32.二千年前の異邦人
今から二千年前、この世界は暗黒に包まれていた。
憎悪と争いが各地で巻き起こり、文明は破壊され、民は血の涙を流し続ける。退廃に拍車を掛けたのは、超越した力を持つ『破滅龍』と魂の契約をした、『災厄王』と呼ばれる魔術師の存在だったそうだ。
彼は魔術師でありながら闇の力に魅せられ、そして、忘却の地に眠っていた破滅龍の封印を解き放ち、力と権力を得て、地獄の世を生み出すことに成功する。
このまま世界は終焉を迎えてしまうのか――嘆きが世界中を覆い尽くそうとしていた時、一人の男が龍人族の国に現れた……。
「それが、もう一人の異邦人?」
「そうだ。ハヤトという茶髪の若者で、歳は二十二だったかな」
まるで昨日の出来事のような鮮明さで、話を続けるジークフリート。思いを馳せる眼差しで、半分ほどかさの減ったカップの水面を見つめている。
「当時、ワシはまだ王位に就いてなくてな。戦士として災厄王が率いる軍勢との戦いに赴いておった」
そんな折、別の世界からやってきたと吹聴して回る「自称・異邦人」が現れた。世界中が混乱の渦に巻き込まれている最中、龍人族の国にさらなる災いの種を植え付けるわけにはいかない。
ジークフリートはそう考え、「自称・異邦人」であるハヤトを拘束し、異邦人であるならそれを証明してみせろと問い詰めたらしい。まあ、気持ちはわかる。
「ヤツは言った。それなら、力を持って証明してみせようと。一対一の決闘をしようとな。当時、龍人族最強の戦士であったワシを相手にだ」
「それで、どうなったんですか?」
「うむ、気持ちいいぐらいに負けた。惨敗だ」
ガハハハハとジークフリートは豪快に笑い、そして目を細める。
「ハヤトは言ったよ。元の世界へ戻るためにも、災厄王と破滅龍を倒さねばならない。だから力を貸してくれ、とな」
そしてハヤトとジークフリートは、各地の勢力を集結し、各種族の勇者たちを取りまとめ、三年の後に災厄王と破滅龍を撃破して、世界に平和を取り戻した。
「当時の戦いのことは、おとぎ話として伝わっておるよ。もっとも、多少の脚色が付いているようだがな」
……ああ、そういえば前にアイラとベルが、おとぎ話がどうだかとか言ってたな。二千年も前の戦いが元になってたのか。
それよりも、気になることがある。今までの話から考えるに、ハヤトという人が恐らく現代における日本人だということは間違いないだろう。
「それで、その災厄王と破滅龍を倒したあと、ハヤトさんは元の世界へ帰ったんですか?」
「いや、すぐには帰らなかったな。復興の足がかりを作ると、龍人族の国に残ってくれたよ」
災厄王と破滅龍は、オレがプレーしていたゲームに存在しない敵だ。別の時間軸の世界、つまり現代の日本から二千前の異世界へやってきたのなら、転移にしろ転生にしろ、「LaBO《ラボ》」のプレイヤーという共通点があるかと思ったんだけど……。どうやらアテが外れたようだ。
思案に暮れる中、背後から刺すような視線を感じて振り返ると、物陰からこちらを眺める三人の眼差しがそこにあった。
アイラとエリーゼ、ベルが重なり合い、難しい顔を浮かべて様子を伺っている。……はぁ、気になるのはわかるけど、盗み聞きはよろしくないぞ、君タチ。
……と、そんなことを考えていたら、三人は急に驚いた表情へ変わり、一斉に寝室へ逃げ戻っていく。何が起きたのかと思いきや、アイラたちに気付いたジークフリートが興味深げに三人を見やっていたらしい。
「なかなかに美しい娘らではないか。そなたの妻たちか?」
「ふぁっ!? い、いえっ! 妻でも恋人でもないですけど!!」
「はっはっは! 照れずとも良い。異邦人というのは人を惹きつける魅力があるようでな。ハヤトも大層モテておったよ」
愉快そうに笑ったあと、何かを思い出したのか、ジークフリートは苦々しげな表情に変わり、そして王に似つかわしくない態度で舌打ちをするのだった。
「……っとに、ろくでもない、たらしだったからなアイツは……。色んな女から相談されるこっちの身にもなれって話で、いっそ身を固めてしまえばよかったのに……」
ブツブツと恨み言に近い文句を漏らし始めるジークフリート。……何だろう、王様って感じがしなくなってきたな……。
「な、仲が良かったんですね、ハヤトさんと……」
いたたまれなくなったので話題を振ると、ジークフリートは我に返ったように表情を引き締め直した。
「う、うむ。ヤツとワシはよき好敵手であり、戦友でもあり、そして何より親友であった。時間や世界を超えて、心から分かち合える友はハヤトだけだったよ」
できればこちらの世界に残って欲しかったのだが、と付け加え、ジークフリートは続ける。
