49.家令のゲオルク

「引っ越すって……」


 立った勢いでテーブルが揺れる。将棋盤が落ちそうになるのを手で押さえながら、オレはジークフリートを見やった。


「そんなムチャが押し通るワケないでしょう!? 王様なんですから!」

「なに、執務ならここでもできる。まったくもって、何の問題もないな」


 問題ありまくりですよと応じるよりも前に、ジークフリートは足早に部屋から出て行こうとしている。


「そうと決まれば、早速準備しなければな。タスク、すぐに戻ってくるから、盤面はそのままにしておけよ?」

「はあ……」

「ジーくん、気をつけてねー☆」

「おう、また土産を持ってくるからな」

「ジーク、私はこの焼き菓子がいいのだが」

「ワ、ワタシはハーブティーを……」

「ガハハハ、わかったわかった! 楽しみにしておけ!」


 自分の子供と接するように、三人と別れを告げたジークフリートは、ドラゴンに姿を変えて、西の空へと飛び去っていく。

 遠慮なしに王様へお土産をねだる三人に色々言ってやりたい気もするが、この際それは置いておこう。それ以上にジークフリートの行動が問題だしな。


 執務はここでも出来るって言ってたけど、どう考えても王様が辺境の領地へ引っ越しとか非常識すぎる。

 しかも、引っ越したい理由が、ただ単に将棋やりたいだけっぽいしなあ……。どう考えてもダメだよな、それ。


 はあ……。ま、配下の中には良識派の人もいるだろうし、そのうち王様も冷静になって考え直すだろ。


 勢いだけの冗談話で終わると予想はしたものの、万が一、戻ってくるようなことがあってはマズいと、ジークフリート有利のままの盤面はそのまま残して、オレたちは来賓邸を後にした。

 もはや来賓邸というより、ジークフリート別邸と呼んだ方がしっくりくるぐらいなのだが。別にいいか。他に来客なんぞないだろうし。


 で、結局、予想通りというか何というか、その日のうちにジークフリートが戻ってくることはなく。その翌日、一安心しながら、来賓邸の片付けに向かおうと家を出た、その時だった。


 西側の空からドラゴンが二体、小競り合いしながらこちらへ向かっているのが見えたのだ。片方は見慣れた漆黒の体躯。恐らくこちらはジークフリートだろう。もう一体は燃えるような赤色の体躯で、初めて見る姿だ。


 一瞬、ジークフリートがここを攻撃しようとしている赤いドラゴンと戦っているのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。

 互いが互いのことしか眼中にないようで、交互に体当たりを繰り返しながら、南側の草原へ下降していく。


「これ以上の面倒ごとはカンベンしてくれよ……?」


 誰に言うまでもなく呟いて、オレは二体のドラゴンが降り立った草原に足を向けた。


***


 何やら言い争う声が遠くから響き始め、それは徐々に大きくなっていくのがわかる。やがて、言い争いながらこちらに向かってくる二人の姿を瞳に捉えることができた。


 ひとりはジークフリートで間違いないのだが、もうひとりは見慣れない姿だ。執事服に身を固め、赤色の長い頭髪は後ろで束ねている。背丈はジークフリートと同じぐらいだが、見た目はずっと若々しい。誰だろう、あの人?


「だーかーらー! そんなこと出来ないって言ってんだろう、バカ古龍っ!」

「何だと貴様っ! それが雇用主に対しての口の利き方か!」

「こっちは好き好んで雇われてるワケじゃないんだ! お前の母上から言われて止むなく」

「アーアーアー!! 聞こえませーん! その話は一切聞こえませーん!!」


 ……アレ? あの人たち、二人ともいい大人ですよね……? ものすごい子供っぽい言い争いをしてますけど……。


 すると、呆気にとられているオレの存在に気付いたのか、ジークフリートは気を取り直したように、ガハハハといつもの豪快な笑い声を上げながら近付いてくる。


「おお、タスク! 昨日は戻れんで悪かった。ちと事情があってな」

「はあ……」

「いや、引っ越しの準備を進めようと思ったんだがな、ジャマが入って……」

「うっさい。そこをどけ、バカ国王」


 強引に身体を割って入ったのは、執事服に身を包んだ赤髪の男性で、オレの手を取ると、申し訳なさそうに口を開いた。


「君がここの領主だね。話は聞いている。いつもこの古龍が迷惑ばかりかけて申し訳ない」

「え? い、いえ……。あの、ところで、あなたは……?」

「ああ、挨拶が遅れたね。私の名前はゲオルク。このバカの屋敷で家令を任されている」


 ……家令? っていうことは、立場上、ジークフリートの方が偉いんじゃ……? 悪口とかマズくないのかとか思っていると、ジークフリートはオレとゲオルクの間へ身体を割り入れ、苦渋の面持ちで呟いた。


「聞いてくれ、タスク……。ワシの引っ越し準備をこやつがジャマするのだ」

「将棋を目当てに、国を放り出して引っ越す国王がどこにいると言っているんだ、このバカ」

「バカっていう方がバカなんですぅ!」

「うわっ! ガキっぽいっ! それ、天国の母上が聞いたら泣くぞ、ホント……」

「ウルサイ! そもそもだ、お前が将棋の相手をしてくれるなら問題もないというのに」

「それが嫌だっていってるんだ。勝っても負けても、しばらく付き合わされるだろうが。こっちの仕事ができないんだよ」

「ワシだって仕事はあるもんねー!」

「じゃあ将棋してないで仕事しろって!」


 ああ、やっぱり一度対局に付き合うと、仕事ができなくなるまで拘束されるんだ……じゃなくて!


