第21話

 小屋の中には、拐われた三人の娘が等間隔に配置されていた。泥で汚れているが白い肌は健康そのもの。しかし、いずれも瞳は虚ろで生気は感じられない。手足の切断面から伸びる太い根が、大地にびっしりと張っていた。


 苗床――種を存続させるための大量繁殖装置だ。

 オークの自然繁殖は雄と雌との生殖行為によって成されるが、大本がエルフであるだけに、それでは戦時に求められる膨大な個体数を確保できない。そこでエルフは古代の魔術と薬草の知識を駆使して生殖行為に代わる繁殖方法を編み出した。


 必要とするのは健康な雌の人型動物と、エルフの生んだ醜悪な秘薬だけ。作り方も手順のおぞましさを除けばごく単純である。

 拐ってきた雌に秘薬を飲ませ、四肢を切断する。それだけだ。


 犠牲者は薬によって生殖に不要な脳組織を破壊され、切断された四肢から生体を維持するための根が伸びる。それでオークの大量繁殖装置、肉の苗床は完成だ。後はオークが苗床を相手に生殖行為を行えば、通常なら三週間前後で出産を迎える。

 あまりに非人道的な外法は戦後まっさきに禁止され、戦時中に支給された秘薬はすべて回収された……と、言われているが、しかし、


 本当に回収してくれるほど、エルフは的ではない。


 ズィークスはむせ返るほどの精の臭気に顔をしかめながら首を振り、小屋の片隅にまとめて置かれていた剥ぎ取られた衣服の山から形見になりそうなものを探し始めた。


「……なんて酷い……ズィークス。同族をこんな目に遭わされて、許すつもりですか?」


 小屋に入ってきたルブラは眉間に深い皺を寄せていた。止めたところで入ってきただろうが、見せたくなかった。これから言わなければいけないことも、聞かせたくはない。


「許さないよ。だから、さっき殺した奴らの指をいただく。証拠にな。それで終わりだ」

「それだけですか? こんな……こんなことをされて、それだけ……?」


 ルブラの声に怒りが滲む。ボルィムィールもすがるような目をズィークスに向けた。

 だが、ズィークスは一瞬目を伏せただけで、淡々と返した。


「報告はするけどな。俺にできるのは、そこまでなんだよ」

「ズィークス。あなたが望むなら私の力をお貸しします。こんな、天海島の雄のようなやり方、私には我慢なりません。償わせるべきです」

「そうだ……そうですよ、ズィークスさん。さっきみたいに、こいつら全員――」

「ダメだ」


 ズィークスは土で汚れた装飾品を見つけ、衣服の切れ端で包んだ。


「それは調停士の仕事じゃない。調停士の領分は、この集落とお前の村との争いを諌めるところまでだ。禁止薬物の使用も、エルフの介入も、この件に直接的な関係はない」

「関係あるだろ!? あんたがやらないなら僕がやる!」


 そう声高に言うボルィムィールの拳は、鮮血が滴るほど強く握られていた。


「やめろ。形見を持って帰るんだよ。従わないなら、こいつで頭を引っ叩くぞ?」


 ズィークスは表情を消し、ゴン、と戦鎚の柄頭を床に突いた。


「……なんだよ……なんだよそれ! あんた正気じゃないよ! やりたきゃやれよ! 僕はどんな手を使ってでもあいつらを村に引きずり出してやる!」


 ズィークスは、細く、長く息を吐いた。


「引きずり出して、どうすんだ? 裁判にかけるか? オークは人と違うぞ。ここで起きてることは、あいつらにとって普通のことだ。悔いたりなんかしない」

「それなら――」

「村の連中に渡すか? 寄ってたかって棒で叩いて、石を投げて、唾を吐きかける? オークが叫びながら死ぬのを見て、皆で笑い合うか? 恨みを買ったら終わりだぞ」


 ズィークスは突き立てた戦鎚に体重を預け、低い声で言った。


「俺が正気じゃないって言ったな。今さら気付いたのかと言ってやる。俺は下っ端のオークが喋れないことくらい知ってる。それでも自衛権を叫んだんだ。マトモなわけねぇだろ」


 ボルィムィールは答えない。ズィークスは淡々と問う。


「逆に聞こう、お前はマトモか? 思い出せ。そんで考えてみろ。村の誰かが、よその村で火付けして殺された。むかつくから村ごと焼いちまえ。そう言うお前はマトモなのかよ」


