19.龍人族の行商人、アルフレッド

 西に連なる山脈から飛んできた紺色のドラゴンは、速度を緩めることなく、一直線に家を目掛けてやってくる。


 そして、家の真下へ急降下してきたかと思えば、急上昇し、ぐるぐると周囲を旋回し始めた。手頃なオモチャでも見つけた子供のような動きで、ここを破壊するタイミングを計っているのかも知れない。


 オレはといえば、そんな危機迫る状況の中で、頭の片隅に「死」の一文字を思い浮かべていながらも、初めて見る本物のドラゴンの巨大さに感動を覚えたりしていた。


 現実と非現実が混じり合うような空間の中、背後から姿を現したのはアイラで、耳をぴょこぴょこ動かしながら、ため息交じりに呟いている。


「あやつめ……。随分と派手な挨拶をしてくれるではないか」


 呆れた表情でドラゴンを眺めるアイラに、オレは尋ねた。


「あのドラゴンのこと知ってるのか?」

「知ってるも何も、おぬしには話したであろう」

「?」

「私が取引している行商人。それがアレじゃよ」


 ……アレって言われても、どっからどう見てもドラゴンにしか思えませんよねー……。「アイラさん、あんな相手と取引なんて、マジ半端ないっスね」なんて、冗談を叩く余裕など、もちろんないワケで。


 アイラと知り合いだとわかったところで、気持ちの整理ができるはずもなく。ぐるぐると飛び回るドラゴンが、やがて速度を落とし、家の南側へ着陸していくのを見届けることしかできない。


 そして、さらに驚くことがひとつ。地上に着陸しようとしていた紺色のドラゴンが、その直前、突然として体躯を収縮させ、あっという間に人間の姿へ変化したのだ。


 地に足をつけた、人間――の姿をした、紺色のドラゴンだったもの――は、全身、ダークグレーのスーツをまとい、紺色をしたボサボサの髪と丸縁メガネが特徴的な、二十代半ばの若者といった感じで、どこにでもいそうな人のいいお兄さんという印象を受ける。


「やあやあ。お久しぶりですねえ、三毛猫姫。お元気そうで何よりです」

「ふん。先月会ったばかりであろう。おぬしこそ、空中で児戯を披露する程度は元気が有り余っているとみえる」

「いやはや、これは手厳しい」


 こちらへ歩み寄りながら挨拶を交わす若者とアイラ。口ぶりから、そこそこ親しいことはわかるけど……。


「三毛猫姫って何だ? アイラって、どこかのお姫様だったのか?」

「阿呆ぅ。そんなワケがなかろう。こやつが勝手にそう呼んでおるだけじゃ」

「いえいえ。美しい栗色の髪に、雪のように白い肌。そして可憐な顔立ち。これを姫と呼ばずしてなんとお呼びすればいいのか……」


 ニッコリと微笑みながら若者はそう言って、オレに握手を求めてきた。


「はじめまして。龍人族で行商人のアルフレッドと申します。以後、お見知りおきを」

「ああ、はじめまして。オレは基紀もとき 多諏玖たすくと言います」


 オレが手を差し伸べて名乗ると、一瞬だけアルフレッドの眉間が動く。


「……ほぅ、聞き慣れないお名前です。失礼ですが、ご出身はどちらですか?」

「警戒せんでもよい、アル。タスクは異邦人じゃ。この世界の者ではない」

「異邦人? ……この方が、ですか?」


 握手を交わしながら、オレをまじまじと眺めやるアルフレッド。……何というか、観察されているような気がして、あまり気分のいいものじゃないな。

 そんなこちらの気持ちを察したのか、アルフレッドは手を離した上で、突然失礼しましたと詫びてから、さらに言葉を続けた。


「アイラさんから知らせを受けた見知らぬ場所に、見知らぬ人物がいたものですから。つい勘ぐってしまいまして……。ご無礼のほど、お許しください」

「ま、見ての通り慇懃無礼で食えないヤツじゃが、商いの腕は確かじゃ。勘弁してやってくれ」

「お前が一番失礼なこと言ってるような気がするんだが……。まあ、あんまり気にしてないから大丈夫だよ」

「それは良かった」


 アルフレッドは笑顔を崩すことなく、ずれ落ちそうになるメガネを指で直すと、あたりをキョロキョロと見渡した。


「ところで、ここにお二人で住まわれているのですか?」

「いや。他にあと二人、ハイエルフとダークエルフがおってな。四人で共同生活を送っておる」

「はあ、なるほどなるほど」


 うんうんと頷くアルフレッド。……あれ? そういやベルとエリーゼが出てこないけど、どうしたんだ?


