2.IT DON'T MEAN A THING

不安はいつだって付き纏う。


かつて私をいいと言った男は、すぐに底を見せた


少しでも得られた安堵や自信はそのときに消えてなくなった。


だから、今こそ問おう。














「私は本当に必要ですか」


不安は、解消するためにアクションを起こさなきゃどうにもならない。


とはいえ、このアクションはさらに不安を掻き立てるものだった。


「そう思った理由を訊いてもいい?」


「…… 私、後輩に嘗められてます。その上、桑畑さんが職場復帰されました。この状況で私は必要ですか?」


もしも桑畑さんがあんなに仕事ができる人じゃなければ私にも可能性はあったはずだ。


でも、それは無理だろう。そして、私には後輩の指導に失敗したという問題がある。普通に考えれば切られるのは私だろう。


「ふうん。そう思ってたんだ」


今、松戸さんはどんな顔をしているんだろう。


とてもじゃないけど、その表情を見るような勇気は持てなかった。


「でも、春夏秋冬さんをうちから切る理由なんてどこにもないよ。だっていい仕事してくれるじゃない。そういう人は、本当に必要だよ」


はっと顔を上げる。その表情にうそを言っているような、そんな軽薄さは見られない。


「第一、本当に春夏秋冬さんを切るんならさっきみたいな相談なんてしないよ。ああいうのは、これからもいてくれる人にする話だよ。

 ま、こんな話はこれくらいにしてさ。ピザ食べようよ。で、楽しく食事とお話して帰りましょう。明日も仕事だからね」


「はい」


それまでの不安は残っているけど、気にしないことにしてピザに手を伸ばす。


柔らかい。


一口、口に含んでから思う。本当においしい。


「美味しい?」


問われ、素直にうなずく


「なら良かった」


そう言って笑みを浮かべた松戸さんもピザに手を伸ばした。


ビールも美味しいけれど、明日も仕事だから飲みすぎても困る。お世辞にも強いほうじゃないし。だから、ビールは最初だけにして後はノンアルコールにした。でも、ノンアルコールビールの安っぽい味はどうにも好きになれないのよね、これが。


というわけで、途中からジンジャーエールにした。


「ねぇ、春夏秋冬さんって彼氏いたりするの?」


あまりに唐突な話題転換だったから、思わずジンジャーエールを噴出しそうになってしまった。


「ああ、ごめんね。変なこといきなり聞いたね」


「い、いえ。少しびっくりしただけです。それで、質問の答えですが、いません。いたこともないです」


うん。あれを数に入れてたまるか。


「そうなんだ。綺麗だからいてもおかしくないなって思ってたんだけど」


「そうでもないです。“しゅんかしゅうとう”で“ひととせ”って読むっていう珍名だけが先行してどこに行っても珍獣扱いでおしまいです。女性として扱われはするんですが、珍獣は恋愛対象ではないそうです」


多少でもお酒が入っている所為だろうか。自分の言葉に棘を感じる。


だけど、それに答える松戸さんにはさらに驚かされた。


「そう? じゃあ、俺と付き合わない? 珍獣じゃなくて、一女性として見ても十分すぎるほどに魅力的だよ、君は」


「は?」


一瞬、何を言われたのかわからなかった。でも、すぐに意味を理解すると今度はどうしたらいいかわからなくなった。


不安はある。


何せ、私のノーカウントにしておきたい唯一の元彼となる奴はとんでもない奴だったからだ。


「ああ、でも答えはそんなに急ぐつもりはないから。ゆっくりでも考えて」


そう言った松戸さんは再びピザを口に運んだ。


「はあ……」


私にできたのは投げやりに返事を返すことだけだった。













松戸さんにアパートの前まで送ってもらい、シャワーも浴びて人心地ついた私は激動の一日とも言える今日のことを思い返していた。


まず、朝から桑畑さんの職場復帰とそれに伴う馬鹿の露呈。馬鹿が馬鹿なのはずっと知っていたけれど。そして、これから起こるであろう台風とその台風の目となる桑畑さん。


それから、松戸さんによる突然の交際申し込み。


確かに、私ももう25歳になる。対する松戸さんはたしか30になるはずだ。お互い、のんびりと適当に遊んでいていい年でもない。こういう年齢で交際を申し込まれるということはある程度結婚だって視野に入っているはずだ。


で、当の私は結婚どころか交際すらイメージできない。


唯一の元彼を名乗る馬鹿とは交際したと言いつつ、体の関係はおろかキスもデートもしたことがない。


事の経緯は、高校の卒業式の予行にまで遡る。


当時の私は大学行きも決まっていて、そのころには今のアパートに荷物も運んであって、後は私が行くだけという状態だった。まぁ、新生活の予感という奴は私を浮かれさせていた。その点においてはなんら間違いはなかっただろう。だからだ。ああいう馬鹿の思惑に気づきもしなかったのは。


彼の名は米田よねだ。下の名前なんてもう覚えてない。彼は私と違って就職組。それも自衛隊だった。そんな彼が予行が終わって帰ろうかというときに声をかけてきた。


『春夏秋冬、帰りか?』


うん。普段だったらここで気づいたことだろう。


彼は、秋口には入隊が決定していてそのころから奔放だったから受験組や未内定者から顰蹙を買ってた。もちろん、そこには私も含まれる。


だけど、繰り返すがそのころの私は浮かれていた。だから、男っ気がまるでない高校生活に飽き飽きもしていた私だから、その誘いに乗ってしまったのだ。


『あのさ、俺と付き合わね?』


当然、何でもよかったから私はうなずいてしまった。馬鹿だな、と自分でも思う。


卒業式が終わって数日は、私のように地元を離れるメンバーや、他の仲のよかったメンバーで遊びに行くことが決まっていた。もうほとんど会うことのない子や、今までのように気軽に会えなくなる子。そんなメンバーで最後に遊びに行こう、と決めていて、もはや卒業旅行と言うべきものになっていたのだ。ホテルだって取ってあった。


そして、私の引越しと彼の入隊に日程を思えば会えるときなんてなかったのだ。


それからは怒涛の日々だった。


友達と旅行を済ませ、自由登校中に通った自動車学校も無事に卒業して免許も取得して、気づけば引越しの日。一応、彼とは電話やメールでやり取りもしていた。彼はお調子者で通っていたから、会話で飽きるようなこともあまりなかった。


私が引越し、彼が入隊した。


私は大学に入ってすぐにアルバイトを始めた。このころから彼からの連絡が途絶えがちになった。別に浮気とかそういう理由ではない。彼が物理的に連絡を取ることができなくなったからだ。


何でも、携帯電話を使っていい時間が決められているそうだ。夕方、食事後に返されてから9時には再び没収される。さらに、食後から9時までが自由かと言えば、まったく違う。


彼から話を聞いて、そして、実際に調べた。


彼は陸上自衛隊に一般陸曹候補生という形で入隊した。これは、何年かのうちに昇任が約束された形なのだそうだ。というのも、入隊したては兵卒っていう状態で、普通の会社でいえば契約社員に相当する立場らしい。自衛官って公務員だから一回入ってしまえば安泰だと思っていたけどそうでもないのだとか。


で、入隊して最初の3ヶ月を前期、次の3ヶ月を後期として一般の会社で言うところの新入社員研修をやらされるそうだ。ただし、彼らはちょっとばかり命がけだったりする。怪我人は必ずといっていいほどに出るそうだし、死人が出ることも稀にあるそうだ。そして、その教育期間というのは時間の使い方もシビアだ。食後から23時の消灯までの間に入浴、洗濯、翌日のための準備のすべてを終わらせ、遊ぶ時間があるくらいなら運動しろと言われるくらいなのだそうだ。そして、この翌日のための準備というものに迷彩服にアイロンをかけることや、靴磨きが含まれるそうだ。実際に女の子でも入った子がいて、同窓会のときに聞いてみたところ、『アイロンがけじゃない。あれはプレスというの。で、靴磨きも自分の顔が映るくらいに磨くの』というありがたい訂正とお言葉をいただいた。


とまあ、そんな時間のない彼らだけど、彼女を地元に残して入隊する若者は結構多いらしい。会えなくて破局に至るケースも多々あるようだけど。そして、入隊したその大半がやたらと血の気の多い人間であることも事実なようだった。それで、引き離された彼女という役どころに落ち着いた私だったのだけど、大学に入って初めてのゴールデンウィークだっただろうか。状況が少しだけ変わった。


今でもよく覚えている。初めての帰郷と、彼の休暇が被ったのだ。当然、会うと思っていた。だけど、私と彼が会うことになったのは彼が休暇を終えて、駐屯地に帰る途中だというのだ。本人が言うところには同期に紹介したいとのことだった。まぁ、それならそれでもいいか、と納得した。


実際、私の中における彼の立ち位置は非常に曖昧で、彼のことを好きだったのかと問われると首を傾げざるを得なかった。


そんなわけで、私は一人暮らししている町に向かう途中の電車で彼と合流し、彼の所属する駐屯地のある駅で降りた。青春18切符って本当に便利なのだ。こういうときには。


そこで私は彼の同期というものに引き合わされた。まぁ、それからが最低の展開だった。彼は同期の前で私の苗字と中学時代につけられたあだ名を爆笑しながら披露したのだ。


開いた口がふさがらない、というのはこういう状況を言うのだろう、と学んだ。その状況は待ち合わせに来ていた同期の中でも年長の人がいたようで、その人が収拾をつけてくれた。彼女の恥をかかせる彼氏がいるか、と一喝して。


一方の私としては元々そんなに好きでもなかったし、こんなことのために連れて来られて千年の恋も冷める気持ちになっていた。というわけでビンタ一発、着信拒否にドメイン指定でメールも受信拒否に設定した。今でも電話帳にはそのまま残されている。ただし、登録名はクズ、である。


と、以上が私の唯一の交際暦であり、当然、こんなもの経験のうちにも入らない。向こうからすると私はネタでしかなかったのだから。


思い返せば思い返すだけ腹が立つし、松戸さんの交際申し込みを本当に受けていいものか不安にもなる。


そんな子供でもないとは思うんだけど……













朝が来た。


むくりと起き上がり、のそのそと布団を出る。


「取り敢えず、仕事……」


寝ぼけた頭を何とか起こし、支度を始める。


そうこうしているうちに、洗顔も朝食も何もかも済ませて出勤するだけになった。


松戸さんに対する答えは早めに準備しよう。そう決めて思い切って扉を開けた。


アパートを出てすぐに信じられないものを目にした。


折りたたんだベビーカーを負い紐で背負って自転車で疾走する桑畑さんの姿だった。


「嘘でしょ」


というか、桑畑課長は車で通勤してるんだから一緒に…… って、そうか。一緒に帰れないんだ。


だからって、ねぇ。あれは予想してなかった。じゃあ、あのベビーカーってロッカーに収まってるの?


なんと言うか、私の想像とかをはるかに超えたたくましい人なんだって思えた。そして、一緒に仕事したいとも思った。私だってたくましさについてはそう負けていないと思う。


だって、中学のころからのあだ名がモンスーンなのだから。だからなんだと言われればよくわからないけど、男子からはモンスター扱いだったんだ。それに対して真っ向から立ち向かい続けた私だ。精神的にはかなりタフだと思う。


そんなよくわからないことで張り合いながら今日も仕事だ、と息巻いて会社に向かった。




























後書


思わず、樹をかなりたくましいキャラクターにしてしまいました。母は強しで納得していただけると幸いです。


今回の描写の大半を主役の彼女の痛い過去の恋愛事情にスポットを当てる形で描きました。若干、陸上自衛官をディスるような書き方をしましたが、私は自衛隊が嫌いではありません。というか、前職なので誇りに思うくらいです。しかし、入隊当初は子供っぽい隊員が多いことも事実です。これまでは作品の関係上、自衛隊と言う存在を登場させることはかないませんでしたが、これからは少しずつやっていきたいとも思いますね。


あと、1話と2話で登場したお店にはきっちりモチーフがあります。と言いますか、私をジャズ好き、コーヒー好きに染め上げたお店です。もう無くなってしまいましたが。


一応、今作の相手役は松戸です。松戸も30になって性格的にも落ち着きました。

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