第9話

「……ボナエストは、ズィークスのことをどう思っているのですか?」


 主の去った執務室でしばらくナーリムの質問に受け答えをしていたルブラは、質問が途切れたのを見計らい、書類仕事に勤しんでいたボナエストに尋ねた。


「……はぃ?」


 突然なんて気持ちの悪いことを聞いてくるのか。そう言わんばかりの顔だ。立派な狼の耳もぺたりと後ろ向きに下がっていった。


「ズィークスがナーリムと出会った時の話をお聞きしたのです。とても興味深いお話でした。ズィークスと話す以上にズィークスがわかった気がします。ですから……」

「なるほど。……どこから話すべきか……そうですね。まず率直にお答えしましょう」


 ボナエストはルブラの言葉を継ぐようにして言い、羽ペンを置いた。


「調停士のズィークス・ハシェックは嫌いです。大嫌いと言ってもいいでしょうね」


 えっ、とナーリムが不安げな声をあげ、ルブラはわずかに目を細めた。

 ボナエストは心配無用とばかりに手を小さく挙げ、続けた。


「ですがズィークス・ハシェックは信頼しています」

ズィークス……ですか? どういう意味でしょう?」

「まだルブラさんにはよく分からないかもしれません。私も最初は悩まされましたから」


 ボナエストは苦笑した。


「私のような半獣人や獣人、獣と違って、ヒトは立場によって態度を変えます。そこのナーリムや……メルラドなんかはヒトにしては珍しいくらい変わりませんが、ズィークスは別です。もしかしたら、普通のニンゲンよりも裏表が激しいかもしれない」

「それは、彼は私に嘘をついている、と?」


 首を左右に振り、ボナエストは机の上で両手を組んだ。


「ただのズィークスはいいヤツですよ。少々皮肉屋で、頑固で、子供みたいなところがありますけどね。それを補って余りあるヒトの良さがある。私の名に賭けてもいい」

「でも、そうではない部分もあると?」

「なんというか……マジメすぎるんです。持ち前のヒトの良さが裏目に出て、仕事に忠実であろうとするあまり、やりすぎてしまうんです」

「たとえば『猫に勲章事件』のようにですか? 来る途中に聞きました」


 ルブラが得意になって言うと、ナーリムとボナエストが苦笑した。


「ええ。代表的な例ですね。本人は笑い話みたいにしていますが、あれで結構、悩んでいるようです。まぁ聞いても『調停士たるもの……』なんて調子で、本当のところは教えてくれませんが……。私を調停士に引き入れてくれた時もそうでした……」


 ボナエストがズィークスと出会ったとき、彼はまだ公国北方の地方州の落に住む半獣人の一人でしかなかった。彼の集落は公国に存在を認められておらず、周辺の別の狼類獣人の集落と、ヒトの街と、みつどもえになって土地の所有権について争っていた。


 彼の集落は流血を避けようと地方調停院に仲立ち依頼を出したのだが、待てど暮らせと返答はなく、その間にも別の獣人の集落は鼻息が荒くなっていった。


 そんな折、ボナエストは人づてにズィークスの噂を聞く。獣人も多数所属する有名な石工集団、《兎耳の兄弟団》の出身で、獣人の立場を理解できる調停士、という触れ込みだった。


「――初めて見たときはこりゃダメかと思いました。自分よりずっと年下で、仕事を干されて腐り気味でしてね。ですが、それが却って良かった。熱心に話を聞いてくれて、旅費まで出してくれて。相談役に声をかけたら追うと言うので、私は先に帰ったんです」


 しかし、集落と首都を往復するほんの十日ばかりの間に、事態は急変していた。

 ボナエストの動きを察したヒトの街は、所有権の交渉を有利にすすめるべく森にヒトと荷を積んだ馬車を走らせたのだが、もう一つの獣人の集落がそれを攻撃と取り襲撃してしまったのだ。

 

