17.騒がしい朝食、アイラの提案

 作ったばかりのキッチンに、甘く香ばしい匂いが立ちこめている。初めて使う石窯の火力を調整しながら、エリーゼは微笑みを浮かべている。


「こんな自由に丸麦の粉を料理に使えるなんて……。夢みたいです!」

「オレも、こっちの世界でちゃんとしたパンが食べられるなんて、夢みたいだよ」


 ウサギ肉とキノコでスープを作りながら応じると、エリーゼは慌てて首を振った。


「そ、そんなに期待しないでくださいっ! 美味しくないかもしれないですしっ!」

「これだけいい匂いがするんだから、美味しくなるに決まってるさ。心配しなくても大丈夫だよ」

「そ、そうですかねえ?」


 照れくさそうな表情を見せるエリーゼ。動きやすいようにするためなのか、綺麗なブロンド色のロングヘアは、一本の長い三つ編みに変わっている。

 本人は鈍くさいと言っていたが、どうやら家事は得意らしい。キッチンでキビキビと動く姿は、頼りになるお姉さん的な印象を受ける。


 そんなわけで、異世界に来てから九日目の朝は、エリーゼと一緒に朝食の準備を進めることから始まった。


 昨日、「パンもどき」を食べて感激していたエリーゼなのだが、その後、やや遠慮気味に「よかったら、ワタシにパンを作らせてもらえませんか?」と、切り出したのだった。


「それはいいけど……。パン作り得意なのか?」

「得意、というよりかは好きなんです。いつでも作れるように、酵母を持ち歩いてるぐらいで……」


 エヘヘと照れくさそうに笑うエリーゼ。……いやいやいや。酵母持ち歩いてるって、相当スゴイことだよ!?

 先日、オレがパンではなく「パンもどき」を作った理由は、生地を発酵させるのに必要なイーストが無かったからなのだ。発酵に使える酵母を持っているなら、それは非常にありがたい。


 エリーゼの話では、持っているのは干しぶどうを使った天然酵母の一種で、雑穀パンでも、甘く、ふんわりと仕上がるらしい。


 ……ということで、申し出をありがたく快諾。食事の支度を一緒にすることになったワケなんだけど。

 プロのパン職人と見間違うほどの鮮やかさで、パンを作っていくエリーゼの手さばきに、オレは見惚れてしまうのだった。


「丸麦って、意外と弾力が強いんですねえ。細麦とは違うから、少しビックリしちゃいまし……えっと、ど、どうかしましたか、タスクさん」


 まじまじと見つめていたオレの視線に気付いたようで、エリーゼは戸惑いの声を上げる。


「いやあ、エリーゼ、料理上手なんだなって思ってさ」

「そ、そんな! ワタシなんて全然、たいしたことないですっ! タスクさんこそ、お料理が上手で」

「ああ。一人暮らしも長かったしね。料理作りがいい息抜きになってたからさ、趣味みたいなもんだよ」

「あ、それはワタシもです。食べることも好きなんですけど、作ることも好きで……」

「わかるわかる。調理の動きも早いし、なんていうか手慣れてる感じがあるもんな」

「いえっ! そんなことないんです! ワタシなんて、村でも、のろまとか、デブとかずっと言われてて……」

「え~? そうかぁ?」

「そうなんです……」


 口をつぐむエリーゼを見つめる。ん~……、ふくよかだとは思うけど、太ってるっていうのは、ちょっと違うと思うなあ。それともハイエルフって、相当スレンダーな体型なんだろうか?


 それに、料理の手際なんか相当なものだと思うぞ? これでのろまとか言われたら、求められるのはプロレベルの腕前になるんじゃないかなあ。


 思っていたことをエリーゼへ伝えると、彼女は頬を染め、恥ずかしそうにうつむいてしまう。


「そ、そんな、お世辞なんて……」

「お世辞じゃないって。エリーゼは可愛いんだし、もっと自分に自信を持った方がいいと思うなあ」

「か、かわいっ!?」


 うわずった声を発し、今にも蒸気を上げるんじゃないかというぐらい、ますます顔を真っ赤に染めていくエリーゼ。褒められ慣れていないのだろうか? ぱっと見、二十代前半の外見なのに、こういう反応を見てしまうと、中学生ぐらいの女の子と話をしているみたいで、こっちまで照れくさくなってしまう。


 ……まあ、昨日聞いた話では、エリーゼは一二〇歳らしいんだけどね。見た目と年齢が合致しない奴らが、この世界には多すぎる!


