第25話

 衛兵の問いかけをのらりくらりと躱し、ズィークスは自身の執務室に戻った。


「どうだ? 何かいい案はできてるか?」

「ええ」


 ボナエストは呆れ顔で罅入った天井を指した。


「床に穴を開けて降りてくる気なのかと思いましたよ。いくらなんでも無茶がすぎるのでは?」

「階段が遠いのが悪いんだよ。それで?」


 さらりと返して尋ねるズィークスに、ナーリムがすぱっと手を挙げた。


「人間が頼んで竜が受けてくれるどうかはともかく、竜ならどうするかは分かります」

「必要なら受けさせる手はまた別に考えるさ。続けろ」

「ルブラさんから聞いた話と私の調べた話をまとめて考えてみました。推測の域はでないんですけど……竜は一夫多妻と原始的な夫婦構造を――」

「細かい話はいいから結論から言ってくれ」


 顔をしかめたズィークスは戦鎚を武器棚にかけ、どかん、と椅子に座った。

 ナーリムはぷぅっと頬を膨らませ、しかしすぐに言い直す。


「竜には、雄が同じ雌を選んだとき決闘で取り合う文化があるんです」

「決闘だって? そういやルブラが何か言ってたな」

「はい。ルブラさんが言っていたのが正しいとすれば、ですけど」


 ナーリムは丸眼鏡をぐいっと押し上げ、手帳を睨んだ。


「動物の基本です。雌は取り合うもの。方法は単純な力比べで、本来の竜のしきたりではどちらかが死ぬまで戦うらしいのですが……現在はルブラさんの心象で決まるとか」

「ルブラの心象? どういうことだ?」

「ルブラさんは竜同士の闘争を仲裁する《牙》という役目です。簡単にいえば審判ですけど……その……いじめられているらしくて。しょっちゅう呼び出されるんだとかで」

「……それで?」

「最近はやめるまで見ているんだそうです。最近の竜は臆病で、戦うといっても――」


 二匹の竜が睨み合うのを膝を抱えてぼーっと眺めるルブラを想像し、ズィークスは吹きそうになった。彼女ならやりかねない。途中で退屈になってうたた寝まである。


「ともかく。取り返す大義名分はつくれるってことだな?」

「です。ですけど……朗報はここまで、ですかね」


 ズィークスは目の奥のさらに深いところの一点に小さな痛みを覚えた。頭痛の種だ。きっと、すくすく育つだろう。

 その予想は、すぐに当たった。


 まず決闘を挑む手段がない。正確にいえば、手段はあるが必要な道具を手に入れるのが困難だった。決闘を挑もうにもズィークスは地上に、ムルグイヨは遥か空高く天海島にいる。勝負を挑みたければ霊峰の頂で儀式を行うしかない。

 儀式自体は以前と同じだが、増えた文言を伝えるのに必要な蒼煌石がないのだ。

 最初の召喚では拳大の大きさでよかった(といっても三つを探しだすだけで数ヶ月を要した)が、竜に決闘を申し込むには人間の頭くらいもある蒼煌石がいる。そんなもの、見つけた瞬間から国宝になりかねない。


 そしてもう一つ。

 ヒトの身でどうやって竜を倒すのか。


 伝承通りなら竜鱗はあらゆる刃物を阻むという。本物の竜鱗に触れたズィークスの感触でも、《金剛不壊》をかけた戦鎚でやっと傷をつけられるかどうか。肉厚で強靭な皮の下に膨大な筋肉が走り、その下に冗談みたいに硬い骨がある。

 竜鱗を切った武器といえば英雄ヨーグの聖剣があるが、安置されているのは神皇ロウリアのさらに西で、今は聖地の一つだ。行けないし、行っても持ち出せるはずがない。


 ズィークス達は蒼煌石の準備を一旦脇に置き、竜を倒す方法を探した。資料という資料を読み返し、あの手この手と首を捻り、気づけば日が暮れていた。

 分かったことは、たった一つ。

 ボナエストの画力は笑えないほど酷い。画伯だ。資料を探す手助けにと黒い竜ムルグイヨを描いてくれたのだが、ナーリムすら絶句する恐ろしさだった。


 悪夢を写し取ったかのような絵の記憶を頭の奥底に封印し、ズィークスは凝り固まった背筋を伸ばした。パキパキと骨が鳴り、痛みが走った。躰はとうに限界だった。


「あの……ズィークスさんは、もう休んだ方がよくないですか?」


 ナーリムは資料をめくる手を止め気遣うように言った。絵を酷評されてから黙々と資料を読んでいたボナエストも、そうですね、と同意する。


「いくらいい方法が見つかってもズィークスが動けないどうにもなりません。資料を漁るのは私とナーリムだけでもできますし、もう家に帰って休んでください」

「……ざっけんな。なめんな。ふざけろ。いくらでも言えそうだけどな……そうする」


 ズィークスは自嘲気味に口の端を吊って、かくん、と首を垂れた。昨夜、竜の出現が巻き起こした喧騒を治めるため走り回ったのもあり、睡魔が優しく頭を撫でていた。

 だが、調査を自慢の部下に任せ帰途についたズィークスは、すぐに後悔した。


 ルブラと出会う前に比べれば早すぎるくらいの帰り道。店を閉めようとする露天商たちが少しでも荷物を軽くしようと、残り物の値下げを声高らかに宣伝している。

 ルブラが横にいれば、あれは何、これは何、となかなか前に進めないだろう。いつでも買えると言っても聞きやしない。ヒトよりもずっと長い命のはずなのに、一時一瞬を惜しむかのように生きていた。なのに。今はただ素通りする。

