Chapter 53:臨時メンテナンスの夜
「へぇ?
じゃあユプシロンって色んなユーザーが使ってるAIタイプなんだ?」
《はい。
男声型のアルファと女声型のユプシロンはAIナビゲーターの中でも最初期に開発されたモデルです。
マスターとなる人間の性別によって生まれた段階ですぐにサポート役として自動的につけられるというのも大きいでしょう》
俺はベットにうつぶせに寝転がりながらベットヘットに腰かけるユプシロンと会話していた。
本来は本を並べたりインテリアを飾る為のスペースなのだろうが、身長が20センチに満たないユプシロンにとっては座るのに丁度いい段差だ。
メンテナンス担当の笹川さんからは日付が変更した時点でユプシロンとリュシオンを交代させるとは聞いてる。
でもリュシオンのエラーの原因は結局何だったのか分からずじまいだったこともあって、俺は昼からずっとそわそわして過ごしていた。
これではとてもゲームどころではないと判断して、今日は昼からずっと3DV編集に時間をあてることにした。
幸いにも昨日まで撮り溜めていた録画データはあったので、そこから3DVにするためにカット編集をしたりテロップを加えたりしていくだけでいい。
リュシオンが戻ってきたらまたこの3DVを観てダメ出しをいっぱいしてくれるだろう。
ユプシロンには休憩の合間に色んな話をちょこちょこ聞かせてもらった。
なにせこっちにきて一番最初に喋ったのがユプシロンだったので、何か情報を聞き出せないだろうかと思ったのだ。
けれどそれとなく話を向けてみたのだが、確信に触れるような情報は得られなかった。
AIナビゲーターというのはあくまでも窓口でしかないらしい。
インターネットでいうところの検索窓のようなものだろう。
姿形や音声、付与された性格なんかはそれぞれ少しずつ違っても、参照できる記憶領域というのはマスターに依存しているというのだ。
つまりマスターが大統領なら大統領がアクセスできる領域のデータが参照できるけど、一般市民には閲覧できないってことなんだろう。
リュシオンが以前話していたアクセス制限というのは、つまり俺自身がアクセス権を保有していないから参照できないという話だったらしい。
つまりもし俺が誘拐犯のAIナビゲーターに接触できて何らかの手段でなりすますことができれば、計画の全貌が明らかにできるということだ。
なにせこのネットワークに繋がっている人間はみんな肉体をもっていない。
AIナビゲーターを通じてしかアクションを起こせないのだから、その行動の全てはAIナビゲーターの内部にログとして残っているだろう。
…まぁ、考えてみただけで方法なんてまったく思い浮かばないんだけど。
話を戻して。
「じゃあ君のマスターもそういう経緯で生まれた時からずっと君のサポートを受けてるってこと?」
《いえ、私自身はメンテナンス時に支給される代替機ですから、特定のマスターは登録されていません。
あくまでもAIナビゲーターの役割を一時的に担うための存在です》
「へぇ?
でもそれって大変じゃない?
毎日マスターが違ったら、調子が狂いそうな気がするんだけど」
生まれた時から常に有能なAIナビゲーターが傍にいたら、自分は指一本動かなさいといった生活をしている人もいそうだ。
常に簡単な命令だけ与えて他は丸投げするようなマスターの所に行かされたら、ものすごく大変そうだとか考えてしまう。
《マスターは優しいのですね。
こんなマスターにお仕えできるリュシオンは本当に幸せ者です》
ニコニコ笑っているユプシロンから褒められる。
別に当たり前なことを言っているだけなので、優しいとか言われてもなんて返せばいいのかわからない。
というか、こんなことで優しいって言われるほどこの未来世界でのAIナビゲーターの扱いというのは酷いのだろうか?
あるいはユプシロンがもともとマスターを褒めて伸ばすタイプのAIなのかもしれないけど。
《確かにマスターのおっしゃる通り、中にはAIナビゲーターを道具のように扱う方もいらっしゃいます。
AIナビゲーターというのはあくまで商品であり、サービスであるということに変わりはありませんから。
壊れたり飽きたりしたら別の個体、別のバージョンに買い替えればいいというのは特別珍しい考え方ではないです》
ユプシロンは目を伏せて寂しげに微笑んだ。
きっと今まで色々なマスターの所に行かされたのだろう。
心に少しずつ蓄積している感情があるのかもしれない。
ユプシロンは一度瞼を閉じると何も言えずに沈黙している俺に悪戯っぽくわらいかけながら口を開いた。
《でも心優しいマスターを気に病ませてしまうのは、AIナビゲーターとして適切な判断だとは思えません。
ですので、マスターには特別に私個人の秘密をお教えします。
代替え機として用意されている一般的なAIナビゲーターは記憶データを保有しません。
メンテナンスが終了した時点で毎回その記憶データは破棄されているのです。
でも私個人に限った話ではありますが、実はマスター登録をしている方がいらっしゃいます》
“内緒ですよ?”とユプシロンがウインクする。
内緒と言われても誰かに言いふらすつもりは毛頭ない。
ないけど…それってどういう…?
「えっ?
だって君はライフサポート社から提供されている代替機なんじゃ…」
《はい。
ですから私のマスターはちょっとした小細工をしているんです。
代替機本来が保有している記憶領域とは別にアクセスできる領域を付与することでマスターの二重登録を可能にしています》
「えええぇっ…?」
思わず声に出ていた。
だってそうだろう。
AIナビゲーターはマスターの手足でありパートナーだと思っていた。
互いが替えのきかない存在だからこそ成り立つ絆っていうのがあるんだと思ってた。
マスターの二重登録ってアリなんだ…。
いや、小細工だって言ってるから一般的に普及しているって感じじゃないんだろうけど。
でももしリュシオンがって考えたら……嫌だな。
《代替機として派遣された先での記憶は毎回消去されますが、本来のマスターとの記憶データは残りますから。
ですからあまり心を痛めないでください》
「う、うん…」
内容がどういうものであれ記憶データをずっと消され続けるなんて可哀想だと思った。
でも笑顔のユプシロンを見ていると、とても同情が必要なようには見えない。
感情に乏しいリュシオンよりずっと幸せそうにすら見える。
いや、リュシオンの表情が乏しいのは決してリュシオンが不幸せだからとか…そういうんじゃないと、思う。多分。
「でも、どうしてそんな話を俺に?
本当に喋っちゃって良かったのか?
君の本来のマスターに怒られたりしない?」
《大丈夫です。
マスターは何事も面白い事が好きな方ですから》
俺の心配をよそにユプシロンの笑顔は崩れない。
ユプシロンのマスターは寛大なのだろうか。
今日は興味深い話もいくつか聞けたので、ユプシロンが帰ってマスターに怒られないかどうかだけ心配だ。
そんな俺の前でユプシロンがウィンドウを表示した。
時刻は残り30秒で日付を跨ごうとしている。
喋っていたらあっという間だった。
まだもう少しユプシロンと喋っていたいような気はするが、それ以上にリュシオンのことが心配だ。
早くいつもの調子を取り戻したリュシオンに会いたいという気持ちの方が強い。
《そろそろ交代の時間です。
マスター、今日一日ありがとうございました。
どうかリュシオンと末永く仲良くお過ごしください》
立ち上がったユプシロンが微笑んだまま俺に礼を言い、そして腰を折り曲げて丁寧にお辞儀した。
俺も慌ててそれに応える。
「こっちこそ楽しかった。
ありがとう。
君の本当のマスターにも、よろしく」
お辞儀を終えて顔を上げたユプシロンは微笑んだまま俺の言葉に小さく頷いた。
そしてその姿はデジタル時計の表示が0時になった瞬間に幻のように掻き消えてしまった。
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