアちゃんの結婚話を勝手に進めちゃうんだもん!」


 リアちゃん? 誰だそれ……?


「ジークの末娘のことだ」

「あー……。例の王女様ですか」

「娘はリアと仲が良くてね」

「仲が良いの一言で片付けないでくれる!? リアちゃんと結婚するのは、この私なんだからっ!」


 力強い宣言の後の静寂。……え? 結婚? 王女様と、このクラーラが?


 やがてゲオルクの大きなため息と共に、時間は再び動き出した。


「お前は……。まだそんな妄言を……」

「妄言なんかじゃないもん! あのねー! リアちゃんはカワイイだけじゃなくてカッコよくて爽やかで優しくて髪の毛はサラサラでさわり心地が良くていい匂いもするし抱きしめると柔らかいし控えめな胸をコンプレックスにして恥ずかしがってるところとかマジで鼻血モノだし声は穏やかで気遣いができて最高だし頭も良いのに少しもそれを鼻に掛けることがない性格とか天使なんじゃないかむしろ私だけの天使マイスウィートエンジェルとにかくリアちゃんサイコーはあはあなワケ!! わかる!?」

「……早口すぎて何ひとつわからなかったが、お前がヤバイってことだけは理解した」


 ほらご覧なさいよ、ゲオルクなんか頭を抱えちゃってるもんな。この様子では昔から王女様へ相当の執着を抱いていたに違いない。


 ……ん? もしかして……。


「あっ! 魅了が効かないとかいうの、もしかしてオレに掛けようとしてたのか!?」

「大正解っ! こんな辺境の領主がリアちゃんの結婚相手とか、マジあり得ないでしょ?」


 クラーラは肩をすくめ、吐き捨てるように続ける。


「そんなわけだから、私の魅了でだらしなくなったところを記録して、ジークおじ様とお父様へ見せつけてやろうと思ったんだけど。ぜーんぜん効かないんだもん。ほんっとつまんなーい」


 曰く、いつもなら軽く触れるだけで魅了の効果は発動されるらしい。もっとも、効果がなかったので、強く手を握りしめて魅了し続けていたそうだが。


 迷子で心細くなったから、力強く手を握りしめられたとかじゃなかったのか……。くそう、弄ばれた気分だな。我ながら、魅了を掛けられていたことに気付かない鈍さもなかなかのモノだが。