「ヤツにも帰らねばならない事情があったらしい。災厄王と破滅龍を倒したことで、元の世界へ戻るための聖遺物を取り返したハヤトは、帰るまでの間に様々な知恵と文明を授けてくれたよ」
「そのひとつが水道だったんですか?」
「ああ、上水道と下水道の仕組みだけでなく、衛生という概念もハヤトが教えてくれた。他にも数え切れないほどの知識をな」
「へえ~」
「お陰でワシは、知らず知らずのうちに『
少し寂しそうに笑い、それからジークフリートはかぶりを振った。
「……ハヤトが元の世界へ帰るまで、様々なことを話したものだよ。アイツは事あるごとに日本食とやらが食べたいと、愚痴をこぼしておってな」
「あー、気持ちはわかります。オレもそうですからね」
「やはりそうか……。ハヤトはその中でも特に『ラーメン・カツ丼・カレーライスが恋しい!』と言っておった。あまりに口うるさく言うものだから、ワシもその料理の名前を覚えてしまってな」
二千年経った今でも覚えているのだから、アイツも相当しつこく言っていたんだろうと、ジークフリートは再び豪快に笑ってみせる。
……それは多分、ウソだろう。恐らく、ハヤトという人物が、王にとって本当にかけがえのない友人だったからこそ、思い出の一つ一つを忘れることがないよう、大切に覚えていたに違いない。
だってさ、ラーメンを作ってくれと頼む時のジークフリート、必死の形相だったけど、今思い返してみれば、どことなく一抹の寂しさも感じられたし……。
オレは深く深呼吸をしてから席を立ち、ジークフリートへ切り出した。
「ラーメン。材料の関係で、ハヤトさんが望んでいたものとは、少し違うと思いますけど……。それでもいいですか?」
「……ああ。それでもかまわん。ハヤトが……、アイツが話していた故郷の味とやらを、是非味わってみたいのだ」
そう言ってジークフリートは頭を下げる。その姿は王ではなく、一人の人間として、オレの目に映った。
そうと決まれば、ひとつ気合いを入れて作るとしますかね! 王様とかつての異邦人ハヤトさんを繋ぐための、思い出の味を。
***
お手製の塩ラーメンを作ってからの話は、ここではあまり語らないことにしておく。
テーブルにラーメンとフォークとスプーン、それと一応お箸を置いてからのジークフリートは、言葉では上手く言い表せない顔で料理を眺め、いただきますと、軽く手を震わせながら――驚くことに器用に箸を使って――ラーメンをすすり始めた。
恐らくハヤトさんから、箸の使い方を習っていたのだろう。ラーメンというものは、麺をすすりながら食べる料理だということも。
筆舌に尽くしがたい心境なのかも知れない。立ち上る湯気で表情はあまり見えないが、むしろ、見ない方がいいのだろう。
オレはアルフレッドの肩に軽く触れ、共にキッチンへ足を向けた。ジークフリートの邪魔をしないために。
そして、二十分ぐらい経った頃だろうか。「ごちそうさま」というジークフリートの声を合図に、オレたちはリビングへ戻ったのだった。
「馳走になったな。実に美味であった」
ラーメンどんぶりは空で、スープまでキレイに飲み尽くされている。お世辞かも知れないが、作ったかいがあるものだと嬉しくなるな。
ジークフリートはどこかスッキリとした表情でオレに向き直り、王としての威厳を再び示すように重々しく口を開いた。
「そなたには世話になった。突然、押しかけた無礼も詫びなければならぬ。何か褒美を取らせようと思うのだが」
「そんな褒美なんて……」
「タスクさん、タスクさん」
申し出を断ろうとしているオレの袖を、アルフレッドが強く引っ張る。
「礼儀の上でも、これは必ず受けなければいけません。庶民から施しを受けたままとなっては、王としての権威に関わります」
「そ、そういうものなの?」
「そういうものなのです。遠慮はかえって無礼にあたります」
……う、うーん。偉い人たちの礼儀作法は難しいなあ。とはいってもなあ、いきなり褒美とか言われても、こう、これといって思いつくような物はないし。
考え込んでいたオレの顔は、相当困惑していたらしい。ジークフリートは愉快そうに笑い、そんなに困らんでもよいと切り出した。
「何でも良いのだ。そなたの望みを叶えてやろうではないか」
「と、言われましても……」
思いつかないものは思いつかないから困っているワケで。そんな様子を見かねたのか、ジークフリートはオレが考えもしなかった、ある褒美の提案をしたのだった。
「……ふむ。例えば、こういうのはどうだ? そなたを元の世界に帰す、とかな」
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