第11話
「……細かいのだと手持ちが足りないんで……これで」
そう言って、ズィークスは空の皿が大量に積み上げられたテーブルに、パチン、と金貨一枚おいた。看板娘は金色に輝くオレグ公の肖像を見下ろし、眉をうにゅっと寄せる。
「……まぁズィークスさんだから許しますけど。美味しい美味しいっていっぱい食べてくれるから私も調子に乗っちゃいましたし、仕方ないですけど?」
満足げにフードを上げるルブラを一瞥し、娘は小声で言った。
「毎回この調子だと、ズィークスさん破産しちゃいません?」
「……ありえない話じゃないな。帰りにそれとなく聞いてみるわ、ありがと」
ズィークスは財布をベルトに吊るし、竜による大食いショーの残滓に目をやった。
なんとルブラは三人前を(骨ごと)ペロリと平らげ、さらに同じものを一人前、これまた店のウリとなっている牛舌肉のシチューを二人前、さらにさらに……。竜言語を操る魔法使いは概して大食いだと聞くが、竜のルブラはやはりモノが違うのだろうか。
竜らしさの一端を垣間見たズィークスは、食事中に得た知見と疑問を整理しつつ、本日の残りを首都観光がてらの調査に充てることにした――のだが。
結論からいえば、ズィークスは竜固有の知見は得られず、代わりにルブラの、もっといえば通常よりも発育の豊かな女性一般にまつわる様々な悩みを知った。
仕立て屋に行けば獣人族も利用する店にも関わらず体型に合う服がなく、お直しするとほとんど特注になるという(しょうがないのであり物の直しを頼みつつ寸法をとって注文した)。古今東西の雑具を集めた店に行ってもルブラの体型で心地よくうつ伏せになって眠れるような寝具は心当たりがないという(店主は知り合いに手先の器用な小人族がいるので色々試してみると確約してくれた)。
その後、日が傾くまで市場を回ったものの、フードを下ろせば美貌が人目を集め、島の生活を尋ねれば竜言語が飛びでて通行人を驚かせるため、調査は諦めてしまった。
夕日に照らされる人影もまばらな帰り道、目論見外れて肩を落とすズィークスと、紐に通した魚の干物を持ってご満悦の様子のルブラは、横並びになって歩いていた。
ズィークスはついさっき調子に乗ってしでかした失態を思い返す。
魚を代わりに持とうと声をかけ、非常に微妙な顔をされたのだ。ヒトの姿にヒトとよく似た表情。しかし文化も価値観もまるで違う。分かっているはずなのに、よく見られようと空回りしてしまう。仕事のはずなのに一緒にいるとつい仕事を忘れてしまう。
それを何と呼ぶか。
負の感情はあまり表に出そうとしない。それゆえに見逃すまいと目を向ける。もっと喜んでほしくて、もっと驚かせたくて、輝く紅い瞳をずっと見ていたくて。
そんな感情を、何と呼べばいいのか。
まさか俺がね……と、内心でそれを否定しつつ、ズィークスはせめて名誉を挽回しようとベルトポーチから硝子小瓶を取り、秘密兵器を手に出した。今朝、家を出る前に忍ばせた故郷からの返礼品だ。それも、ルブラを大いに喜ばせるであろう贈り物である。
「――ご存知ですか? 人間も石を食べることがあるんです」
ズィークスは腰を屈め、秘密兵器を握る手で街路の小石を拾った。
「……そうなのですか? それでは、さっき市場で売っていた石は――」
「ああ、いや、あれは宝石なので俺達は食べませんが……見ていて下さい」
拾った石の欠片は手の内に隠したまま秘密兵器――《星の欠片》と名付けられた砂糖菓子だけを口に投げ入れ、パキリ、と小気味よい音を立てて噛み割った。
どうだ見たか、と視線を向けるも、ルブラは驚いたふうもなく紅い瞳を瞬いた。
「今食べたのは何ですか? そちらの拾った石は食べないのですか?」
ピンと伸びた人差し指は、しっかり小石を隠し持つズィークスの手を指さしていた。夕暮れがつくる影を利用し、大げさな動作で視線を誘導したはずなのに、大失敗だ。
ズィークスは隠していた小石を投げ捨て、小瓶を見せた。
「……すいません。嘘つきました。実はこれ《星の欠片》っていう俺の故郷の……」
ズィークスは小瓶を振ってカラカラ鳴らした。
「お菓子……なんです、けど……」
思い出す。ナーリムの助言。竜とのつきあいで気をつけることがいくつか。特に。
竜に嘘をつかないこと。
鋭く光る紅い瞳に見つめられ、ズィークスは頬を引きつらせた。
「驚かそうと思ったと言いますか……騙そうと思ったのではなくて……」
