第17話
『…………と、ルブラも田舎の生活に慣れてきたようです。最近では母に料理を習おうとしてみたり、姉から文字の読み書きと芸術について学んでいます。――もっとも、ハシェック家の伝統に則り、教本は祖父の残した戦鎚術の本ですが。
そうそう、手際は簡単に覚えるルブラも味付けには苦労しているようです。なんでも味の違いは分かるけれど、美味しいと不味いの違いが難しいのだとか。私のために頑張ってくれているのは分かるのですが、不味かったら言えと迫られ困っております。それとなく伝えるいい言葉をご存知でしたら、ご教授ください。
追伸、あまりに今が幸せすぎて結婚するのが怖くなってきました。ご承知の通り、調停士という仕事は公平・中立を旨とするゆえ、他者に恨まれることがあります。いつか因果に襟首を掴まれる私が、はたして本当に彼女と……』
そこまで書いてペンを置き、ズィークスは目頭を揉んだ。
「おい、俺。何を書いてんだ、何を。メルラドは親父でも兄貴でもねぇんだぞ?」
自分に言い聞かせるように呟き、追伸以下の文章をナイフで切り落とす。いっそ書き直すべきだろうか。あるいは紙を付け足して何か書き加えるか。だが、他に悩みはない。
……って、メルラドに悩みを打ち明けて、どうなるってんだよ。
と、ズィークスは机に突っ伏した。同じ相談をするならボナエストがいい。引っ張り込まれたとはいえ彼もまた調停士だ。部下で、二級調停士だが。
「……じゃあダメじゃん」
上司が仕事への疑念を打ち明けてどうする。不安にさせるだけだ。
パンッと両頬を平手で打って、ズィークスはメルラド宛の手紙を折り始めた。書きなおす余力はない。もうじきまたルブラの手料理を食べなければならないのだ。
我ながらワガママな悩みだな、と苦笑しながら席を立つ。ちょうど扉を叩く音がした。
しかし、客間の扉ではなく屋敷のドアノッカーだ。ルブラとマリナは台所、ユリエはズィークスがいる限り絶対に出てはくれないだろう。ためいきを一つ玄関に向かうと、
「おまたせしましたーって、え?」
屋敷のドアノッカーを打ち鳴らしたのは、意外な人物だった。
「ご実家にまで押しかけて申し訳ない。緊急の依頼です」
ボナエストだ。丸めた書簡を掲げる彼の顔は硬くなっていた。親族であっても民間人の前で仕事の話はできない。ルブラ達に事情を伝え、二人は客間に移った。
ズィークスは受け取った書簡を二度、三度と読み返し、呆れてしまった。
「メルラドの奴、何考えてんだ? ルブラを連れて国境線の街で調停にあたれ? しかも死傷に誘拐絡み? こんなん、どう見たって……アレだろ」
「ええ。場所は保護区域の近くですし、まず間違いなく……オークです」
オークは森に住むエルフの眷属で、戦争は魔国側の尖兵として戦った種族だ。強靭な肉体と凶暴性、人族に迫る繁殖力を持ち、公国側最大の脅威だったという。
戦後は大部分が魔国側へ移住したものの、政治的思惑もあって一部が残留。公国は国境近くの森を保護区域として解放し居住を認めた。しかし、オークは集落を統率する個体を除いて人語が理解できず、人間への憎悪も強いため、近隣住民と諍いになることも多い。
「ナーリムには何の指示もなかったので、自宅に待機させています。私の対応は――」
「……合ってるよ。あいつは俺の私設秘書だ。メルラドに命令する権限はないしな。それよりルブラの話があるのと、中身を見れる形にしてあるのが分からねぇ」
「私もそう思いました。メルラドに確認しようと面会を求めたんですが……」
「……ダメだったか。ますます妙だな」
メルラドなら部屋に通して同じ命令を与え同じ話を何度もさせるなと言いそうだ。それに今回の休暇に関しては邪魔をする理由が見当たらない。
「あるとすりゃ政治的判断ってやつだが……だとしてもルブラを連れてく意味は?」
「釈然としないのは私も同じです。ですが、ズィークス、まずは現地に行かないと。転移門の使用許可が出ているくらいですから、かなり急ぎの案件ですよ」
「そりゃそうだろ。……オーク絡みだぞ?」
事件が起き、住民が地方に訴え、中央に依頼が回ってくるのは、それからだ。現場にたどり着く頃には痕跡が残っていなのもザラで、交渉の結末はいつだって昏い。
……そんなトコに、ルブラを連れて行くのか? 竜が隠し事を嫌うから?