 不運なことに、車列には事情を知らないお転婆な貴族の娘が忍び込んでいた。獣人の集落は交渉材料にしようと貴族の娘を人質にとった。

 事態を知ったボナエストは獣人全体への弾圧を恐れ、娘の解放を求めに向かった。けれど交渉はあっけなく決裂。その場で小規模な戦闘となり、娘は救出したものの彼は重症を負う。


「……それは大変ですね。でも、娘は助けたのですから――」


 ボナエストは片笑みを浮かべて首を振った。


「解放しようとはしました。ですが彼女は、私が死にかけたのは自分のせいだと思ったらしく、看護を買って出たんです。止めはしたんですが、貴族の娘ですからね、誰も強くはいえなくて。森の中ですし、解放するより集落におく方が安全だと判断したんです」


 娘はボナエストの意識が戻ったら街に帰ると約束し、集落は提案を受け入れた。

 しかし、その間にもヒトの街は娘を奪還すべく武器を集め始めていた。時を同じくして、半獣人の集落も報復の準備を進める。

 そんな、昼夜を問わず見張りが立つなか、一級調停士ズィークス・ハシェックは現れた。傍らに、何の役に立つのか分からない妙に鼻息の荒い丸眼鏡の女を連れて。


「ひ、ヒドい!」


 無礼な評価にナーリムが声をあげるも、ボナエストはくつくつと笑って続けた。


「私じゃなくて、私の仲間の言い分ですよ。とにかく……」


 ズィークスは速やかに娘や集落の仲間から事情を聞き始めた。しかし僅かに遅く、ヒトの兵団と獣人達が武器を手にやってきた。両者は集落の前で小競り合いを始め、ズィークスは双方を交渉の席に着かせようと割って入る。

 そこで事件は起きた。

 最初に武器代わりの鉈を振り上げたのは獣人の男だった。振り下ろした先はヒトの兵団ではなく、訳知り顔でやってきた鼻持ちならないヨソモノ――ズィークスだ。 

 調停交渉は危険が伴うため、調停士には自己防衛権が認められている。

 ズィークスは躊躇なく獣人の頭を砕き、場はなし崩しに戦闘状態に入っていく。


「それはもう尋常ではない強さだったとか。一人倒し、二人倒し、種族の別なく三人、四人、五人……血溜まりに十人も並べて、ズィークスは平然と言ったそうです」


『さて、そろそろ話を聞く気になってきたか?』


 戦争から五十年、殺すと脅す奴はいても、本当に殺して脅す奴は滅多にいない。もしいるとすれば、戦後の利権争いで血みどろの抗争を戦った石工くらいだ。そしてズィークスは、まさにその石工集団、《兎耳の兄弟団》出身で、戦に生きた騎士の末裔だった。

 ヒトも獣人も振り上げた手を下ろすしかなく、先にヒトを襲った獣人の集落はボナエストの集落と共同とし、獣人対ヒトという形に直して交渉を再開した。


「そこで! さらなる急展開があったわけですよ!」


 突然えっへんと胸を張り、ナーリムは自信満々にボナエストを指差す。


「なんと助け出したお嬢さんが、ボナエストさんを好きになってしまったのです!」


 ボナエストは何とも言えない顔で髪と獣の耳をなでつけた。


「それも込みでのズィークス評です。私はヒトの、それも貴族の家に片足を突っ込む代わりに、集落の居住権を手に入れた。つまりズィークスは、大量の血を流し、ウチの嫁の恋心を利用し、状況的に断れない私を利用した。どうです? 嫌な奴でしょう?」


 発言とは反対に、ボナエストの両耳は楽しげにピンと立っていた。

 昨日今日を共に過ごしたヒトのまるで異なる人物像に、ルブラはふと首をかしげる。


「ボナエストが信頼するズィークスというのは……?」

「ええ。これがなかなか不思議な話なのですが……」


 形のよい顎を撫でさすり、ボナエストは遠くを見るような目をして言った。


「血も涙もないはずの《外道》は、私に政略結婚をさせたことを未だに気に病んでいるようなんです。だから私を調停士に引き込んだようなんですが……まぁ、よほど参ってるときでもないと口に出してはくれません。『信頼に足る』とは、そういうことです」


