28.ラーメンが食べたい!

「タス……。……クさ…」


 導かれるように朦朧とした意識を引き戻し、少しずつ身体へ神経を宿していく。ゆっくり開いた瞳には、まどろんでいてもわかる、穏やかな笑顔が映る。


「タスクさん。朝ですよ~」


 焦点がようやく定まり、少し赤みを帯びたエリーゼの微笑みを確認してから、オレはベッドに身体を起こした。


「おはよう、エリーゼ」

「エヘヘ、おはようございます。朝ご飯できてますよ」


 寝癖ついてますよと、オレの髪にエリーゼがそっと手を添える。はあ~、朝から癒されるわあ、ホント……。


 新婚の目覚めっていうのはこういうものなのだろうか、と、彼女ナシ三十歳独身男はボーッと考えてみたりするわけだけど、多分、本人に伝えたら恥ずかしがって、もう起こしてくれなさそうなので、心の中にだけ留めておくことにしよう、うん。


「ありがとな。本当に助かるよ」

「いえいえ! ワタシが好きでやっているだけですからっ!」

「アイラとベルは?」

「今から声を掛けに行きます。先にリビングで待っていて下さいね」


 ふくよかなハイエルフはそう言い残し、軽やかな足取りで寝室から出て行った。程なくして、隣の部屋のドアをノックする音が耳に入る。


「アイラさーん、おはようございまーす」


 心温まる朝の光景に自然と笑みがこぼれる。こちらの世界に来てから一ヶ月ちょっと、仲間のお陰でようやく生活も落ち着き始めた。


 そんなわけで、皆様、おはようございます。朝からイチャついてるんじゃねえよ、とか、カワイイハイエルフと見せつけてくれるじゃねえか、とか、そんな殺意の混じったツッコミが聞こえてきそうですが、いや、違うんですよ。


 これには事情があってですね、まずはオレの話を聞いて欲しいわけです、ハイ。


 ガイアたちが加わり、アルフレッドにも卸さなければならないということで、『遙麦』の畑をさらに拡張することが必須になりまして。

 加えて、綿花や野菜類などの畑も拡張しなければならないと、そんなわけで、この数日間結構忙しかったんですよ。


 で、草原の中央に位置したオレの家と、その北側にあるガイアたちとの家の間に空き地ができていたので、憩いの場を作りたいなあなんて、広場作りにも手を付けたり。


 家と畑などを行き来しやすいよう、舗装された道を敷き始めたりと、日々の暮らしを向上させるための整備を、エイヤッと取り組んでいたんですわ。


 それに加えて、作物の収穫やら魚の罠漁もやっておりましたので、流石に疲労感がハンパなく。残念ながら、こちとらラノベの主人公よろしく、体力が無尽蔵にあるチートキャラではございませんので、朝起きるのが辛くなってきてしまうのですよ、ええ。認めたくないけど、三十路だしね。


 そんなわけで、オレを見かねたエリーゼが、朝食作りとモーニングコールを買って出てくれたわけなのです。……いや、はっきり言ってオレの計画性のなさが原因なんだけどね、うん。


 ま、それでも、お言葉に甘えられる仲間がいるっていうことはありがたいモノで。心優しく可愛らしいハイエルフに起こしてもらえる我が身を幸せに思ったりするのだ。……はい、そこ、石は投げないように。


 現状、草原の中央から東側が居住地、西側が農地と鶏舎に分かれており、短期間ながら村のような環境が整いつつある。それもこれも、頼りになる仲間のお陰だよ、ホントに。


 眠そうにテーブルに着くベルやアイラ、そして楽しげに働くエリーゼの姿を眺めながら、オレは自分の置かれている現状に改めて感謝した。縁は大事にしないとなあ。


 ……しかし。生活に余裕が出てくると、どうしても我慢していた欲というものがムクムクと湧き上がってしまうのが、人間の性というモノで……。


「タスクさん。キッチンにおいてある、あのスープですけど、あのままでいいんですか?」


 パンの入ったバスケットを抱えたエリーゼの声が、考え事をしていたオレの耳に届いた。


「随分変わったスープみたいですけど……。食べる様子もないので」

「ああ、ゴメン。あのスープはあのままにしておいてくれるか?」

「はあ……」


 小首を傾げるエリーゼに続き、大あくびをしたアイラが問いかける。


「なんじゃ、スープって? おぬし、何か悪巧みしているワケではなかろうな?」

「してないしてない。もうちょっと寝かす必要があってな」

「はあ? スープなら作ってすぐに食べれば良かろう? 異邦人の考えることはよくわからんの」


 呆れ半分で呟きながらも、スープ自体に興味はないらしい。アイラはひとりでいただきますを言い終えると同時に、バスケットからパンを取り口元へ運んでいく。まったく、揃って食べることができないのかコイツは……。


