@FOuR

 移動車を降りた日奈円かなえ 仍生よるはは、車の鈴木を見送って真っ黒な中にをタイムスリップを予感させるような光を燈らせる星が輝く天空を見上げた。あの星の中のいくつが、すでにその命を終えているのだろう。

 西暦の日付換算としては5月とはいえ、深夜4時目前の夜明けを感じさせる空の吹き付ける風は頬に冷たく感じられる。少しだけ身震いしてしまうが、それが、暖房の少し効いた車内で僅かながら微睡みつつあった車内の空気に甘えていた自分を無心に帰すには丁度良かった。

 まだまだ大半の人間が眠っている街の中に佇む、目の前の異形の建築物は東京拘置所だった。

 自らの身長が160cmにも満たず、一見すれば可愛らしく無害そうな小柄で柔和な印象を与える日奈円には、明らかに余計に似つかわしくない建物であるが、その本施設に向かって歩き出す。睨みつけるでもなく、和やかに眺めるでもなく、その施設を捉える視線には、なんの感情もないような。フラットだった。

 歩みゆく途中、入門の守衛で身分確認を言い渡されるが、懐から取り出した手帳だけで許可される。そのついでに来訪先を告げた。担当者名を告げると、手帳との組み合わせもありすぐに了承された。

 正面玄関を入り、来客用エレベーターで地下3階を指定するボタンを押し、エレベータが降下を始めるとすぐに日奈円は持っていたバッグから一枚のカードを取り出して、行き先階指定パネルの構造上の溝に通した。するとその直後、現在エレベーターのカゴの現在位置を表示するLEDパネルの表示が消灯する。

 地上1階から地下三階まで停止階がないとすれば、普通に考えて十数秒で到着する程度のものだが、エレベータは止まる気配を見せるどころか、やや駆動音を強めて降下を続けた。

 そこから、20秒ほどは降下を続けただろうか。日奈円はゆっくりと速度を落とす感覚を体に覚えた。

 相変わらず行き先表示パネルは沈黙しているが、どうやら目的の階層に到着したようだった。

 完全にエレベーターが静止しゆっくりとドアが開くと、すでに担当らしき人物が待っていた。

「遅くまで、というか早くまで、でしょうか。お疲れ様です。日奈円室長」

「お疲れ様、岐隆きりゅうさん」

 出迎えたのは、刑務官としては似つかわしくないスーツの男だった。刑務官は本来警官制服である。

 降り立ったのは、低い天井から等間隔の照明が設置された鉄製のデッキのような場所だ。明らかに足元は地に接しておらず一歩の足音は空間に響いている。

「帰国早々、ご足労いただきまして痛み入ります」

「全然。それより、状況はどう。レポートはいつもちゃんとあげてくれていてありがとう。ちゃんと読んでいるよ」

 日奈円の口調は、紀麗 息梛の料亭にいた頃のように穏やかだ。

「ありがとうございます。現在は、一昨日お送りしたレポートから大きな変化はありません」

「そう。じゃあ、乗れる?」

「もちろんです」

 おそらく、岐隆と呼ばれた男よりはるかに年下であろう日奈円に、しかし慇懃に接するその男は、どれだけ立場が下なのか。

 そのまま鉄製の非常口のような階段を降りていく。空間は、明かりを最小限に抑えた吹き抜けの構造をしていて、非常に広い建設中の駅のような雰囲気を持っていた。実際、階段の終着点はホームのような構造になっている。ロングスカートに薄手のアウターはロングコートでやや明るめに染められたロングヘアの日奈円の格好はまるで見学者か、傍若無人な支配人のような妙な威厳を放つのに対しスーツ姿の岐隆はどこかスポンサーに対応する広告代理店の営業マンのように腰が低い。

「で、状況は?」

「順調です。と言っても、この施設の場合、何が順調なのかという感じですが」

 臆面もなく、そう指摘する岐隆。

「…それもそうか。暴動とかトラブルはない?」

 受けた日奈円は少々怪訝な表情を一瞬浮かべるが、すぐに納得といった表情に変わって、そう答える。

「現状では、報告している範囲内のこと以外はありません」

「了解。なら、順調というか、平常ね」

「はい」

 そこからは無言で長い階段を下り切る二人。

「こちらで少々お待ち下さい。このターミナルまでの到着にはあと2分ほどかと」

「了解。ところで岐隆さん、休んでる?」

「え?ええ。規定通りには。なぜですか?」

 驚きによるものだろうが、キョトンとした表情で聞き返す岐隆。

「規定通りって、普段ならこんな時間にいないでしょ?大事な時にはいて欲しい人なんだから、ちゃんと休め馬鹿」

「…す、すみません。車両に収めている受刑者にかんしては問題ないのですが、レポートの通り、システム面の修正やらトラブル対応でこのところ…」

「あー。見た。いいよ。それ、現状共有してもらってやれるようならこっちでやるから、送って」

「かしこまりました。いつも、お気遣いありがとうございます」

「全然。その代わり動く時はちゃんと動いてもらうから」

「かしこまりました」

 そんな会話をしているうちに、轟音が遠くから近づいてきた。

「おや、少し早かったですね。最後尾からの乗車でよろしいですか?」

「もちろん。ってか、どこでも」

 了承の返答の後、岐隆は胸につけていたマイクから管制に連絡を送る。すると、聞こえ始めた轟音が少しずつ小さくなり、二人の右手から、電車のヘッドライトがゆっくりと見え始めた。

「参ります。低速侵入ではありますが、ご注意ください」

「ええ」

 それからやや時間があって、先頭車両と最後尾車両にのみ窓のある、奇妙な5両編成の電車が二人の前に停車すした。

 日奈円の正面は、窓のある5両目、最後尾の車両だった。

 完全に停車できたのを確認して、車両のドアが開く。

「どうぞ」

「ええ」

 岐隆の案内に従って、日奈円は久しぶりにその中に足を踏み入れた。




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