 ボルィムィールは顔を伏せたまま動かない。


「調停士なら、他人の正気を疑う前に、まず自分の正気とやらを疑ってみるんだな」


 ボルィムィールはのろのろと顔をあげ、小屋の外を警戒する半獣人の背に聞いた。


「ボナエストさん。あんたはどうなんですか。あんたも、こいつと同じ考えなんですか」

「いいえ」


 ボナエストは顔も向けずに即答する。


「ですがズィークスも正しいと思います」

「半獣人からすりゃ他人事ですか」


 昏い声だった。


「……私の妻は人間ですよ」


 ボナエストは山刀の柄を叩いた。


「まだ言いたいことがあるでしょうが、後にしましょう。オークが殺気だってきている」

「だろうな。異種族がいつまでも苗床の近くにいりゃ、そうなる」


 戦鎚を背負い直そうとするズィークスに、ルブラが強い声を投げつけた。


「……ズィークス。見損ないました。後でお話があります」


 じっと睨む縦長の瞳孔。竜の紅い瞳。ズィークスは目を背けなかった。いつかはしなくてはならなかった話だ。メルラドの命令は少し時期を早めたに過ぎない。


「分かった。後で聞く。――おら、行くぞ、ボルィムィール」


 ズィークスは駐在調停士の襟首を掴んで力任せに小屋から引きずり出した。陽の光が目に痛かった。未だオークの集落にいるというのに、外気に肺を洗われるようだ。


「今日はこれで帰る。次に人間を見つけたら、まず威嚇しろ。で、逃げたら追うな」

「ミナ ニ ツタエヨウ シカシ――」

「言ったろ? 『しかし』はない。次はこんなもんじゃ済まなくなるぞ」


 去り際に警告し、返答を待たずに集落を出た。途中、襲撃を受けた場所に寄り、ボナエストと二人がかりでオーク達の親指を落とし麻袋に詰めた。

 ボルムィールが少年達の死体を持ち帰るべきだと主張したが、ズィークスは拒否した。少年達の亡骸を持ちかえってしまえば、形見しか手元に残らない娘達の遺族は納得がいかなくなる。ボルィムィールは娘達の惨状を隠すつもりなのかとズィークスに詰め寄った。だが、


「どう伝えるかは任せる。俺なら正直には話さない。遺族が仇討ちしようとして無駄死にしちまう。言いにくいなら俺が説明してもいいが、俺に任せれば絶対に真実は話さない」


 一級調停士ズィークス・ハシェックにそう言われ、ボルィムィールは口を閉じた。

 村に戻った駐在調停士は、自分の口から遺族に伝えることはできなかった。


  *


 転移門がある街に着いたとき、空には月が浮かんでいた。

 ルブラは宿の一人部屋でベッドに寝そべり、胸の内に渦巻くものを吐息に変えた。話す機会が訪れるのを待つ間、時を経るごとに腹の底の炎は弱まり、ついには消えた。

 きっと、ズィークスが呟いた一言のせいだ。


『いつか俺は背中を刺されるな』


 馬車の外を見つめる彼の笑みは痛いほどに乾いていて、何も言えなくなってしまった。

 ボナエストの話を思い出す。ただのズィークスはイイやつだが、調停士のズィークスは嫌いだと言っていた。あのときは分からないまま信じたが、今ならどういう意味かよく分かる。

 完全にモノへ変えられた少女達と、成り行きで始末した数匹のオークと等価に扱う。しかも真実は隠し、都合のいい解釈を語り、残された者を黙らせてしまう。


 調停士のズィークスはヒトの道から外れた生き物――《外道》だ。

 ズィークスは《外道》の名を否定しない。むしろ誰よりも重く受け止めている。

 だからこその、あの言葉――。


 ズィークスは非情ではない。お義母様がいて、お義姉様がいて、ボナエストやナーリムのように志を同じくする友もいる。


 私は、どちらのズィークスを見損なったのでしょうか?


 ルブラは長いまつ毛をゆっくりと下げ、固く瞑目した。ヒトは立場に縛られる。


 ……私も、同じですね。


 竜のルヴラルィンヤはヒトに同情などしない。目の前でヒトが傷ついていようが、どうでもいいはずだった。娘がどんな目に遭っていようと関係ないはずだったのだ。

 しかし、ルブラは怒りを覚えた。ズィークスが傷つけられたことに。あの惨状を目の当たりにしたときに。嘘と秘密で真実を塗りつぶす調停士に。

 ぱたり、とルブラは寝返りを打ち、投げだした手の先を見つめた。


「……寒いですね……」


 ヒトの言葉で呟き、ルブラは自分の肩を抱いて丸まった。そこにあるはずの温もりがない。ボナエストと合流してからの、たった数夜。竜のルヴラルィンヤならいつものこと。ルブラにとっては凍える夜だ。苦しくて、悲しくて、寂しくて、耐え難い。この先もずっと同じ夜が続くのではないかと思うと目の奥が熱くなった。


 一刻も早く、なんとかしなくてはと思う。やることは一つだ。ズィークスと話す。それだけでいい。何を話すのか。怒りたくなんてない。言われなくても彼は知っているのだ。

 怒りをぶつけるなんて、ルヴラルィンヤにもできる。竜に相対するのが調停士なら、

 ただのズィークスと話せるのは、ただのルブラだけだ。

 ルブラは紅い瞳を瞬き、むくりと躰を起こした。


「……謝りましょう」


 見損なったと言ったことを。早計だったと。そう心に決めた途端、心臓が痛いほど強く脈打ち始めた。ずっと従ってきた竜の掟に反するおこない。過ちを認め頭を下げる。


「……大丈夫。できます」


 震える手を胸に押し当て、躰のうちで怒り狂うルヴラルィンヤをなだめる。

 竜として捧げられるばかりではなく、自ら手に入れに行くために、

 とん、と床に降り立った。

 瞬間、部屋の扉が叩かれた。ヒトの慣用句にある通り喉から心臓が出るかと思った。でそうになった悲鳴を口を塞いで堪える。打音に躰が強張った。喉が狭まる。


「ど、どなたですか?」


 やっとの思いで、そう返す。

 扉の向こうの誰かはしばらく黙り、やがて粘りつくような奇妙な声色で言った。


〈ルヴラルィンヤ。入るぞ〉


 一度聞いたら忘れられない悍ましい囁きは、その竜の名を体現していた。 

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