63.少女の正体

 柔らかな白藍色しらあいいろのショートヘアと、可憐な白いワンピースをまとった女の子は、どこからどう見ても、樹海という場所では異質な存在に思える。


 ……もしかして、この女の子にずっと見つめられていたのだろうか? しかし何のために? というか、正直、怪しすぎる……。


 ベル曰く、不慣れな者が足を踏み入れたら死を免れないという『黒の樹海』だ。それなのに、目の前の女の子は傷一つなく、衣服にわずかな汚れすら付いていない。


 どうやってここまで辿り着いたのだろうか。当然の疑問をオレが尋ねるより前に、女の子は瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうである。


「よ、よかった……。優しそうな人がいて……」

「ど、どうした?」


 両手で顔を覆う女の子へ慌てて駆け寄る。嗚咽を漏らすか弱い声が、両手の隙間からこぼれだした。


「ひっく……。ひっく……。お、おとうさんと、おかあさんと、はぐれちゃって……」

「迷子、なのか?」


 こくりと頷く女の子。


「ひっく……。商人をやっているおとうさんが、ここに珍しい場所があるから、みんなでいこうって……」


 ……商人をやっているお父さん。アルフレッドの知り合いだろうか? それにしては樹海に子連れとか危険すぎるだろ……。


 とはいえ、女の子をこのまま放置するわけにもいかない。幸い、この子の両親の目的地はどうやらここのようだし、このまま待っていれば合流できるかもしれないな。


「なあ。よかったらだけど、ここでお父さんとお母さんを待たないか?」

「こ、ここで……?」

「そうそう。寂しいところだけど、一応、開発途中の街みたいなところだし、休めるところもあるからさ」

「い、いいの?」

「もちろん! オレの仲間にも、君のお父さんとお母さんを探すように伝えておくよ」


 ようやく泣き止んだ女の子は顔を上げる。なるべく怖がらせないようにしなければと、目線を合わせるため、その場へしゃがみこんだ。


「ほんとに? おとうさんとおかあさん、探してくれるの?」

「ああ! ちゃんと探してみせるさ。それまで安全な場所で待つことにしよう」


 オレが差し伸べた手に、小さな手が重なる。


「……あ、ありがとう。おにいちゃん」

「おにいちゃんか。何だか照れくさいな。オレはタスク。一応、ここの領主なんだ」

「タスクおにいちゃん……。あの……、私はクラーラ……」

「よろしくね、クラーラ。それじゃあ、早速、休めるところまで案内するよ」


 そういって立ち上がったものの、クラーラはオレの手を離そうとしない。一人で心細かったのだろうか? こんな小さい女の子が樹海で一人だったら、恐ろしくもなるかな。


 これ以上、寂しい思いをさせないためにも、このまま家でひとりきりにさせるわけにもいかない。


 とはいうものの、こういう事になれているであろうエリーゼは、ソフィアとグレイスと共に模写屋へ同人誌の入稿に出かけているし、ベルはアルフレッドの発注を受けて絶賛作業中、アイラは狩りのために樹海へと、女性陣は手が離せない状況だ。


 ふーむ。子供は苦手だけど、オレが面倒を見る以外、選択肢はなさそうである。そもそも、この子を発見したのはオレだしな。誰かに任せるというのも無責任な話だ。


 クラーラの歩幅にあわせて、オレは畑へと足を向けた。農作業をしているであろう魔道士たちへ一言断りを入れるためだ。


 小さな手は見た目にそぐわない強い力のまま、オレの手を握りしめている。不安を感じさせないよう、オレはその手を優しく握り返した。


***


 畑では魔道士たちが作物の収穫に追われている。原稿作業から解放されたのか、目の下のくまは目立つものの、みんな晴れやかな表情を見せている。


「あ、タスク様! お待ちしておりま……えっと、その子は?」

「うん。なんか迷子らしくてさ」

「迷子、ですか?」


 魔道士たちの視線がクラーラに集中する。この樹海で迷子とか珍しいもんな。


「ひとりにはさせられないし、この子の面倒を見ようと思うんだ。悪いんだけど、今日の作業は任せてもいいかな?」

「それは構いませんが……」

「あ。あと、この子の両親っぽい人がいたら、すぐに知らせてくれるか? どうやらここを目指している途中ではぐれたらしいんだ」

「はあ……」


 不明瞭な返事はどうも釈然としないが……。というか、みんな、何でさっきからクラーラの方ばかりを見てるんだろうか?