 ルブラは何も言えなかった。その言葉には一朝一夕では培われない重みがあった。

 ボナエストはズィークスと同じように、おどけるような片笑みを見せた。


「まぁ、妻も未だに『顔が好みだったから』としか言ってくれませんし、ナーリムだって隠し事だらけですからね。秘密を作りたがるのはヒトの特徴ですよ」

「んなっ!」


 とうとつに水を向けられたナーリムは慌てて両手を振った。


「私は隠し事なんてしてませんよ!? 特に、竜のルブラさんに隠し事だなんて、絶対にしませんっ」


 高らかな宣言に、ルブラはなるほどと頷く。ナーリムは咄嗟に『竜』には隠し事をしないと言った。気の良い友人のように振る舞う彼女もまた、お役目に縛られているのだ。

 彼は、ズィークスは、仕事として私と接していたのだろうか。それとも……。

 顔を曇らせるルブラを気遣うように、ボナエストは微笑みながら言った。


「ひとつズィークスの隠し事を教えてさしあげましょう」

「ズィークスの隠し事、ですか?」

「ええ。ズィークスはルブラさんと再会するまでずっと、いかにルブラさんが美しかったか毎日のように話していました。二級調停士の端くれとして、私が保証しますよ」

 

 言ってボナエストは片手を小さく挙げた。仕草の意味はルブラには分からなかったが、ズィークスが傍に置く半獣人の彼が嘘を吐くとは思えなかった。


  *


 同じ頃、ズィークスは自身を直轄する上級調停官メルラドの執務室――の前室で待たされていた。確実に嫌がらせである。こういうとこさえなきゃなぁ、と思いながら助手を見つめること十分ほど。ようやく、入室を許可する呼び鈴が聞こえた。