「アハッ☆ 二人とも新婚さんみたいだねえ♪」


 外見は十代後半のギャルにしか見えない一六〇歳のダークエルフは、キッチンへやってくるなり軽口を叩いた。

 新婚さんという一言に、身体を硬直させてしまうエリーゼに代わり、オレが応じる。


「朝から素敵な冗談をどうも」

「ぶぅ~。冗談なんかじゃないのにぃ……」

「それはさておき、どうしたんだ?」

「うん、アイラっちがお腹空いたーっていってたから、ウチも何かお手伝いできないかなって☆」


 あいつ……、腹が減ってるなら自分も手伝いにくればいいだろうが、まったく……。


「悪い悪い。すぐに出来上がるから、リビングで待っててくれ」

「りょ~♪ それじゃ、向こうで待ってるね☆」


 ……はあ、朝から賑やかだなあ、おい。ま、一人だった時より、張り合いはあるけどね。とにかく、エリーゼを正気に戻してから、急いで朝食を完成させよう。


***


「おおお! 待っておったぞー!」


 スープとパンを運んできたオレたちを待っていたのは、椅子に座ったまま、微動だにしないアイラの歓迎する声だった。


「アイラ……。お腹空いてるんだったら、手伝いに来いよ」

「何を言うか。料理が不慣れな私が手伝ったところで、足を引っ張るだけじゃろ?」

「何事もやらないと慣れないもんだぞ?」

「おぬしは目上の者をこき使うつもりかえ? それに人生の先輩が近くにおったら、エリーゼも気を遣ってやりにくいであろうに」

「い、いえ、私は別に……」

「ぬっ! エリーゼ! おぬしの作ったパンは絶品じゃな! もうひとつもらうぞ!」


 散々へりくつをこねた挙げ句、強引に話を打ち切ったアイラは、エリーゼが抱えたバスケットからパンを奪って頬張り始めた。まったく、コイツは……。

 ため息交じりで席に着いたオレに、尻尾と耳をぴょこぴょこ動かしながら、アイラが不満をこぼし始める。


「今日ぐらい大目に見るが良いぞ。おぬしには、私のわがままを叶えなければならぬ理由があるからの」

「ほほう……。まったく心当たりは無いが、一応、話だけは聞いておこうか?」

「なに、私のようにか弱いおなごが、孤独に震えながら夜を越さねばならなくなったのじゃ。その分、ここで甘えてもいいのではと思ってな」

「はあ?」

「わからぬか? 家を改築してからこっち、おぬしと肌を合わせて眠ることができなくなったではないか」

「ぶっ……!」

「裸と裸で暖め合った日々を懐かしく思いだしてな……。心にぽっかり空いた寂しさを食欲で満たすことしかできなかったというわけじゃ……」

「裸だったのはお前だけだったろっ!!」


 声を荒げて反論していると、頬へ二人分の視線が集中していることに気がついた。


「キャー☆ タックンもアイラっちもだいたーん!」

「そ、その……。ワタシ、お二人が、そのような関係とは知らなくて……」


 ベルは興味津々に、エリーゼは赤面して、オレたちを見ているわけだが……。大胆でもないし、そのような関係でもないっ!!

 隣では愉快そうにアイラが笑っているし……。くそぅ、このまま言い続けているのも疲れるだけだな……。諦めてオレも食事にしよう、うん。


 しっかし……。何だな、揃って眺めると改めてわかるんだが、三人とも見事に個性的というか、性格もバラバラというか。

 見た目も、エリーゼが一番お姉さんぽくて、次がベル、一番下がアイラって感じなのに、実年齢はまったくの逆だからなあ。ここが異世界じゃなかったら脳が混乱してるところだ。


 騒がしさに思わず頭を抱えそうになっていると、言いたいことを言い終えたことで満足したのか、アイラがスッキリとした表情で口を開いた。


「ところでタスク。今日は何をする予定なんじゃ?」


 随分と唐突に話題を変えるじゃないか、おい。……はあ。まあ、いいか。


「今日は一応、畑を拡張する予定。昨日、色々と種を集めたし」

「あ☆ お願いしてた綿花の種っしょ? なら、ウチも畑仕事手伝うし♪」

「あ、あの……。ワタシも畑仕事は得意なので、お手伝いさせていただければ!」

「おー、二人ともありがとな!」


 ベルとエリーゼの言葉に笑顔を返して、オレは隣に座る猫人族の顔を見やる。


「なんじゃ? 恨めしそうに私の顔を見おって」

「いや、二人とも手伝ってくれるっていうのに、肝心のアイラさんは何もしないのかなーと思ってな」

「手伝うに決まっておろう。それよりも、じゃ」


 ぬふふふ~と得意げな顔を浮かべ、アイラは続けた。


「おぬしに会わせたい者がおってな。今日はその者を呼び寄せようと思うんじゃが……」

「会わせたいって、誰だよ?」

「ちょっと前に話したであろう? 私と取引をしていた行商人じゃよ」

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