わざわざ目を向けなくてもいい公国の暗部を見せる意味は?
調停士だけの客間に重い沈黙が降りた。
「……たとえば」ボナエストが口を開いた。「ここに残ってもらうのはどうです?」
「見張りがあるわけじゃなし? 無理だろ。転移門を通るんだ。人数の報告がいく」
「では、現地の宿」
「土地勘がねぇし、現地に宿がなかったらどうする? 保護区域のそばだろ?」
二人はほとんど同時にため息をついた。連れて行くのか。最悪が予想される現場に。
停滞する空気を裂くように、客間の扉が叩かれた。
「失礼します」
ルブラが、マリナとユリエの制止を振り切り部屋に入ってきた。
「廊下で話を聞いていました。同行させてください。私は全てを目にする資格があります」
「やっぱり、そういうと思ったよ」
ズィークスは微苦笑を浮かべ、力無く頷いた。当然のように、マリナは仕事の邪魔になるかもしれないからと説得を始め、ユリエはせっかくいいモデルが見つかったのにと憤慨した。しかし、ルブラは頑として聞かなかった。
しばらくして、持ってきた荷物は後で送ってもらうことにして実家に預け、困り顔のマリナと仏頂面のユリエに見送られ、ズィークス達は快速馬車の人となった。
転移門を通ってぐっと南に下り、また馬車に揺られて東へ。公国最東端に築かれた城塞都市の壁を越え、保護区域に隣接する村に降り立つ。
終戦後、時を置いて作られただけあって、寂れてはいるが家並みは新しい。しかし、魔国との国境近くで、かつ保護区域もすぐそばにあるためか、寒々しい空の色をしていた。
「……お待ちしていました。駐在調停士のボルィムィールです」
そう言って出迎えてくれた青年の目の下には色濃い隈ができていた。年はズィークスと同じか少し上、痩せ型で、平時ならともかく荒事にはとても向かなそうな雰囲気だった。
「一級調停士のズィークス・ハシェックだ。よろしく」
ズィークスは握手を交わし、肩越しに黒外套のルブラとボナエストを指差す。
「狼類半獣人の方は二級調停士のボナエスト。もうひとりは……観察者のルブラだ」
ルブラに嘘を吐かせないようにと、咄嗟にでっち上げた役職名だが、文句も質問もなかった。
「それで――状況は?」
「……最初に訴えがあったのは五日前です。夜の内に家を抜け出した娘が一日経っても帰らず、周辺の森を探しても見当たらないとのことでした。付近の住民に話を聞いてみたところ他にも帰ってきていない若者がいるとが分かりました。許可なく保護区域に入ったとなれば罪に問われますから、怖くて言い出せなかったそうです」
「それで、あんたが保護区域内で少年の死体を見つけた?」
「……いえ。見つけたのは保護区域の手前です。すでに瀕死の状態で、すぐに――」
言葉を切ってボルィムィールは口を押えた。武器を持たない人間がオークに襲われたのなら、最後の言葉を残せただけでも奇跡だ。よほど凄惨な状態だったに違いない。
調停士とはいえ地方の集落に駐在しているのは民間人と二級の狭間だ。調停相手の圧力に屈して長続きしないことも多い。まして保護区域が絡めば失踪することもある。
「キツいだろうが、正確な人数を教えてくれ。それと住民の要求も」
ボルィムィールはぐっと喉を鳴らして、何度か首を縦に振った。
「――はい。行方不明になったのはヒトの男が四人、女三人です。内一人は私が発見した直後に死亡。若い子達で、両親は健在です。保護区域に入ったかどうかは不明で……要求は……見つけたら、何とか連れ帰ってほしいと。そのためなら――」
「分かった。今から森に入っても探してるうちに夜になっちまう。出発は明日の朝早くにしようと思うんだが……あんた、明日、現場いけるか?」
「――行けます。行かなくちゃいけません」
悲壮な決意を滲ませるボルィムィールの肩をボナエストが叩いた。
「あまり気負わないほうがいいですよ。駐在調停士の主たる仕事は中央の目となることなんですから。あなたは求められる以上の仕事をしていたんです」
「そのとおり」
ズィークスは言葉を継いだ。
「言って分かってくれるなら俺達の仕事はいらないからな。今日は早く寝てくれ。そんな顔してるようじゃ、明日、死ぬぞ」
ボルィムィールは言葉を躰に染み込ませるように頷き返した。
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