 まあいい。あのスープもそろそろ頃合いだろう。ついにあの計画を実行に移す時がやってきたのだ。


***


 話は二日前まで遡る。


「……わ、和食が食べた~~~~~~~~いっ!!」


 浜辺で魚用の罠を回収しながら、オレは海に叫んだ。こちらの世界に来てから早一ヶ月。衣食住に余裕が生まれつつある現状、オレはとてつもないほどに和食を渇望していた。


 エリーゼの作る料理に不満はない。むしろ、限られた食材でプロレベルの食事が提供される腕前には感心しっぱなしだ。感謝の言葉もない。


 ……がっ! しかしながら、それとこれとはまた違う話で。長期の海外旅行中、ふと、白米とお味噌汁が恋しくなる、あの心境といえばいいだろうか。日本人のDNAが和食を欲しているのだ。


 とはいえ、こちらの世界に米はなく、醤油も味噌もない。もしかしたら探せばあるのかも知れないが、それらを探し出すまでガマンできるはずもない。……むう、どうしたものか。


 そこでオレは考えたのだ。完璧な和食、とまではいかなくても、日本料理と言って差し支えない料理を食べれば、多少は満足ができるんじゃなかろうか、と。


 ふと足下を見ると、砂浜の中から白い貝が姿を覗かせている。……あ~、焼きハマグリとか旨いよなあ。炭火で焼いてさ、醤油をちょっとたらしてさ……スープごと食べたら旨みが押し寄せるんだよな……。


 ……ん? スープ、旨み……。そういえば、貝からはいい出汁が取れたな。野菜も魚もあるから鍋はできるか……。……いや、どうせだったら、もっと乱暴な味付けのものが食べたい。


 あっ!? そうだっ! ラーメンはどうだ!? 貝の出汁を使った塩ラーメンがウリの店とか聞いたことあるし、麺に必要な麦もあるじゃないか!


「フッフッフ……。イケる、イケるぞ、これは!」


 思わずその場でガッツポーズである。そうと決まれば行動あるのみ! 手早く罠漁を終えてから、オレは家路を急ぐのだった。


***


 エリーゼとスープのやり取りをした、その日の夕方。作業を早めに切り上げたオレは、ひとりキッチンへ入ると、奥にしまっておいた生地の塊を取り出した。


「……うん。触った感じは問題なさそうだな」


 いうまでもなく、『遙麦』を練り上げて出来た麺の生地である。二日前、家路を急ぐ途中、ラーメン作りに必須の『かん水』がないことに気付き、膝から崩れ落ちそうになったのだが。


 よくよく考えれば、かん水に使うのは炭酸ナトリウムなので、それなら重曹で代用できないかと考えたワケだ。料理という自分の趣味の知識が役に立つ瞬間である。まったく、どこで何が役に立つかわかんないもんだな。


 残る問題はスープ作りだ。調味料の関係で、塩味のラーメン一択にならざるを得ない都合上、それに合うスープに仕上げたい。


 とはいったものの、飼い始めた鶏が食べられるようになるまではまだ時間が掛かり、鶏ガラは使えない。浜辺で山ほど獲ってきた貝類と野菜をじっくりコトコト煮込んで、旨みを抽出するしか方法はない。


 貝類、タマネギ、ショウガ、ニンニク、にんじん、キャベツなどなど。とりあえず使える材料を放り込んで二日間煮込んだスープだったのだが……。


「旨っ……! 何だコレ!? すげえ旨い!」


 味見をしたところ、不安が吹き飛ぶほど極上のスープに仕上がったそれは、透明感に不釣り合いのコク深い味わいで、一口飲めば、もう一口と後引く旨さになっている。とてもじゃないけど、初めてラーメンを作ったとは思えない出来映えだ。


 うんうん。これに塩を合わせれば、美味しいものが出来上がるぞ、と、生地を伸ばして折りたたみ、包丁でなるべく均一な細さになるよう切り始める。


「あれ? タスクさん。もう夕飯作っているんですか?」


 振り向いた先には驚いた様子のエリーゼが立っている。エプロンを身につけ、これから食事の支度をしようと思っていたらしい。


「言ってくれれば、ワタシもお手伝いしましたのに……」

「いや、どうしても作りたい料理があってさ。今日の夕飯はオレが作るから、休んでて大丈夫だよ」

「はあ……」

「もう少し時間が掛かるから、みんなとテーブルで待っててくれる?」


 少し残念そうに、わかりましたと呟くエリーゼへ、手伝ってもらうことがあったら声を掛けるよと、付け加える。

 「ハイッ!」と嬉しそうな返事と共に、立ち去っていくその後ろ姿を眺めながら、オレはラーメン作りの続きに取りかかった。


 夕飯まで、あまり時間がない。遅れたらアイラに何を言われるか、わかったもんじゃないしな。とにかく、集中して美味しい物を作ろう。

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