第18話

 翌朝未明、厚い靄が立ち込める村の外れにズィークス達は集合した。少し遅れてやってきたボルィムィールと合流し、一行は森に続く道に入っていった。


「――しっかし、めかしこんできたなボルィムィール。ちゃんと得物は振れるのか?」


 しばらく道なりに進んだところで、ズィークスは緊張を解いてやるつもりで言った。

 ボルィムィールは鉄の胸鎧を身につけ、左手に出縁型の戦棍を握っていた。真新しい戦棍は傷一つなく、使うどころか握るのさえ初めてかもしれない。


「か、からかわないでくさい。そっちこそ鎧も着ないで、正気ですか?」

「正気も何も、オークが相手じゃそんな鉄の鎧なんて重りにしかならないからな」


 ボルィムィールは顔を青くして胸鎧を撫で、震える声でボナエストに尋ねた。


「――あ、あの、聞くべきか迷っていたんですが、その、騎士なんですか?」


 ボナエストは苦笑しながら、これですか、と山刀の柄を叩いた。


「ご安心を。これは山刀です。ただの生活道具ですよ。騎士はズィークスの方です」

「俺じゃなくて俺の爺さんが、な。現場についたら家名を呼ぶなよ? オークにしてみりゃ有名なんだ。威光を使うかどうかは、その場その場で俺が判断する」


 ボルィムィールは足を止め、ズィークスとボナエストの間で視線を往復させた。


「……騎士の末裔……? なのに、なんで剣を下げないんですか?」


 末裔だからだよ、と胸の内で呟き、ズィークスは答えてやろうと息を吸う。が、


「『剣は刃が欠け槍は穂先が砕ける。槌のみが鋼を打ち割り骨を砕く』」


 それより早くルブラが答えた。ハシェック家に伝わる戦鎚術の教本の巻頭文だ。


「ズィークスのご先祖様は、戦場に着くと真っ先に腰の剣を投げ捨てたそうです」


 よく覚えたものだ。若干の感動を覚えながらズィークスは言葉を継いだ。


「付け加えるなら、それでご先祖様は騎士にあるまじき行為だって怒られてな。頭にきて剣を持たずに出ていくようになったんだとさ。変わってるよな?」

「そ、そうですか……って、あの、ルブラさんは……素手でいいんですか?」


 問われたルブラは不思議そうに首を傾げ、ズィークスに顔を向けた。


「私も何か持ったほうがいいですか? 何でも持ちますよ?」

「いや、いい。というか、自分の身を守ることだけ考えて手出しはしないでくれ」


 万が一、森で火焔を吐かれでもしたら、もうどうなるかは分からない。その意味では何か理屈を付けて武器を持たせたほうが枷になるかもしれないが――。

 ま、黒外套を着てるし、心配ないか。

 きっと大事にしてくれている衣服を優先して無茶なことはしないだろう。

 ズィークスは戦鎚を背負い直し、ボルィムィールの背中を叩いた。


「お前もだよ、ボルィムィール。生きて帰ることだけ考えてくれ。さ、進もう」


 一行は道を外れて鬱蒼と茂る森に入り、最初の現場にたどり着く。周囲は木々に光を阻まれ薄暗く、地に落ちて腐れた葉の上に乾いて真っ黒になった血がこびりついていた。

 ズィークスは森の奥へ続く這いずったような跡を目で追った。


「向こうが保護区域か……」


 保護区域を定めたとはいっても線を引かれているわけではない。森一帯の、だいたいこの辺といった程度の区分でしかなく、境界領域では公国の法は無力になる。


「ボナエスト、どうだ? 追えそうか?」

「なんとか。この森は酷く血生臭くて」

「私がお手伝いします」ルブラが言った。「あまり嗅ぎ慣れていない匂いなので、お役に立てるか分かりませんが、生き物の体温は感じ取れます」


 ほとんど万能といってもいいルブラの力に半ば呆れながらズィークスは言った。


「ダメ。手出し無用だ。――ボナエストが先頭、次にルブラ、殿しんがりは俺だ」

「了解しました」


 ボナエストは耳をピンと立て山刀を抜いた。行く手を阻む下草を払いながら森の奥へ進んでいく。立ち込める霧に隠れて誰かが耳元で息をしているような気がする。森に呑み込まれているような感覚。ボルィムィールは青い顔をさらに青くし、肩で息をしていた。

