第20話

 ズィークスたちは隊列を組み直し、逃げたオークの後を追った。木々の数は一段と増え、高く太くなっていく。とうに日は昇り霧も晴れているのに森の闇は深くなるばかりだった。


「……それにしても凄い数でしたね……。僕達だけでいいんですか? 兵隊とか――」

「保護区域に兵隊入れたら、それこそ戦争になっちまうよ。それにあいつらは戦時に作られた《エルフ付き》。敵が増えるほど凶暴になるんだ。……秘書の受け売りだけどな」


 ナーリム・ユリランダ。ズィークスはしばらく見ていない丸眼鏡の文化人類学者の顔を思い出した。彼女がいなくて良かった。もしこの場にいたら憤慨していただろう。


「あれだ」


 ボナエスト隊列の足を止めた。尻尾が戸惑うように下がっていく。


「……ずいぶん頑張って森を切り拓いたな……しかしあれは……」

「どうした? なんかヤバそうな雰囲気なのか?」


 と、ズィークスはボナエストの肩越しに覗き込み、彼にだけ聞こえる小声で言った。


「予想通り、最悪の展開だな」


 集落、あるいは駐屯地と言うべきか、森が大きく切り拓かれていた。周囲との境界を示す囲いは朽ち、部族――オークの場合は連隊――を示す紋章は見当たらない。

 通常、オークの集落では村の維持・管理は雌の個体が担う場合が多い。全てがそうだとは言い切れないが、居住地が荒れていれば大概は雌の個体が足りていないことになる。


「こっからは俺が先頭、殿はボナエストだ。他は同じ」


 ズィークスは戦鎚を振って《金剛不壊》の呪音を鳴らした。

 門は開かれたままになっていた。かなり前に壊れたきり、そのままのようだ。囲いの内側にある小屋はどれも朽ちかけ、気配の数も少ない。ちらほらとオークが姿を見せるも一行――特にルブラに警戒しているのか、近づいてくる様子はなかった。 

 ズィークスは居住地中央の広場まで進み、大声で呼びかけた。


「公国から調停を任された一級調停士のズィークスだ! 人の言葉が分かる者は!? 拐われた娘三人を探している! 森で少年の死体を見た! 話し合いで解決したい!」


 大量の血を流したばかりで詭弁もいいところだ。しかし、調停士の言葉は公国の在り方を代弁するに等しい。道理も、個人的な主義主張も、腹の底に収める。


「死体と一緒に焚き火の跡を見つけた! 保護区域への侵入と森での火気使用! そちらの襲撃についてとやかく言うつもりはない! 知りたいのは拐った少女たちの行方だ!」


 殺害の責を問わないという宣言にボルィムィールが血相を変えた。が、すぐにボナエストが制止する。保護地区域では――いや、公国内に無数に存在する小集落では、法が正常に機能している方が珍しい。諍いは常に異なる道理を持ち、解消には異なる価値観をすり合わせる他にない。調停院はそのためにあり、調停士はそのために存在するのだ。


「戦闘はすでに終結した! 隊を代表する者はいないか!? 人語を介する者は!?」


 再三に渡る呼びかけに、遠巻きに見ていたオーク達が唸り声をあげ始めた。まだ戦いは終わっていないとばかりに武器を手に取る姿も見える。

 最悪の事態を想定してズィークスは戦鎚の柄を握り直した。それと察したボナエストとルブラもそれぞれ気配を鋭くする。一秒が一分にも一時間にも感じられるような膠着。

 こちらを威嚇し続けていたオークの一匹が突然、大きく吠えた。緊張が一気に膨れる。


 やるしかねぇか、とズィークスが長柄を握りなおしたとき、喝を飛ばすような太い声が響いた。武器を手にしていたオーク達が一斉に武器を下ろした。

 萎縮するオーク達の壁を割り、重い足音を立てながら、一回り大きな個体が出てきた。

 頭に羽飾りのついた兜を乗せ、古びた石樹の大剣を引きずっていた。身にまとう鎧にはいくつもの傷があり、獣の毛皮で補修された形跡もあった。


「オレ コノ タイ ヲ マトメテイル オマエ ノ コトバ スコシワカル」


 兜を乗せたオークは片言でそう言い、ズィークスの前で剣を突き立てた。どう見ても連隊長の器ではない。よくて小隊長――オークリーダーといったところか。

 衛兵として生み出されたオークは集落の構造からして軍組織に酷似している。数匹からなる小隊とそれをまとめる小隊長、そのうえに中隊長……と、規模に応じた統率個体がおり、集落での格とも一致する。一般的な軍隊と異なるのは、生まれながらに階級が決まっているのと、昇格や降格といった制度がないことだ。したがって、大規模な集落が統率者を失った場合、次点の統率者を中心に散り散りになる――はずなのだが。


 まさかエルフどもの実験集落だったりとかじゃねぇだろうな……? 


