第5話

 公国内各地を行き来する調停士の移動の要、《転移門》を守る青天井の砦を出た直後、ズィークスは頭を抱えたくなった。すでに一両の馬車が待っていて、聞けば六人会議の緊急招集が決定したという。到着と同時に一行は馬車に揺られ、中央調停院に向かう。


「どうしてこうなった……」


 そう呟く彼の膝の上には、ルブラからの贈り物があった。竜の鱗らしきものでできた包だ。編み込んだルブラの長い髪の毛と、子どもの頭ほどもある蒼煌石の塊と、竜角らしきものが二本生えた冠が入っている。霊峰ブ・ラ・ンガヤの頂から絶叫とともに一飛びで下山する際、ズィークス達を抱えるのに邪魔だからという理由で下賜されたのだ。


 その後、麓の村で外套の下は全裸だったルブラに服を買い与え、馬車を乗り継ぎ転移門をくぐって、また馬車に乗り、今。とうとうズィークスは実際に頭を抱えた。


「マジ、どうしてこうなった……」

「大丈夫ですか? ズィークス。何か良くないことが起きているのですか?」


 傍らのルブラは気遣ってくれたが、


「だから転移門を使う前に準備するべきだと言ったんですよ……」


 ボナエストは呆れていた。彼の指摘は正しい。

 少し前、転移門をルブラに自慢し、代わりに《空渡の標》なる竜の装置の話を教えてもらっていたのだが、いつものズィークスなら転移門を使う前に対策を練っていたはずだ。


「……浮かれるにも程があるな、俺は」

「ええ、まったくですよ。しゃんとしてください。あなたらしくありませんよ」


 何一つ良い手立てを思いつけないまま、馬車は着々と調停院へと近づいていく。ズィークスは眉間に深い皺を刻み、ボナエストは窓の外に険しい顔を向ける。深刻そうな二人をキョロキョロと見比べ、ルブラは少し前のめりになってズィークスに尋ねた。


「私はヒトのまつりごとについて何も知りませんが……お手伝いできることはありますか?」


 その少し誤解も入っていそうな優しさに胸が傷んだ。ヒトの世界に降りてきたばかりで不安なはずなのに余計な心配をかけてどうする。婿に相応しいか見極めに来て、不安を煽るような男に惚れるか? 求められるのはヒトとしての余裕。強さ。いわゆる人望だ。


「――俺の一番苦手な分野じゃねぇか……」


《外道》と呼ばれる調停士はがくりとうなだれ、追い打ちをかけるように馬車も止まった。



 馬車から降りたルブラは夕日に染まる神殿のような建造物を見上げ息を飲んだ。首を振ってみれば間欠泉のように水を噴く泉もある。ヒトの世界の見聞を広めろと申しつけられてきたが、その壮観な眺めを目にしただけでも十分に役目を果たせたような気がした。


「ルブラさん、こちらへどうぞ。これが俺の勤め先、中央調停院の本庁舎ですよ」


 そう言ってズィークスは神殿の前で右手を横に広げた。山の麓の村落から街へと至る馬車の中で聞いていた、調停士というお役目を果たす者が一堂に会する場所だという。


 ルブラは慣れない革靴に足をもつれさせながらついていった。

 ときおり転びかけると手を差し伸べられもしたが、握らなかった。尾も角もないルブラにとって爪は数少ない自由の効く武器だ。宝物を奪われてしまった――正確には彼が婿候補だと知り気が動転して返礼と言って渡してしまった――今、武器まで委ねる勇気はなかった。


 初めて母以外の竜と顔を合わせたとき以来の、自分にはありもしない鬣が逆立つような緊張を覚えながら、『会わなければならない人々』が会する部屋の扉を見つめる。ヒトが使うには大きすぎる気がする二枚扉だ。ヒトは千年の間にうちに大きくなったのでしょうか? と頭に疑問を浮かべながら扉が開かれるのを待つ。


「ルブラさん。失礼なことがあるかもしれませんが、どうか、ご容赦を」


 困ったような笑みを浮かべてそう言い、ズィークスはボナエストと二言、三言交わして扉を開いた。一礼して立ち去る狼類半獣人の尻尾を見送り、ルブラは扉をくぐった。

 途端、首を傾げそうになった。成竜が三頭は入れそうな空間に、年老いてはいるが大柄でもないヒトが、たった五人。正面の講壇を見下ろす形で座っているのはなぜだろう。声が小さいヒト同士では話しにくいだろうに。