 ふいに森の奥からそよ風が吹き抜け、吐き気を催す悪臭が鼻をついた。腐った血と臓物の臭いだ。近づくほどに悪臭は強まり蝿の羽音も聞こえ始めた。


「――見つけました。ここでやられたようです」


 ボナエストが足を止めた。見下ろす先に、引き裂かれた少年達の死体があった。


「こんな……酷――ぐっ!」


 ボルィムィールは嘔吐きながら顔を背け、その場にへたりこんだ。

 四肢と首をもがれた胴体が二つ。一方は腰から上で両断されており、こぼれた腸に蛆がたかっていた。転がっている頭は三つで、鳥にでも突かれたのか目玉がなかった。胴体が一つと手足が何本が足りないが、行方不明の少年はこれで全部だ。


「……さて。なんだってキミらは、こんなとこまで入ってきたかね」


 誰に言うでもなく呟き、ズィークスは鼻と口を手で覆って屈み込んだ。


「ズィークス、これではないですか?」


 ルブラの声に顔を向けると、少し離れたところで焚き火の跡を見下ろしていた。


「火か……。ボナエスト、見つけた証拠になりそうなもん拾っといてくれ」


 言ってズィークスは腰をあげ、焚き火の跡を調べた。丸い焦げ跡の周囲に腰を下ろした形跡がある。ルブラが指さす先に、重なった靴跡に混じって硝子パイプの破片があった。

 麻薬だ。

 村の悪ガキ共は、魔国かどこからか麻薬を手に入れ、皆で試すために森に入ったのだろう。主導者は誰か分からないが、さすがにここまでくればバレないだろうと火を熾し、煙と臭いにオークが気付いた。そして、怒りを買った。


「――まぁ自業自得だな。ありがとう、ルブラ。だいたい理由はわかった」

「……ズィークス、その……」

「どうした? 他にも何か見つけたか?」


 ルブラは何やら言いにくそうに、もじもじしていた。トイレだろうか。だとしたらそこらへんで、とズィークスが口にしそうになったとき、

 ルブラは黒外套のフードを下ろし、物憂げな表情を見せた。


「手出し無用と言われていたので黙っていましたが……すでに囲まれています」


 瞬間、ズィークスは戦鎚に手をかけ、ボナエストに怒鳴った。


「ボナエスト! ボルィムィールを頼む!」

「了解!」と、ボナエストが山刀を抜き放ち、周囲に目を光らせる。その間にズィークスは戦鎚を大きく一振り、柄頭の鳴洞器に風を流して《金剛不壊》の呪音を響かせた。

「一級調停士のズィークスだ! 人語を分かる奴はいるか!? こちらに敵意はない! 話し合いに来たんだ! 人間の娘が三人! そちらで保護しているなら返して欲しい!」


 臨戦態勢に入りながらの平和宣言。言行不一致は承知の上だが――。

 来ます、と淡々と告げるルブラの声をかき消すように、

 

 オオオオオオオオオォォォッ!

 

 と、雄々しき喚声が森の木々を揺らした。突如として複数の殺気が膨れ上がった。気配が一つ、バキバキと枝葉をへし折りながら猛烈な勢いで接近してくる。

 ズィークスが戦鎚を両手に構え直すと同時。霧の中から身の丈の倍を優に超える巨躯が躍り出た。筋骨隆々の灰色の体躯。下顎から天へと伸びる牙が二本。手には背丈と同じ長さの石樹せきじゅを磨いた大剣を握り、胴には同じく石樹の鎧を着けていた。


「クソッ! 《エルフ付き》だ!」


 ズィークスは思わず悪態をついた。

 エルフという繁殖力が低く個体数も少ない種族が、衛兵として作りだしたのがオークという眷属だ。衛兵としての価値を高めるため、一部のエルフは器用な手先と豊富な呪具の知識を用いて武具を作りオークに与えた。それを《エルフ付き》と呼んでいる。


 ブンッ! と風切り音を立てる斬撃をしゃがんで躱し、ズィークスは足首目掛けて戦鎚を振った。打面の逆側、鋭く尖った鉤爪だ。足に引っ掛け、思い切り引く。足を取られたオークは大剣を振り抜いた勢いを殺しきれず、たたらを踏んだ。ズィークスはぐんと大きく伸び上がり、その場で旋回、勢いそのまま戦鎚を振った。

 鈍く籠もるような打音が響いた。オークは鎧ごと胸骨を砕かれ、口から血を飛沫いた。


「――調停士には自衛権がある!」


 ズィークスはそう叫びながら次の一匹と対峙する。威嚇するかのように戦鎚を大きく振り回し、鳴洞器に風を通す。鳴り響く竜の声にも似た音が、柄頭に力を与えた。

 戦鎚が巨躯を打ち抜き、大地を揺らした。衝撃で肉が弾け血の霧が散った。


「死にたくなけりゃ、さっさと退きな」


 黒い瞳を鋭くし、ズィークスは柄頭を蹴り上げた。

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