第13話
ルブラに遅れること数分、ズィークスが肩で息をしながら追いつくと、お転婆な竜の姫君は黒々とそびえる石碑をじっと見つめていた。
「いつか、この地を……笑う、が……日、来る、願う。あっていますか?」
「つい三日前まで文字を読めなかったのに、もうそこまで……?」
ズィークスは半ば呆れながら苦笑した。
「『いつかこの地が笑顔で囲まれる日がくることを願って』ですよ」
「……ここはお墓なのですか?」
「半分はずれ、半分あたり、ってところです。今は亡骸も慰霊碑もすべて首都に移されたんです。そちらにご案内しても良かったんですが、正直あっちは……辛気臭くて」
不敬を承知でズィークスはぺろりと舌を出した。
「先王は変わったお人で『戦地だったからといって全て厳粛な場に仕立てていたら、じきに大声で笑える場所が失くなってしまう』とかなんとか嘆いていたそうですよ。賛否両論ありますが、そのお言葉に関してだけは俺も支持していますよ」
「……少し前なら分からなかったお話です。天海島での暮らしになぞらえようにも、私が生まれてからの二十年足らずに息絶えた竜は、母を除いてありませんから……」
ふいっと石碑に背を向け、ルブラは無数に咲き誇る花の一輪を手折った。
「でも今は少し分かります。姿も形も、香りも違う。天海島に住む《ルヴラルィンヤ》は違いを分かった気でいました。でも、今の私は《ルヴラルィンヤ》より賢いのです」
長いまつ毛を下ろして花の香を吸い込み、パクリと喰んだ。微かに頬を緩めて次は足元の小石をつまみあげ、ぽん、と口に放り込む。
がり、ごり、とおよそつまみ食いが立てる音とは思えぬ破砕音が鳴った。
呆然とするズィークスを、ルブラは期待するような目で見上げ、てろりと舌を出した。
「食べるなら《星の欠片》の方が甘くて美味しいと知っているのです」
遠回しなおねだりにズィークスはぷっと吹き出しつつ、《星の欠片》の小瓶を取った。残り三粒。待っていましたと差し出される手に二粒振り出し、最後の一粒は自分にと躰を起こす。が、なぜかルブラの手は伸ばされたままだった。
紅い瞳を少し不満げに細め、ルブラは『星の欠片』が乗る手を揺らす。まるで子供のような愛くるしい仕草に観念し、ズィークスは最後の一粒も白い手の上に置いた。
「それが最後の一粒ですから、大事に食べてくださいね?」
「えっ? ――そんな! そうならそうと早く言って下さい!」
ルブラは真剣な顔をして黄色い粒を選び、ズィークスに差し出した。
「一つ分けてあげます。美味しいものは分け合うべきですからね」
「また送ってもらいますから大丈夫ですよ。食べてやってください。……その代わり、そこらに座って《ルヴラルィンヤ》の話を聞かせてもらえますか?」
「交換条件ですね? 分かりました。……食べてからでもいいですか?」
歌うような声色で言い、ルブラはポリッと《星の欠片》を噛み割った。
記念碑から少し離れたところで肩を寄せ合い、ズィークスはルブラの話に耳を傾ける。
「――母は美しく強い竜でしたが、かなり変わっていたそうです。親友だという竜と同じ巣穴で暮らし、誰に勧められても伴侶をもとうとしなかったとか……」
周囲も呆れるほど仲がよかったが、穏やかな生活はあっけなく終わりを迎える。
共に暮らしていた竜が病に倒れたのだ。普通、竜は天寿を全うする。古い時代には躰の弱い竜もいないではなかったが、天海島に住む竜は病とは無縁のはずだった。
ルブラの母は懸命に看病にあたったが、それも虚しく竜はこの世を去ったという。
「母は冷酷な世界と無力な自分を憎んだそうです。そして他の竜の血を入れずに産んだ卵を《
想像もしていなかった言葉にズィークスは唖然として傍らを見やった。ルブラは涙をこらえるように固く目を瞑り、顎を天に向けていた。
「――でも、遅すぎたのです。卵を引き裂いた爪の間で、ヒトの赤子のような姿をした小さな竜が泣いていました。それが私です。それから十年ほどで母はこの世をさり、私は母の記憶と共に《憤怒の牙》のお役目を継ぎました。あとはずっと……ずっと同じです」
瞼を開けたルブラは潤んだ紅い瞳をズィークスに向け、頬を緩めた。
「だから嬉しかったのです。ずっと醜い竜だと、忌み子だと言われて生きてきました。だから、ズィークスに美しいと言ってもらえたとき、ルブラという不思議な音色の名前を頂いたとき、初めて本当の産声をあげたような、温かい気持ちになりました」
ルブラは両手を胸の前で重ね、ほう、と熱っぽい息をついた。
「やっと伝えられました。もっと早く言うべきだったのですが、竜がヒトに礼を言うなんて、とずっと下らないことに悩んでいたんです。おかしいですよね」
「……おかしくなんてありませんよ」
竜の代表として選ばれたなら、竜らしく振る舞う。ズィークスとて同じだ。調停士として、ヒトとして、そんな考えに縛られ自分が何者なのか分からなくなることがある。
ズィークスはルブラの肩に腕を伸ばし、躊躇い、意を決してぐっと引き寄せた。ルブラはされるがままにしなだれかかり、こてんと胸に頭を預けた。
「ズィークス、ルブラという音には、何か意味があるのですか?」