 ズィークスは入ると同時に飛んでくるであろう嫌味と罵倒を想像しつつ席を立つ。

 呼ばれたらすぐに来い! お前のせいで仕事が後ろにずれだぞ! などなど。

 はたして扉を開けると飛んできたのは、


「すぐに来いと伝えたはずだぞ!? 待てと言われて待ってるバカがいるか!?」

「――ここにそのバカ野郎がいますよ、メルラド」


 広い部屋にでんと置かれた紫檀の机にふんぞり返るメルラドは、机の端にある呼び鈴を手に取り、ジンジン、ジンジン、喧しいくらいに振り鳴らした。


「呼ばれたらすぐに来い! お前が遅いから仕事が後ろにずれ込んでしまったぞ!」

「あ、そっちも全部言うんですね」

「うん? 何だ? 何か文句があるのか?」

「いえ。何も。お急ぎのようですから、早速ご用件をお聞かせ下さい」


 ふん、と鼻を鳴らし、メルラドは机に両肘を立てて組んだ手の上に顎を乗せた。


「例の、竜との政略結婚はどうなってる?」


 予想通り食いついてきた。分かりやすすぎる反応にズィークスは笑いを堪えた。


「《六人会議》の方から彼女が竜である確たる証拠を見せろ言われているので、証拠を集めている段階です。もしかして、お聞きになっていませんか?」


 まずはどの程度食い込んでいるのか確認する。もし完全に蚊帳の外なら、逆にこちらから噛ませてやって恩を売るという手もないではない。

 メルラドは懐から細い櫛を抜き、若くして少々薄くなり始めた前髪をかきあげた。


「竜を名乗る娘が、お前が結婚相手にふさわしいか見定めるというんだろう? 獣の分際で……。竜とやらが厚かましいのか、お前が騙されているのか、どっちだろうな」


 戦前のロウリアでは長く続いた貴族の家系だからか、メルラドは獣人を下にみている節がある。それでいて調停士として出世を重ねてきたのだから、大したものではあるが。


「ご心配には及びませんよ。今朝方、見た目でも竜であると確認できまして――」

「――寝たのか?」


 メルラドは食い気味に言った。


「お前にそういう趣味があるとは知らなかった。随分と手が早いな。《兎耳の兄弟団》だったか? あそこではそんなことも教わるのか? 獣好きか?」

「違いますよ……分かるでしょう? ウチのナーリムに確認してもらったんです」

「なんだと? あの小便臭い女はそっちのケがあったのか!」

「……いい加減にしてください。怒りますよ?」

「おお? 怒るか? いいぞ? 怒ってみせろ。この私にどう怒ってみせる? ん?」


 メルラドはこれ見よがしに片眉を跳ね上げ、獲物を見つけた蛇のように舌を出した。

 ――やられた。

 挑発に乗せられたと気付き、ズィークスは瞼を閉じて顎を上げた。地下を走る下水のごとき嫌味と皮肉を聞き流し、垂れ流される罵詈雑言の間隙を縫うようにして尋ねる。


「そろそろ気は済みましたか? お忙しいでしょうし、本題に入りませんか?」


 呆気にとられたように口を噤んだメルラドだったが、ふん、と鼻を鳴らして羽ペンを取り、手元の書類にサラサラと何かを書き付け、机の上を滑らせた。


「《外道》の名を誇るズィークス様に協力してやろうと思ってな。暇をくれてやる」

「別に誇っちゃいません……が……暇、ですか?」


 暇。つまり休暇だ。調停士になって以来、自ら申請した覚えもなければ、与えられた記憶もない。そもそも公国各地を飛び回る関係上、(仮に転移門を使用したとしても)手を抜けばいくらでも休めるのだ。あえて直々に休暇をくれてよこす意味が分からなかった。


「結婚相手を見つけてのぼせているのか? それとも寝ぼけた頭が回らなくなったか?」

「……そちらこそ、髪の毛と一緒に記憶が抜け落ちていませんか?」

「髪の話は二度とするな!」


 メルラドはバン! と机を叩いた。


「バカめ! あの娘が竜だという証拠を集めるんだろうが! まさか仕事を忘れたか!?」


 (量は減りつつあるが)怒髪天を衝く勢いのメルラドに、ズィークスは嫌味たっぷり答えた。


「師匠の教えが悪かったもんで察しが悪いんですよ。何を仰っしゃりたいんですか?」

「お前の仕事はなんだ、調停士! あの娘から蜥蜴どもについて聞きだせと言ってるのが分からないのか? 武力は? 財力は? 数は? 公国と同盟を結ばせようというお前の着眼点は認めてやる! だが、褒めてやるのは相手がデカいとわかってからだ!」


 メルラドは荒れた息を整えながら机上の命令書を指先で叩いた。


「どうだ? しばらく暇が欲しいだろう?」

「たしかに……話をつくる時間が欲しいですね」


 とはいえタダじゃないんだろうが、とズィークスは命令書に手を伸ばす。

 途端、手を叩きつけるようにしてメルラドが書類を押えた。


「さて問おうか、一級調停士ズィークス・ハシェック。これから作られるであろう報告書の作成を指示したのは、いったい誰かな?」


 報告書はこれから作成される。つまり、まだ誰の名も入っていない。成功ならメルラドと、失敗ならズィークスと書けばどちらに転んでもメルラドは得をする。

 うまいこと考えるもんだよ、と思いながらズィークスは命令書の端をつまんだ。


「――存じ上げませんが、報告書がまとまり次第、すぐに確認しますよ」


 メルラドは命令書から手をどけ、前髪を櫛で梳いた。ズィークスはすぐに内容を確認する。署名はメルラドの名。今日付けで休みが始まり、終わりの日付は空白になっていた。

 まったく……豪胆なんだか、俺を信用してるってことなのか……。

 ズィークスは命令書を小さく折りたたみ懐にしまった。


「他にご用件はございますか? 何かお有りでしたら休みに入る前に聞いておきます」

「用件か。そうだな……」


 中空に投げ出された視線はしばらく彷徨い、やがて何か思いついたかこちらに向いた。


「極めて重要な要件がある。速やかに実行しろ。『さっさと出て行け、仕事の邪魔だ』」

「……りょーかい」


 ため息を吐きつつ扉に手をかけるズィークスの背に、


「これで山での借りは返したからな」


 実に忌々しげな、呟くような声が飛んだ。

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