60.通貨と給金(前編)

「金銭については、いつか聞かれるのだろうなと思っていたのですが」


 グループの代表たちが集まる前、リビングの椅子に腰掛けたアルフレッドは、紺色のボサボサ頭をかきながら苦笑いした。


「まさかこんなに時間が掛かるものだとは思っていませんでしたよ。領主という立場なのですから、もっと財政面について考えていただかないと」

「面目ない……」

「仮に、ここへ悪徳商人が出入りしていたなら、好きなようにお金を誤魔化されていましたよ?」


 仰るとおりです……。これを売りたい、あれが欲しいばっかりで、アルフレッドに取引の一切を押しつけていたもんな。


「もっとも、何も聞かれないと言うことは、私に全幅の信頼をお寄せいただいているものだと思っていましたが」

「いや、そうなんだよ! すっかり頼りにしちゃってさ!」

「まったく調子が良いんですから……。ともかく、お任せ下さい。これまでの金銭の流れは、すべて記録してありますので」


 アルフレッドはそう言うと、空中にカバンを出現させ、中から一冊の本を取り出した。見た目に上質な紙を使っているなとわかるそれを開き、テーブルへと差し出す。


 中に書かれていたのは見覚えのある表と数字の羅列で、その記帳のやり方にオレは軽い驚きを覚えた。


「これって、いわゆる複式簿記だよな?」

「そうです。二千年前、異邦人であるハヤト様から授かった知識のひとつとして、龍人国では広く知れ渡っています」


 それまでは記帳のやり方もバラバラで、計算が合わないことが普通だったようだ。いやはや、スゴいな、ハヤトさん。ある意味、チート級の知識だぞ。こんなものまで伝え残していたのか。


 おっと、いけない。感心している場合じゃなかった。内容の説明を受けなければ。そんなわけで始まったアルフレッドの話だが、まずは龍人国で流通する貨幣から説明を受けることになった。


「龍人国の通貨ですが、アーロイス銅貨・ヒルデガルト銀貨・ジークムント金貨の三種類があります。これらは大陸中で使用できる公用通貨でもありまして、現状、最も一般的なお金ですね」

「アーロイスとか、頭に付いている名前に何か意味はあるのか?」

「龍人国の発展に大きく寄与した偉人たちの名前なのですよ。普段は、単に銅貨・銀貨・金貨と呼んでいますね」


 銅貨が百枚で銀貨一枚分、銀貨百枚で金貨一枚分という価値になるそうだ。庶民階級で主に使われるのが銅貨、商売での取引で主に使われるお金が銀貨らしい……っていわれても、ピンとこないな。


「そうですね、わかりやすく相場でご説明すると、庶民階級の主食である黒パンはひとつ当たり銅貨一枚になります」

「うちの領地で食べてる白パンだといくらになるんだ?」

「うーん、店先で売られているのをあまり見ませんが。ひとつ当たり銅貨二十枚、といったところでしょうか」

「にじゅ……!?」


 あまりの価格差に愕然とするが、『遙麦』の取引価格から算出するとそのぐらいが妥当のようだ。当たり前のように食べていたけど、本当に高級品だったんだな。


 他にも色々と相場を聞いたものの、ヤクのミルクが中瓶で銅貨三枚、鶏肉が半羽で銅貨十二枚、酒場で飲むエールや蜂蜜種ミードがジョッキ一杯あたり銅貨二枚……などなど、日本と価値がまったく異なるため、話を聞いたところでなかなか理解できない。


「うーん。結構難しいな。覚えた方がいいことはわかっているんだが」

「そうですね。一般階級の生活をご理解いただくのも領主の勤めですから。ゆっくりで構いませんので、大体の相場を覚えていただけると」

「ちなみに、一般階級の人たちは、月にいくらぐらい稼ぐんだ?」

「平均すると、銀貨十五枚前後が妥当です。専門的な知識を有する職業だと、さらに五枚程度、銀貨が上乗せされますね」

「よくわかんないんだけど、銀貨十五枚で生活できるの?」

「家族構成にもよりますが、扶養者が三人程度の家庭なら、なんとかといったところでしょう」

「ギリギリなのか?」

「いえいえ。龍人国では税金も低く、各種手当が支給されますので、生活に困るということは恐らくないかと。ただ、私が見てきた限り、他国はそうではなさそうですが」


 他国では領主によって、重い税金を課している地域もあり、生きているのがやっとという人たちも珍しくないようだ。まったく、酷い話だな。


「そんな話を聞くと、龍人国の手当の制度なんて、随分進んでいるなと思うよな」

「ええ。これもハヤト様の教えでして、ジークフリート様が固く守ってらっしゃることのひとつなんだとか」

「へえ? どんな教えなんだ?」

「ハヤト様も尊敬する偉人から学んだそうなのですが。何でも『体制に対する民衆の信頼を得るには、二つのものがあればいい』と」

「『公正な裁判と、同じく公平な税制度』だろ?」

「……ご存じだったのですか?」

「ご存じもなにも……」


 それ、『銀河英雄伝説』のラインハルト・フォン・ローエングラムの名言じゃん! ハヤトさん、まさかの銀英伝好きだったのか……! 親近感が湧くなあ……じゃなくて!


 いや、確かに間違いないよ、そりゃ。ラインハルトは名君だしさ。でもまさか、小説に出てくる人物の言葉を、現実の政治体制で実現させるなんてなあ。


 ま、そのお陰でこの国に住んでいる人たちは、きちんとした生活を送れているようだし、ジークフリートは『賢龍王』なんて呼ばれているからな。出典がどうであれ、上手くいっているなら何よりだ。


 そんなことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。ソフィアとグレイス、ガイアの三人がやってきたのだ。


***


 椅子へ腰掛けているガイアは普段通りの強面を凜々しく引き締めているものの、対照的にソフィアとグレイスは明らかに疲労の色を隠せない様子で、若干顔色も悪い。


 そんな中でも流石というべきか、ソフィアはフルメイクを決め込み、疲れを滲ませながらもニコニコとした顔をアルフレッドへ向けている。


 もっとも、アルフレッドが視線をそらした瞬間、オレに向けられたソフィアの視線は非常に冷たく、「締め切り前の修羅場に、話し合いとか何考えてんのよ」と言わんばかりのものであったのは言うまでもない。


「忙しいところ、急に呼び出してすまない」


 そう前置きした上で、オレは三人へ、開拓してくれていることへの対価である、給金のことを切り出した。


「ここで長く働いてもらっているのに、今さらなんだと思われるかも知れないが、働いてもらっている以上、報酬はキチンと支払いたい。今日はそのことを話したかったんだ」


 すると、三人は互いの顔を見合わせ、表情に疑問符を宿らせんばかりのキョトンとした表情を浮かべてから、誰ともなく返事を発した。


「タスク様、お気遣いはありがたいのですが……。我々、給金をいただくわけにはまいりませんので……」

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