第6話
「大変失礼いたしました……」
会議場の扉を閉めたズィークスの第一声は、ルブラへの謝罪だった。もし自分がルブラの立場なら、議場の天井を焼いたくらいでは気が収まらなかっただろう。
「――身内の恥を上塗りをするようで情けないのですが、ヒトというのは目に見たもの以外は信じないところがあるのです。疑り深いというか、頭が固いというか……」
自然、言葉の歯切れも悪くなるが、黙って聞いていたルブラは澄ました顔で答えた。
「ご心配には及びません。ズィークスがヒトの中でも特別だとわかっただけで十分です」
「えっと……ありがとうございます……? でも、俺は特別な人間じゃないですよ」
「特別です。ズィークスは最初から私を……私を竜だと、認めてくれていました」
はにかむようなルブラの微笑みに、ズィークスは頬が緩みそうになった。
「えっと……そうだ。ボナエストに宿の手配を頼んであるので下で待ちましょうか」
「宿……? ズィークスの巣ではないのですか?」
ルブラは長いまつ毛を上下させ、不思議そうに小首を傾げた。
「……巣?」
巣とは、鳥獣が住まう構造物を指す。神皇ロウリア王国で口にすれば血祭りにされそうな解釈だが、ヒトもまた鳥獣の一部である。つまりルブラのいう巣とは――。
「いやいやいやいやいや! 俺の家なんて汚いところですから!」
ズィークスはほとんど反射のような早さで両手を振った。特段、深い意味があっての否定ではない。いわゆる謙遜という行為でヒトであれば多かれ少なかれ誰でもする。
しかし、竜の世界ではまるで意味が異なるのか、ルブラの紅眼が鋭くなった。
「ズィークス。竜の番いは同じ巣穴に住みます。そんな汚らしい巣に私を住まわせるのですか? 覚えておいてください。雄は自らを曇らせるようなことを言ってはなりません」
「……ハイ、ワカリマシタ」
ズィークスは自分でも驚くほど素直に頭を下げ、ルブラを連れて本庁舎を出た。
すでに月が出ていた。夜闇と街の淡い光が首都の陰影を濃くするなか、夜目の利く猫類獣人の点灯夫が橙煌石の街灯に明かりを点けて回っている。
ふいにルブラが首を振り、夜闇に埋もれる街路の先を見つめた。何かいるのか、とズィークスが顔を上げると、ほどなくして靭やかな靴音が駆け寄ってきた。
「お待たせしたようで申し訳ない」
そう言って闇の奥からボナエストが姿を現した。普段なら種族を問わずに子女の目を惹く優面は疲れのせいか精彩を欠いていた。
「当ててやろう。上等な宿はどこも満杯、飛び込めるのは酒場の二階くらいだ」
「……メルラドの真似ですか? 言い方だけなら八点は差し上げられますよ。でもメルラドなら『獣人では馬小屋くらいしか取れないか?』くらいは言ってくるでしょうね」
「……マジで? メルラドの奴そのうち誰かに刺されるんじゃねぇか?」
「昔はそうじゃなかった? 気をつけてください。真似してると本当に似てきますよ」
自覚はしてるとばかりにズィークスは片笑みを浮かべた。
「ありがとな。後はこっちでなんとかするから、嫁さんにただいまって言ってやれ」
ボナエストは怪訝そうな顔をしてズィークスとルブラを交互に見た。
「ズィークスに礼を言われるなんて。《六人会議》で何かありましたか?」
「ヒトの物分りの悪さを学んだよ。大丈夫だ」
「何度学んでもすぐ忘れる?」失笑したボナエストだが、すぐに真面目な顔をした。
「それで? 宿の方はどうするおつもりですか? 本当にどこかアテが?」
「アテというかなんというか……ルブラさんは俺の巣をご希望らしくて……ですよね?」
「はい」
ルブラは首を縦に振った。
「ヒトと竜、住むところが違うのは心得ているつもりです。ですが、巣作りはその者のあり方を示すとも言いますし、見ておきたいのです」
「巣作りはその者を示す……たしかに、あの家はズィークスを端的に表していますね」
ボナエストはしたり顔で顎先を撫でた。
忌み子に美しいと言い、ルブラという名を与えたヒト。
ヒトの身でありながら、ヒトをまるで別の種族のように語るヒト――。
ズィークス・ハシェックの作る巣は、どんな形をしているのでしょうか?
