第24話

 また、この巣穴に逆戻りですね。


 久方ぶりに感じる乾いた竜草の感触にため息をつき、ルブラは躰を起こした。

 あの後、休むことなく空を泳ぎ《空渡の標》から天海島に戻り、古竜に報告するというムルグイヨと別れ、ルブラはこの巣穴に舞い戻った。巣穴の前には、懐かしいフヴァーカの匂いが残っていた。ずっと守ってくれていたのだと思うと胸が傷んだ。


 早く謝りにいかないといけませんね。


 そう思いはしても、躰がひどく重く感じ、動けそうになかった。昨夜ズィークスに謝れなかったことを思うと、後悔しないためにも早くと気ばかり急いた。

 柔らかいベッドが恋しい。乾いた竜草の方が寝心地はいいが、ベッドの上で、ソファーの上で、ズィークスに寄りかかっている方がずっと楽で暖かかった。


 ほぅ、とルブラはため息をついた。ムルグイヨの様子だと、じきに婚儀を言いつけられるのだろう。そしてまた他の竜になじられ、嘲られ、道具のように扱われるのだ。天海の底でオークが拐った娘にしていたように、子を成すための装置にされる。


 いっそ全てを壊して天海の底に堕ちようか。


 仄暗い炎が腹の底に灯った。だが、ため息ですぐに吹き消す。たとえそれができたとしても、したいとは思わない。こんな見てくれだから、せめて竜らしくあらなくては。

 ルブラは竜草の山に顔を埋め、声を殺した。

 外では、竜が、ルヴルラルィンヤの胎を呼んでいた。


  *


 同じ頃、首都、オーレグ。まだ露天商が軒を連ねる前の通りをズィークスとボナエストがガツガツと石畳を蹴りつけていく。朝一番で帰還した二人はナーリムの住む集合住宅に直行し、話は後だと寝ぼけ眼の彼女を引きずり起こし、調停院に入っていった。

 受付への朝の挨拶はなし。タコ部屋も無視。執務室の扉を半ば蹴り開けペンを取り、まっさらな紙片に思いの丈を書きつける。


「ボナエスト。ナーリムに状況説明して二人で大義名分を作れ」

「はっ? えっ? あの、大義名分? 何がどうなってるんです?」


 説明していないので当たり前だが、ナーリムは混乱しきっていた。ボナエストはその背中を机へと押しやり、真っ二つに引き裂さかれた文書をズィークスに差し出した。


「おう。ちょっと仕事を終えてくるわ。すぐに戻る」


 ズィークスは紙片を胸にしまい、文書を片手に部屋を出た。廊下を早足で進み階段をとっとと登りメルラドの執務室に向かう。血が滾っていた。その形相はまるで獣だ。知る人が見れば《兎耳の兄弟団》の切り込み屋を思い出しただろう。その証拠に、


「おはようございますズィークス一級ちょ――ひぁ!? ま、えっ!?」


 前室で受付をしていた助手は顔を見るなり悲鳴をあげた。制止を振り切り、ズィークスは分厚い扉を蹴りつけた。奥で人の動く気配があった。


「メルラド! ズィークス・ハシェックだ! 入るからな!」


 ドアノブに手をかけると、当然のように鍵がかかっていた。だから待ってと引き止める助手を睨んで下がらせ、扉を蹴った。一度、二度、三度。溜まりに溜まった怒りをこれでもかとぶつけた。閂周りが激しい音とともに破断し、開いた扉が壁を打った。紫檀の執務机につくメルラドが慌てて煌石銃に手を伸ばす。


 ズィークスは眉根をこれでもかと寄せ、唇の端を吊った。右手で握りつぶしていた文書をメルラドの顔面めがけて投げつけ、その間に戦鎚を吊る革帯を解く。

 ゴン、と柄頭が床を打った。一瞬の静寂。ズィークスの躰から怒気が溢れた。


「メルラドオオオオォォォォォォ!」


 戦鎚を引き摺りながら駆ける。柄頭が床を削り飛ばして鳴いた。メルラドの銃口がこちらに向こうとしている。遅い。ズィークスは机の前で足を止め、戦鎚を振り上げた。鳴洞器が風を取り込み《金剛不壊》の呪音を響かせる。両手を、柄の際まで滑らせた。

