34.王の再来

 仄暗い意識を漂っているオレを、現実へゆっくりと引き戻したのは柔らかい感触で、ここ最近の記憶の中で、確かに覚えのあるその手触りを確認するように、オレは再度、それに手を伸ばした。


 温かくなめらかで、そしてムニュムニュっとした感覚が心地よい。……ん? ……ムニュムニュ?


 瞬間、オレは昨夜の出来事を一気に思い出し、眠気を弾き飛ばす勢いで飛び起きた。つい今し方まで安眠を得ていたベッドの右半分に、全裸のアイラが横たわり、ふくよかな胸元にはオレの手が添えられている。


「んぅ……」


 吐息混じりのアイラの声に、慌てて手をどかすものの、何でアイラが全裸の状態なのかが理解できない。

 いや、確かに昨日、あれからアイラに「一緒に寝ないと許さない」と、散々、駄々をこねられ、服を着て寝るならという条件を出して、渋々了承したことはしたんだけど……。


 それがどうして、いつの間に全裸になっているのかが、まったくわからん! ……え? 寝る前は服を着てたよな? いつの間に脱いだんだ?


 困惑が頭を支配する中、当の本人は猫耳をぴょこぴょこ動かし、のんきに大きくあくびをしてから、けだるそうに身体を起こした。


「なんじゃ……。もう朝か……」

「もう朝か、じゃねえよ! 何でお前ハダカなんだ!?」

「んぁ?」


 寝ぼけ眼を手でこすりつつ、アイラは正論とばかりに口を開く。


「前にも言ったであろう? 私は裸の方が眠りやすいのじゃ」

「時と場合を選べっての! 隣でオレが寝てるんだぞ!?」

「ぬふふ~。そんなこと言って、おぬしだって嬉しいであろう? 目覚めに魅力的な女子おなごの全裸が拝めるのじゃ」

「アホかっ! ベルとエリーゼが一緒に暮らしているんだぞ? 誤解されたらどうするんだ!?」

「誤解されれば良いではないか。ホレホレ、遠慮せず、堂々と胸を触ってもよいのだぞ?」

「あー、もう! 抱きつくなって」

「タスクさ~ん! おはようございま……」


 寝室のドアが開くと同時に、ほんわかとした笑顔のエリーゼが姿を現し、間もなく全身を硬直させた。そらそうだ、家主が全裸の猫人族と抱き合って(いるかのように)見えるのである。


