33.二つの月夜に

「すぐには決心がつかないだろう。三日後にまた来る」


 そう言い残して、ジークフリートはアルフレッドと兵士たちを連れ、西の空へと飛び去っていく。

 オレはオレで、わずかな時間に発生した怒濤の展開にとてつもない疲労感を覚えながらも、ジークフリートの一言が頭の中にこびりついて離れず、ただただぼーっと、流れゆく時間に身を委ねていた。


 我が家とガイアたちの家の間に新設した広場のベンチに腰掛け、夜空に輝く二つの月を眺める。憩いの場にと思って作った場所だが、考え事にもうってつけだ。


 日本の都会では、決して見ることの出来ない星空を眺めながら、オレは誰に言うまでもなく呟いた。


「……元の世界に帰る、ねえ?」


 正直、あまり実感がわかない。確かに、この世界へやってきた当初は、元の世界へ戻れる方法がないか考えたこともあったけど、日々を過ごしていく中で、異世界での暮らしもいいものだと思っていたのだ。


 ここに骨を埋める覚悟すらしていたといってもいい。そんな中で、あの提案である。正直、戸惑い以外の感想が思いつかない。


 さてさてどうしようかと思い悩んでいると、ベンチに並び立つ人影に気付いた。


「アイラ」

「……隣、座ってもいいかの?」

「お、おう」


 尻尾を軽く揺らし、猫耳は若干伏せ気味で、何だか神妙な顔つきをしている。どうしたんだ、一体?


「昼間、王との話を聞いてしまったんじゃが……」

「ああ。ラーメンの時のか」

「……」

「……?」


 うつむいて、黙り込むアイラ。……なんだなんだ。いつもやかましいぐらいウルサいのに、らしくないな。


「……おぬしに、話そうと思っていたことがある」

「何を?」

「私の出生について。……忌み子の話じゃ」

「あ~……。あのな、アイラ。辛いことならムリに話さなくても……」

「いや、いいんじゃ。おぬしには知っておいてもらいたい」


 決意を込めた眼差しでオレをまっすぐに見据え、アイラはぽつりぽつりと、自分の過去を話し出した。


***


 アイラが生まれたのは約二百年前。詳しい場所は覚えていないが、とある小さな猫人族の村だったそうだ。


 生まれてすぐ三毛柄と判明したアイラは、その時点である程度の知能を持っていたらしい。出産に立ち会った大人たちの言葉を理解し、話そうと思えば言葉を喋れたそうだ。


「だが、私はあえて黙ったまま、周囲の大人が騒ぐのを観察していた。今すぐ殺せ、もしくは捨てろ、災いの子を産むとはろくでもない親だ……。発狂したように喚き立てる、醜い顔をしっかりと覚えておこうと、な」


 程なくして、深い山の中へ捨てられたアイラは、赤子の頃から一人で生活を送ることになる。


「実のところ、その頃のことをあまり覚えていないのじゃ。もしかすると、狼にでも育てられたかもしれんの」

「……」

「はっきりと記憶が残っているのは、幼少期からじゃ。呪いのお陰か、並外れた力もあったし、知恵も持っていた。山や森で暮らす程度には不自由がなかったの」


 獲物を狩り、野生の果物を食べ、木の上で眠る。彷徨いながら動物と変わらない暮らしを続けている中で、様々な出会いがあった。


「ま、大半はロクでもない連中じゃったがの。私を利用しようとする輩もおったし、害しようとする連中もおった。心優しいと思える相手との出会いは片手で数える程度じゃ」

「そのひとりが、アルフレッド?」

「どうだかの? 出会った当初は何だかぼけーっとしておったし。商人という割には覇気がないし」


 当時を思い出したのか、ぬふふふふと笑い出すアイラ。笑えるっていうことは、いい出会いだったんじゃないか?


