8.LOVER MAN

きちんとした彼氏が出来て数日。


それはきっと私の人生でも劇的な出来事で。


でも、だからといって毎日が大袈裟に変わるわけじゃない。


だけど、これは胸を張って言おう。














付き合い出して直ぐにわかったことがある。


もしも結婚にまで至れた場合、どちらかは必ず異動になるだろう。


そして、これに関しては現在2課で主力になっている隼さんではなく、私になる。できれば隣がいいと思うけれど。


ああ、これに関して報告が必要なのかわからないけど、田上は解雇された。いや、されない方がどうかしているんだけど。しかし、最後まで反省しなかった彼女は間違いなく大物だろう。


白戸は事が此処に至り、漸く自分が社会人にあるまじき存在だと認識したらしく、謝罪をし、雇用形態が変わっても構わないと必死にくらいついて契約社員としてではあるが社に残ることができたそうだ。


ただし、下請けの缶詰工場で、だ。流石に今のオフィスに残してあげることはできなかったそうだ。


そちらから入ってくる話では今のところ真面目に働いているらしい。まだ一週間が過ぎたばかりだからこれから先のことはわからないけど。


「風ちゃん、申し訳ないけどこれを代わりに提出してきてもらえる? 俺、今から会議で」


「わかりました」


因みに、これ、隼さん。


付き合い始めて直ぐにお互いが名前呼びに切り替え(慣れるまでが大変だった)、すぐさま課内で私たちの関係を知らない者がいなくなった。


これに関しては、未央さんが「マーキング」と言っていた。男の独占欲、ということらしい。


ただ、私が苗字をそんなに気に入っていないこともあるので名前で呼んでもらえるのは嬉しかったりする。とはいえ、それと私が名前で呼ぶのとは別の話なわけで。


正直に言ってしまえば今でも少し恥ずかしさがある。そういう話を忍さんとかにすると中学生かとか言われるけど、私の恋愛歴を思えばそんなものだ。中学生上等。


さて。頼まれたことは早々と済ませてしまおう。


隼さんが持ってきたのは領収書だった。取引先で急遽不足した品を自分で買い付けてそれを持って行ったと聞いてる。


当然、その際に何処からお金が出たのかといえば、隼さんのお財布だ。そんなに多くないこと、高額の商品でなかったことからまずは急ぐことにしたのだとか。


ただ、お金を立て替えるのはあまり推奨されない。というあたりでちょっとお説教もあったそうで。


それでも会社がお金をきちんと払ってくれるんだからまだいいのかもしれない。友達から「立て替えても何もしてもらえなかった」という話も聞いたことがある。それに較べれば、と思ってしまう。


「やめやめ。頼まれたことをちゃんとやろう」



























頼まれ事そのものは恙無く終わった。


いや、ちょっとばかり厭味は言われたけど。でも、言われても仕方がないことだし。その辺は十分に理解してる。


「コーヒー淹れて戻ろう」


途中で桑畑さんのコーヒーメーカーから一杯もらってオフィスに戻る。


そろそろ隼さんたちの会議も終わる頃だと思うから、議事録の清書が回ってきそう。それまでに他の細々とした事は片付けてしまわないと。


「あ、春夏秋冬さん」


戻ると桑畑さんに声をかけられた。いつも薄く笑ってる方だけど、何だかいつもよりも楽しそうな顔をしてる。


「松戸さんとお付き合いしてるのって本当?」


どうやら今まで確信を持ってなかったようで。


「はい。先日、申し込まれてお返事をしました」


事の経緯を語ると途端に恥ずかしくなるので端的に事実だけを言った。言ってから思うのだけど、あまりにビジネスライクだな、この言い方。


「やっぱり本当だったんだ。未央さんも忍さんも知ってたのに教えてくれなかったの」


うん、当事者二人と同じ部署で働いていれば気付く、と思ってたんだろうね。


「何と言うか、結婚したわけでもないので付き合ってますって宣言するのもどうかな、と思いまして」


「そうなんだ。静季さんは寧ろ周りに言って回ったって言ってたから」


それ、周りにあなたを狙ってた人がいた所為だと思いますし、あなたと課長がお付き合いをし始めたきっかけも周りを巻き込んだからだと思います。


結局、会社には仕事に行くために行くのが前提ではあるけど、珍名さんはそれが一人歩きしてしまって違う対象として見てもらうのが難しかったりもするというのが隼さんが周りを牽制しなかった理由でもあるんだろうな。


思い返すと結構腹立たしいけど、春夏秋冬風という名前だ。これの春夏秋冬を季節と変換すると季節風になる。そこからモンスーンが連想される。さらに語感からモンスター扱いになる。


これが中学生の頃のことで、モンスターなんて扱いになると男子から小突かれることが多くなる。当然、そんな私の中学時代は恋愛のれの字も無い三年間だった。


「春夏秋冬さん?」


おっと。桑畑さんの目の前で考えることじゃないな。他人との恋愛格差なんて気にするべきじゃないし、桑畑さんも課長とお付き合いするまでそんな話に縁は無かったと聞いてるし。


「大丈夫です。課長はきっと周りに自慢したかったんですよ」


「いいの。私が怪我をしたときに周りを巻き込んだ所為だって知ってるから」


あら、知ってらしたのね。


でも、怪我の話は隼さんも詳しくは教えてはくれない。そもそもあまり人に話す内容でないからというのもあるんだろうけど、それ以前に語りたくなさそうだった。


この頃に桑畑さんのことを気にしてたっていうのはもう知っているけど。


「桑畑さん」


私は思い切ってある提案をすることにした。


「私、苗字で呼ばれるの、そんなに好きじゃないんです。良かったら、今後は名前で呼んでいただけませんか?」


宮下さんたちと十分すぎるほどに友達のような付き合いをしている今、桑畑さんとそうなることに何の抵抗があるというのか。


だったら、これくらいの我は通したっていいと思う。


「そうなの。じゃあ、私も名前で呼んで。苗字だと夫もそうなるから」


「はい」


桑畑さん、樹さんとの距離が一気に縮まったような気がした。



























樹さんと呼ぶようになった次の日のこと。


珍しく私に外回りの指示が来た。


「下請け会社の工場、ですか」


嫌な予感がする。


「うん。白戸さんいたでしょ? 彼女の今の勤め先なんだけど、勤務態度は真面目らしいけど、此処でしたことを向こうもわかってるから心配されちゃって。会わなくてもいいから様子を見て欲しいんだって」


これ、仕事かな? いや、仕事だ。


「わかりました。どなたかと一緒に行けばよろしいですか?」


「うん。松戸君が今日はそこに行くからそのときに一緒に行ってきてくれる?」


「はい」


松戸さんと付き合い始めてから最初の二人きりでの行動がよりによってこれである。


とはいえ、ここを出て行く直前の白戸が心配になったのは事実。彼女はギリギリで改心をして、樹さんに泣きながら頭を下げていた。自分が何をしたのか、どれだけのチャンスを恵んでもらっていたのかを自覚したらしい。


これ、間違いなくご両親か何かのお説教があったんだろうなと思ってる。たしか親元を離れて一人暮らしをしていたはずだから、ご両親は本当に驚いたことだろう。娘が入ったばかりの会社をクビになりかけている、なんて。


正直、このときの白戸なら後輩に欲しかった。今となってはもう叶わない願いになってしまったけど。だけど、もしも白戸が本社に戻って私の下とかに就くのなら、私は私の先輩がしてくれたようにしてあげたい。


「そういうことだから、出るときには声かけるから」


と、後ろから肩に手を置いたのは隼さん。


「松戸君。彼女なのは知ってるけど、気をつけないと他の社員さんとかからセクハラで通報されちゃうからね」


「え、わかりました。気をつけます」


コンプライアンスとか結構会社が気にかけてるからなぁ。


ま、そういうことなので声がかかるまでは直ぐに切り上げられそうな仕事を優先して処理していこう。


「では、そのときにはよろしくお願いしますね」


セクハラの話をされて微妙に表情が引きつってる隼さんに一声かけて取り敢えずは自席に戻った。


相馬さんから資料の請求が来てる。この商品の資料はこの前見たばかりだから直ぐに取ってこれそうかな。


「資料室に行ってきます」



























話があってから大体一時間くらいで隼さんから声がかかった。


「では課長、行ってきますね」


「うん。先方によろしくね」


まあ、隼さんが定期的に訪ねてるらしいから変な対応されることもないかな。


「じゃ、行こう」


隼さんに先導されて駐車場に向かう中、彼は唐突に言った。


「普段使ってる社用車、前に桑畑課長が使ってたんだ」


へぇ、と思いながら、この人本当に桑畑課長のこと大好きだよねって思う。付き合い始めて直ぐの彼女の前でそれはどうなんだ、と思ってしまうくらいには。


「で、開発の和泉が渡しそびれた資料を桑畑、嫁のほうな」


「はい」


「彼女が預かって、自転車で先回りして届けたらしいんだ」


それは凄いけど、社用車の話といまいち繋がらない。


というか、樹さん、何してるんですか。


「あ、意味がわからないって顔してるね。大丈夫、本題はここからだから」


「そうなんですか」


「そう。課長は流石に帰りは送るって言ってさ、車に彼女の自転車を積み込んだんだそうだけど、その時に車にちょっと傷をつけてしまったんだ」


それ、弁償とかにならなかったんだろうか。


「一応、内装に引っかき傷を作ったくらいだったらしいよ。で、今でも傷がついたままになってる」


「残ってるんですか?」


隼さんは頷いて続けた。


「で、その社用車に二人で乗った異性は付き合い始める、何てジンクスが出来た」


「私達、もうお付き合いしてますが」


おそらく、私の目線は冷え切っていたことだろう。


「うん、それは、そうだね。でもね」


私の目線を受けてたじろいでいた隼さんだったけど、直ぐに持ち直して反撃に移った。


「そんな素敵なジンクスのあるモノに彼女と一緒に乗れるって嬉しくなるよ」


こんなの反則だ。



























後書


付き合い始めた後のお話でした。


ちょっと白戸達の処分決定とかが早すぎる気もしますが、ご都合主義の産物、ということで。


ちょっとばかりバカップルしてもらいました。同一職場内でカップルになると何気ない一コマがイチャイチャしてるように見えてきますからね。


で、次回は白戸にスポットを。なんだかんだでこの子に救済ルートを用意してしまった。


でも、いいことあるよ。バッドエンドにするつもりないし。田上は、いいかな? こいつに関してはあんまりにもあんまりだったから何かしてあげようとかそういう気分にすらならない。





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