08.猫人族のアイラ

「どうした? 私の顔に何かついておるか?」


 全裸の女の子は、相変わらず頭上の猫耳と、腰から生えた尻尾をぴょこぴょこと動かし、翡翠色の大きな瞳でこちらの様子を眺めている。年齢は十代半ばぐらいだろうか? 歳に見合わない、老人めいた話し方が印象的だ。


 透き通るような白い肌、栗色の美しく長い髪と、同じ色の猫耳。お腹から背中に掛けて、入れ墨なのか紋章なのかはわからないが、黒色の模様が描かれていた。


 ……もしかしなくても、さっきの三毛猫が人間に姿を変えたと、考えた方がいいんだろうな、これは……。


 あまりまじまじと裸を見つめるのも失礼な話なんだが……。あ、いや、下心があるわけでは決してなく! どう反応していいものかを悩みに悩んで言葉が出ないだけなのはご理解いただきたいっ!


 そんなこちらの事情などお構いなしに、猫――だった、女の子は、ずいと身を乗り出してオレに身体を寄せてくる。


「なんじゃ? 私の美しい裸体にでも見惚れたか? まあ、年端もいかぬ若者にはちと刺激が強いかのぅ。おぬしがいた他の世界にも、私のように美しいおなごはそうおるまいて」


 いやいやいや刺激が強いっていうか、どう反応していいのかわからないだけなんだっての、いいからちょっと離れてくれませんかね……なんて思考が高速回転しながら最適な言葉を導き出そうとしている矢先、女の子の放った、とある一言に、オレは違和感を覚えた。


「ちょっと待て。――いま、他の世界って言ったか?」

「そうじゃ。おぬし、異邦人であろう?」

「何でオレが、他の世界から来たってわかるんだ!?」

「わかるもなにも……」

「ああ、ちょっと待て」

「?」

「……話の前に、何か服を着てくれないか?」


***


「まったく、たかが服の一枚でうろたえおって……」


 女の子はブツブツ文句を言いながら、空間に手をかざし、何も無いところからバッグを出現させて、服を着始めた。


「心配せずとも、ここには私とおぬししかおらん。他人の目を気にするようなこともあるまいて」

「いや、気にするだろっ!? 普通、出会ったばかりの人と裸で接するなんてありえないからな!?」

「何かと思えばそんなことか。昨日、下着一枚の姿で水汲みをしておった者がよく言うわ」

「あれは誰もいないと思って……って、見てたのか?」

「うむ、森の中からな。まあ、猫に姿を変えてはおったが、……よし、もういいぞ」


 返事と共に振り返ると、動きやすく軽やかな、どことなく忍者を思わせる服を身にまとった、女の子の姿があらわになった。

 驚きのあまり、あまり直視できなかったが、改めてその顔を眺めると、かなりの美貌の持ち主だということがわかる。


「そういえば自己紹介がまだじゃったな。私は猫人族のアイラじゃ」

「猫人族……。猫にも人の姿にもなれるのか?」

「その通りじゃ、異邦人よ。おぬし、名はなんと申す?」

「あ、オレは基紀もとき 多諏玖たすくっていうんだけど」

「ふむ、タスクか……。若くして異邦の身とは、おぬしも難儀よのお」


 ……若くしてって、オレ、もう三十歳なんだけどな、なんて、ツッコミを入れようと考えたのだが、その前に確認しなければならない重要なことが。


「で? 何でオレが他の世界から来たってわかったんだ?」

「おぬしの持っている能力じゃ」

「能力?」

「昨日から眺めておったが、木材や石材を自由自在に加工しておったろ」

「ああ、構築ビルド再構築リビルドのことか。別に普通の事だろ?」

「何を言うか。この世界でそんな能力を使える者、おぬし以外に見たことがないわ」

「……え゛?」


 ……いや、だって、この世界は『ラボ』のゲームの中だから、みんながみんな、構築と再構築を使えるはずじゃないのか?