「……古いヒトの言葉で赤という意味です。赤は、何も血の色だけではありません。燃え盛る炎も、花も、日が沈む空の色も、俺の好きなルブラさんの瞳の色も赤く、美しい」
「ズィークス……」
「……俺は単純な男です。ただ見たまま言葉にしているだけなんですよ。見たままで、美しいと思ったものに美しいという。それで喜んでいただけるなら何度だって言いますよ」
「ズィークス、三つ、お願いしてもいいですか?」
「いいですよ。三つと言わず、いくつでも」
「では、ボナエストやナーリムと話すときのように、私にも話してほしいのです」
「……何か違いがありましたっけ?」
「話し方が違います。私はこれでも、耳がいいのです。ズィークスが二人と話しているときと比べると、少し遠く感じます。私はそれがとても寂しいです」
「あー……善処しま……分かった」
舌がもつれるような言い方になったが、ルブラは微笑みながら頷いた。
「二つ目は、ズィークスの名前の意味を教えてほしいです」
「俺の名前……? や、悲しい話ですが……悲しいけど、面白い意味はないんだよ」
「ダメですか?」
潤んだような紅い瞳に見つめられ、ズィークスは頬を掻いた。
「や、ダメってことではなくて……実はその、意味がないんだ」
「意味が、ない?」
「うまく伝わるか自信ないけど、俺の親父は賭け事が好きなロクでもない奴でね……」
もうずっと昔のこと。ズィークスの出産を祝うはずの席だった。父は出産祝いを稼ぐと息巻き、やってきた客に文字並べで勝負を挑んだ。ハシェック家は代々加筆されていく戦鎚術の教本で読み書きを習うため、分のいい賭けだと思っていたのだ。
ほとんどの客は祝儀代わりに勝負に乗り、わざと負けてくれた。
しかし、紛れ込んでいた借金取りは違った。勝ち負けを繰り返して父の戦意を煽り、全てを掻っ攫おうとした。勝負は掛け金を釣り上げながら熱を増し、やがて極に至る。
父は負ければ全て失い、明日のミルク代も払えない。対して借金取りは、勝てば家族全員を奴隷働きさせることもできる。そんな勝負の最後の局面。残っている文字をどんなに並べ替えても単語はできない。父に勝ちの目はない――はずだった。
父は不安そうな母と、その胸に抱かれる赤子を見て、閃いた。
「親父は文字を並べて『俺の息子の名前だ』と言ってのけたそうな。集まっていた客は正気かって顔して親父を見た。そして親父は自信満々に言った。『そうだ。俺の、生まれたばっかの末の子の名前は、ズィークスだ』」
まったく意味のない文字列。ただ勝負に勝つためだけに名付けられた名前だ。知ってからは嫌いになったし、呼ばれるたびにその日を思い出させられる。笑い話として話すこともあったが、笑いをとるどころか同情された。だが、
「素敵な名前ですね。ズィークス。あなたを示す以外に意味をもたないだなんて、とても素敵な言葉です。ズィークス。初めて聞いたときから何度も繰り返しました。唯一無二の言葉だと聞いて、私はもっと好きになりました」
まるで意味の込められていない文字列をそんなふうに言われたのは初めてだった。
「……三つ目のお願いは? 俺は、今でなくても何でも聞くよ」
「何にしましょう。私、考えていませんでした」
そう言って紅い瞳がこちらを見つめた。ルブラ、ルヴラルィンヤ、とズィークスは胸のおくで名前を唱えながら顔を近づけていく。鼻先が触れ合い、吐息も伝わる距離。
「口づけ、ですね? ナーリムが言っていました。ヒトの恋人同士は、そうすると」
ふいにルブラが言った。唇が触れ合う寸前だった。仰いだ天には星が瞬いていた。
「えっと……ヒトは婚儀で口づけをするんだよ。今はほら――」
「では、それを、今。それが三つ目のお願いです」
ぐぬぁ、と予想外の反撃にズィークスは呻いた。途中で止めたのが悔やまれた。じっと虚空の一点を見つめて考える姿に、ルブラはくすりと微笑んだ。
「冗談です。三つ目のお願いは、ズィークスの家族に会いたいです。ダメですか?」
「…………ヘタレで、ごめん」
「えっ?」
「いや、こっちのこと。それなら、せっかくもらった休みなんだし、『星の欠片』も切れたし、一度帰ってみようか。まぁロクなことにならない気がするけどさ」
「そんなことありません。きっと素敵です」
そう言ってルブラはズィークスの胸にぐりぐりと頭をこすりつけた。、
「あの、四つ目のお願いはダメですか?」
「……どんどんわがままになってきたな。何?」
「この姿勢とっても楽です。よく眠れそうです。今日だけでもいいので、ダメですか?」
「……そんなふうに言われて断れる奴はいないよ」
再び擦り寄せられた柔らかな感触に苦笑しながら、俺は眠れなくなりそうだけどな、とズィークスは胸中で呟いた。
しばらくして、ルブラは五つ目のお願いに、空を飛んで帰りたいと言った。
いくばくかの不安を覚えながら、両手をぴんと水平に伸ばしたルブラの背中におぶさると、彼女はとっとっとっ、と走り出し、微かに竜言語を発して浮かび上がった。
その夜、空から人が舞い降りたという噂が立ったが、酔っぱらいの戯言として消えた。
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