 ズィークスは訝しみながらオークを見上げる。文化人類学者のナーリムに言わせれば彼らの文化は人工的なのだという。自然発生ではないために変化に乏しく、もし生活様式や行動原理に変化があれば生産者――つまりエルフの介入が示唆される。

 エルフの大多数は未だに人間を嫌い、森の規律は自分達が定めるものだと信じ切っている。魔国側から保護区域に侵入し集落に手を加えるくらい平然とやるだろう。


 ――ま、今のところは要注意事項で申し送りってとこか。


 最優先課題は拐われた少女三人の行方であり、公国の村とオークの間にある紛争の火種を燃え広がる前に踏み消すことにある。

 ズィークスはふっと目の力を抜き、戦鎚から手を離しオークリーダーに差し出した。


「一級調停士のズィークスだ。公国の代表として来た。よろしく頼む」

「サラッタ オンナ ナエドコ カエセナイ」


 遅かったか、と胸の奥で呟きズィークスは手を引っ込めた。天を仰ぎたくなった。獣臭い空気を肺に無理やり押し込み、オークの価値観を念頭に交渉を始める。


「少女三人とも?」「ソウ」「もう苗床にしたんだな?」「シタ」「分かった。それなら俺達を襲った連中の首をもらっていく。どうだ?」「クビ ハ」「じゃあ指だ。それと拐った奴を呼んでくれ。そいつの親指ももらう」「シカシ」「『しかし』はなしだ。逃げ帰ってきた奴らに話を聞いてないのか? これ以上数を減らしたくないだろ?」


 一息で言って、ズィークスは戦鎚の柄を握りなおしてみせた。

 オークリーダーは言葉を詰まらせ、集落のオークを見回し、やがて頷いた。


「……ワカッタ オマエ ノ イッテル ヤツ モウ シンダ」

「それは、さっき俺達を襲った中に居たって意味か?」

「ソウ ウソ ジャナイ」

「なるほどな……。先に森に入ったのはこっちだ。信じよう。それじゃあ――」


 交渉を終えようとするズィークスに、ボルィムィールが慌てて言った。


「ちょ、ちょっと待ってください! ズィークスさん! 拐われた子達は!? 確認しないんですか!? というか、苗床ってなんです!?」


 オークの生態について知らないのであれば当然の疑問だ。しかし、詳細を知らないまま生きていけるのなら、その方が幸せな人生を送れる。


「……確認するだけ無駄だってことだよ。要は死んだのと同じだ」

「無駄って、そんな……! だって、死んだのと同じってことは、生きてるかもしれないんですよね!? なんで確認しないんです!?」

「お前は駐在調停士だろ? 見なくていい。後は俺とボナエストでやるよ」

「そんなバカな話ありませんよ! 僕は拐われた子達の親と約束したんです! 必ず取り返すって! だからここまで来たんだ! 絶対に連れ帰ります!」

「うるせぇ!」聞き分けのないボルィムィールに苛立ち、ズィークスは声を荒らげた。

「冷静になって考えろ。あんなバラバラになった死体を持ち帰って誰が喜ぶ? 死んでたって伝えて、形見になりそうな品を渡すんだ。それが一番いい方法なんだよ!」

「だったら……だったらせめて、拐われた子達から形見を回収しますよ!」


 ボルィムィールはほとんど叫ぶように言って、オークリーダーに詰め寄った。


「お前らが拐った子達はどこだ!? どこに隠した!?」


 オークーリーダーは黙って簡易的な柵で守られている小屋を指さした。他の住居に比べて大型で、手入れもなされていたが、却って異様な気配を放っていた。

 すぐに駆け出そうするボルィムィールの腕を掴みズィークスは言った。


「止めろ! 行くなら俺が――」

「うるさい! 離せ! 僕は約束したんだ!」


 言って腕を払いのけ、ボルィムィールは小屋へ走っていった。


「バカが……。悪い。少し騒がしくなる。だが安心してくれ。苗床には手を出させない」


 そうオークリーダーに言って、ズィークスはボルィムィールの後を追った。多少の反発は予想していたものの、ここまで激しく抵抗されるとは思っていなかった。


 他人事だと思ってなけりゃ、耐えられねぇのに。


 小屋から鋭い悲鳴が響き、チッ、とズィークスは舌打ちした。遅れて小屋に入ると、ボルィムィールは入り口で両膝をつき嗚咽していた。

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