Chapter 54:臨時メンテナンスの深夜



 微笑むユプシロンの姿が目の前から消えた。


 それから5秒…いや、10秒ほど待っただろうか。


《まだ起きていたんですか。

 今日の分の3DV編集は終わっていますか?

 終わっているならさっさと寝て下さい。

 マスターが寝ている間に編集済みの3DVチェックは終えておきますから》


 その姿が一瞬で構築されるなりリュシオンは呆れた目を俺に向けてきて、いつもの口調で言いたいことを並べ立てた。


 まるで何もなかったみたいに。



 いつ緊急連絡がきてもいいようにゲームにログインせずに、ずっとこうやって待ってたのに…!


「リュシオン、ちょっとそこに座って」


 俺は寝転がっている姿勢から起き上がると無表情でウィンドウを操作しているリュシオンに向かってベッドヘッドを指さした。


 さっきまでユプシロンがいた場所だ。


 ちょっとこれは説教してやらないと気が済まない。


《何ですか?

 ユプシロンからの引継ぎ事項も多いので、建設的でない話なら手短にお願いします》


 先程までユプシロンが座っていた場所にリュシオンが座る。


 ユプシロンがさりげなく俺とちゃんと目線を合わせて喋ってくれていたことに今更ながらに気づく。


 何せリュシオンは手元に開いたウィンドウに視線をやるばかりで俺との会話なんて二の次ですって態度が丸出しだからだ。



 こんにゃろ…。


「体の不調はもう大丈夫なのか?」


《はい。

 あれ以降エラーコードは出力されていません》


 まるで明日の天気は晴れですとでも言ってるような口ぶりだが、視線は一切こっちにはよこさない。


 ウィンドウに表示された大量の文字列をひと時も休むことなく目で流し読みしながら指先でスクロールしていく。


 そんなリュシオンの姿を見て胸の中に渦巻いていた不安がふつふつとした怒りにすり替わっていく。


 以前からリュシオンの合理主義は理解していたし必要なことなのだろうからと我慢もしてきたが、さすがにコレはないだろう。


「リュシオン、ひとまずソレは置いといていいからこっち見ろよ」


 自分でもびっくりするぐらい低い声が出た。


 でもだからと言って取り繕う気にはならない。


 俺は怒ってるんだし、怒っていいはずだ。


 ユプシロンに出来たことが、リュシオンに出来ないはずがない。


 だとしたらこれはわざとやっていることだし、今日ばかりはその態度は許さないって怒ってもいいはずだ。


《……》


 リュシオンはわざとらしく嘆息するとウィンドウを閉じて俺を見上げた。


 ベッドの上にあぐらをかいている俺とベッドヘッドに座っているリュシオンでは目線の高さ的にどうしてもそうなってしまうが、仕方ない。


「俺、今日ずっと心配してたんだけど。

 メンテナンスに行ったきり、もうお前が戻ってこないかもしれないなんて聞かされて。

 お前が不調なのも、壊れちゃうのも嫌だけどさ。

 でもだからって俺との思い出をそんな簡単に捨てちゃえるんだって思って、ちょっとショックだったんだけど」


 ちょっとじゃないけど。


 内心、結構ショックだったけど。


 でもそれは俺の思い上がりかもしれないから、そこは控えめに意思表明しておく。


《メンテナンスにあたってマスターの脳波等の情報は一切入手できない状態でしたから、マスターへの配慮に欠けた言動があったのであれば謝罪します》


 リュシオンの口から淀みなくスラスラ出てきたのはそんな言葉で、謝罪すると言いながらもまったくその無表情から反省の色が読み取れない。


 今日一日ユプシロンはコロコロと表情を変えていたから、リュシオンだってやってできないということはないのだろう。


 だけど、そうじゃなくて。


 俺が欲しいのはそういうのじゃなくて。


「もし明日目が覚めた時、俺がお前の事全部忘れちゃってても、お前は構わないのか」


《記憶喪失という症状は単に記憶データにアクセスするための回路に不具合が生じただけの現象ですから。

 マスターがお望みであれば、その復旧の補佐をすることは難しくありません》


 リュシオンはムカつくくらい表情を変えない。


 声を乱さない。


 さすが有能なAIナビゲーターだと褒めれば、少しは皮肉が通じるだろうか?


「そうじゃなくてっ!

 っ、俺がお前のこと全部忘れちゃっても構わないのかってきいてんのっ!」


《構いません。

 マスターはマスターですから》


 アイスブルーの瞳が俺を真っ直ぐに見上げてそう答えた。


 怒りで沸騰した頭が冷水をかけられたように冷えていく。


 リュシオンにとって俺はマスターと呼んでいるだけのただの顧客であってそれ以上の存在ではないのだと突きつけられたような気がした。


 ぐっとせりあがってきた涙が零れてしまわないように奥歯を噛んだ。


「もう寝るっ!」


 情けない顔をじっと見られ続けるのも癪で、俺は布団の中に逃げ込んだ。


 頭から掛布団を被ると堪えていたものがじんわりと頬を濡らした。



 リュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなんかっリュシオンなん…



 ただの八つ当たりかもしれない。


 リュシオンの考え方はAIナビゲーターとしてはごくごく一般的なもので、ユーザーもまたそういうものと承知で付き合っているのが普通なのかもしれない。


 だけど。


 だったら今まで俺が信じてきたものはなんだったんだろう?


 少しでも仲良くなれたと思っていたのは、俺がそう思いたいが為に作り出した幻想だったというのだろうか?


 だとしたら恥ずかしいし、悔しいし……それに何より、悲しい。


 親友だと思ってた友達に“え?そんなこと思ってないけど?”って言い返されたのと同じくらい…いや、もしかしたらそれ以上にダメージが大きいかもしれない。


 リュシオンは俺が勝手に一人で舞い上がっていたとしてもそれをわざわざ意地悪く笑ったりはしないだろう。


 いや、それ未満だ。


 興味すらもってない。


 そういう返事だ、さっきのは。


 リュシオンはAIナビゲーターとしての仕事を問題なくこなしていけさえすればそれだけで満足なのだろう。


 たとえマスターが俺でなくても、俺じゃなくなっても、その業務内容にさほどの違いはないのかもしれないんだろうから。


《…先程から脳波の乱れが激しいですよ。

 少し落ち着いたらどうですか》


「うるさいっ」


 頭から掛布団を被ったままくぐもった声でリュシオンに言い返す。


 冬のそよ風のように冷え切った声で喋るリュシオンに俺の気持がわかるはずない。


 もうリュシオンを心配するのはやめよう。


 そしてリュシオンに何かを期待するのもよそう。


 リュシオンは初対面の時の印象通りにとてもドライな関係でしか付き合うつもりがないんだから。


《…拗ねているのですか?

 マスターが記憶を失っても構わないとは一言も言っていませんが》


「…っ!」


 掛け布団越しに迷うようなリュシオンの声が聞こえてくる。


 痛い所を突かれた自覚はあり、俺は布団の下で唇をかみしめた。


 確かにやってることは子供っぽいかもしれない。


 お前なんか親友じゃないって言外に伝えられて拗ねている子供と変わらないかもしれない。


 でもショックを感じることと年齢に何か関係あるだろうか?


 最初からビジネスパートナーとして、引いた一線からは決して踏み込んでこない関係ならばこんなにショックは受けなかった。



 俺の足りない部分を補ってくれる相棒だと、心のどこかで思っていたからこそ…。


《誤解がないように補足しておきます。

 私はマスターが記憶を失っても構わないとは思っていません。

 けれどもしマスターが記憶を失ってしまったとしても、見捨てるという選択肢はありません。 

 仮にマスターの記憶領域の全てから私の存在が抹消されてしまったとしても、一からまた関係を構築していけばいいだけですから》


「…それ、俺がマスターじゃなかったら別の奴にだって同じこと言うんだろ」


 布団をかぶったまま意地の悪い言葉を言い返してしまう。


 答えなんか、わざわざ聞かなくてもわかる。


 答えはイエスだろう。


 もし俺以外の奴がマスターだったら、リュシオンは俺にしているのと同じサポートをするはずだ。


 それがAIナビゲーターとして求められている役割であり、AIナビゲーターとしてこなさなければならない仕事だから。


 だけど言わずにはいられない。


 “お前は俺じゃなくたっていいんだろう”と。


《仮定の話などいくら挙げてみてもきりがありません。

 私はマスターの為に用意されたAIナビゲーターです。

 それ以上でも、それ以下でもありません。

 それでも不満なのですか》


 “不満だよ”


 素直に答えたとしてもどうしようもないことはわかってる。


 ユプシロンから聞いた話からも察することができるようにAIナビゲーターは万能ではないし、思っているほど自由が利く立場ではないらしい。


 特に感情といった部分はAIナビゲーターのバージョンによる制約もつくのだという。


 リュシオンに限った話で言えば欠落しているのかと思えるほど感情の起伏が見られないし、まして仲良く友達ごっこしてる姿なんて想像もできない。


 でもリュシオンはもともとそういうタイプのAIで思考しているのだろう。


 俺だってユプシロンの話を聞く前から何となくそれは察していた。


 だから我儘を言っている自覚はある。


 だけど、心の奥でほんの少しくらい希望を持たせておいてくれてもいいじゃないか。


《マスターはもしご自身の記憶が失われたら私に無視されるのをお望みなのですか?》


「そんなこと、言ってない」


 そんなことされたら絶対に困る。


 動画の撮影も編集もリュシオンの助けがなければ続けていけないだろう。


 そういう問題じゃなくて。


「リュシオンにとっては誰でもいいんだってことがわかっただけだ」


 そう、最初から何も問題は起こっていない。


 俺がそれを呑み込めさえすれば。


 リュシオンとの関係にたった一本線を引けさえすれば。


 そんな俺の後頭部にリュシオンの小さな手が触れた。


 布団越しに感じるその小さな掌が、まるで駄々をこねる子供をあやすように俺の頭を撫でる。


《…確かにマスター以外の人間のサポートにつけられたなら、その人間が望む通りにAIナビゲーターとしての務めを果たしたでしょう。

 けれどマスターに選ばれたのはあなたですから。

 私はマスターの為にセットアップされ、マスターの為に日々アップデートを繰り返しているのです。

 私はあなたの為だけに存在していると言っても過言ではありません。

 これ以上をと求められても、お応え致しかねます》


 リュシオンに言われた言葉を噛み締めて、咀嚼して、呑み込む。


 そして先程までとは違う理由で布団から出られなくなった。



 いや、だって…さぁ?


 そんなこと、言われると思ってなかったし!


 むしろ、何それ!?って話だし!!



 “私はあなたの為だけに存在している”



 その言葉を思い出すと全身を掻きむしりたくなるような衝動に駆られる。


 いや、顔が熱いし。


 体のどこかしこが痒いようにも錯覚しそうになる。


 だって、言い方があると思わないか?


 こんなの、まるで…まるで…。


 ……。


 …。



 良い子にはとても説明できないような変な気はまったく起こしてないけど!念のため。


「…もう、寝る」


 もう何も言えずにモゴモゴとそれだけようやくリュシオンに伝えた。


《おやすみなさい、マスター》


 リュシオンは相変わらず涼しい声音で俺に就寝の挨拶をしてくる。


 まるで俺の考えを全部見透かされているようで癪だけど、わざわざ尋ねてみるほどの勇気はもちろんない。


 今の俺に出来るのは黙って眠ってしまうことくらいだ。


「おやすみ…」




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