 打音。

 まるで地響きだった。紫檀の机は抽斗の中身もろとも圧し潰され、砕けた破片と破れた紙片がバラバラと散った。白銀の柄頭が打ち据えた床は、無残に罅入っていた。


「な、な、な……なん、だ……ズィークス!」


 煌石銃を握るメルラドの手は小刻みに震えていたが、さすがは《外道》の上司というべきか、際のところで耐えているようだった。

 しかし、上級調停官あるいは貴族という立場を余すところなく使った交渉術は、必要とあらば暴力も辞さないズィークスには何の効果も持たない。


「そいつは、どういうことだ?」


 ズィークスの視線が一瞬、メルラドの足元に散らばった報告書に向いた。

 メルラドはつられたように一瞥し、襟元を緩めた。青白くなった頬を汗が伝った。


「わ……」「わ?」「私のせいではない!!」「へぇ?」


 ズィークスの荒ぶる獣のような瞳とメルラドの蛇のような瞳が視線を交える。目には見えない切り合い。すでに互いの首筋に刃が触れている。

 傍からみればごく短い応酬にしかみえないが、当人同士は理解していた。

 竜との交渉は極秘案件だ。関係者と《六人会議》以外には明かせない。だからこその中身を一切語らないやりとりである。それは調停士ズィークスの矜持をも示していた。


「あの野郎、ルブラを連れてっちまった。あんたに責任はねぇのかよ」

「……ない! 私は……私は被害者だぞ!?」


 実際のところメルラドは脅されたのではなく操られたのだが、重要なのは何をされたかではなく、被害者なのか加害者なのか。それを知った上での回答である。

 二人は、返答次第で殺すと宣言し、調停交渉を進めているにすぎない。


「……ッ! ズィークス、お前……ッ!」「ああ」「…………」「だから、頼みがある」


 惚れたか、そうだ、沈黙、手伝え。ただそれだけ。ズィークスは構えを解いた。


「あんたが裏切ったんなら許さなかった。違うなら被害者同士、手を組もう」

「手を組もうだと? これだけのコトをしでかしておいて――」

「転移門を使いたい」


 ズィークスは叱責と罵倒を無視して言った。メルラドが忌々しげに歯を軋ませる。


「……いつだ」

「俺が行きたいと言ったらすぐに」ズィークスはメルラドが口を開く前に続けた。

「こいつと引き換えに。あんたならうまく使えるだろ?」


 持ち上げた戦鎚の、紫檀の机を潰した柄頭の下に、破れかけの紙片があった。

 振り下ろす直前、机に投げた『辞める』とだけ書かれた辞職願。執務室で書きつけたばかりのできたてほやほや、署名も捺印もない紙一枚だ。普通ならば受理も何もあったものではない。

 しかし、背もたれを軋ませたメルラドは、半ば無理やりといった様子で口元を歪めた。


「凄まじく力動的ダイナミックな交渉術だな。誰に教わった?」

「あんたには感謝してる。……中途半端で悪ぃけど、降りる理由ができちまった」


 言い切るのとほとんど同時に、衛兵がドヤドヤとやってきた。助手が呼んだのだろう。

 メルラドはすばやく視線を滑らせ、ズィークスを怒鳴りつけた。


「机を壊すやつがあるか!? 私はこのあと大事な依頼人に会わんといかんのだぞ!? お前なんぞは地べたを舐めても話せんような相手だ! 私の――」


 メルラドは衛兵を一瞥して、ぐっと唇を噛み、薄くなった頭髪を撫でつけた。


「私の髪がこれ以上減ったら貴様のせいだからな!」


 面食らったズィークスは、躰をのけ反らせ、喉元まででかかった笑いをこらえた。


「知り合いの旅商からいい薬があると聞きました。その気があるなら手配しますが」

「いるかバカめ! さっさと仕事に戻れ!」


 メルラドは煌石銃を膝の間に落とし、衛兵に指を差し向けた。


「ここが誰の執務室か分かってるのか!? さっさと出ていけ! 仕事の邪魔だ!」


 呆気にとられる衛兵。ズィークスは声を殺して笑い、メルラドに小さく目礼した。

 戦鎚を担いで衛兵とともに部屋を出ていく《外道》を見送って、メルラドは細い櫛を出して髪に通した。二本、金色の毛が絡みついていた。舌打ちし、助手に吼える。


「衛兵なんぞ呼ぶんじゃない! 私が臆病だと思われたらどうしてくれるんだ!」


 傍からみれば、まったくいつもと変わりない。

 しかし《人形遣い》のメルラドは、割れんばかりに歯を噛み締めていた。

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