「常人にはあり得ない、特異な能力を扱えるのは異邦人の特徴でな」

「ちょ、ちょっと待てよ。さっき何も無いところからバッグを取り出していたアレは……」

「あれは魔法じゃ。慣れれば赤子でも使える」

「赤子でも……」

「他にも、ほれ。それ、そこの畑。丸麦がなっておるじゃろ」

「ああ。あれ丸麦っていうのか」


 小麦にしちゃ、やけに丸っこいと思ってたんだよな。この世界独自のものだったか……。


「普通、丸麦は収穫までに九ヶ月かかる」

「……は? 三日間じゃないの?」

「阿呆ぅ。市場には高級品として出回るものが三日間でできるわけがなかろう。枯れやすく、病気にも弱い、農家泣かせの穀物なんじゃからな」

「あ、ハイ……。なんか、スイマセン……」


 何でかよくわからないが、軽く説教モードに入られてしまい、俺は思わず謝ってしまう。


「おぬしが異邦人だと証明することはまだあるんじゃが……」

「まだあるの?」


 いや、もう十分ですというより前に、アイラは愉快そうに笑って続けた。


「最大の理由は私じゃ」

「アイラがどうした?」

「タスク。おぬし、昨日、私を見ても逃げださなかったじゃろ?」

「昨日? 三毛猫の姿の時か?」

「そうじゃ」

「何で猫を見て逃げなきゃならないんだ?」

「……この世界で、三毛柄は呪いの象徴なんじゃ。猫人族だけでなく、人間たちにも忌み嫌われておる」

「はあ? 三毛猫なんてどこにでもいるじゃんか」

「おぬしの世界ではそうかもしれんがの。この世界では、私以外に三毛猫は存在せぬ」

「冗談だろ?」

「冗談ではない。私の腹部に刻まれた紋様を見たであろう? あれこそ古来より、破滅を導く象徴として伝わるもの」


 アイラ曰く、猫人族の中では、三毛猫は一族に不幸をもたらす忌み子として、古来より言い伝えられているらしい。

 もしも三毛猫が生まれるようなことがあれば、三歳を迎えるまでに、殺すか、それとも追放するかを選ばなければならないとのことで、アイラの両親は後者を選んだようだ。


「それは……」


 ハードモードな人生を送ってきた対象が、その壮絶な過去をあまりにもあっけらかんと話しているので、こちらとしてもどう反応していいのかわからない。


「タスク。おぬしは優しいのう」


 こちらの困惑した様子を汲んだのか、アイラは微笑んだ。


「気にすることはない。もう昔の話じゃ。猫人族と同じ言い伝えは、人間たちの中にもあってな。三毛猫は嫌悪の象徴なのじゃよ」

「そんなことっ!」

「うむ、わかっておる。おぬしがそのようなことを考えていないことはな。三毛猫の姿の私を見て、目を細め、可愛いというような人間は、この世界にまずおらぬよ」


 ……オレとしては、正直な感想を述べただけだったんだけど……。どうやら、この世界の常識とは違ったらしい。三毛猫、可愛いと思うんだけどなあ?


 文化のズレを痛感しつつ、思案に暮れている中、アイラが口を開いた。


「ところで、タスク。見たところ、おぬし、こちらの世界にきて、まだ日が浅いようじゃが……。これからどうするつもりじゃ?」

「どうするって?」

「行くあてや、暮らしていくあてはあるのか?」

「いやあ、この世界に来たばっかりで、まだ右も左もわかんないからな。色々試行錯誤しながら生活していこうとは思っているけど……」

「ふむ。そうか、なら、私がおぬしと一緒に暮らしてやろう」

「……はい?」

「右も左もわからぬのであろう? この世界に詳しいものが一緒なら、おぬしも安心じゃろ?」

「まあ、それは助かるけど……」

「ならば決まりじゃな。今日からよろしく頼むぞ、タスク」


 アイラは強引に話を打ち切り、笑顔で家の中へ入ろうとしている。ちょっと待て! 突然決められても困るってば!

 オレはアイラの手を掴み、ドアの手前で引き留める。


「いやいやいや、突然そんな宣言されても困るってば!」

「困る? 何がじゃ?」


 理解できないと言わんばかりに、きょとんとした顔を浮かべるアイラ。


「生活を助けてくれるのは嬉しいけど、一緒に暮らすのはダメだって!」

「何の問題も無かろう?」

「いや、だって、ほら、見ての通り、この家狭いし。見ず知らずの男女が一緒に暮らすとなると、色々支障が……」


 突然の急展開にしどろもどろになってしまうオレなのだが。アイラはアイラで、オレの言いたいことを察したらしく、ニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。


「なんじゃ? 私のように美しいおなごが側にいると、うっかり手を出してしまいそうだといいたいのか?」

「そ、そんなことは言ってねえし!」

「まあ、おぬし、おなごに慣れてなさそうだからのう。先程も、食い入るように私の裸体を眺めておったしな。助平なヤツめ」

「見てねえからな!!」

「冗談じゃ。話して間もないが、おぬしにそんな度胸がないのぐらいはわかっておる」


 褒められるのかバカにされてるのか、良くわかんねえな、コレ……。


「ま、私も、若者に手を出すほど、飢えてはいないので安心せえ」

「何が安心なのか全然わかんねえよ」

「それとも、じゃ」


 尻尾をだらんと下げたアイラは、少し寂しそうな顔でオレを見上げて、そしてこう呟いた。


「昨日おぬしが言ったこと。一緒に暮らしたいというのは嘘じゃったのかえ?」

「……う゛。嘘じゃ、無いけど……」


 いや、確かに昨日、アイラ(が、三毛猫だった姿)を見た時、間違いなく本心でそういったけどさ!

 それは猫だったからであって、と言うより早く、アイラはニンマリと笑い、尻尾を垂直に立て、踵を返して家の中に入っていく。


「ならお互い何の問題も無いな。これからよろしく頼むぞ?」

「いや、まて、話はまだ終わって……っておい、服を脱ぐな、服を!!」


 ……こうしてオレの生活に、騒がしい同居人が一人増えることになったのだった。

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