「そんなことをしても無駄だ。タスク君とリアの婚姻はすでに決まっている。覆ることなどあり得ん」


 ようやく立ち直ったのか、ゲオルクは厳格な父親の顔で娘と対峙する。


「反対はんたーい! 第一、この人、もう奥さんが三人もいるんでしょ!? これ以上相手が増える必要なんてないじゃない!」

「そんな問題は些細なことなのだよ。問題はお互いが愛し合っているかどうかなのだ」

「それなら私とリアちゃんが結婚したっていいじゃない!」

「リアがお前に抱いているのはあくまで友情だ。良くて、家族のような親愛の情だな。恋愛のそれではない」


 ぴしゃりと断言されたクラーラは反論する術を失ったのか、頬を膨らませ、見るからに拗ねた表情を浮かべている。


 こんなところで口論を続けられても困るんだよなあ。話題を転じるべく、オレはゲオルクへ問い尋ねた。


「そ、そういえば、ゲオルクさん。今日は一体どのようなご用件で?」

「おお、そうだ。このバカ娘のせいですっかり忘れていたが、ジークと一緒に来ているんだよ」

「あ。それじゃあ王様が来賓邸で待っているんですね? すぐに準備して向かいます」

「ああ、それと」


 何かを言いかけたゲオルクは、チラリとクラーラを見やってから首を横に振った。


「……いや。止めておこう。行けばわかるさ」

「はあ……」

「私はクラーラともう少し話をするつもりだ。悪いが、先に向かってくれるかな」

「了解です」


 話し合いというより、説教や親子ゲンカになりそうだしな。いたたまれないし、さっさと来賓邸へ行こう。


 作業中のベルの迷惑にならない程度でお願いしたいところだけど……。言ったところで聞いてくれないそうだしなあ。今はただ、平和な親子の交流を祈ることにしよう。


***


 来賓邸の応接室へ足を運ぶと、見慣れない人物に気がついた。


「おお、来たかタスク、待っておったぞ」


 上機嫌のジークフリートはすでに将棋盤をテーブルへ広げ、対局の準備を整えつつある。相変わらずやる気満々なのはいいんですが……。


「あの。こちらの方は……?」


 王様の後ろで直立不動のまま、微動だにしない少女を見やって、オレは問いかけた。


「ガハハハハ! 紹介しよう、ワシの末娘だ!」

「末娘。というと……」


 例の結婚相手という王女様ぁ!? いやいやいや、一緒に連れてくるとは言ってたけど、随分と不意打ちじゃないですか!


 歳は十五、六歳といったところだろうか? 淡い桜色のショートボブに中性的な美しい顔立ちが印象的で、目が合った瞬間、頬を赤く染めてうつむいてしまう。


 動きやすそうなドレスに身を包んだ王女様は、ぎこちなく頭を下げ、そして声を震わせながら自己紹介をした。


「あ、あの……。は、はじめまして。ボク……じゃなかった、ワタシはリアと、申しま……す」


 この子がクラーラが話していたリアか。なるほど、大変に可愛らしい。


「そ、その……。ボク、いえ、その、ワタシ……。今まで、ご挨拶にこられなくて」

「ああ。全然気にしてないから、大丈夫だよ。むしろ、オレに会いたくないのに、王様が無理矢理引っ張りだそうとしてるのかなって、気になっちゃってさ」

「そんなことないです!!」


 オレとしては軽く応じたつもりなのだが、返ってきたのは、身を乗り出さんばかりの勢いでまくし立てるリアの言葉だった。


「ボク、お父様からお話を聞いて以来、ずっとずーっと、タスク様のことをお慕いしていて! お目にかかりたいのに勇気が出なくて!!」


 目を丸くするオレとジークフリートに気付いたらしい。リアは顔を真っ赤にさせて、弱々しく呟いた。


「ご、ゴメンナサイ。ボク……じゃない、ワタシ、その……」

「そんなムリにワタシって言い直さなくてもいいよ?」

「え?」

「自分のことをボクって言ってたでしょ? その方が自然だったし」

「ヘン……じゃないですか?」

「どうして? カワイイと思うけど?」

「か、かわいっ!?」


 ますます顔を赤くさせるリア。その様子をニヤニヤとジークフリートが眺めている。


「こやつめ、タスクと会うからには、女らしくならねばと考えておったようでな」

「お父様!」

「普段は男らしい遊びが好きで、長い髪も動きにくいからイヤだとか言っておったのに、そなたと会うために伸ばしはじめての」

「っ~~~~~!!」


 王様の背中をバシバシ叩き、リアは無言の抗議をしている。こんな可愛らしい子にこれだけ想われるというのは光栄以外の何物でもないけど、若干照れてしまうな。


 しかしなあ、これだけの美貌なら、男女問わず人気がありそうだし、クラーラが執着するのもよくわかるというか……。


 いや、だからといって、悪巧みはいかがなモンだろうとは思うけどね、うん。未遂とはいえ、一方的に被害を被りそうになったわけだし。


 ……あれ? そういやクラーラはリアがここへ来ていることを知っているんだろうか? 知ってる上であんなことをしてきたなら、相当計画的だけど。


 その瞬間、応接室の扉が勢いよく開き、後方から猛烈な速度で駆け込んでくる人影がひとつ。


「リ~~~ア~~~ちゃ~~~んっ!!!」


 叫ぶと同時と衣服を脱ぎ捨てたクラーラは、さながら不二子ちゃんへ飛び込むルパン三世を彷彿とさせる動きで、下着姿のまま、リアに向かってダイブした。

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