「どうしたもこうしたも……。この阿呆ぅが、龍の姿で殺気を放っておったからの。すっかり怯えてしまってな」

「殺気?」

「家の上を飛んでおったろ? あの時じゃよ」

「いや、申し訳ない。アイラさんに害を及ぼす輩がいないか、軽く様子をみようかと思いまして」

「軽く、という割には、随分と乱暴じゃったの」


 ジト目で見やるアイラに対し、アッハッハと誤魔化すような笑いで応じるアルフレッド。……そんなにすごい殺気なら、オレだって感じてもいいと思うんだけど。


「仰るとおりです。不思議なものですねえ? もしかすると、異邦人ならではの耐性があるのかもしれません」

「なぁに。こやつが単に不感症なだけかもしれんぞ。のう、タスク?」


 ぴょこぴょこと耳を動かし、ニヤニヤと俺の顔を見上げるアイラ。まったく、コイツは……。


「そういうお前こそ、アルフレッドの殺気に何ともなかったみたいじゃないか」

「慣れておるからじゃ。私とアルは付き合いが長いからのう」

「どうだかな。食事の手伝いもせず、身体じゃなくて、口先ばっかり動かしているんだ。身体が錆び付いて、自分でも気付かないうちに、鈍感になっているだけかもしれないぞ?」

「にゃっ……! ち、違うわっ! 先日も見事な狩りの腕前を披露したであろうっ!?」

「いや、アイラの狩りを見たのって、あれっきりだしな」

「むー! そこまでいうなら、今から森に行くぞ、タスク! また巨大な獲物を獲ってこようではないか!」

「嫌だよ! この前みたいなでっかいイノシシとか、マジで危ないだろうが!」

「あのう……。お二人とも、よろしいですか……?」


 不毛な言い争いを繰り広げている中、アルフレッドが遠慮気味に割って入ることで、オレたちは我に返った。


「……っと、申し訳ない。こちらから呼び出して、わざわざ来てもらったっていうのに」

「いえいえ、仲がよろしいようで何よりです」

「ふんっ。私がタスクの面倒を見ているだけじゃ。仲が良いわけではないぞ」


 ……まだいうか、こんにゃろう。不穏な空気を察したらしく、アルフレッドは咳払いをひとつして間を作り、それからオレたちに向き直った。


「それで。本日はどのようなご用件で?」

「おー、そうじゃったそうじゃった。おぬしにタスクを紹介しようと思うてのう。私も今後はここを拠点とするので、これからはここを取引場所に定めたい」

「かしこまりました。……ところで、タスクさんをご紹介していただくということは、何か、お取引できるものがあるということですか?」

「えっと、今のところそんなにはないんだけど……。とりあえず、丸麦が売れたらなと」

「丸麦、ですか。なるほど、畑でも育てられているようですし、ある程度の収穫量は期待できそうですね」


 チラリと畑を見やるアルフレッド。物腰こそ穏やかだが、何となく油断できない感じがするのは、商人の特性なんだろうか。

 視線を戻したアルフレッドは、再びメガネを手で直し、微笑みを浮かべる。


「本格的な取引は次回以降として、とりあえずサンプルをお預かりできませんか? どのぐらいの質の物か、戻って確認したいと思いますので」

「もちろん。すぐに持ってくるよ」

「いや、私が持ってこよう。ついでに狩りで入手した物を、この場で取引してしまいたいしの」


 そう言ってアイラは尻尾を大きく揺らし、踵を返して家に戻っていった……のだが。途中で足を止めると、振り返ってオレを見やり、憎まれ口を叩いた。


「動かねば、後でおぬしに何を言われるか、わかったものではないからのう。目上の者をこき使うとは、まったくもってけしからん話じゃが……」

「いいからさっさと取り行けっての!」


 手をひらひらさせつつ、尻尾を揺らしながら家に入っていくアイラの後ろ姿を眺めやり、オレは大きくため息をついた。はあ、ったく疲れるなあ、ホント……。


 とはいえ、初対面の相手と二人きりというのも、なかなか気まずいもので。アイラと一緒に家に戻るべきだったなあとか、早く戻ってきてくれないかなあとか、そんなことを考えてしまうのである。


「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」


 沈黙に耐えきれず、何か声をかけるべきか悩んでいる最中、先に口を開いたのはアルフレッドだった。

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