 こちらに、とズィークスに導かれるまま、ルブラは壇に立った。正面の老人が小槌を打ち鳴らした。あまり耳当たりのいい音ではなかった。


「まずはご苦労じゃの。ズィークスくん。予定よりも早い帰還を喜びたいところじゃが、見ての通り急すぎてのう。……正直に言うと状況が全く見えてこんのじゃよ」


 それはこちらも同じですが、という言葉を飲み込み、ルブラは傍らのズィークスに倣って見よう見まねで小さく頭を下げた。

 ズィークスは宝を壇上に置き、片手をルブラの前に広げて老人に向き直った。


「こちらが、竜族の花嫁……候……補……ルブラさん? 皆さんに紹介しているだけなので、手は乗せなくて大丈夫ですよ?」


 ルブラは胸の前に出されたズィークスの手の上に自身の手を重ねていた。


「……?」


 ルブラはかくんと小首を傾げ、手を下ろした。


「わかりました」


 何かにつけて手を出されたので重要な儀式なのかと思い、敵意がないことと自身の勇気を示そうと手を重ねてみせたのだが、どうやら意味が違ったらしい。

 んんっ! と、ズィークスが咳払いをした。


「あらためまして、こちらが竜族から花嫁候補として参られました、ルブラさん……じゃない。《るゔらるぃんや》……さん。です」


 なるほど名乗りの儀式でしたか、と合点しつつ、ルブラはズィークスのたどたどしい竜言語にくすりと微笑む。名乗りなら正確に発音するべきだろうと息を吸い込む――が。

 それより早く老人が小槌を鳴らし、訝しげなな視線をこちらに投げた。


「その娘が竜じゃと? 何を言いたいのか分からんぞい、ズィークスくん」


 年長らしい老人は仕方ないにしても、両側の男女の視線には疑念の他に一掬の侮蔑が混じっているのはぜだろうか。ルブラは幽かに眉を寄せ、名乗るために息を吸う。


「わた――」「まさか、それ、が竜とは言わないわよね?」


 今度は右側に座るとうの立った女に名乗りを遮られた。

 とうの立った女はくたびれた様子で片肘をつき、品定めをするような目つきで言った。


「貧民街の総嫁にしては……でも竜というのは随分みすぼらしい格好をしているのね」


 瞬間、みしり、と音が聞こえてきそうなほど深くルブラの眉間に皺が寄った。事情があってのことだろうと気を回し、名乗りを遮るという無礼に二度は耐えた。しかし、


「私の宝を愚弄するか!」


 ルブラは吼えた。


「我は流血を望む者ルヴラルィンヤ! 天海が竜の《憤怒の牙》! その驕慢な喉を喰い破ってくれるぞ!」


 火を吹くようなルブラの咆哮は、ヒトの言葉であっても議場に熱風を巻き起こした。あらゆる紙片を舞い散らせ、正面から声を浴びせられた女は椅子から転がり落ちた。

 まだ足りないとばかりに息を吸うルブラの前に、ズィークスが躰を滑り込ませた。


「待った待った待った! ルブラさん! ちょっと待って!」


 無礼者をかばうかと、ルブラは牙を剥きかけた。しかし、ズィークスは宝を捧げてくれた当人だ。面子を潰してはいけない。

 ルブラは今にも音にしたくなる怒りを腹の底に封じ、代わりに議場の面々に告げた。


「……この外套も、衣服も、靴も、すべて、ここにいるズィークス・ハシェックから捧げられた私の宝です。竜の宝を貶めるのなら、私はそれ相応の覚悟を求めます」

「わ、わかった! 《るゔらるぃんや》じゃったか、言い分はわかった。彼女に代わって謝罪しよう。じゃが……儂らは伝承でしか竜を知らん。半竜人という竜の末裔がおるとは聞くのじゃが、お主はその……儂らの目から見ると、ヒトと見分けがつかんのじゃ」


 腹の底に沈めた怒りが再燃した。一見して区別がつかない? 醜い竜だと言いたいか。竜に見えない醜い忌み子が何しに来たと、そう言いたいか。

 ルブラの紅い瞳が獰猛に輝く。察したズィークスが肩を掴んで小声で言った。


「落ち着いてください。老人たちは頭が硬いんです。特に彼女は最近、獣人に亭主を取られたばかりという噂もあって……どうか、ここは穏便に……」

「……わかりました。ズィークスのために、ここは大人しく……小さく吹きます」

「ありがとうございま――小さく、吹く?」


 ほっとしたような笑顔を見せたのもつかの間、ズィークスは口角を引き攣らせる。

 ルブラは彼を傷つけぬよう、そっと胸を押し離し、一歩、前に出た。


「こういうことです」


 言って息を吸い込む。母竜から継いだ記憶から、さらに昔、朧げな太古の竜の記憶に触れて、ヒトは竜の何を恐れていたのか、思い当てる。


 ――火焔。私の得意な力です!