「謝らないでください。それも竜にとっては褒められた行為ではありません」
浮かれたような足取りはどこへやら、小さな竜は完全に顔を強張らせてしまった。本日最大の失態に恥じ入りながら、ズィークスは小瓶を差しだす。
「えと、ルブラさん。お手をお願いします。実は最初から食べてもらおうと思っていたんです。その、お詫び……じゃなくて、何だ……? 機嫌を直していただけませんか?」
「努力してくれているのは認めます。正直は私たちにとって最大の美徳ですし、頼みごとをされるのは嬉しいものです。それが対価に相応しいのか、見てみましょう」
そう言って差し出してもらえた白い手の上で、ズィークスは小瓶を振った。白、赤、黄色と、三粒の《星の欠片》が出た。小指の爪ほどの球体で表面に細かい突起のある、夜空から取ってきたような星の形の砂糖菓子。ルブラは赤い粒をつまみ、夕日にかざした。
「これは……本当に石のようで……星のようで……ヒトは面白いものを作りますね」
ルブラは粒を口に入れ、パキッと噛み割った。途端。強張っていた表情が一瞬で晴れわたり、手中に残る二粒を見る目が子どものようにキラキラと輝きだした。
「あの、あの、これは……」
見た目、歯ざわり、味。よほど好みにあったのか言葉が出てこないらしい。
「よかった。それは最近になって故郷の名物になった菓子でして、俺の仕送りを元手に兄貴が……って、こんな話はいいか。どうです? 機嫌、直していただけます?」
「もちろんです! これは、とても、とても美味しいですね! 貴重なものでしょうし、大切に食べないといけません……!」
ルブラは二粒を真剣に見つめ、白い方を先に口に運んだ。真剣に味わおうとする愛らしい竜の横顔にズィークスは安堵の息をついた。
嘘か……気をつけねぇと。
調停士たるもの嘘は吐かない。が、嘘ととられかねない言動に躰が慣れきっている。
ただの俺ね、とあらためて部下の助言を繰り返し、ズィークスは家の鍵を出した。
街灯は、今宵も暗いまま、ただ漫然と突っ立っていた。
*
「あの……本当にソファーでいいんですか?」
「はい。昨日は上手く眠れなかったので、今日はこっちを試してみたいのです」
言ってルブラはソファーをポンと叩いた。感触はベッドよりも落ち着いており、肘置きの高さは顎を乗せるのにちょうど良さそうだった。
「……毛布とかは……大丈夫ですか? ここ、意外と冷えますよ?」
「大丈夫です。天海島の夜に比べれば温かいくらいですから」
それに毛皮なんて借りたら、きっと匂いで目が冴えてしまう。昨夜を思い返すだけで胸の奥がむずむずし、頬が熱を帯びる。鼓動よ静まれとルブラは胸を撫でた。
「……では、何かあったら、また……良い夢を、ルブラさん」
「『よい夢を』。面白い言葉ですね。それでは私からも。よい夢を、ズィークス」
よい夢をと念押すからには、夢はヒトにとっても恐ろしいものなのでしょうか。
そんなことを思いながら、ルブラは仕立て屋で頂いたコルセットベルトなる服のリボンを緩めた。腰回りの微かな束縛がなくなり息が楽になる。代わりに支えを失った胸がたゆんと揺れた。懐かしくも忌々しい重み。もっとも、仕立て屋の女主人には羨ましがられたし、ときおりズィークスの視線も感じたので、これまでとは少し印象が変わった。
頬が熱を帯びてきたのに気付き、ルブラは慌てて両手で顔を押さえた。楽しい一日だった。人生で最良の一日だったと言ってもいい。ただ、最後の最後で怒ってしまった。
彼の嘘に悪意はなかった。きっと本当に喜ばせようと、楽しませようとしてくれていたのだ。頭では分かっていたのだから、穏便に済ませられたはずなのに。
あの怯えたように揺れる黒瞳は、別れ際にフヴァーカが見せた瞳と似ていた。
「私の熱に、怒りに当てられて……」
思い出すだけで胸の奥が傷んだ。リボンは緩めたはずなのに息は苦しく、躰は熱い。
たまらずルブラは冷え冷えとした窓辺に立った。内も外も暗く、硝子窓にヒトのように着飾る竜の姿が歪んで映っていた。母から継いだ血のせいか、忌み子だからなのか、せめて内面だけは竜らしくあろうと生きてきて、気づけば身も心も掟に奪われている。
「ズィークスは謝ってくれたのに、なんで私は……」
硝子に映る紅い瞳の竜は知っている。竜がおいそれと頭を垂れるわけにはいかない。まして《憤怒の牙》が、天海で最も強い竜が――。
どうでもいいのに!