と、ルブラは期待に胸を高鳴らせながら夜道をついて行く。ヒトのつくる『街』というのはとても奇妙だった。天海島にはない匂いがそこかしこで漂い、狭い土地に数多の気配が犇めく。昼は不快なくらい騒がしかったのに、夜は天海島より音が少ない。
「……これだけ多くの生き物が集まっていて、よく諍いがおきませんね」
靴に慣れないルブラに合わせてくれていたズィークスは、顔だけをこちらに向けた。
「この辺りはヒトと昼の間に動く種族が中心に暮らしているんです。それに調停院の近くですからね。喧嘩になると腕に覚えのある二級調停士か衛兵が呼ばれます。首都でも治安が悪いところはありますし、地方州……特に国境線の近くは安全とは言えません」
ズィークスは苦みばしった笑みを見せた。争いごとか、仕事か、あるいは両方が嫌いなのだろうか。どちらにしても、私と同じだとルブラは思う。
力はあっても使うのは好きではない。爪、牙、呪音、どれをとっても他の竜に遅れは取らないが、ルブラは戦うより草原で陽の光を浴びている方が好きだった。《牙》の役目を任されもしたが、それと察した他の竜達が嫌がらしてきた。何かにつけて呼び出しておいて、もう解決したという。掟をお役目を逆手にとった幼稚な悪意だ。
嫌なことは考えないようにしましょう、と顔をあげたルブラはしかし、重い息をついた。
「……ズィークスも嫌がらせをされているのですか?」
「……も?」
ピタリと足を止め、ズィークスは訝しげに眉を寄せた。
「はい。あれはズィークスの巣ではないのですか?」
ルブラは一軒の家を指さした。少し古めかしくも懐かしい石造りの二階建てで、他の家と異なり外面に華美な装飾がなく、周辺で唯一、内側に生き物の気配が感じられない。
「正解です……けど、嫌がらせって?」
「巣の前にある装置は自分で点けるのですか?」
他の家の近くにある街灯は淡い光を湛えているのに、ズィークスの家の前だけ点いていなかった。自分で点けるのなら帰ってきたばかりだから話は分かるのだが、
「……いえ、違います。点灯夫が点けて回るはずで…………あの猫どもがぁぁぁ……」
「猫?」
にゃーん。と、ルブラは記憶の彼方にあるふわふわした気まぐれな獣を思い出す。いつだったか太古の記憶を辿っていた時に見つけて以来、触ってみたいと思っていた。
「えぇ……猫どもの嫌がらせなんでしょうが……まぁ、気にしないでください。いくら灯りがないといっても俺の家に盗みに入るような命知らずはいません」
言ってズィークスは鋳鉄の門を開いた。暗闇の中で鍵を探しているので手伝おうか尋ねたら断れた。何本か鍵を試し、一本目に戻り、ようやく家の扉の錠が鳴った。
「ようこそズィークス・ハシェックの館へ」
ルブラは何度か目を瞬いて縦割れの瞳孔を細め、居間を見回す。物だらけだ。くたびれた雰囲気のソファーに、本や紙束が積まれた背の低い机。草花や絵画の類は飾られていないが、代わりとばかりに様々な色の石を収めた硝子の箱が置かれている。
まるで巣全体が宝物庫のようにも思える騒がしさに、ルブラは微かな目眩を覚えた。
「……私はどちらで寝ればよいのですか?」
しかし、安易に批判はしない。竜とヒトでは価値観が違うのだ。巣穴を侮辱するような品のない真似だけはしまいと誓う。
ズィークスは困ったような笑みを浮かべ、戦鎚を壁の武器棚にかけ、錠を下ろした。
「やっぱり、お気に召しませんでしたか?」
顔にでていたのかと、ルブラは頬がカッと熱くなるのを感じた。
「そ、そうではなくて……その、宝を出しておいて大丈夫なのかと思ったのです」
「……ああ! なるほど。実は寝るために帰ってきてるようなもので……それと――」
よっとソファーをずらし、ズィークスは絨毯の一部を引っ剥がした。扉だ。床板の一部がヒト一人なら入れそうな隠し扉になっている。
