第28話
〈それで? ルヴラルィンヤ、あなたはいつまでそこに籠もっている気なの?〉
少し呆れたような。それでいて少しわくわくしているような。いつも挑戦的ではあったけれど、いつにも増して試すような口振りでフヴァーカは言った。
〈今ここにいるのは私とあなただけ。久しぶりにルヴラルィンヤの顔が見たいな〉
久しぶり、とは。もう百年以上は生きているはずのフヴァーカにとって、会えなかった二週間は一瞬に等しいような気がして、ルブラは顔をあげた。
絶望を知らしめるはずの光が、フヴァーカの鱗を七色に輝かせた。
〈フヴァーカ、私はどうしたらいいのですか?〉
今はすっかり開いた洞窟の入り口で足を止め、ルブラはそう尋ねた。目に映る青々とした原っぱと、誘うようにくねる美しい尾が、自然と竜の言葉を使わせた。
〈ごめん。声が遠すぎてよく聞こえない。ちゃんと顔を見せてくれないと〉
〈……嘘つき〉
ルブラは胸元で両手を重ねた。いつもそうだった。どこで誰が聞き耳を立てているかもわからないのにフヴァーカは簡単に掟を破る。いつもドキドキさせられた。誰よりも美しいから誰よりも自信があって、誰よりも自信があるからできるのだと思っていた。
でも、違うのですね、とルブラは深く静かに呼吸をし、眩しさの中に進んだ。目が慣れると、《星を抱く者》の名のとおりキラキラと光る鱗が、すぐ傍にあった。
〈遅い! なんですぐに出てこないの!?〉
フヴヮーカは首を伸ばし鼻先で、とん、とルブラを突いた。
〈嫌われちゃったのかと思って、不安だったんだよ?〉
〈嫌いになんてなりません……! ずっと、ずっと――〉
謝りたいと思っていたのに、竜の掟が喉を狭めた。捨てられなかった《ルヴラルィンヤ》は頑として罪を認めようとしない。しかし――、
フヴァーカの滑らかな肌と温かさを抱きしめ、ルブラは懸命に喉を開いた。
〈ごめんなさい、フヴァーカ。ずっとずっと、なんて酷いことを言ったんだろうって、なんで嫌いだなんて言ったんだろうって……ずっと、謝りたかったのに……〉
フヴァーカは分かっているとでも言いたげにルブラに頬を擦り寄せた。
〈ズィークス・ハシェックっていうヒトは凄いね。私には十年かけてでもできなかったのに、たった二週間でお堅いルヴラルィンヤを悪い子にしちゃうんだから〉
〈フヴァーカ……。でも、本当ですね。ズィークスはすごいヒトです〉
〈うん。分かるよ。だってほら、聞こえる? 耳を澄ましてみて。《空渡の標》の方〉
言われるままに目を閉じ、風に乗って聞こえてくる声に耳を澄ます。《空渡の標》に集まる若い竜達が、標を頼りに天海の底を覗きこみ、騒ぎ立てていた。
なかなか死なないズィークスに苛立つ声、手傷を負わされたムルグイヨを嘲笑う声、ムルグイヨがやられたら次は誰が行くかと話す声もある。名乗りでる者もいる。
〈なんて醜い声なんだろうね。ズィークス・ハシェックも、ムルグイヨも、命を賭けているのに。ずっとこの島で生きてきたから、どれだけ凄いことか分からないんだ〉
〈……フヴァーカには分かるのですか?〉
〈もちろん。だって私は、あなたに会えたから〉
ふいに首を下ろし、フヴヮーカは真っ直ぐな眼差しをルブラに向けた。
〈誰よりも強い力をもっていながら、何も変えようとしないあなたを見てきたから〉
〈フヴァーカ……?〉
〈ごめんね。今からとても酷いことをあなたに言う〉
フヴァーカはゆっくりと瞬き、寒さに耐えるかのように身を縮こまらせ、息をついた。
〈醜いから、何? 笑われたから、何? あなたには黙らせるだけの力があったのに、何もしなかった。あなたに力がなければ、私は友だちになろうだなんて思わなかったのに〉
〈フヴァーカ……それは……〉
〈嘘じゃないよ。私はあなたの力を知ったから、あなたと友達になろうと思った。見てくれしか気にしない竜を黙らせてほしくて。掟なんて下らないものを壊してほしくて。だから私は、あなたの前で掟を破ってきたのに、あなたは変わらなかった〉
フヴァーカは瞳を潤ませルブラに頬を擦り寄せた。
〈ルブラルィンヤ。私はあなたのことが好き。大好き。でも、頑ななあなたは大嫌い。だから、これで最後にして。お願い〉
〈……最後、ですか?〉
〈そう、最後。分からない? あなたは決闘を止める《牙》の一柱。最強の《憤怒の牙》でしょ? あなたを求めるあのヒトは、ムルグイヨと決闘してる。急がないと――〉
フヴァーカの声を遮るように、古竜の重々しい声が天海島に響き渡った。
《牙》は何をしている?