膨れ上がった怒りを炎の息吹に変えないように、ルブラは細く、長く息をついた。額を硝子窓に押し当て、その冷たさに躰の内の熱情を知る。
ルブラという名をくれたのに、竜でなくてはいけないのだろうか。
ルブラは歪んだ硝子の窓越しに、夜空の彼方の天海島を思った。
そこに住まう誰よりも美しい竜を。別れ際に喧嘩してしまった大切な友人を。
〈あなたの言う通りでした。作り物の鱗も、角も、尾も、何もなくても彼は私を竜として見てくれました。でも今度は……フヴァーカ、私はどうしたらいいのですか?〉
ルブラの熱を帯びた竜の言葉が、厚ぼったい硝子を微かに揺らした。
*
同じ頃、天美島では。竜が出入りするには小さすぎる洞穴の前で、天海島で最も美しい竜フヴァーカが翼を休めていた。ごく微かに言葉を紡ぎ天海の底の音を聞いている。
不意にフヴァーカが首をもたげ、夜空を睨んだ。
満天の星を掠めるように泳ぐ黒点が一つ。影だけでわかる《囁く者》ムルグイヨの醜悪な姿。首が古竜の森に向いている。眠る古竜を訪ねるとは急を要する話か。
フヴァーカは主のいない小さな巣穴と夜空の黒点を見比べ、やがて翼を広げた。
周囲に首を巡らせ不格好に泳ぐムルグイヨは、大樹の森で眠る古竜の御前に降りた。
〈こんな夜更けに……何用だ〉
〈ご報告があります。《人化の法》の完成に目処が立ちました。いましばらく時間はかかるでしょうが、じきに私はルヴラルィンヤの胎に子を宿せるようになります〉
〈……何の話かと思えば……ムルグイヨよ、お前は何をそんなに急いでおる〉
〈ルヴラルィンヤはヒトの姿をしています。ヒトに感化されるやもしれない。あれほどの血が天海の底に消えたとなれば、あなたは無能の誹りを免れません〉
〈ほう……? 我が、無能だと?〉
轟、と木々がざわめいた。ムルグイヨは大地に爪を立てて耐え、黒く汚れた牙を剥く。
〈今は、まだ。ですが私に任せていただければ、悪いようにはしない〉
〈百年も生きていない若造が言ってくれる。お前に何ができる? お前は何がしたい〉
〈私には操心の息吹があります。《人化の法》を体得すれば、ルヴラルィンヤが天海の底にいる意味はない。必要とあらば私がニンゲンどもの心を操ってみせます〉
〈ふむ……お前と番いたがる竜など未来永劫現れんだろうし……忌み子もまた同じか……。よかろう。お前の執念は認めよう。まずは《人化の法》とやらを会得し、然る後、天海の底でルヴラルィンヤを監視せよ。……ただし、手出しはするな。よいな?〉
〈……古竜様の仰せの通りに〉
言ってムルグイヨはのたうつように地を駆け、飛び立った。
夜空を泳ぐ黒点を見送り、古竜は呟くように呼びかけた。
〈いい加減に姿を見せろ、フヴァーカ。お前にこんな特技があるとは知らなんだ〉
しばらく間を置き、古竜の元へと、風に乗せられたフヴァーカの言葉が届いた。
〈あの子に……ルヴラルィンヤに教わった術です〉
〈あれは本当に上手く言葉を扱う。つくづく、忌み子でなければと思わされる〉
〈忌み子だなんだと、古い掟に従う道理はどこにありますか?〉
〈……何か言いたいことがあるようだな?〉
〈あなたがたは、なぜ、あの子の胎しか見ようとしないのですか〉
フヴァーカの刺すような声音に、古竜は重い息をついた。
〈アレは、お前とは違う。アレには雄の血が入っていないのだぞ? どんな竜であれ、雄の血を入れ、穢れた血は少しでも雪がねばならん。それが掟だ〉
〈私には理解しかねます。あの子の母には雄の血も入っているのですから、同じでしょう〉
古竜は瞑目し、鼻で息をついた。
〈もうよい。お前も早く番を見つけよ。胎が腐ってしまえば、ただ朽ち果てるだけぞ〉
〈……あなたのようにですか?〉
そう問いかけられた瞬間、古竜は古びた牙を剥き出した。
〈黙れ! 美しいからと調子づくようなら、その鱗に二度と癒えぬ傷を刻むぞ!〉
どっ! と風が吹き荒れた。大樹が軋み、引き裂かれた枝葉がガラガラと音を立てた。
いつの間にやら、フヴァーカの気配は失せていた。
〈掟を捨てれば、我らは滅びてしまうぞ……〉
古竜の吐き捨てた憂いの言葉は、大樹の広場に霧散した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます