9.Daddy
結局、色々タイミングが悪かったというか、良かったと言っておくべきなのか。
え、何のことなのかって?
私達が白戸に会いに行ったときのこと。
彼女に会おうとしていたのが私達だけじゃなかったみたいで。
下請けの工場なんてそんな遠い場所にあるわけじゃない。
だからこそ、行きの車内であんな恥ずかしいことを言われた私の顔は赤くなったまま元に戻ってはくれなかった。
その所為で工場の担当の方に体調を心配されてしまった。大丈夫だとは言ったけど、訝しげな顔をしてたから通じてるかは怪しい。
かと言って、実は付き合っていてちょっと嬉しいというか恥ずかしいことを言われて顔が赤くなっていますなんて言った日には、「仕事してください」と言われるのは間違いない。
ここにだって仕事をしに来てるんだから、そういう風に言われるのは避けたいところ。
さて。まずはお仕事と行きましょうか。
隼さんは別件なので事務所に行った。
私のほうは工場の見学用通路(近くの小学校の社会化見学の定番なのだとか)から白戸の様子を確かめることになった。実際に会うかどうかはそれから決めるつもりでいる。
とはいえ、私もまだ25歳。人を見ただけで何かが言えるほど経験があるわけじゃない。それでも一応は彼女の先輩として役には立たなかったけど関わってきたんだ。彼女が本当に変わったのかどうか、それくらいなら見極められるかもしれない。
「あそこの隣の人より頭一つ分小さい人がそうです」
「ああ、言われてみれば確かに」
こういった食品製造工場だと、地肌の露出が極端に少なくなる。今の白戸は目のあたりしか出ていない。そのため、慣れるか顔をしっかり見るかしないとわからない。
今、私についてくれてる社員さんは見慣れてるから後姿や背格好、歩き方などの挙動だけで誰かはわかるらしい。
凄い。
私は説明を受けた今でも理解できないでいる。
「勤務態度は真面目です。遅刻も無いですし、誰かの代わりに残業を頼まれても快く引き受けてくれると聞いています」
それ、罪悪感が先行してるような気がするんだけど。
「彼女が本社でやったことは聞き及んでいます。その罪滅ぼしのつもりもあるのでしょうけど、正直に申し上げればやりすぎです。あと1ヶ月もしたら体が限界を訴えますよ」
そして、私が考える程度のことは既に承知されていたご様子。
「だからこそ、今日はあなたをここにお呼びした次第です」
「そうですよね。ただ、私も彼女とそれほど親しくしていたわけではありませんので、ご期待に沿えるかどうかはわかりません」
「かまいません。彼女が少しでも自分のことについて省みてくれる切欠になるのならば」
現状で勤務態度に何の問題もない以上、不安に感じるのは本社でやらかしたことについて。それについても今の姿勢を見る分には過剰なくらいの反省と後悔はしているみたいだった。
「このあと、少しだけ話をさせてください。で、定時に帰るように伝えます。私も後ほどもう一度寄りますので、どこかに連れ出して話を聞いてみたいと思います」
「ありがとうございます。応接室か事務所まで行きますか」
「いえ、私から行きます。衛生的に私が入って問題ない場所まで連れて行ってください」
連れて行ってもらえたのは作業場に行く手前の下駄箱スペースだった。まあ、そうだよね。普通はこの先になんて入れないよね。
呼び出し自体は工場内の内線で事前に伝えてもらっていたから、白戸は既に待っていた。
「春夏秋冬、先輩」
その声も表情も硬い。仕方が無いだろう。でも、それを出来るだけ取り払わなくちゃいけないんだ。
「どうかな。ちゃんとやれてる?」
久しぶりって言うほど時間は経っていない。でも、彼女の仕事についてはきちんと聞きたかった。
「いえ、まだまだです。全然足りないくらいです」
本人はそうは言うけど、ここに勤め始めてまだ1ヶ月どころか1週間くらいしか経っていない。聞いている分には、1週間しかやっていない人間としては十分すぎるくらいだって。
「今は仕事中だからあまり時間とっちゃうと申し訳ないし、帰りにまた寄るよ。定時に帰してってお願いしてあるから、どこかご飯かお茶しに行こうか」
「でも、そんなことしてる場合じゃないんです。私はもっとやらないといけないんです」
そこまで言った白戸は表情を曇らせていた。
これ、罪悪感だけじゃ無さそうだね。
「何かあるなら言って。あなたがちゃんとやれるか、やれてるか確認するようにって言われてるから仕事のうちでもあるのよ、これ」
ここは正直にこちらの事情も開示してしまったほうがいい。そうすることで向こうも言い出しやすくなるかもしれない。
「変なこと、言っても大丈夫ですか」
「変なことかどうかは聞いてから考えるよ」
「わかりました。実は」
白戸の話はとんでもないことだった。
「あまり、早い時間に会社を出たくないんです」
「どうして」
「田上さんが、待ち伏せしてるんです」
どうやら田上は徹底的に他人の足を引っ張らないと気が済まないらしい。
ここで得られた情報はすぐに隼さんと共有した。やり直しをしようとしている白戸につきまとう田上というのは厄介事の臭いしかしない。万が一にも田上が男を連れて来ようものなら私では対処できなくなる。
「和泉が普段から車で通ってるから、忍さんと一緒に迎えに来てもらうといいかな。和泉ならカフェでもレストランでもうちの顧客に顔が利くから助けにもなると思う」
隼さんは定時で上がるのが難しそうなので、忍さんたちご夫婦に手を回してくださるそうだ。ただ、明らかに当てにされているのが忍さんではなく、旦那さんの新さんなあたりがなんとも。
今回は直接的な解決には動かないことになった。勿論、田上の目的がわからない、というのもあるし、それについて白戸がどう思っているかも分からないから。
「でしたら、迎えに行くまで社内から出ないように白戸に伝えてもらいます。あと、私では田上にばれますから、迎えに行くのを誰かにお願いしたいんですけど」
「それなら和泉に行かせるよ。白戸とは関わりなかっただろうけど、この工場には打ち合わせとかで結構来てるって言ってたから」
こうして終業後の予定を立て、白戸への伝言を依頼してから私たちは社に戻った。
帰りの車内は少しばかり空気が重くて、雑談を飛ばす雰囲気でもなかった。
それにしても、白戸ってああして接してみると普通にいい子だったなって思う。いや、いい子で染まりやすかったからすぐ上の田上に染められたのか。
もしも、私が積極的に彼女に関わっていたなら、違う未来があったんだろうか。
いや、そのもしもはないな。そのもしもが実現する場合、田上が普通に仕事をしてるか、あの時点で樹さんがいないと駄目だ。だからこんなもしもに意味なんてない。
そんなことより、戻ってからきちんと定時に上がれるように仕事しないといけないし、忍さんたちへの根回しだって必要だし。これでいて忙しいのよ。
「なあ」
「何ですか」
「今度、デートしよう」
唐突だった。だけど、それは嬉しい申し出で。何より、この重たい空気を振り払える、明るい話題だった。
「いいですね。いつにします」
「次の休みなんかいいんじゃないかな。今回は、俺のほうからしっかりエスコートさせてもらうから、行き先から何するかまで全部任せてよ」
「はい」
たったこれだけのことで、さっきまでの空気は全部どこかに行ってしまった。別に、白戸のことがどうだっていい訳じゃない。でも、それ以上に、私が隼さんとのやり取りやデートを楽しみにしている、それだけ。
社に戻った私は今回のことを課長に報告した。
「白戸さん自身はすごく真面目にやってると思います。ただ」
「ただ、何だ?」
「その白戸さんに田上さんがつきまとっているようです」
この名前が出た途端、課長の顔が曇った。それはそうだろう。この課の空気を乱し、壊して反省も無く辞めていった相手だ。きっとどうにかできなかったのだろうかと課長も悩んだのだろう。
「それで、その件について詳しい話を聞きたいので、今日、この後にもう一度白戸さんに会いに行ってきます」
「わかった。急ぎの案件は無いから定時になったらスパッと帰ってくれ」
「はい」
この課長、基本的にとんでもないくらいの善人だったりする。愛妻家で家族との時間を大事にして、自分は定時に帰りたいけど、誰かにそのしわ寄せがいかないようにする。人に残業させるくらいなら自分がやる。
ただし、人に対して強く出るのが苦手だったりする。
そんな課長が辞めていったはずの白戸に対してもまだ気にかけてる。退職前の涙ながらの謝罪は課長を確かに動かしていた。きっと、私やあの工場の人たちの報告次第では別部署ではあっても復帰に掛け合ってくれるだろう。
私自身、出て行く前の彼女と、今日見た彼女を思えば、本人にその意思があるのなら協力したっていいと思う。
だけど、その前に本人と話をしないといけないし、それよりも前に仕事だ。
請求の来てる資料を集めて、請求してる人に提出して、と。
「白戸さん、頑張ってた?」
席に戻ると樹さんが声をかけてきた。
「はい、真面目にやってましたよ。もう少し話が聞きたいので、今日が終わったらお茶しに行くんです」
「いいですね。どこに行くかはもう決めてるんですか?」
「いえ、まだです。でも、和泉さんに教えてもらおうって話を隼さんにつけてもらってます」
幸い、請求の来てる資料が資料室のではなく、データの物だったので話をしながら仕事ができる。資料は出ている人にメールで送信、プレゼン用に急遽追加で欲しくなったそうだ。
タブレット端末ってこういうときに便利だよね。持ってないけど。
「カフェというか、喫茶でよければいいところ紹介できますよ。あまり人に聞かせたくない話なら個室があるところや、音楽の音量が大きいけどそれが不快じゃないお店とか」
まさかの提案だった。そうだ。思い返してみれば、ここにエスプレッソマシンを提供したのはこの人だし、隼さんに交際を申し込まれたときのお店を隼さんに教えたのもこの人だった。
それに、個室のお店くらいなら想像はついたけど、大音量が不快じゃない店ってどういうところなのか想像がつかない。
「その大音量のお店、教えてもらっていいですか」
それが邪魔にならない店ってどういうところなのか、凄く興味が湧いた。
と、いうわけで教えてもらったお店を和泉さんに伝えると、一瞬だけど凄い顔をされた。
どういうことなのか尋ねてみると、スマホからお店の位置情報を見せられて納得した。
周りに何も無い。これだと「目印は何ですか」と尋ねても「目的地が何よりの目印です」と言われるのが目に見えている。さらに、会社からの距離を考えると車一択だった。
最寄の駅から2キロは離れているし、バス停からも離れている。
樹さんはここ、どうやって見つけたんだろう。
でも、ここなら田上が後をつけてきていたのだとしても移動手段が限られるし、タクシーなんかがついてきてたらすぐにわかる。
樹さんは今回の件での田上を知らないはずだけど、予想外に凄くいい場所を紹介してくれた。それに、普通にお店として悪いお店なわけがない。そういう意味でも信用できる。
和泉さんには申し訳ないけれど、ここに行くのは決まりだった。
「俺達が連れてくのはいいけど、帰りについては松戸に頼んでおくよ。その方がいいだろうし、その頃にはあいつの仕事も終わってると思うしね」
「はい。ありがとうございます。では、凄く図々しいお願いだとは思いますけど、白戸の連れ出しもお願いします。田上が会社で張っていた場合、私はばれてしまいますので」
「いいよ。話を聞いている分には大分更生してるみたいだし、そういう人の足を引っ張るような輩は好きじゃない。でも、忍も連れてくよ。不倫だとかで攻撃する材料を与えたくないからね」
「お願いします」
こうして、白戸の連れ出しは決行に移されることになる。
何となくではあるけど、このとき、私は白戸といい友達になれるような予感があった。だから、この後が楽しみになっている自分がいることに何の疑問も抱いていなかった。
後書
とにかく、白戸の救済です。もうちょっと続きそうですし、何だかんだで複数回登場することになりそうな白戸さん。
尚、今回のタイトルは内容に何ら関係ありません。原曲の雰囲気です。白戸さんのいる工場に行くまでの車内の雰囲気だと思っていただけたら。結構甘めだと思いますが。
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