「……そうかもしれんの。あやつと取引を重ねてしばらく経った後、一緒に暮らさないかとアルから提案されてな」

「プロポーズじゃん」

「阿呆ぅ。森で暮らす私を不憫に思うて、手を差し伸べてくれただけじゃ」

「ホントかぁ?」

「……あまり疑ると、爪でひっかくぞ?」

「スミマセンデシタ」

「よろしい」


 しかし、アイラはその申し出を断ったらしい。


「何でさ?」

「上手く言えんがの。……自分を否定するのがイヤだったんじゃろうな」

「否定?」

「忌み子として世から疎まれ、蔑まれてきた人生じゃ。救いの手を差し伸べられて、それにすがりついたら、それまでひとりで生きてきた、自分自身を否定してしまいそうでの」

「そんなことないと思うけどな」

「うむ。今は、私もそんなことないと思える。じゃが、当時はどうしてもそう思えなかった。それに、じゃ」

「……?」

「猫人族の伝承が龍人族にあまり伝わってないとはいえ、私がいることでアルの商売に支障が出てもよくないしの」

「問題ないと思うけどなあ」

「どうしておぬしにそんなことがわかるんじゃ?」

「いや、なんとなくだけどさ……」


 かつてアルフレッドはアイラのことを「実の妹のように思っている」と言っていた。恐らくアルフレッドは、商売に支障が出ることも織り込み済みだったに違いない。


 一緒に暮らそうと提案したのも、心の底からアイラのことを親身に考えてのことなのだろう。……内緒にしてくれって言われたから、アイラには絶対言えないけど。


 多少の不審を込めた視線をオレに向けながら、アイラはまあよい、と語を続けた。


「アルフレッドの誘いを断ってから、私は考えたのじゃ。一緒に生活を送るなら、どんな相手だったらいいだろう、かと」

「アルフレッドじゃダメなのか? 相当いいヤツじゃないか」

「確かにの。じゃが、私は、対等の立場で接してくれる相手が良いのだと気付いてしまったのじゃ。忌み子だということを関係なしに接してくれる相手が良い、と」


 なるほどねえ。アイラのことを忌み子だと知っていたから、アルフレッドはダメだったのか。……でもなあ、この世界でその条件は難しくないか?


「確かにの。世界中どこを行っても、少なからず忌み子の伝承は残っているじゃろうな。それでも、私は信じたかったのじゃ。私を、ひとりの人として見てくれる相手が現れることを」