 沈黙が五秒ほど流れた後、エリーゼは顔を真っ赤にしながら、上ずった声を発した。


「ごごごごごごご、ゴメンナサイっ!!!!! ああああああああの、あのあのあの、おおおおおおおお楽しみのところを、おおおおおおお邪魔してしまったようで」

「いやいやいやいやいや、エリーゼさん! ものすっごい勘違いをしてるから!! 恐らく、いまアナタが考えているようなことは、一切ないからっ!!!」

「私は別に勘違いされてもいいんじゃがのう……」

「話がややこしくなるからお前は黙ってろ!!」

「もう、な~に~……? 朝からウルサイな~……って、お?」


 混乱する場に登場したのは褐色の肌が美しいダークエルフで、興味津々といった眼差しでオレたち三人を眺めている。


「おおっ☆ なになになに!? ちじょーのもつれ? 三角関係? ウワキの発覚? やるじゃんタックン☆」

「そのどれでもない!! 妙な想像やめろ!」

「グスっ……。本当にゴメンナサイ……。お二人がそのような関係だと薄々気付いてはいたのですが……!」

「そのような関係じゃないから、泣くなエリーゼ!」

「諦めちゃダメだよ、エリちゃん♪ タックンのこと好きならサ、三人でしたってイイじゃな……」

「お前も変なアドバイスするなよ、ベルっ!」

「まあ、人数が増えたところで、肝心なのは男の甲斐性じゃからのう……」

「アイラは喋るな!!」


 ギャーギャーわーわーメソメソと、朝っぱらから寝室で繰り広げられる、この騒動はなんなんだ……。ああ、もう、本当に収拾がつかなくなってきたな。


 とりあえず、家主としての威厳を示さねばならないわけで……。オレは大きく息を吸い込んで、これ以上ないぐらいの大きな声で叫んだ。


「ああ、もう! いいからみんな出てけ!! 朝ご飯にするぞ!!!」


***


 エリーゼお手製の朝食が並ぶテーブルを囲みながら、オレは疲れ果てた表情でパンを頬張っていた。


「ほ、本当にごめんなさい……。ワタシが早とちりしたばかりに……」

「いや、元はといえば、アイラが悪いワケで……」

「なんじゃ、随分エリーゼには優しいではないか? 昨夜あんなに激しく求め合ったというのに……」

「キャー☆ アイラっちだいたーん!」

「……頼むから、これ以上、場をこじらせないでくれ……。ごはんぐらいゆっくり食べたい……」


 反論する元気もないオレをつまらなく思ったのか、アイラは口をとがらせ拗ねるような態度を取った後、空腹を満たすべく野菜スープを口元へと運んでいく。まったく、遊ぶことに飽きた子供みたいだな……。


「ところでさー、タックン。昨日の王サマがいってたご褒美、どーすんの?」


 今までのことを綺麗さっぱり忘れたように、話題を転じるベル。いやはや、こういう切り替えはありがたいな。

 見ると、エリーゼが泣きそうな顔をしている。アイラだけじゃなくて、二人にも心配を掛けていたようだ。


「ああ、うん。あの申し出は断るよ。オレは、ここでずっと暮らしていくつもりだし」

「アハッ☆ そっかそっか。ウン、そうだよね」


 明るいベルの声が、心なしかいつも以上に弾んだように聞こえたのは気のせいだろうか? エリーゼも安堵したのか、見慣れている穏やかな表情へ変わっている。

 オレの自意識過剰かも知れない。それでも、残ることに対して好意的な反応を示してくれる人がいるというのは、本当に嬉しい。


 みんなのためにも、これからもっともっと頑張らないとな! そう、決意を新たにしていると、パンを口元へ運ぶ手を途中で止めたアイラが疑問を口にする。


「しかしの、権力者からの褒美を無碍にするわけにはいくまい。何か代わりの物を貰えるよう考えねばの」

「ああ、それについてはもう考えているんだ」

「へえ~☆ なになに~?」

「ワタシも気になります!」

「うん、それは……」


 そしてオレはこの場の三人にだけ、ジークフリートに要求する褒美を打ち明けた。返事の代わりにそれぞれの笑顔が見られたってことは、みんなも賛同してくれたのだろう。


 あとは二日後にやってくるジークフリートを待つだけである。とはいえ、やることは今までと変わらない。この騒がしい面々と一緒に開拓を続けていこう。


***


 約束の日。ジークフリートは昼頃に姿を現した。


 三日前とは違い、今回、お供の数は少ない。西の空から飛来するドラゴンの群れという光景は、前回と変わらず威圧感しかないが、その数は十頭に満たなかったし。


 しかも、人の姿へ変わったところで、完全武装の兵士は半分ほどだ。それ以外は文官のような格好の人たちで、帯剣もしていない。

 そこにアルフレッドが加わっているのだが、ジークフリートの堂々たる姿の後ろでは、やはり影が薄い。……そういや、この前もロクに話をしなかったなあ。


「待たせたな、タスク」


 ゆっくりと歩みを進めながら、ジークフリートは口を開いた。オールバックの黒髪とシワひとつない軍服に身を包んだ姿は、今日も今日とて、ダンディズムを醸し出している。


「とんでもない。こんなところへ、再びご足労いただいて恐縮です」

「何を言うか、まったく問題ない。そなたと話をするのはワシも楽しいしな」


 ガハハハハと、豪快に笑い、オレの肩を叩くジークフリート。ものすごく手加減されているんだろうけど、すげえ痛いっス……。

 おっと、いけない。本題に入らないとな。


「それで、その。先日、ご提案いただいた褒美なのですが……」

「おう、そうであったそうであった! その件なんだがな」


 オレが切り出すより前に、ジークフリートは苦渋を顔に滲ませてから続けた。


「そなたを元の世界に戻すという件。悪いが叶えられなくなった」

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