 古いながらも設計と石組みが自慢だった我が家も、今はどこか虚しい。早く早くとせがまれることもなく鍵を開け、戦鎚を下ろし、誰と話すでもなくソファーに座る。


 何をするでもない。何もできない。一人だ。

 ズィークスは固く瞑目した。

 そして。

 扉を叩く音に、ズィークスは重い瞼を持ち上げた。


「……寒っ」


 ルブラを起こそうと膝上に伸ばした手が、空を切った。握り、乱暴に腿に落として、重くなった頭を背もたれに乗せる。また、扉が叩かれた。


「開いてるよ! 入りたきゃ入れ!」


 すぐに丸眼鏡の文化人類学者が、遅れて嫁持ちの美丈夫が入ってきた。


「夜分遅く失礼しまっす! ……って、そこで寝たんですか!?」


 ナーリムが眉をしかめた。お前が言うなと、そして簡単に言ってくれるなとズィークスは思った。大枚をはたいて購入したベッドだが、胸が重いからと立てた枕を抱えていた竜を思い出すから、今は目に入れたくなかった。

 ボナエストは右手を山刀の柄に乗せて鼻で息をつき、白い手紙の封筒を突き出した。


「玄関のところに落ちてましたよ」


 あん? と指の間に挟んで目を落とす。高級感あふれる真っ白な厚紙に仕立て屋の紋章が浮出しで入っていた。ズィークスは左手で顔を覆い、便箋をローテーブルに投げた。

 宛名は『紅い瞳のルブラ様』だった。見なくても何の報せか分かる。特注の服が完成したから見に来てくれとか何か、そんな内容だろう。やはり、目に入れたくなかった。


「……で、どうだったよ?」

「……どの面下げて、と来る前にナーリムと話しました」

「顔が選べるのか? だったら今度一つ貸してくれ。俺もたまにはモテてみてぇ」


 肌で感じる微妙な空気。笑えないほどかとズィークスは躰を起こした。


「何か一個くらい、いい話はないのか?」


 ボナエストとナーリムは顔を見合わせ、かぶりを振った。ないようだ。どデカい蒼煌石も、その代替物も、竜を倒す術も、何もない。普段なら、まだ一日目だからと、声をかけることだろう。だが、今は、ズィークスもうなだれることしかできなかった。

 ナーリムが聞きだした竜のしきたりに従えば、まだ幾ばくかの猶予はあるが、そう長い時間はかけられない。

 居間に重い空気が満ちるなか、ボナエストが思い出したように言った。


「朗報といえば朗報が。家の前の街灯が点いていましたよ。猫が許してくれたようです」


 一瞬、嫌味かと思った。


「ばーか。違ぇよ。ルブラが魚の干物をやったんだ。だからだよ。一緒に暮らしてる奴は気に入らないが、あの娘に恨みはない。よし、点けてやれ。そんなとこだろ」

「あ、それはあるかもしれませんね! 竜は万物の祖として全ての動物に畏怖されています! ルブラさんの環境適応能力を見れば――」


 途端にナーリムが縷々と自説を語りだし、ズィークスは思わず肩を揺らした。オークの案件と同じで時間が勝負だ。さっさと切り替え明日は突破口を見つけなくては――。


「――で、もしかしたらルブラさんがヒトの姿形をして生まれてきたのも万物の祖である証拠なんじゃないかと思うんですよ! つまり単為生殖によって過酷な環境で――」

「分ーかった! 分かったって! ちょっと静かにしろ!」


 ズィークスがやかましいとばかりにそう言うと、ボナエストが苦笑しながら手を伸ばしナーリムの口を塞いだ。それでももがもがと必死に喋ろうとするナーリムに苦笑する。


「とりあえず今日のお前達の頑張りに免じて、褒美をとらそうじゃないか」


 冗談めかして言って、ズィークスはベルトポーチから《星の欠片》の小瓶をだした。いくつかくれてやろうと手の上で瓶を振る。すると。砂糖菓子の粒に混じって、明らかに異質な赤を放つ丸い粒が転がりでた。小指の爪ほどの大きさの、他とは違って角のない粒。


「……あった」

「えっ?」とナーリムが丸眼鏡を押し上げ、「あぁ!」とボナエストもそれに気付いた。


 ズィークスは血のように赤い粒をつまみ上げ、言った。


「……竜血晶だよ」


 飲めば、ごく短時間、ごく少量ながら、竜の力を身に宿すことができる伝説の薬だ。

 ヒトの身には過ぎた力ゆえ、使えば後に地獄の苦しみを味わうというが。

 だから、いざという時以外で使ってくれるなと言われたが。


「使うなら今――って、そうか!」


 ズィークスはそれに気づき弾かれたように立ち上がった。呆けたように座っていたソファーを見つめる姿に、ボナエストとナーリムが困惑を絵に描いたような顔をする。


「あ、あの? ズィークス?」


 とうとう頭がおかしくなりましたか? とでも続きそうなボナエストの声。

 ズィークスは首を振って、肩越しに言った。


「あるんだ。蒼煌石も、竜を倒すのに使えそうな道具も」

「……どこにですか?」


 と、ナーリム。


「俺のケツの下にだよ」


 ズィークスは凶暴な笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る