 ふと、アイラの表情が柔らかいものへ変化する。


「……二百年ほど生きたある日のこと。『黒の樹海』で獲物を追っている最中、南から奇妙な音が聞こえてくることがわかってな」

「うん」

「動物とも魔獣とも違う物音で、明らかに人間が何かしらの作業をしている音だということに気付き、私はその様子を伺うことにした」

「……おい。それって」

「森から覗くと、何やらぼけーっとした男が、せっせと畑を耕しておっての」


 再び、ぬふふふと笑い、アイラはオレを見つめる。


「翌日も見に行ったら、あろうことか、その男。忌み子の私を見て、『三毛猫か、可愛いな、一緒に暮らしたいな』とか、酔狂なことをほざくではないか」

「いや、まあ……」

「かと思えば、下着一枚の姿で一心不乱に水を運んだりしておるし、何じゃこやつはと思っての」

「……よく覚えてらっしゃる」

「気になって、さらに翌日じゃ。今度は近付いてみようと思った矢先、その男、遠慮も無しに私の身体を撫で繰り回しおってな」

「いや、それはアイラが猫の姿だったから……」

「これはもう、この男に責任を取ってもらわねばと思ったわけじゃな」

「責任て、アナタ……」

「か弱い乙女の身体を弄んだのじゃ……。恥ずかしくて、もう嫁には行けぬ……」


 わざとらしく、さめざめと泣く演技をするアイラ。悲しそうな割には、随分、耳も尻尾もご機嫌に動かしてるじゃないか、おい。


「うむ、バレたか」

「バレバレだな。何だその下手な芝居は」

「ぬふふふふ~。こういうのもたまには良かろう」


 殊更、反省する素振りなどは微塵も見せず、愉快そうにアイラは笑い、それから真剣な眼差しでオレを見据えた。


「タスク。おぬしには感謝しているんじゃ」

「何だよ、いきなり」

「異邦人のおぬしは、忌み子のことなど知らなかったであろうが、それでも私は……」

「……」

「私はそのことを抜きに、私のことを可愛いと、一緒に暮らしたいと言ってくれる相手に出会えたことを幸せに思う」

「……うん。オレも、アイラに会えて良かった。お陰でここでの生活も賑やかになったし」

「そ、そうか。そう言ってくれると、私も嬉しい……」


 言葉尻が震えている。……おい、何だよ、アイラ。もしかして泣いてるのか? ど、どうした、オレ変なこと言ったか?


「な、泣くはずがなかろう! この私が!」

「いやだって、お前……」

「ふんっ! おぬしこそ、元の世界に帰ってから、私のことを思い出して夜な夜な泣いても知らんからの!」

「……は?」

「元の世界に帰ってから、やっぱりこちらの暮らしが良かったと恋しがったところで、もう手遅れじゃぞ!? せいぜい残りの暮らしを堪能し」

「あの、アイラさん?」

「何じゃ!?」

「ものすっごい勘違いしてると思うんだけど」

「?」

「オレ、帰らないよ?」

「……はあ?」

 

 言っていることが全く理解できないとばかりに、アイラは涙目のまま、口をあんぐり開けている。


「いや、だからさ。オレここに残るの。元の世界には帰らないんだって」

「……どうして?」

「どうしてもなにも……。こっちの暮らしが合ってるし。それにさ」

「何じゃ……?」

「ここにはアイラたちがいるだろ。残る理由なんて、それで十分じゃんか」


 ようやく頭の中が整理できたらしい。考えをまとめるように、アイラはオレに問いかけた。


「じゃ、じゃあ……、王が帰った後、考え込んでいたのは一体……?」

「ああー。あれね、突然言われたからぼけーっとしてたっていうのもあったんだけど」

「あったんじゃけど?」

「偉い人から褒美の提案されちゃったからさ、どうやって断わったものか悩んでてな」

「……」

「アルフレッドの話だと、褒美はもらっておかないと失礼にあたるらしいし、代わりに何がいいかなあとか考えグボァッ!!!!」


 話している最中だったのにも関わらず、たまらずオレは悶絶する。オレの腹部にアイラのパンチが叩き込まれたのだ。


 遠慮も加減もなしのグーパンである。腹部を押さえ身体をくの字に折り曲げて、痛みを堪えつつ、むせかえるように何度か咳き込んでから、オレはアイラへ文句を言ってやろうと身体を起こした。


「……ってぇなあ! いきなり何すん……」


 言い終えるよりも前に、アイラはオレの胸の中に飛び込み、そして背中にギュッと手を回して離そうとしない。


「……あの、アイラさん?」

「……なんじゃ」

「もしかして、オレが帰ると思って寂しいな」

「ウルサイ! それ以上言ったら、もう一度殴るぞ!」


 ……ヘイヘイ。オレだって痛いのは嫌だしな。これ以上は言いませんよ。


「悪かったよ……。誤解されるようなことしてさ」

「許さぬ」

「ずっとここにいるから、安心しろって」

「許さぬ」

「ったく、どうしたら許してくれるんだ?」

「……そうじゃな。なら、もう少しこのまま……」


 そしてアイラはオレの胸に顔を埋めた。……こうしていると、十五、六歳の見た目相応、可愛い女の子にしか思えないんだけどな……。


 背中へ回された手はいつまでも強い力のままで、若干の痛みすら感じる。オレは何も言わず、アイラを抱きしめ返し、ただひたすらに頭を優しく撫で続けた。


 二つの月明かりの下、時折漏れる嗚咽の声が聞こえなくなるまで、いつまでも。

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