 こんな格好の女の子が物珍しいとはいえ、慣れない人からジロジロ見られても怖がらせるだけだろう。


 そんなわけで後はヨロシクと言い残し、オレはクラーラを連れて足早にその場を後にした。背中に魔道士たちからの視線が集まっていることに気付いたものの、振り返ることなくその場を後にする。


 お陰で、その後魔道士たちが交わし合っていた話の内容を耳にすることもなかったわけなのだが……。今考えると、もう少しその場へ留まって、魔道士たちの声に耳を傾けておいた方が正解だったのかも知れない。


「……ねえ? いま、タスク様が連れていた女の子って……」

「やっぱり、そうだよね? 領主様は気付いてなかったみたいだけど……」

「あの魔力って、独特のものだし」

「うんうん。あの子、間違いなく『サキュバス』だよ」


***


「ただいまーっと」

「お、おじゃまします……」


 誰もいないリビングをキョロキョロ見渡すクラーラ。オレはテーブルを指差し、椅子で休むように勧めた。


 ちょこんと腰掛けるクラーラは、引き続き、あちこちを眺めやっている。


「何も無いところだけど、遠慮なく休んでいれくれ」

「ここ、タスクおにいちゃんのお家?」

「そうそう。奥さんがいたら紹介したんだけど、ちょっと席を外しててさ」

「……おくさん? おにいちゃん、けっこんしてるの?」

「うん。オレにはもったいないぐらいの美人ばかりで」

「びじん、ばかり?」

「ああ、いや! なんでもない!」


 あぶないあぶない。いくら一夫多妻が当たり前の世界とはいえ、こんな小さな女の子に、奥さんが三人いるとか話したらどんなことを思われるか……。


「えーっと……。そうだ!! お菓子は好きかい?」

「え、おかし? うん! 私、甘いもの大好き!」

「そっかそっか、それならいいおやつがあるんだ」


 話題をそらすためにも、オレはキッチンへ逃げ込み、今朝作ったばかりの生菓子を取り出した。


 『七色糖』は砂糖にしても元の色が残り、それは生地に練り込んでも変質しない特性を持つ。翼人族との合作で生み出した、このイチゴのショートケーキは、生地もクリームもほんのりピンク色で、見た目も鮮やかに仕上がった。


「さあ、これをどうぞ。すっごく美味しいからさ」

「この、上に乗っている、つぶつぶの付いたモノはなぁに?」

「ああ、これはイチゴっていう、ここで取れる果物なんだ。見慣れないと思うけど、とても甘いから食べてみて」


 その一言に、クラーラは一瞬表情を曇らせ、そして何かを呟いた。


「……そう。これが、例のイチゴなのね……」

「……何か言ったか?」

「ううん! なにも!」


 無垢な笑顔がオレに向けられる。気のせいだったかと思うよりも前に、クラーラはフォークでケーキを切り取り、口元へ運び込んだ。


「……お、美味しい!!」

「それはよかった」

「こんな美味しい物、生まれて初めて食べた!」

「そっかそっか。遠慮せず、どんどん食べてな」


 瞳をキラキラと輝かせながら、夢中でショートケーキを食べ進めていくクラーラ。やっぱり、あの表情は気のせいだったか。


 しっかし、これからどうするかなー。この子の両親を探すとしても、樹海に精通してなければ厳しいだろうし、やはりここはアイラたちを待つべきだろうか。


 とはいえ、このまま二人きりで過ごすというのもなかなか気まずい。何か良い時間潰しになるようなものがあればなと思わざるを得ないのだ。


 こんなことになるなら、異世界ラノベの定番、リバーシのひとつでも作っておくべきだった。ジークフリートとの将棋に夢中で、他の遊具作りまで頭が回らなかったんだよな。


 と、その時である。玄関をノックする音がリビングの中に響いた。お客さんだろうか、それとも、もしかしてこの子の両親が見つかったのだろうか?


 淡い期待を抱きながら玄関を開けると、その場へ立っていたのは見覚えのある執事服をまとった赤毛の男性で、オレは思わず落胆の声を上げてしまう。


「なんだ、ゲオルクさんじゃないですか」

「なんだ、とは、随分な挨拶じゃないか、タスク君」

「いえいえ、スミマセン。実は迷子を預かってまして、その親御さんが迎えに来たものかと」

「迷子?」


 ええ、あの子ですけどと、指差した方向へ視線を向けるゲオルク。すると、見る見るうちにその表情は一変した。


「……ここで何してるんだ、クラーラ?」

「へ? えっと……、お知り合いのお子さんですか?」


 その問いかけに答えたのはクラーラ、なのだが……。先程までの幼い声はなりを潜め、妙に艶のある声色が、無垢な女の子の口から飛び出した。


「あら、お父様。どうしてこちらへ?」

「……は? お父様?」


 ……えーっと、ちょっと待って、理解が追いつかないんスけど……。混乱する頭のまま、慌ただしく視線を走らせるオレに、ゲオルクは呆れるような声で呟いた。


「どこで知り合ったのかはわからんが……。そこにいるクラーラは、正真正銘、私の娘だよ」

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