あのヒトは空を落とすと言ったのだ。お前たちで噛み殺してしまえ。
《憤怒の牙》を除く三柱への命だ。騒ぎに興味を示さなかった三柱の《牙》が翼を開いたのを感じる。竜の掟は絶対。急がなければズィークスは殺されてしまう。
〈ルブラルィンヤ。どうするの? 今度こそ、自分で決めないと〉
〈……行きます。ズィークスが空を落とすと望むなら、私が空を落とします〉
〈そう。本当に悪い子になったね〉
フヴァーカはいつもより少しだけ強くルブラに頬ずりをして、翼を開いた。
〈行こう。私の躰を盾にして。あいつらにだって、きっと手出しできない〉
〈ありがとうございます〉
微笑みながらそう言って、ルブラは首を横に振った。
〈でも、ダメです。あなたの目に天海を汚す血を写させたくありません〉
〈……でも、大丈夫なの? 相手は《牙》の三柱だけじゃ――〉
フヴァーカの口を両手で塞いで、ルブラは紅い瞳を輝かせた。
〈私を誰だと思っているんですか? 《憤怒の牙》ルヴラルィンヤですよ? 鈍った《牙》の三本くらい、片手で折ってみせます〉
〈それが見たかったのに……〉
残念そうに鼻息をつき、フヴァーカは翼を畳んだ。
〈分かった。いいよ。あなたの邪魔になりたくないし。頑張ってね〉
〈はい。ありがとうございます。フヴァーカ〉
額をフヴァーカの鼻先にあて、もう一度、ありがとう、と心の中で呟き、ルブラは大地を蹴った。空に舞い上がると同時に、それと察知した古竜が新たな命を飛ばした。
ルヴラルィンヤを行かせるなと、なんとしてでも止めろ、と。
大樹の森林どころか島全体を揺らすかのような重い声。
山に、森に、泉に、そこかしこから竜が飛びたち、翼を羽ばたき始める。古竜の声に応える彼らは、しかし怠惰で、傲慢で、闘志にも覇気にも欠けている。見てくれだけで全てがまわる狭い世界で生きてきた彼らは、ヒトが恐れる竜ではない。だから、
「恐るるに足らず、ですね」
ルブラは大きく息を吸い込んだ。ずっとずっと腹の底に溜め込んできた怒りの澱に、覚悟という名の種火を寄せる。そして、
〈我が名は《
世界を焼き尽くす劫火を熾す。
クァッ、と美しい声で小さく鳴き、フヴァーカは囁くように尋ねた。
〈行く前に教えて。なんで彼のことが好きになったの?〉
〈……初めて会ったとき、一目で、私のことを美しいと言ってくれました。それに外套をくれて、ルブラという名前までくれたのです〉
〈……自慢してくれちゃって。元気でね。ルブラ〉
〈……! はい! フヴァーカも!〉
掟という殻を破り猛烈な速さで遠ざかっていく親友を見送って。しばらくして声も届かなくなった頃合いに。
フヴァーカは見てくればかりで何の力もない自身を笑い、ついて行くことすら許されなかった自らの弱さに牙を剥き、やがて用をなくした小さな巣穴に呟いた。
〈……美しい、か……それだけで良かったなら、もっと早く言えばよかった。ダメだね、私も〉
世界で最も美しい竜は、竜として生きてきたなかで最も深い溜め息をつく。
天海島を揺らす爆音が響き渡った。見れば、空が赤々と燃えている。夕焼けよりも紅いルブラの火焔に恍惚としながら、フヴァーカは秘めてきた思いを込めて自慢げに言った。
〈バカだなぁ、ルヴラルィンヤを怒らせるだなんて〉
世界で最も美しい炎を見つめ、竜は
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