 全力で竜の言葉を発すれば一息で全員殺してしまう。ズィークスの名誉のためにもできるだけ優しく、花を温めて香りを開いてやるくらいの淑やかな声調で。

 ルブラは〈吹けよ炎〉と囁いた。


 

 囁くような竜言語による詠唱をズィークスが耳にした次の瞬間。

 臼砲の炸裂よりなお大きい轟音が議場を揺らし、巨大極まる真っ赤な火球が生まれた。

 世界を焼き尽くす劫火の口火――。

 ヒトの目には、そう映った。


 鎌首をもたげた火焔はルブラと議員の間の空白を埋め、天井を焼き焦がし、失せた。普段なら書記官がいる席は無残に焼け落ちていた。集まっていた六人会議の面々は放心している。残された熱気にあてられ、ズィークスの全身から汗が吹き出した。


「ご、御覧頂いたように……《るゔらるぃんや》さん……婿候補は俺ですし上手く発音できないのでルブラさんと呼ばせて頂いていますが、ルブラさんは本物の竜です」


 議長が恐る恐る小槌に手を伸ばしたが、熱っ、と取り落とし、籠もった音を立てた。威厳を保つ小槌を失い、ぐぬぬと呻きながら背もたれに躰を預ける。


「ズィークスくんに倣い、儂らもルブラ殿と呼ばせてもらうとして。たしかに炎は竜である証拠に思える……のじゃが。こうも言える。『実に流暢な竜言語による魔法である』」


 正気か、ズィークスが身を乗り出すと、議長は手を伸ばし沈黙を求めた。


「そこで。今すぐに婚儀を執り行うのではなく、ルブラ殿が誠に竜であるかどうか見定めるため、時間と協力を頂きたいのじゃが……どうじゃろうか」


 背筋を冷たいものが流れていくのを感じながらズィークスはルブラの様子を窺った。竜の世界からやってきた火を吹く赤髪の少女は、議長には目もくれず服の袖や襟元をしきりに撫でていた。どうかしたかと顔を覗くと、


「ズィークス……わ、私の……私のだ、大事な……宝物、が……」


 ルブラは紅玉のような瞳を涙でいっぱいにしていた。


「……えっ?」


 思わず間抜けな単音を発しズィークスは壇上を見やった。焦げた机とは対照的に、ルブラからもらった鱗の包は傷一つついていない。どうやら本当に竜鱗のようだ。


「それは、ズィークスに、差し上げた、品です。そちらではありません……!」


 ぐすん、なんて今にも鼻でもすすりそうなルブラの声。では宝とは? と考え、すぐに思い至った。子供が拾った丸石を宝箱にしまうように、竜が定めれば何であれ宝なのだ。


「ちょっと失礼しますね?」


 ズィークスはルブラの服の袖を撫でた。肌触りが少し固くなっていた。


「明日、仕立て屋に持っていってみましょう。直してくれるかもしれません」

「本当ですか!?」


 服を撫でるズィークスの手をとり、ルブラは瞳を輝かせた。喜色が乗った双眸は紅宝石よりも深い光を放つ。ずっと、ずっとずっと、いつまでも見ていられそうな……。


「――よろしいかの?」


 とうとつに紛れ込んだ呆れ気味の議長の声に、ズィークスは慌てて振り向いた。


「失礼いたしました! その、先ほどのお話ですが――」

「任せる」

「……はっ?」

「だから、任せると、そう言ったんじゃ。仔細は追って……そうじゃな。明朝までにメルラドくんと君の執務室に届けさせよう。今日はこれで会議を終えたい」


 言って議長が皆を見回すと、一様に疲れた顔で頷き返した。


「では」


 議長は小槌をツンツン突いて冷えているのをたしかめ、手に取った。


「閉会!」


 スッカーン! と、熱で乾燥した小槌はいつもの数倍は高い音を響かせた。

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