「えーっと……。随分親しいようですが、一応、王様が雇い主なんですよね?」


 オレの問いかけに我に返ったのか、ゲオルクは咳払いをひとつしてから、表情を引き締め直す。


「まあね、止むに止まれぬ事情があって、今はコイツが雇用主なのだが。実を言うと、我々は幼なじみなのだよ」

「幼なじみ、ですか?」

「ああ。二千年前、災厄王と破滅龍との戦いへ、ハヤトと一緒に赴いた仲でもある。要は腐れ縁というやつだな」

「ハヤトと一緒に前衛を務めたのは、ワシの方が多いがな!」

「いちいちうるさいな、お前は……」


 一言一言に軽口を叩き合うような、気の置けない仲だということは理解したけれど。


「それならどうして家令に?」

「こいつの母上に泣きつかれてね。お目付役になってくれないかと。国政に携わる役職に就くより、身近な存在の方が言うことを聞くだろうと、ね」

「まったく……。母上も余計なことを、ワシは宰相の座を用意していたというのに……」

「そんなわけで、こいつが私の首を勝手に切れないよう、母上が元々の雇用主だったのだが」

「母上は数年前に他界してな。ワシが雇用主を引き継いだというわけだ」

「私を首にするなという遺言を残されてな」


 肩をすくめるゲオルク。それだけ信用のおける人なんだろうなあ。立場が偉くなればなるほど、口うるさく注意してくれる人はいなくなるって話だし、それだけこの人のことを貴重に思っていたんだろう。


 対するジークフリートは肩を落とし、ウンザリといったような表情を見せている。


「まったく……。母上もワシを信用していないのか……。これでも十分、真面目にやっておるんだがな」

「やかましい。このような暴走を防ぐために私がいるんだ。第一だ、ここ最近ふらりといなくなることに対して、奥方や大臣たちの文句が私に集中しているんだからな」

「む……」

「……あ。やっぱり、何か問題があったんですか?」

「問題だらけだよ」


 ゲオルクは大きくため息をついて、かぶりを振った。ここ最近、高頻度でここにジークフリートが来ていたことを周りは知らなかったらしい。ダメじゃん、それ。


「奥方はお前の浮気を疑うわ、大臣たちには執務が出来ないとこぼされるわ……。なだめる私の身にもなってくれ」

「むぅ……。そうか、妻がそんなことを……」

「それに、タスク君をここの領主に任命したばかりなのだろう? 国王がしょっちゅう訪れるようでは、彼も本来の仕事ができないはずだ」

「いえ、そんなことは……」


 ない、と言おうとして口をつぐむ。はい、思いっきり支障が出まくっております……。相手が王様だから言えないだけで……。

 するとジークフリートは何かを閃いたらしい。少年のように表情を輝かせ、これ以上ない名案だと言わんばかりに口を開いた。


「では、こうしよう。タスクをワシの城に招いて、別の役職に就ける。ここには別の領主を……」

「それがダメだって言ってるんだ。公私混同って知ってるか、お前?」

「じゃあどうすればいいんだ! 将棋は指せない! ここには来ることができない! タスクを城に招くのもダメ! 打つ手なしではないか、将棋なだけに!」

「やかましい。少しは自重しろ」


 地団駄を踏む王様へ、諭すように応じるゲオルク。立場がまったく逆だな。しかし、こうなってしまうと、ジークフリートが若干気の毒に思えなくもないけど……。


「あの、オレも王様が来るの楽しみですし、何とかなりませんか? たまにだったら問題ないのでは?」

「タスク……! よく言ってくれた!」


 猛烈な勢いでオレに迫り、力一杯に手を握りしめるジークフリート。えっと、すげえ痛いです王様……。

 そんなオレたちを眺めやって、ゲオルクは額に手を当て考え込み、しばらくあってから長いため息をつくのだった。


「私とて、ジークの息抜きは大事だと思っている。ただ、程度を考えろと言っているだけでな」

「じゃあ……」

「しかし、それでも条件が整わなければ、ここへ来るのは難しいだろうな」

「堅いこと言うなゲオルク。ワシとお前との仲ではないか。少しぐらいは目を瞑れ」

「お前が引っ越しとか言い始めなかったら、もう少しは目を瞑ろうと思っていたんだけどな。流石に限界だ」

「ちっ、堅物が……」

「……良いのか、そんな口を利いて? 公然とここへ来てもいいように、お膳立てしてやろうと思っていたのだが……」


 その一言に、ジークフリートは表情を明るくさせ、手のひらを返すかのようにゲオルクの手を取った。


「流石は我が友! やる時はやる男だと信じておったぞ!」

「本当に調子良いな、お前は。……まあいい。良いか、よく聞け」


 そして話し始めたゲオルクのお膳立てというのは、次のようなことだった。

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