「本当に大事なものは、ここに隠しているんですよ。ちょっと待っててください」
ズィークスは鱗服の包を片手に地下に降りていった。竜の巣では考えらない仕掛けにルブラは目を白黒させた。手ぶらになって戻った彼はソファーを戻し腰を下ろした。
「こんな感じで。そこらにあるのも宝は宝なんですが、大事さが違うといいますか……。たとえば、あの戦鎚なんかは毎日使うんで、鍵や棚を使ってしまい分けるんですよ」
「す、すごいですね……私立ちはそんな器用な仕掛けは……」
作れない、と口にしかけルブラは両手で口を塞いだ。ヒトが脅威となりうるか見定めるのだ。その意味は戦力の把握。自分たちの程度を知られすぎてもいけない。
それを知ってか知らずか、ズィークスはハハハと軽く笑った。
「俺も昔は放り出しておくのも怖かったですよ。石工をやってた頃なんか共同生活だったんで、出しとくと勝手に持ってかれたりして。すぐに慣れます。……いい悪いは別として」
「いい悪いは、別として、ですか」
音を確かめるように呟くルブラに微笑みかけ、ズィークスは腰をあげた。
「ええ。いいか悪いか別として。……さ、寝室にご案内しましょう。お客さん用の寝室なんて上等なものはないですが、今日はもうお疲れでしょ?」
そして。
二階の寝室に通されたルブラは出て行く間際に言われたとおり、黒い外套を脱ぎクローゼットなる宝箱を開いた。ずらっと吊るされた服に面食らいながらも、他の衣服を真似て吊るす。扉を閉めて錠を下ろせば、なるほど少しは安置しているような気分になった。
ほっと一つ息を入れて寝室を見回す。広さはルブラの巣の寝床より少し狭く、下の部屋と同じように物が多い。いけないことだと分かっていても、部屋のあちこちに置かれた櫃は一つ残らず開けてみたくなるし、壁際に置かれた机や本も気になった。
ルブラは誘惑を振り切り、ヒトの寝床たるベッドに腰を下ろした。なんとも奇妙な感触だった。表面は干した竜草より柔らかいのに中は意外と硬い。
ちゃんと眠れるでしょうか……。
と、ぼんやりとした不安を感じながら、いつものようにうつ伏せに寝そべり、十秒。
「……苦しい」
むくりと躰を起こしたルブラは、他の竜と違って大きく出っ張った両胸をふにふにと揉んだ。
「ほんとにこれは……邪魔ですね」
仰向けに寝れば重く、左右どちらかを下にすれば喉と腹を曝け出す。うつ伏せに寝ると息苦しいやら胸が潰されて痛いやら、とても寝れたものではない。
「これは……困りました……」
普段はズィークスが使っている寝床だ。あまり乱したくはない。寝れば誰でも寝床を乱すし竜とヒトでは寝方も違うと誤魔化せるだろうが、寝相の悪い奴だと思われたらきっと悲しくなる。早く寝ないと明日に障ると気が急き、ますます不快な要素が鼻についた。
「試練。これは試練です……!」
誰に言うでもなく決然と呟き、ルブラは多少の苦しさには耐えようと枕に顔を埋めた。
「ふ、ふぁっ!?」
慌てて飛び起き、鼻を両手で覆った。内側に入ってる植物の匂いを隠すくらい強く、ズィークスの匂いがした。これでは試練どころか無理難題だ。生の息遣いは階下のソファーの辺りに。残り香はそこら中に。まるで彼の胸に飛び込んでしまったような。
一気に躰が熱くなり、内側から火を吹きそうだった。胸の奥の息苦しさは強くなり、心臓が痛むほど強く脈打つ。ルブラは自らの両肩を抱きしめ未知の感情に身悶えした。
「落ち着いて、落ち着いて……なんとかしないと、ですね」
早く寝ようと試行錯誤するなか、刻一刻とヒトの国の夜は更けていった。
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